2匹目 成長
曇り一つない青空の下には一面の畑が広がっている。先程汽車で抜けてきた山々は遠く、霞んで色をなくして見える。
「絵に描いたようなど田舎ね」
「まあこの辺はまだグレイブスみたいに機械も普及してないっすからね」
くりっとした可愛らしい目が印象的な少女ーマリは退屈そうに流れる景色を頬杖をついて見ている。隣に座る茶髪の童顔の少年ーロイは弁当を頬張りながら彼女のぼやきに答えた。
「今回のアルトテスって村は任務はなんでも予言者の“特務”らしいわ」
「え、そうなんっすか? 予言者からって珍しいっすね」
「まあ、詳しくは現地で聞けって言われたからよくわかんないわ」
汽車には4人以外誰もいなかった。
フォーグを出てから汽車に乗り2日程経った。フォーグから途中で夜行列車に乗り換え、またそれから車両の少ない汽車に乗り換え、国の最南端に近いこの土地までやってきた。
最初は同じ汽車に何人か乗っていたが、みな途中下車して終点でもあるアルトテスへ向かうのは彼らだけだった。なのでこそこそ隠す様子もなく大きな声で彼らは話を続ける。
「あの、“特務”ってなんですか?」
ロイの向かいに座っていた赤茶髪の少年ーフェイがおずおずと手を挙げた。彼の膝の上には先程食べ終えた弁当が置いてある。孤児院の役割がある教会育ちでついこの間までお腹いっぱいに食べることが少なかった彼は少食でお弁当も少し残した。
ロイはもったいないから欲しいとフェイの許可を取ると、美味しそうに口の中に放り込む。
「“特務”っていうのは優先度が高い任務のことっす。んで、予言者っていうのは未来を予言できる能力の蟲のことっす」
もぐもぐと咀嚼しながらロイは説明した。
「そんな凄い能力があるんですね」
「まあ、俺ら蟲狩りのボスみたいな人っすね。下手したら国王並みの権力を持ってるっす」
フェイはその言葉にぽかんと口を開けた。
学校に行くことはできなかったがシスターからある程度の常識を教えてもらっていたから流石のフェイもそれがどれほどの力を示すかはわかった。
彼らの住む国ーー500年もの歴史を持つグローレス国の政は王を中心とした議会で決まるのだが、その議会は王家の者達で占められており実質的には絶対君主制とさして変わらない。
そんな国王と同じ程の権力を持っていると言われても眉唾物だ。
「あ、あとフェイさん。今回はまた蟲と遭遇する確率高いっすけど絶対に喰ったりしないで下さいっすね」
「も、もちろんですよ。もう人殺しはしません」
ロイは便宜上、『喰う』と言ったがそれは蟲が人を殺すことに他ならない。もう二度とそんなことはしないとフェイは心に決めているフェイはぶんぶんと頭を振った。
長かった前髪をディースに刈られ、揃えるために更に短くなった髪では左右違う色をした目を隠すことはできなくなった。それが慣れないのか目を合わせるわけもなくロイの膝あたりを居心地が悪そうに見ている。
「違うわよ、正当防衛するなって言ってんの。向こうはあんたの事情なんて知らないし、容赦なく襲ってくるわ。かといって、襲われてやり返したらあんたが『成長』して蟲の分離ができなくなる可能性もあるの」
「『成長』ですか?」
「そっす!『成長』っす」
首を傾げるフェイを横目にロイは食べ終わった弁当をご馳走様と手を合わし片付け始めた。そして新たな弁当を出しながらいただきますと声を上げた。彼はこれで三個目のお弁当である。体の大きさはフェイとロイは大体同じぐらいなのだが、一体どこにその大量の食物が吸収されているのだろうとフェイは疑問に思った。
箸の進むスピードも衰えず、口の中にたくさんのものを詰め込みながらロイはまた口を開いた。
「前にも言ったと思うんっすけど、蟲っていうのは寄生蟲が人に宿ることによってなるんっす。そんで蟲が喰えば喰うほどほど寄生蟲がどんどん『成長』するっす。
寄生蟲が成長することによって蟲も進化して強くなって、3段階の成長をするっす。
1段階目は『幼蟲』と言って無自覚で人を喰う状態っす。この時期はまだ能力が自覚できてないか上手く使いこなせない蟲が多いっすね。
2段階目は『蛹』、人を喰う自覚をし始めて能力も自在に操れる状態っす。この段階だと自分がやったことを隠そうとするのでちょっと見つけるのが難しいかもしれないっす。
最終段階は『成蟲』、人としての自我が無くなり寄生蟲に意識を奪われた状態っす。この状態は蟲としてとても強いっすけど大抵が見境なく喰うので基本的には狩りの対象っすね。
今のフェイさんは『蛹』になったばかりっす。なのでそんなにすぐに『成蟲』になるなんてことはないと思うんっすけど、何人喰ったら次の段階に進むのかは個体差があって、もしかしたら次喰ったら『成蟲』になるなんてこともあり得るんっすよ」
ごっくんと喉を鳴らしながらロイは食べ物を飲み込んだ。これだけ話しながら食べてるのだから器用なものだ。
「やっぱり『成蟲』だと寄生蟲との『分離』は難しいんですか?」
「そうっすね、『分離』のために本部まで連れて行くのが難しいってのと、寄生蟲に意識を奪われている状態で分離すると『後遺症』が出てしまうんっすよ」
「どんな『後遺症』が出るんですか?」
フェイの質問に勢いがあったロイの箸は一度止まった。しばらくうーんと悩んだ後答えた。
「人格が変わったり、日常生活に支障が出たり、いろいろっすね」
「なるほど…」
「蟲は喰えば喰うほど強くなれるけど、それは寄生蟲の影響が強くなるってこと、たとえばーー」
マリがそう言いながらロイの弁当から海老フライをひょいっと摘む。
「これは今、海老フライよね?」
「え、ちょ、マリさん?」
「人を喰うと寄生蟲の影響で人の部分が喰われてなくなっていく」
ロイの静止も効かずにマリがパクと一口海老フライを齧り、ロイの目が一気に涙目になった。
「こうやってどんどん人の部分が無くなって、最後に残った人としての部分がこれだけになったとする」
パクパクと食べ続け最後には海老の尻尾だけが残り、それをロイの弁当へぽいと投げ捨てた。
「あんた、これは何だと思う?」
「え、えーと、海老フライってよりは海老の尻尾ですかね?」
フェイは悲しそうに項垂れるロイを見ながら言った。
弁当の中で堂々と入っていたそれはこの弁当の中の主役だったのだろう。それがこんな見窄らしい姿になるなんて。
「そ、もうそれはただの尻尾。ただの残り滓だわ」
残り滓という言葉にロイはうっと更に肩を落とした。
「侵食された人の部分が元に戻ることはないわ。
『成蟲』は寄生蟲に支配された完全な蟲なのよ。いわば本体である寄生蟲を取り除いたらただの人の残り滓だけしか残らない。
それはもう無事なわけないでしょ」
フェイは小刻みに頷いた。
これ以上人を喰らうつもりもないがフェイにはあの犬を操れる自信がなかった。
レインを殺さないでくれと懇願してもそれを嘲笑うように噛みちぎったあの化け物がフェイの言葉を聞いて人を喰わないでいる保証はない。
「…あまり出歩かないようにしますね」
「それがいいわね」
「あの、マリさん、俺の海老フライを食う必要なかったんじゃないっすか?」
悲しそうにロイは海老の尻尾をパリパリと齧った。
「ご馳走様、ちなみにとても不味かったわ」
「じゃあ何で海老の身を最後まで食ってるんすっか!嘘でいいんでおいしいと言って下さいっす!そして俺に海老の身を返してくださいっす!」
ロイはやり場のない悲しみを海老の尻尾と一緒に飲み込んだ。そんな切ない光景をマリは楽しそうに眺めている。説明のためよりは嫌がらせのために食べたのは明白だ。
「それともう一つ、ルナには近づくな」
ずっと寝ていると思われたアルビノの青年、ディースが目を閉じながら言った。
「たしかに今のあんたならなら余裕で喰われるわね」
あくび混じりで言ったマリの言葉にフェイは少し青ざめる。
「そ、そんな危ない方なんですか? ルナさんって」
「いや、ルナさん自体はとても穏やかだし、頭も良くて、安全な方なんっすけど蟲になった時が危険というか。
ルナさんはイレギュラー中のイレギュラーなんっすよ。彼女自体は蟲ではないけど、完全な蟲になれるというか」
ロイは悲しみの残る顔で残りの弁当をかき込みながらうーんと唸る。
「蟲ではないけど完全な蟲? だいぶ矛盾してませんか? それにさっきの話だと完全な蟲になったら人間に戻れないって」
「うーん、あの人達のことは言葉で説明するのややこしいっすねぇ…」
そんなやりとりをしていたら、汽車がゆっくりと速度を落とし、目的地に近付いていることを知らせる汽笛を鳴らした。 ロイは慌ててご飯を掻き込み、ご馳走様でしたと手を合わせた。
「とりあえずあんたは『ルナに近づかない』を覚えておけばいいわ」
マリはフェイに向けそう言い放つとそそくさと降りる準備を始めた。神妙な顔で頷いたフェイもそれに倣い、片付けを始めた。
「あ、それとフェイさん。俺には敬語使わなかっていいっすよ、年下っすし」
先から立ち上がったロイはフェイの方へと向き直る。茶色の大きな瞳と目が合い、無意識にフェイは目を逸らした。
「いや、でも…」
「気になるんっすよ! いいから敬語使わないでほしいっす」
ロイはフェイの返事など聞かずに通路を進んで行った。有無を言わさない年下の少年にふと教会の子供たちを思い出した。
フェイは頭を振ってその背中に声をかける。
「わ、わかった、よろしくね、ロイ」
辿々しい言葉にロイはうっすと笑顔で答えた。




