3匹目 アルトテス②
『山神の里』の中へ入ると玄関にもやはり雑多に物が置かれており、宿にしては窮屈に思えた。真横に小さな受付がありそこに気怠そうにテレビを見てのんびりしていた白髪混じりの女性が入ってきた四人を一瞥した。
「あの予約をしていた“マリ・ノリス”ですが」
マリはにっこりと笑いながら女性に話しかける。女は「あぁ」と頷くと表情をぴくりとも動かさずに鍵を渡し、軽く宿の説明をした。終始愛想の悪い女性に対してマリは愛想良く頷く。
普段の彼女の笑顔は人に寒気を与えるような笑顔だが今の彼女はただの純朴な表情に見えた。
女は短めの説明を終えるとすぐさま視線をテレビに戻した。それを見ながらマリは表情を崩さず「お世話になりますね」と言うと鍵を持って言われた部屋へと向かった。
貸部屋になっているのは二階の四部屋で先程案内されたのは通路左の二部屋で、反対側の二部屋は別の組、つまりルナ達が使っている。マリは右の二部屋のうちの一番手前の部屋をノックせず入る。
「おう、遅かったなお前ら。待ちくたびれたぜ」
部屋にはベッドが二つと椅子が数個乱雑に置かれていた。他にテーブルなどないにも関わらず、狭苦しさを感じた。窓際のベッドは不自然な膨らみ方をしており、規則的に動いてることから誰かそこで寝ているのがわかった。そのベッドの真横には20代ぐらいの狐色の髪をした男が脚を組んで椅子に座っている。あくび混じりに声をかけてきたのはこの男だ。
「ちょっと、なんで村人に怯えられてんのよ。人とコミュニケーションを円満に取るのが下手なの? バカ狐」
先程までの笑顔はどこへやら、青色の瞳は呆れた色を浮かべ男を捉えた。いつもの調子に戻ったようだ。
男は「うるせぇな」と答えるとまた欠伸をした。男の服装は質素なものだったが、剣を椅子の足元に立てかけている。銃も普及しているこのご時世に剣を携えているのは珍しくフェイは思わず不思議そうにそれを見つめた。
「おい、ガキ。あんまじろじろ見るんじゃねぇ」
「あ、ご、ごめんなさい…」
「ソル、そんな噛み付かないでください。彼らは私達のためにここに来てくれたのです。感謝の言葉一つでも言うべきです」
もう一つのベッドに腰掛けている紫の髪をハーフアップで綺麗に整えた少女がそう言いながらフェイに深く頭を下げた。
年はロイと同じぐらいでフェイよりも少し年下に見える。14、15歳ぐらいだろう。だが灰色の瞳の少女は落ち着いた紺色のワンピースを着こなし子供というよりも大人のどこか冷ややかさを持ちこちらを見据えた。
「そちらがマリが話していたフォーグの街で見つかった蟲ですね。早く寄生蟲と分離したいところを遠回りさせてしまって申し訳ございません。
私は管理員のレイチェルと言います。そちらで寝ていらしているのがルナ、隣にいるのがソルです。以後、お見知り置きを」
「は、はい、よろしくお願いします」
釣られてフェイも頭を下げた。
「あ、ちなみに管理員ってのは蟲じゃなくて蟲狩りに所属している人間の役職の1つで、現場に出て情報収集や民間人の安全確保、後処理やらなんやらの仕事をしてるっす! 俺も管理員んっす!
レイチェルと俺は最近管理員になったばかりで期待の新人なんっすよ」
ロイは胸を張って説明を付け足した。
「正確には私はまだ管理員ではありません。今回その試験も兼ねてアルトテスの街に配属されたのですが、どうやらこの調子ですと不合格ですね」
「そんなことないわよ、少なくともこのガキ大将より私はあんたの方をかってるわ。たぶんこいつが管理員になったのは頭があまりにも可哀想だったから上が同情して合格させたにすぎないわ」
気落ちした様子もなく淡々と語るレイチェルに珍しくマリがフォローを入れる。ロイはなにやらマリに抗議しているが片手でそれを抑えお構いなしに続ける。
一方のソルは紹介を受けても三白眼で不機嫌そうに睨みつけたままで居心地の悪さにフェイは視線を逸らした。鍛えているのか服の上からでもわかるほどの筋肉とフォーグて世話になっていたマフィア達に負けず劣らずの強面に完全に怖気付いてしまっていた。
レイチェルはそんな事など気にせず4人に椅子に座るよう勧めた。おそらく隣の部屋から持ってきたのであろう。部屋の狭さに不釣り合いの椅子の数である。
「そうは言っても、なんかお前、気に食わないんだよな…て、マリ、お前なんでベッドに座るんだよ、椅子があるんだからそっちに座れよ」
「どこに座ろうが私の勝手でしょ? バカ狐。それとも何? お姫様の隣に座られて嫉妬してるの?」
「あ? いいからそこ退け、魔女野郎」
ソル深緑の瞳に怒りを滲ませながらマリを見下ろした。
「やだー、魔女なのに野郎なんてつけちゃって言葉遣いがハイセンス過ぎて感動しちゃう」
ソルはギリッと奥歯を噛むと、目にも止まらぬ速さで鞘に収めたままの剣を避けようともしないマリの鼻先寸前に振る。それでも恐怖を知らないマリは更に「切ってみなよ、へぼ狐」と余裕の表情で挑発した。
「たまには大人しくできないのか」
ソルのこめかみがぴくりと動いたのをみて、ディースは呆れながらマリの首根っこを掴みベッドから椅子へと移動させた。マリは掴まれるのが嫌なのか少し暴れたが、椅子の上に胡座をかいて座った。
「ちなみに俺らはさっき会った女の子達に『山神の祟り』と『大神の儀式』については簡単に聞いたっす」
ロイの言葉にレイチェルは少し驚いたのか灰色の瞳を細めた。たしかにそのデリケートな話題を今この時期にする村人は数少ないだろう。ロイ達はどこまで聞いたかを簡単に説明すると、レイチェルは「もしかして10歳ちょっとの双子の姉妹ですか?」と聞いた。頷くと変わらぬ表情で彼女は「そうですか」とだけ答え、改めてと地方新聞を手渡してきた。
「事の始まりはこの事故死からです」
新聞の日付は約三ヶ月前、雪が降る程寒くなる深月の月のものだ。
ーーヨルガオ・デュ・メディサ(14)が今月20日未明に凍死体となって発見された。発見場所は山神様の社から数メートル落ちた場所で、歩きにくい山道で足を滑らせてそこへ落ち、身動きが取れなくなりそのまま凍死したと考えられる。
本来、女が山に入ることは祭事のごく僅かな期間を除いて禁止されているが、学生の間で流行っている肝試しのために社へ向かったのではないかと考えられている。実際、彼女が肝試しのために山へ入ると19日の昼に同じ学校に通う同級生が聞いていたという。
以前から神聖な山へと無断で入るこの肝試しは問題視されており、学校側はーー
「や、山に入った女の子は死んでるんっすか?」
「はい。ヨルガオが死んで以来、週に一度村人が獣に食い殺されているのです。
現場に残っている足跡から山に住む狼の仕業かと思われていましたが村の狩人が向かえどもその姿は捉えられず、いつ村に現れていつ人を殺しているのか全く予測もできない。獣を相手しているように思えないその『獣』にそのうち村人達がこう噂しだしたのです。これは山神様の祟りだ、と」
ここまでの道のりでの人々の顔色を思い出す。友好的とは程遠い目線と何かに怯える表情。なるほど、ただでさえ何かに怒っている山神が余所者からの刺激で更に機嫌を損なうと考えるとそれは怯えた顔にもなるだろう。
「もちろん私達はまず事のきっかけと予想されるヨルガオの死について調べました。しかし、皆さんも気がついてると思いますがこの村の人々は協力的ではありません。それに業を煮やしたソルが調査中に村人を脅しまして」
「脅したんじゃねぇよ、なんだ? なんていうかちょっとこう、聞き方を変えたというか」
ソルは悪びれもなくそう言ってのけた。
「強面ソルの怒鳴り声に怯えきった村人達は私達を見るなり逃げるようになりました」
「なるほど、調査続行できなくなったと」
マリはわざとらしく大きな溜息を吐きながら言った。それを見てソルは何か言いたそうだったが口をつぐんだ。レイチェルが凍えそうな寒空を思わせる様な目で彼を睨んだからだ。
「はい、なのでここから先の調査をみなさんに頼みたいのです。その双子から聞いたであろうもう一つの噂『大神様の儀式』が流れている学校を調べていただきたいのです。
ヨルガオは最近学校でいわゆるイジメを受けていたと聞きます。もしかしたら彼女は蟲に喰われたのではなく、本当に事故の可能性もしくは自殺の可能性もありますので」
「まあ、第一被害者疑いっすから念入りに調べるので安心して欲しいっす。にしても、被害者がいじめられていた側なんっすね、逆ならわかるんっすけど」
ロイが渡された新聞を流し読みながらそう答えた。
「逆ならよくあるって?」
フェイは首を傾げて聞き返すと、ロイの代わりにレイチェルが答えた。
「蟲が『空腹』を感じるにあたっての要因は何個かわかっていることがあります。突発的かつ抑制できない『空腹』のことを『暴走』と呼んでいるのですが、これは能力の使いすぎや身体損傷などで引き起こすとされいます。
それとは別に、蟲として未熟である『幼蟲』なんかは食欲を感じるにあたって感情がトリガーになることが多々あるのです。特に恨みや妬みなどの負の感情がトリガーになりやすく、『幼蟲』の頃喰うのは大抵嫌いな人間と言うわけです。まあ、稀に愛情や欲情もトリガーになり得ますので家族や恋人を喰ってしまう蟲もいるようです。
どうです? フェイさんも心当たりがあるのでは?」
レイチェルの返しにフェイはレインや自分の時のことを思い出した。
たしかにレインも地主に恨みを抱いていたし、フェイもレインがアンを殺したと分かった瞬間急激な憎悪と共にあの犬が現れた。感情がトリガーになるのは間違いないだろう。どおりでフォーグの時も地主の情報集めに必死になっていたのか。
「つまり、ヨルガオを恨んでいる人物が今回探している蟲のはずなのですが、今のところ彼女を恨む人物は見つかっていません。逆にいじめの主犯格が喰われていれば、ヨルガオが蟲だとすぐにわかったのですが……」
「まあ、そういうこった。今日は遅いから明日から調査に行ってこい。夜の間は俺らがパトロールしとっから」
ソルは窓の外をチラッと見て急かすように手をパンパンと叩いた。いつの間にか外は赤みを帯び山肌が昼間よりも鬱蒼として見えた。
「いや、せっかくだからフェイさんにルナさんを紹介しようとおも」
「あ? ダメだ、ダメダメダメ! お前にルナは会わせねぇよ」
ロイを遮ってソルが椅子から立ち上がりフェイの襟首を掴み、無理矢理部屋から追い出そうとする。フェイも苦しそうだったが、反抗したら何をされるかわかったものではなかったので大人しく引き摺られていた。
「何? 嫉妬してんの? みっともないわよ、狐ちゃーん」
マリがまた意地悪そうに言うと、隣にいるディースはまたかと呆れ顔をした。余程任務帰りに呼び寄せられたのが気に食わなかったのか彼女はいつも以上にソルに突っかかっていた。
「うるせ! 何言われてもお前だけは絶対ダメだ」
「待ってください。もしかしたらルナと会わせることで“最悪の事態”を避けることもできるかもしれません。会ってないのと会ってるのでは段違いでしょう」
「知るか! お前なんか喰われちまえ!」
「ソルさん!」
レイチェルが言ったことに賛成なのかロイもソルをなんとか止めようとするが案の定、鍛えている彼にズルズルと引き摺られる形になった。廊下へと物のようにフェイを放り投げようとしたその時だ。
力強く引っ張られていた襟首がすっと軽くなり、見るとソルが突然消えていた。
山守りは現実では違う仕事を指しますが、ここでは山神様を祀る社および森の管理としてます。
代案で山守師とか神森師とかいろんな造語考えたんですがやめました。




