13匹目 優越感
「ね、ね、ねぇ、か、帰ろうよ」
森に入った時はすでに日が暮れかけており、山の中腹まできた今ではすっかり真っ暗だ。山の中に他に光はなく、木々の隙間から空すら覗き見ることはない。
置いていくことはないのはわかっている。彼女が、ヨルガオがそう言う人でないのは十二分にわかっているのだが前を行く背中に心細さを覚えて声をかけた。
「何言ってんのよ! ここまで来たんだから社まで行くわよ」
ヨルガオはいつも通りの調子で振り返る。手に持っていた懐中電灯の光で目が眩み思わず手をかざした。それを見てた彼女はごめんと言いながら地面へ光の先を落とした。
奴らからの暴力を振るわれる回数は相変わらずだった。止めに入ってくれはしたがどうやらそれが逆効果だったらしく、前よりも虐めが過激になった。
さらに彼女にまで嫌がらせをしているらしい。彼女曰く暴力は受けていないが、物がなくなったりゴミが机に置かれていたり。
そのせいで元々仲が良かった人達とも疎遠になったそうだ。
「あいつらこの先で待ってんだよ? さっさと行って根性見せつけてやんなよ」
それは今日の昼間の出来事だった。
いつも通り僕は校庭の隅で殴られ、ボロ雑巾の様に伸びていた時。
『またあんた達はそんなことやって!!』
あの日以来彼女は欠かす事なく、僕の虐めの現場に駆けつけてやつらとの仲裁を図る。
その度に奴らも暴力はやめた。
どうやら女を殴るほどのクズでもないらしい。
『ヨルガオに助けて貰ったのに、やり返す事もしないなんてお前は弱虫だな』
黒髪の奴がそうぽつりと呟く。彼女がきたことが気に食わなかったのか苛々とした様子で煙草に火をつけた。もちろん校内は禁煙だし未成年だから注意されるべきなのだが、誰も彼に注意はしなかった。
『リンドウは弱虫なんかじゃない』
むっとした顔で彼女は言い返す。
『はは! こいつは弱虫の負け組だ。何も言い返さねぇし泣きもしねぇ。こいつよりその辺の犬の方がよっぽどマシだな。見てて本当にムカつくんだよ』
彼女は奴の前まで歩いていくと、顔を近づけ目尻を釣り上げた。
『じゃあ、証明してあげる。今日のうちにリンドウが“大神様の儀式”をやってくるからそしたらもうリンドウに構わないで』
僕の了承など得ずにヨルガオはそう言った。
奴は笑いながら煙を彼女の顔に吹きかける。
彼女は目を細めたがそのまま奴の顔を見据え、引くことはしなかった。
『いいぜ、どうせできっこねぇよ。あいつは森にすら入れねぇだろうから学校まで戻らず社に着いたらクリアにしてやるよ』
『約束よ!! 絶対にたどり着いて蝋燭たらふく持ち帰ってやるんだから』
彼女は怒った顔のまま踵を返し、いつも通り僕の脇を引っ張りあげてその場から離れた。
そして今に至る。
「で、で、でも」
「あーもうめんどくさいな。寒いし、早く終わらせてこよ、言いたいことはあったかいとこで聞くからさ」
彼女はそう言いながらこちらに手を差し出した。
――本当にあの頃と変わらない。
そう思ってもその手を見つめるばかりで握り返さなかった。悴んだ手では、ぴくりとも動くこともできなかったのだ。
宙を虚しく迷った手は気まずそうに彼女の頭へと戻っていった。
「とにかくウチはもうリンドウを見捨てたりしない。昔みたいにまた友達に戻りたいから。今までの事は悪かったと本当に思ってる」
行くよ、と彼女はまた背を向けた。
耳の先が赤くなってるのが見えた、それがクサい台詞が恥ずかしかったのか寒さのせいなのか、そんなのどうでもよかった。
――まるで何事もなかったかのようだ。
昔と変わらない女の子。
明るくて真っ直ぐで、正義感が強い女の子。
それなら変わってしまったのは僕なのかもしれない。
「くっそ……」
ふと足元から呻く声が聞こえ、そちらに視線をやる。泥と血にまみれボロボロの体を引きずっている。死神のような風体だったのになんて情けない姿なのだろうとその背中に前脚を踏みつけるように置いた。
先ほど爪で切りつけた背中の傷がちょうど痛むのだろう、顔を歪めてこちらを薄気味の悪い淡い蒼色の眼でこちらを睨んできた。
「弱いな」
リンドウは山神に蟲にしてもらってから何人もの人を喰ってきた。あの胡散臭い男――たしかパーシーとか言った――あいつ曰く、人を喰えば喰うほど強くなるがその成長速度は個体差があり一人、二人で何倍も強くなる蟲もいれば何十人喰おうとも一向に強くなれない蟲もいる。リンドウはどうやら前者だったのかもしれない。
今まで自分の力がどれ程のものか試せる機会もなかったが、今こうして他の蟲と対峙してあっさりと倒れた相手に今までにない優越感に興奮が抑えられなかった。
――あいつらもこんな感じだったのかもしれない。
ふと、顔も覚えていない同学の人を思い返した。もう今では顔に靄がかかって思い出せないあいつらもこんな風に動けない体に笑いながら蹴りを入れていた。何度も繰り返しやめてと叫んでも聞こえないほど自分の体が脈打っている、目の前の者を虐げるのに必死でほかに何も考えられない。
さっきの泥をぐじゃぐじゃにしていた時もそうだった。
なるほど、これは止められない。
俺は今、こんなにも自由なんだ。
気が付けば足元の白髪の死神はぴくりとも動かなくなった。遊び足りない俺の心は何かほかに新しい玩具はないかと辺りを見渡す。
「あ」
自分の声が予想以上に低く獣のように不穏な響きだ。
薄暗い道の上にいたのは線の細い少女だった。
ハーフアップにした紫の髪が風に靡いている。どこか山神を連想させる感情の乏しい灰色の冷たい視線は血まみれで転がる少年に驚くこともなく、金色の毛並みをたなびかせている獣に注がれている。
「あなたが蟲ですね」
冷静な声で彼女は言った。
それに答えず、獣は唸り声をあげて彼女に襲い掛かった。問答など今の彼には不要だ。
「はは、あんたすっかり“蟲”の顔してるわね!」
闇夜にキラリと光るものが見え、咄嗟に後ろへ下がると地面にナイフが数本突き刺さった。
ハーフアップの少女の後ろから先ほどパンジーと一緒にどこかへ消えていたボブの少女がナイフを数本指で挟みながら現れた。
パンジーは一体何をしているんだと、舌打ちをした。
「どういう状況ですか、マリさん」
「ここはすっかり、アヴァロン一族の実験場になってるらしいわ」
「アヴァロン一族、生き残りが他にもいたんですね」
「そう、ルナがここに“特務”で来た理由も納得だわ、多分私達が助っ人で来ることまで“予言者”はわかってたと思うと無性に腹たつわ」
「彼なら貴女がそう愚痴るのもわかってそうですね」
マリはふんと鼻を鳴らしてナイフを構える。
「とにかく今はこいつね」
「マリさん、それと一つ確認したいことがあります」
マリは目線だけで何? と聞き返す。
「フェイさんはどうしました?」
「あー、無事よ」
「どちらに?」
やはりバレていたか。管理員はみな一定以上の戦闘力と判断力、推理力で選ばれる。あのロイだって持ち前の人並外れた聴力とそれを生かす勘の良さがある。いくらまだ正式ではないとはいえ、ロイよりも優秀に思える彼女がフェイがいないことに気が付かないわけがない。
「……あいつらに捕まっているわ」
「なるほど、逃走ではないわけですね」
レイチェルは頷いてブーツから隠していた銃を取り出した。
「ちなみにルナさんはこちらの応援には来られません。二人で彼を倒すしかないので気を緩めないで下さいね。蟲の死亡届を出すのは管理員の評価に響くので」
マリは少女が顔色を変えず隣に並ぶのを横目に捉えつつ「可愛げないわね」と呟いた。




