表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/30

29

 シルフィアはぼんやりした視界で、元養い子達を見回した。

 誰もがポカンとしていて、少し面白くなる。

「何だよ。変な顔だな」

 ヘラヘラと笑ったまま、唇からこぼれたのは感謝の気持ちだった。

「まぁ、今回は本当にありがとな。お前らのおかげで、俺自身過去を乗り越えられた気がするよ」

 何となく目に留まったマッシュポテトを摘まんで食べる。

 潰したじゃが芋とバター、牛乳が混ざり合い、なめらかな食感と濃厚な風味になっている。

 ほんの少しニンニクの香りもして、思わず指先まで舐めとってしまった。

「うん、うまい」

 シルフィアは、カウンターの中で呆然としているクチナシに笑顔を向けた。

「クチナシ。俺、お前の料理が本当に好きだ。うまいだけじゃなく、優しくて温かい味がする。お前の人柄が出てるんだろうな。これからもこのどんぐり亭で、色んな人を笑顔にしていけよ」

 クシェルとして死んでいく時、せめて思いを伝えられたらと後悔していた。

 未練を払拭できたことに気分がよくなって、シルフィアは正面に座るユキノシタを見た。

「ユキノシタ。お前は、身寄りのない子どもを守ろうとしてて、すげぇよな。誰にでもできることじゃねぇ。俺みたいないい加減な人間と比べて落ち込む必要なんてないくらい、お前は立派だ」

 これは、シルフィアとして聞いた彼の苦悩だ。

 クシェルならば笑い飛ばしてあげられるのにと、聞きながら苦い気持ちになったものだ。

 次に、二人がけのテーブルを陣取っている夫婦を振り返った。

「ツバキ、ユウガオ。結婚おめでとう。辛い子ども時代を過ごしたお前らが人を好きになれるって、しかも想いが通じ合うなんて、本当に奇跡みたいなことだと思う。俺が言うまでもないけど、これからもお互いを大切にしてけよ。騎士って仕事はすげぇが、まず何より守るべきは家庭なんだからな。家庭が円満であれば、仕事もきっと自然に充実してく」

 目を丸くさせたままの彼らに何度もしたり顔で頷きながら、今度はカウンターのシオンを見つめる。

「シオン。天使みたいだったお前まで、騎士になったんだもんなぁ。しかも今では貴族の養子か。でもお前は一人で溜め込むところがあるから、少し心配だ。困った時は相談しろよ? 家名が変わったとしても、お前にはたくさんの兄姉がいるんだから」

 そうして、隣に座るエニシダへと視線を移す。

 事情を知った上で協力してくれた彼らの存在が、シルフィアにとってどれだけ支えとなったか。

「エニシダ。お前が自分の商会を立ち上げちまうなんて、想像もしてなかったよ。でも昔から気配りもできたし、人を喜ばせるのが好きだったもんな。それ以上にいたずらばっかだったけど」

 弟妹達を泣かせたり、怒らせたり。

 けれど本当に落ち込んでいる時は、必ず兄らしい気遣いを見せていた。

 そんな彼がいてくれるからこそ、クシェルも安心して仕事に向かうことができたのだ。

「これからも、頑張れよ。そんで疲れた時はちゃんと休め。お前は適度に手を抜くのが上手かったから、そんな心配しちゃいないけどな」

 シルフィアは最後に、傍らに立ちっぱなしのモクレンを見上げた。

「モクレン。お前が医者になってて、俺はやっぱりなって思ったんだぜ。お前には人を助ける仕事が向いてる。フィソーロの業務もあるから大変だろうけど、あんまり無理すんなよ。って、いつも迷惑かけてる奴が言うなよって感じか」

 目に付いた彼の手をブラブラと揺らしながら、シルフィアははにかんだ。

「これからも、誰より頼りにしてるから」

 モクレンから視線を外すと、最後にもう一度愛する元養い子達を見回す。

 クシェルとしての胸の内は全てさらけ出した。

 これでもう、思い残すことはない。

 シルフィアは満ち足りた気持ちで破顔した。

「俺の願いは一つだけだ。お前らみんな長生きして、絶対幸せになれよ」

 すっきりしたら今度は眠くなってきた。シルフィアはテーブルの上でもぞもぞと体勢を変える。

 全身から力を抜き、パタリと突っ伏した。

 けれど数秒も経たない内に、ガバリと起き上がる。居合わせた全員が小さく肩を跳ねさせたけれど、知ったことではない。

「あ。一つじゃなかった。お前ら早く結婚しろ。する気がないなら仕方ねぇが、適齢期にガツガツしないでどうすんだ。ボーッとしてたらいつの間にか俺みたいになっちまうぞ」

 脅し付けるように一睨みすると、シルフィアは今度こそ満足して深い眠りに身を委ねた。


   ◇ ◆ ◇


 規則正しい寝息が聞こえ始めてからも、沈黙が店内を支配していた。

 モクレンはかつてなく疲労を感じて、ガックリと肩を落とした。

「酒にも気を付けるべきだったか……」

 酒を一切受け付けない体質は理解するにしても、なぜこんなことになるのか。

 嵐のようにそれぞれの心をざわめかせた張本人は、幸せそうにすやすやと眠っている。

 血色も問題ないので、急性の中毒症状は出ていないようだ。

 モクレンはホッとするやら恨めしいやら、複雑な気持ちになった。

 彼女が引き起こした事態に収拾をつけるとしたら、もはや自分しかいないのだから。

 モクレンは、未だ夢が覚めやらないといった風情の義兄弟達を振り向いた。

「今の言葉を忘れろ、とは言わない。けれどシルフィア様に問い質すことは許さない。彼女が覚えていても、覚えていなかったとしてもだ」

 冷たく放つモクレンに、ツバキが声を上げた。

「けど、モクレン。……どう考えたっておかしいだろう? 彼女があの人を真似るとは到底思えない。それなのに、あれはまさしく……」

「ボス、だったな」

 言い淀むその先を継いだのは、クチナシだった。

 発言にすら気を遣う理性的なツバキと異なり、彼は直感だけで語ることが多い。

 そしてその直感は、いつも非常に的確だった。

「確か嬢さんは、十六歳だったな。ボスが死んだのも十六年前。年齢的にもボスを知ってるはずがない。知ってたとしても、しゃべり方も笑い方も完璧に真似るなんて不可能だし、嬢さんがそんなことをする理由もない」

 断定的なクチナシに、ユキノシタが問いかける。

「では、クチナシ。あなたは今起きたことが何なのか、説明できるんですか?」

 彼は、当然のように首を振った。

「できるわけないだろう。ーーだが、あれは間違いなくボスだ」

 再び場を支配した沈黙を破るように、シオンが不穏な空気を発する。

「……モクレンは何を知っている? いつもならば真っ先にうるさく騒ぎそうなエニシダ、お前も」

 挙動に違和感を持たれたエニシダは、おどけるように肩をすくめた。

「ヤーダー。シオンってば『お前』なんて、乱暴な言葉遣い。お兄ちゃん悲しい」

「ふざけていないで質問に答えろ」

「キャー助けてー」

「ああもう、二人ともやめてください」

 どうせエニシダは面白おかしく茶々を入れるだけだと分かっていたから、頭が痛かったのだ。こうして損な役回りばかり押し付けられる。

 けれど今回ばかりは、モクレンも譲るつもりは毛頭なかった。

 シルフィアが今後も、シルフィアとして生きるために。前世に囚われずに済むように。

 独占したいという我欲もそこにはあるけれど、何より彼女の笑顔を、真っ直ぐな心根を守っていけるようにしたい。

 そのためには、秘密を共有する人間は一人でも少ない方が好ましかった。

 ただし、協力な助け手ともなるため、完全否定はせず希望を残しておくのが望ましいだろう。

 ボスとは別人と認識していても惹かれずにいられないのは、シオンが証明しているのだから。

 モクレンは、顔にかかるシルフィアの金髪をすくってやりながら、彼らに意味深な視線を送った。

「この方は……ボスがいなくても、俺達が真っ直ぐ生きていくことを望んでいる」

 誰かがハッと息を呑む音がした。

 しんみりとした空気が漂う中、ユキノシタがポツリと呟いた。

「……そうですね。余計な詮索は、シルフィア様も望んでおられないかもしれません」

 続いてクチナシが、片頬に苦笑を刻む。

「ボスが死者の国から、話しかけてくれた。そういうことにしておこうか」

 シオンは未だに不満げだったが、この場で問い詰める気持ちはないらしい。感情を殺したような顔で押し黙っていた。

 張り詰めた雰囲気が心なし和らいだところで、珍しくユウガオが口を開いた。

「だが、特別なひとときだった」

 素っ気ないが、重みのある一言。

 ツバキは嬉しそうに笑った。

「……そうだね。義兄弟も全員揃っているし、何だか昔に戻ったみたいだ」

 穏やかでどこか懐かしい空気に、誰もが深く感じ入った。  



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ