11匹目 化け物なのは誰か②
私はシャワーに打たれていた。
もう汚れなど等に落ちているのに、まだ肌にあの汚物のような男とのやり取りがこびり付いているようでやめるにやめられなかった。
ついさっきの会話がまた頭に蘇る。
「まあ、これで今週分は延期してやるよ」
男はタバコの煙を私に吐きながらそう言った。
「こん、しゅうぶん?」
「ああ、今週分。来週分もしっかりよろしくな、シスター」
ガハハと笑う男。
笑う度に醜い体がプルプルと揺れる。
私はそれを見ながら世界が遠のいていくのを感じた。何もかもが現実味を無くし、私だけ取り残されたような気がした。
私はゆっくり服を着て、そのまま男の屋敷を出た。何も考えたくはなかった。ただ教会に帰りたかった。
教会に着くなりシャワーへ向かった。
真夜中の帰宅だったので子供達はみな眠りにつき、教会の中は静かなものだった。
私は静かに泣いた。シャワーの音が声をかき消した。
そんな日々が何年も続いた。
子供達の前では気丈に振る舞うが、あの男に汚される度に自分の中の何かが死んでいくのがわかった。
そしてある日、いつも通り長いシャワーを浴びている時だった。
ふと鏡に目をやると驚いてしまった。
痩せこけ虚な目を浮かべ、身体中に痛々しい殴られてつけられた痣。
これが私なのか。あの時の先輩と同じ目をさている。死んでいるのか生きているのかわからない、あの目をしている。
ーーなんて惨めなんだろう。
枯れない涙がシャワーと一緒に流れていく。
でも子供達の、みんなの幸せのために耐えなければ。私がみんなを守るんだ。私がみんなを守るために、みんなをマモルタメニ。
カサカサになった唇を噛み締め、声にならない声で呟いた。
「なら、」
ー☆ー
「やめるっす!!」
ロイは発砲しながら叫ぶが、それはもう無意味なことだった。
かつて教会で愛を説いていた女はもういない。
そこにいるのは「空腹」に耐えかね、自分で育てた子供らを襲う蟲がいた。
逃げ惑う子供たちを1人また1人と喰っていく。
ロイも必死で子供達を守ろうとしたが、パニックになった子供達は泣き叫び、指示を飛ばしても言うことを聞かずとてもじゃないが独りで守り切れるものでもなかった。
何故2人とも来てくれないんだ。情け無い話だがロイには人を助けられる力がないのだ。ヒーローにはなりきれない。
ーーカチッ
銃が情けない音を出した。
弾切れだ。相手がニヤリと笑うのが見えた。
最後の手段がなくなったロイは子供達を抱き抱える様にして庇い、もうダメだとぎゅっと目を閉じた。
「いい加減にしな」
マリが投げナイフを死神に投げる。
彼女は振り返りながら、風でそれらを弾き返した。
「半身抉られて動いてるなんてしぶとすぎなのよ。それぐらいやられれば蟲だろうが化け物だろうが死んどきなさいよ」
マリは間を空けずナイフを投げ続ける。
どうやら、マリの寄生蟲の具現化はナイフらしい。ナイフを尽きることなく投げ続ける。
死神はジリジリと後ろへ下がるが、ナイフは掠りもしていない。
「ツヨク、ナラナキャ」
「え?」
「モット、モットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモットモット」
唸るような声で死神は言った。
マリはそれに対して眉をしかめる。
「それで、あんたは子供達を守りたくて強くなりたかったの?皮肉なもんねぇ、その子供達を喰って今生きているなんて」
「チガウ」
あの時つぶやいた言葉を思い返した。
『なら、私の事は誰が守ってくれるの?』
水と一緒に排水口へと流れていった言葉。
馬鹿な事を言ったと、振り払うように体を洗い流す。だが、一度思いついてしまった想いは染み付いて消えない。
それからは我慢を強いられる時は常にその言葉がよぎるようになった。
子供達は私が守る。
だけど私を守ってくれる人は誰もいない。
毎日神様に祈りを捧げるけれども、この毎日に終わりが来る事はない。救いなどないのだ。ならば、
「ワタシハ、ワタシノタメニ」
ゴウっと風が集約する音がした。
マリは避けようと集中する。
「ワタシヲマモルタメニツヨクナル!!」
凄まじい風が巻き起こり、視界が一瞬奪われる。
しまったと思い目を凝らすがそこに死神はいなかった。
辺りを見回してもいない。どこへ行ったかも皆目検討もつかない。
人のこと言えないなとマリは頭を掻き、死神探索へと足を走らせた。
ー☆ー
子供達は寝静まった。
フェイとエリンとの3人でなんとか手分けして寝かしつけるいつもの仕事が終わる。
すやすやと何も知らない寝顔に愛おしさを感じるのは変わらない。彼らを守りたいと思う気持ちも少しも変わっていない。
ただ、気づいてしまったあの日から少しずつ膨れていく感情。
ーーああ、私も誰かに守られて幸せに眠れたい。
何も考えずに布団へ潜り、明日に期待しながら眠りにつきたい。
この子達ばかり幸せになって狡い。私だってこんな幸せそうな顔で眠りにつきたい。
子供達の笑顔を見ても幸せと喜ばなくなったのはいつからだろう。さっきも言ったように彼らを守りたいと思う気持ちもたしかにある。
だけれど、あの化け物のような男との関係の足枷でもある彼らを純粋な心で愛せなくなったのも事実である。
愛くるしい寝顔にほんの少しでも嫉妬した私を、神様だってきっともう見放しているに違いない。
「建て壊し…ですか?」
そしてあの夜が来る。
あの男は何故か電話をしてきた。
突然の電話に戸惑った。何年も彼の言う通りに従順に従ってきたのに今更何を言っているのだろうと思った。
当然、私は彼の家に訪ねた。
いつものアレが欲しいのかと思いきや、あいつはこちらを見ようともせずにこう言った。
「お前に飽きた」
呆然としてる私に、もうこれ以上言う事はないと手のひらで追い払う仕草をする。
新聞を読みながらタバコを蒸す。こちらを卑下することもなく、卑下する価値もないとでもいうように。
その後は皆が想像する通りだ。
気がついたら私があいつを粉々にしていた。
刻みに刻んだ。
この世にこの化け物が一片でも残っているのが嫌で、丁寧に丁寧に最後の最後まで風ですり潰した。
私にこんな力がある事に驚いたかどうかなんてよく覚えていない。そんな些細な事どうでもよかった。
それよりもしがらみから解放された私は今までの人生で、最も幸福だった。
ーーああ、なんてことない。
誰も救ってくれないなら、私が私を救うしかないじゃないか。
私は私を救うために強くならなきゃ。
こんな自分本位な考えダメだろうか。
邪念が入り混じった願いに、神は怒りに震えるだろうか。
でも救われたいと願う事は間違っているの?
間違じゃない。
だって人はシアワセニナルタメウマレテキタンダモノ。
ー☆ー
少女から逃れ、気づけば目の前よく知る教会があった。
私は軋む扉を開け、中へと入った。
荒れ果てた教会は窓からの月明かりでうっすらと明るい。そんな中を迷わず進む。
「そっか、これは誰も知らないのね」
私は祭壇へと向かい、壁に垂れている紐を引いていく。すると、祭壇奥の壁のカーテンがあがり綺麗なステンドグラスが現れた。
月明かりを通したステンドグラスは幻想的に輝いている。
前に子供達が悪戯しようとして危なかったのでこうして普段は隠していた。
フェイがやってくる前だったからもう10年以上カーテンの後ろで隠れていたわけだ。
埃まみれで綺麗とは言い難いステンドグラスを眺めながら、私は祭壇の机に腰を下ろした。
少しずつ再生しているとはいえ、右半身は相変わらず大きく抉られている。
さっき子供達を何人か喰ったので少し頭が冷静になってはいたからわかる。
今日、私は死ぬのだ。
きっとここもすぐに見つかる。この状態でもうそんなに逃げられる気がしない。生きているのが奇跡な状態だ。
なら、最期にもう一度「彼」に会いたい。
罪を着せてしまった「彼」に。
床が軋む音に私は閉じていた瞼を開けた。
ああ、待っていたわ、愛しい私の子。
「おかえり、フェイ」




