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連続通り魔事件の被害者達は年齢、性別、職業に共通点がない。
最初の被害者であるテッセンという二十代の若者は、酒を飲んで帰る途中、深夜遅くに襲われた。
二番目はトーカ。
三番目に襲われたのは、三人の子どもを持つ主婦だった。まだ午前中、井戸端で一人洗濯をしている時に切り付けられたという。
四番目の被害者は、成人前の少年。夕方、友人と別れ帰途についているところ、何者かに襲われた。
そして五番目に襲われたのが、ロントーレ家の使用人であるラン。
襲撃を受けた場所も時間もまちまちで、事件が起きる間隔にも法則性はない。
モクレンの調査結果を聞く限り、無差別の犯行である可能性が濃厚になっていた。
けれどトーカから、重要な証言が飛び出した。
『違う』
犯人が、犯行直後に残した言葉。
それはまるで、誰かを探しているかのような。
だとしたら、犯人は被害者達に何を見出だしたのだろう。他人には分からないような共通点が、彼らにはあったのか。
そもそも何かを探しているのなら、なぜ攻撃という手段を取ったのか。
分からない。ここに来て、全てが振り出しに戻ってしまったようだった。
孤児院を辞す頃、辺りは既に薄暗くなっていた。
シルフィアは、見送りに出てくれていたユキノシタを振り返る。子ども達は中で賑やかに夕食中だ。
一緒に食べようと、モクレンは未だに子ども達に引き止められている。
シルフィアは彼を犠牲にして、可愛い誘惑から逃れてきたところだった。
「すみません、うちの子が失礼なことばかり……」
申し訳なさそうに頭を下げるユキノシタに、シルフィアは首を振った。
「いいえ。こちらこそ、トーカには辛いことを思い出させてしまいました」
あの後、トーカは少し顔色を悪くしていた。
何か手がかりを引き出すことが目的だったとはいえ、彼女には悪いことをしてしまった。
話しを終え、ユキノシタにしがみついた小さな手を思い出すと、まだ胸が痛い。
ユキノシタは、眉尻を少し下げて笑った。
「トーカは、私にもあの時のことを話してくれなかったんです。あなたが聞き出してくれたことで、少しでも前を向けるのではないでしょうか」
彼の笑みがどこか困っているようなのは、トーカを通り魔から守れなかったからだろうか。
親代わりという責任感で、自分を責めているのかもしれない。
「……それも、ユキノシタ様が側にいてくださるからこそですわ。子ども達を守り育てるあなたは、とても素晴らしい方ですね」
心からの言葉なのに、彼の表情は晴れない。
「私は、とある尊敬する人物を真似ているだけですよ。その方は、国からの支援など一切求めずに、孤児達を我が子として育てていらっしゃいました」
「……」
これはもしや、クシェルのことだろうか。
ユキノシタは間違いなく、美化しすぎている。
彼はそこそこいい加減で、幼いモクレンにもよく怒られていたのだ。
シルフィアは何とか自信を付けさせようと、必死に言葉を紡いだ。
「真似とは、いけないことですか? 真似だろうとあなたが行動したことによって、あの子達は笑顔でいられるのです。救ったのは、ユキノシタ様自身ではございませんか。彼らにとっては、他の誰かと比べるべくもないでしょう」
「シルフィア様……」
過剰な美化は居たたまれないものの、尊敬する気持ちを否定するつもりはない。
ただユキノシタに、自身を認めてほしかった。
優しさは子ども達にも伝わっている。自分を卑下する必要などないのだ。
「ユキノシタ様は立派です。きっとその方も、誇らしいと思っていますわ」
シルフィアは、琥珀の瞳を細めて笑った。
ほんの少し、クシェルとしての感情が混じってしまったかもしれない。
小さな命を守ろうとする我が子を、誇らしく思わない親などいないのだから。
目を丸くしていたユキノシタだったが、やがてゆっくりと笑みを浮かべた。
「……あなたは、どこか似ている気がします。その人も、いつもたった一言で私を救ってくれた」
彼はそう言うと、懐かしむように目を伏せた。
睫毛にけぶる空色の瞳に浮かぶのは、汚れのない慈しみに似た感情。
柔らかな笑顔を見ているだけで、温かな気持ちになっていくようだった。
ただそこにいるだけで優しく心が和む。それが、クシェルの知るユキノシタだった。
ほんわか笑っている方が、ずっと彼らしい。
「ーーあの。よろしければ、このあと、お食事でもいかがですか?」
「え?」
「おいしい食堂を知っているんです。シルフィア様をご案内するには少々むさ苦しいところですが、味は保証いたします。その……このままお別れするのは、何だか名残惜しくて……」
頬を染めてはにかむユキノシタがあまりに可愛らしすぎて、シルフィアは一瞬言葉を失う。
その時、底冷えするような低い声が、二人の間に滑り込んだ。
「ーーユキノシタ。お前、女性を誘うということがどういう意味か分かっているのか?」
静かに歩み寄るのはモクレンだった。
ゆらりと不穏な空気をまとい、非難がましく弟分を睨み付けている。薄暗がりで反射する銀縁眼鏡が、異様な迫力を醸し出していた。
しばらく目を瞬かせていたユキノシタは、意味を理解した途端弾けるように真っ赤になった。
「ちっ、違います! 二人きりとかやましい気持ちは決してなく、最初からモクレンと三人で行くつもりでした! しかもクチナシのところですよ!?」
何やら必死に手を振っているユキノシタだが、モクレンは意に介さない。
顎に手を当て、冷静に内容を吟味していた。
「ふむ、クチナシのところか。……いいかもしれませんね。シルフィア様、どうなさいますか? 前もって領主様へ連絡をする必要はありますが、食事をしてから帰るという選択肢もございます」
対外的な台詞を口にしながら、モクレンは素早く耳元で囁いた。
「せっかくですし、クチナシの料理を食べてやってください」
そういえば、養い子の一人が食事屋を開いていると聞いていた。
クチナシは昔から手先が器用で、クシェルの適当料理も工夫でおいしく変身させていたものだ。
小さかった彼が包丁を持って火を扱うなんて想像もつかないけれど、ぜひ食べてみたい。
「そうね、確かにこんな機会は滅多にないし……けれど、子ども達だけにしておけないわ」
「それでしたら、隣の家のソニアさん頼んでみます。地区の会合がある時など、時々子ども達の面倒を見てもらっているんです」
そわそわと子犬のように返事を待つユキノシタを見ていたら、断ることなど考えられなかった。
「でしたら、喜んで」
彼は表情を輝かせると、すぐさま駆けていく。
その背中を見送ると、シルフィアは側に控える専属メイドに視線を移した。
「ということでミーナ。お父様によろしくね」
「勘弁してくださぁい。お嬢様を一人にしたら、私がクランツ様に怒られちゃいますよう」
「お父様よりクランツが恐ろしいなんて、子爵の地位も形なしね」
間延びした口調のために誤解されがちだが、ミーナはこれでなかなか仕事熱心だ。
シルフィアを屋敷まで安全に送り届けるという使命感に駆られ、なかなか頷こうとしない。
最終的に、フィソーロの代表がついているからと強引に押し切る。去り際ミーナは若干涙目だった。
申し訳ないので食事を少し包ませてもらい、お土産にでもしよう。
二人きりになると、モクレンがぼそりと呟いた。
「……誘われてまず最初に心配するのが子ども達って、年頃の令嬢としてどうかと思いますけど」
彼の声音は不機嫌そうにも取れて、シルフィアは目を瞬かせた。
「何でだよ? 大切なことだろ」
「そりゃそうですけどね。エニシダの時も思いましたけど、あなたには危機管理能力というものがないんですか?」
「? エニシダとユキノシタの、何が危険だって言うんだよ?」
頭の中が疑問符だらけのシルフィアに、モクレンは言い聞かせるようしっかりと目を合わせる。
「いいですか。過去はどうあれ、今のあなたはシルフィア・ロントーレなんですよ」
「分かってるって。何を今さら」
さくっと返すも、彼はため息をつくばかりだ。
「分かってないから言ってるんですけどね。ええ、そう言うと思ってましたよ、あなたは無自覚ですから。全く、本当に目が離せない……」
小言が不自然に途切れた。
聞き流していたシルフィアだったが、不思議に思い振り返る。
モクレンは、どこか呆然としていた。澄んだ深い緑の瞳が、ゆるゆると見開かれる。
「モクレン?」
覗き込むと、彼は明後日を向いてしまった。
その頬が赤くなっているなんて、玄関の明かりが暗いためシルフィアは気付かない。
「モクレン、怒ってるのか? 何かよく分からんけど、ごめんな」
「よく分からないのに謝らないでください」
「何か条件反射なんだよな。お前には、昔からたくさん迷惑かけてるしさ」
「もう、いいです。……とにかく俺が、側にいればいいだけですから」
「おう、助かる」
「……本当に、何も分かってませんよね……」
モクレンの声はやはり不機嫌そうで、シルフィアはしきりに首を傾げるのだった。
◇ ◆ ◇
その時。暗闇に紛れ、気配を潜め、孤児院の門柱にもたれかかる人影があった。
「ふーん……」
青年は唇に笑みを載せると、足音を殺して歩き出す。鼻歌でも歌い出しそうなほど、すこぶる機嫌がよさそうだ。
足取りに合わせ馬の尾のように揺れる毛先を、指先でピンと弾く。
街灯の弱い光に、鮮やかな赤毛がきらめいた。