28
一週間後。
晴れた昼下がり、シルフィアは久しぶりにどんぐり亭へと訪れていた。
クチナシが、本当に事件解決のお祝いをしてくれることになったのだ。
集まったのは作戦に協力してくれていた面々。
つまり、前世での養い子全員が、初めてシルフィアを交えて一堂に会するのだ。
若干緊張しつつ、いつものようにモクレンを同伴し入店する。
店内には、既に全員が揃っていた。
「よう、嬢さん。待ってたぜ。モクレンも」
体格のいいクチナシが、待ちわびた風情でシルフィアを出迎えた。
「こんにちは。今日はお招きいただきありがとう」
「そうかしこまるなよ。料理以外何にもないが、遠慮しないでくつろいでいってくれ」
ニコリと笑う彼の笑顔は少年のようで、つられて笑ってしまった。
「あら、うちのメイドが褒めていたわよ。料理がおいしいだけじゃなく、とても素敵な人当たりのいい店主がいるのだと」
「アハハ。俺はこの通り目が細いから、常に笑ってるように見えるんだよ。客商売には便利だけどな」
クチナシはおどけて肩をすくめつつ、シルフィアをテーブルに案内する。ほとんど輪の中心のような位置で、領主の娘として気を遣われたのだと思うと居たたまれない。
テーブルには、既に幾つかの料理が並んでいた。
まだホカホカと湯気の立つ骨付きチキンや、海老や野菜のフライ。ロントーレ地方定番のグリルには、ベーコンとたっぷりのチーズが載っていた。
「とっても豪華ね」
「歓迎パーティで出された食事には、遠く及ばないかもしれないけどな」
「招待しなかったこと、根に持っているわね?」
苦笑しながらグラスを持ち上げる。
他の面々はワインだが、シルフィアは葡萄のジュースだ。飲酒は十六歳から許されているが、父が厳しいため口を付けたことすらなかった。
「それでは、僭越ながらご挨拶をさせていただきます。この度、無事連続通り魔事件が解決いたしました。これも、皆さまの尽力のおかげです。今日は存分に楽しみましょう」
乾杯し、早速食事に手を付ける。
丸いフライの中身が気になったシルフィアは、中心にナイフを入れる。
中からトロリと出て来たのは、濃厚な卵黄。丸ごとの玉子の周りを、薄くひき肉が覆っていた。
「まあ! 玉子のフライなんて初めて見たわ!」
「半熟にするのが難しいんだぜ。ホラ、こっちのソースを付けて食べるんだ」
「うー、おいしいわ。さすがクチナシね」
黄身のこくと酸味のあるトマトソースの絶妙な調和を味わっていると、反対側からラザニアの載った皿が差し出された。
「知らなかったな。シルフィア嬢、クチナシとも結構仲いいんだな」
「いただいてもいいの? ありがとう、エニシダ」
ミートソースとホワイトソース、平たいパスタ生地とチーズの織り成す層が美しい一皿を、シルフィアは笑顔で受け取った。
彼も長兄らしく、世話好きなところがあるのかもしれない。
「このお店に来るのは初めてではないし、ユキノシタ様の孤児院でも一度会っているのよ」
「へぇー。そのわりに呼び捨てとか、何か親密な感じじゃん」
「初対面から、お互いにくだけた態度で接していたせいかしらね。そういうエニシダのことも呼び捨てにしているじゃない」
なぜどことなく拗ねた雰囲気なのか分からない。
不思議に思いながらモリモリ食べ進めるシルフィアの頬に、彼は珍しく神妙な顔で触れた。
「……完璧だと思ったけど、全然守れなかったな。シルフィア嬢の可愛い顔が傷付いちまうなんて」
どんな時でも呼吸するがごとく褒め言葉を垂れ流すエニシダに、思わず苦笑を漏らした。
その笑顔をどう解釈をしたのか、彼はニヤリと片頬を上げながらさらに身を乗り出す。そこに神妙さなど、欠片も残っていなかった。
「傷ものにしちゃった責任があるし、思いきって俺と結婚しようか?」
冗談でも、軽々しく結婚などと口にするべきではない。という考え方は潔癖すぎるのだろうか。
軽薄さにため息がこぼれた。
「心配しなくても、ほとんど痕は残っていないの。ガーゼだってもう必要ないのに、モクレンが心配性すぎるのよ」
「そりゃあんたが可愛いからからだろ。この綺麗な髪一筋だって、傷付いてほしくない」
「ーー何を口説いてるんですか、エニシダ?」
背後から、冷たい声が割り込んだ。モクレンだ。
彼は表情を凍えさせながらも、シルフィアの前に次々と皿を置いていく。
食べやすいようほぐされている骨付きチキンに、カットされた果物。
なぜ養い子達は、揃いも揃って甲斐甲斐しいのだろう。無意識なのだろうが首を傾げざるを得ない。
シルフィアが並べられた料理を眺めている横では、モクレンがエニシダを完全に敵認定していた。
両者の間をひんやりした空気が流れている。
「いくらエニシダといえど、俺の許可なくシルフィア様に近付かないでください」
「なぁんでいちいちお前の許可がいるんだよ」
「シルフィア様が、俺を選んでくださったからです。もうあなたの出る幕はありませんよ」
彼の宣言に、店内は水を打ったように静まり返った。ツバキやユウガオまでこちらに注目している。
ユキノシタがパンの載った皿を置きながら、恐る恐るといったふうに疑問を呈した。
「シルフィア様……モクレンと、お付き合いをされているのですか?」
「お、お付き合い!?」
どことなく悲壮な面持ちで問われ、動揺した。
そもそも想いは伝え合ったが、何か約束を交わしたわけでもなかった。恋愛初心者にはどういった流れで付き合いだすのか、いまいち分からない。
『お付き合い』という単語一つで容易く頭が沸騰してしまい狼狽えるシルフィアだったが、代わりにエニシダが口を開いた。
「まだ付き合ってないなら問題ないだろ」
「問題しかないです!」
悪びれない義兄に、モクレンが素早く言い返す。
その時、カウンターで興味なさそうにワインを飲んでいたシオンがぼそりと呟いた。
「問題が多いのはモクレンの方だろう。僕のように貴族の身分がないのだから」
彼の発言に、どんぐり亭に再び沈黙が訪れる。
今度はしんと底冷えした、寒々しい静寂。
けれど次の瞬間、蜂の巣をつついたように騒がしくなった。
「何で今シオンまで参戦したんですか!?」
「お前、まさか……!」
「いや聞きたくない! 俺は絶対に聞きません! くそ、せっかく予防線を張っていたのに……!」
「予防線?」
発言の意味が理解できず、シルフィアは彼らの動揺ぶりに戸惑うしかない。
モクレンが、店中に響き渡る声で叫んだ。
「シルフィア様は俺の想いを受け入れてくださったと言ってるでしょう! 二人の間に他の奴が入る余地はありません!」
きっぱりと宣言され、頬が熱くなる。
けれどエニシダやシオンの反応は淡白だった。
「そうかぁ? そのわりにいつまでも敬語が抜けないじゃねぇか」
「対等な立場には程遠いな」
「対等になるんです! これから!」
「そうなる前にシルフィア嬢があっさり心変わりしちまったりしてー」
「憐れだな」
「勝手な未来予想図で憐れむな!」
既にシオンは義兄達に敬語すら使っていないが、あれでいいのだろうか。
ユキノシタは派手な兄弟喧嘩にオロオロし、クチナシは酒を片手に見物を決め込んでいた。
エニシダが、モクレンを挑発するように笑う。
「俺ならシルフィア嬢に、欲しいもの何でも与えてやれるんだぜ? 世界中色んなところを一緒に回ったっていい。二人でなら、旅もきっと楽しいさ」
追従するようにシオンが発言する。
「僕は家を継がねばならないけれど、おそらく願い出れば共同統治というかたちで受理されるはずだ。幸いロントーレとは領地が隣接している。しかもララフェルは工業に特化しているから、この地の特産である羊毛を今よりさらに活用できるだろう」
末弟の主張に、今度はモクレンとエニシダが揃って引き気味になった。
「シオン……。お前今まで一度も、人を好きになったことがないだろう」
「それじゃ口説くっつーより単なる交渉じゃねぇか。本気でないわー」
「なぜだ。利点は大切だろう」
「ーーというかあなた達、女性を口説いて競い合うのはどうかと思うわよ」
くだらない張り合いに、シルフィアはようやく口を挟んだ。
冷めた反応に、モクレン達は驚愕を見せる。
「本人に全く刺さってない、だと……!?」
「刺さるわけがないでしょうが」
いちいち恥ずかしいことを言うモクレンに照れていたのも始めの内だけ。
あまりに馬鹿馬鹿しい小競り合いに、次第に半眼になるばかりだった。兄弟喧嘩に興味はない。
突如勃発した謎の口論を遠巻きに眺めていたツバキが、感心したように頷いていた。
「こんなに喋るシオンを見るのは久しぶりだなぁ」
嬉しそうなツバキに対し、ユウガオは渋い顔だ。
「というか、あれは放っておいていいのか?」
「本音を言い合える、というのはいいことさ」
ユウガオは、大きな体を縮めて項垂れた。
「ならば俺も、仲間に入れてもらうべきだったか。すまない。俺は頭が固い……」
「ユウガオはいいんだよ。そのままのあなたが、私は好きだよ」
気を逸らすためか、ツバキがユウガオの口元に手ずから料理を運んだ。彼は恥ずかしそうにしながらもパクリと頬張る。
慌てて周囲を見回しているが、もう遅い。麗しい触れ合いを、シルフィアがバッチリ観賞していた。
ーーた、堪らないわ……。
まだギャアギャアと騒がしい男性陣に気付かれぬよう、こっそり身悶える。
シルフィアは衝動を誤魔化すために、葡萄ジュースを勢いよくあおった。
途端、喉がカッと焼かれたように熱くなる。
「ケホッ……」
「シルフィア様!?」
モクレンに背中をさすられながら、何度も咳き込む。血液が逆流するような感覚に、ひどい目眩。
シルフィアは堪らず、クラクラとする頭をテーブルに預けた。
「俺のワインを飲んだのか。……大丈夫ですか、シルフィア様? 今まで飲酒をしたことは?」
モクレンはシルフィアが持つグラスに気付き、そっと取り上げた。
問いかけに、前世でならば経験済みだと頭の中でのみ答える。
ーー間違えて、お酒を飲んでしまったのね……。
これが酔いかと、妙に冷静に納得する。
クシェルはどれだけ飲んでも酔わなかったが、シルフィアは逆に酒を受け付けない体質らしい。
大丈夫。心配いらない。
そう言おうとするのに、口が思った通りに動かない。何一つまともに考えられない。
頭の芯に残るのは、本当に伝えたいことだけ。
ただ本能のままに、シルフィアはテーブルから体を起こした。
「ーーーーおう。お前ら」




