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あい。ーー愛?
聞き間違えでないのなら、モクレンは今、愛しいと言わなかったか。
「……ぶへーーーーーーーーっっ!!!」
告白を受けたシルフィアから飛び出したのは感動の言葉ではなく、女性にあるまじき奇声だった。
無意味に立ち上がってオタオタすると、モクレンは心底不思議そうな顔をする。目が合えばますます人語を発することができない。
「うお、だっ、な、あ、おま、」
「いったん落ち着きましょうか、シルフィア様。ホラ、深呼吸してみてください」
みかねた彼に宥められ、何とか呼吸を整える。
けれど背中を撫でられていることに気付くと、シルフィアは素早く距離を取った。
身体中が燃えるように熱くて、もはや動揺を隠しようがない。
「あっ……愛って、いきなりお前……! そんな甘ったるい台詞、よくも真顔で!」
「いきなりじゃないですよ。どう考えてもそういう流れだったじゃないですか」
しれっと真顔で返され、シルフィアはわなわなと震えた。なぜ自分ばかり動揺しているのか。
「何でお前はそんな冷静なんだよ!? 逆に恥ずかしいだろ!」
吠えた途端に我に返る。
極めて理不尽な文句の上、不慣れ感丸出しだ。情けなさすぎる。
「あああぁもう……というか混乱しすぎて地が、いえ、また荒っぽい口調になってしまったわ……」
どんなに恥ずかしくても、子爵令嬢が『ぶへー!』はまずかったかもしれない。
気持ちが乱高下して定まらないシルフィアに対し、モクレンはあくまで余裕の態度だ。
「いいですよ。どんなあなただって、俺には全てが可愛らしいですから」
「だ、だからよくそんな恥ずかしいことを……」
また憎まれ口を叩こうとするも、ふと照れるばかりで何も応えていないことに気付いた。
「その、私だってモクレンのこと、す、すす……」
「無理をする必要はないですよ。ーーその分、俺が気持ちを伝えればいいだけですから」
「駄目だ。それじゃ男が廃るだろ」
「あなたは今女性でしょうに」
モクレンが苦笑を漏らし、そっと指先に触れる。
シルフィアの動揺を煽らないようにか、ごく慎重な仕草だった。
「ダンスの時、不愉快な思いをさせてしまい、すみませんでした。せっかくあなたと踊れたのに、もったいないことをした」
ワルツを終え、気まずい空気のまま別れていたことをようやく思い出す。
自分のせいで楽しいひとときが台無しになったと後悔していたけれど、彼も同じように思ってくれていたのなら、それは少しだけ嬉しい。
「モクレンが謝ることないわ。それも、私自身の考えの甘さが招いたことだもの」
「いいえ、あんなのはただの八つ当たりです」
モクレンは苦しげに首を振った。
「エニシダが言うように、あなたを独占したくて仕方がなかった。大人げない自覚はありましたが、他の男に触れられるなんて我慢できなかったんです」
シルフィアの指先をきつく握り込むと、彼は自らの頬に当てた。
確かめるように、反応を窺うように、少しずつ指が移動していく。
頬をなぞり、形のよい薄い唇へ。
緑の瞳がじっとシルフィアを見つめていた。
「あなたは、とても魅力的です。きっとこれからも、無自覚に色んな人間を惹き付ける。だから目が離せないんですよ」
ややかさついた唇が動くたびに、敏感な指先をくすぐる。吐息は火傷しそうなほど熱かった。
「先ほどは伝えそびれましたがーーそのドレス、とても似合ってる」
「う、あぅ」
「エニシダの見立てというのが悔しいほどに」
眼差しも声も、何もかもが甘い。
シルフィアはクラクラしてきて、あえぐように言葉を紡いだ。
「あ、あなた、手慣れてない……?」
「そりゃ、今の俺はあなたより七歳も上ですから。ーーって、ああ」
モクレンが意地悪げに目を細める。
「確かにボスは二十六歳にもなって、喧嘩ばかりの無味乾燥な日々を送ってましたもんね」
「悪かったな、恋愛経験皆無で!」
クシェルだけならまだしも、前々世の頃も正妻持ちの愛人。まともな恋愛などしたことがなかった。
ーーモクレンは、慣れていて当然か……。
顔立ちが整っている上に真面目で優しく、フィソーロの代表という社会的地位もある。
むくむくと嫉妬が膨れ上がり、泣きたくなった。
想いが通じ合った途端に独占欲を剥き出しにするなんて、ひどい傲慢だ。
シルフィアは目の前にあるモクレンの胸に、ポスンと顔を埋めた。
「シ、シルフィア様?」
彼の声が僅かに上ずる。
「……見ないで。あなたの過去に嫉妬して、私すごく醜い女になってるから」
みっともなく、浅ましい。
こんな自分を知られたくなかった。きっと今、ひどい顔をしている。
決まりが悪くて動けずにいると、なぜか頭上から舌打ちが降ってきた。
「……くそ」
不穏な呟きに顔を上げると、そこには凶悪なほど不機嫌そうな表情があった。
けれどその頬は、驚くほど赤い。
「モクレン、真っ赤……」
「言われなくても分かっています」
ピシャリと言い返され、慌てて口を噤む。
ついでに体を離そうとしたが、それを防ぐようにがっちりと腕が回された。
「少しくらい、優位に立っていたかったのに……」
シルフィアの肩に頭を預け、モクレンが弱々しい声で呟く。
髪が首筋をくすぐるけれど、もう怖くなかった。
伝わる鼓動が、シルフィアと同じくらいの早さだと分かったから。
彼はため息をつきながら上体を起こした。
「本当は最初から、余裕なんてないですよ。俺の方が好きすぎるに決まってるんですから」
「そんなことないわ。私の方があなたを、その、す、すす、す……」
どうしても大事なところで詰まってしまうシルフィアに、モクレンはずいと顔を寄せた。
「では、口付けを許してくださいますか?」
「はい!? な、何をいきなり……あ! 今あなた、わざと動揺させようとしてるでしょ!?」
「いけませんか?」
「あっさり認めた! よし、ならばこちらも受けて立つわ! 口付けを許可します!」
「なっ!?」
互いに真っ赤になったところで、どちらからともなく吹き出した。
「やめましょう。お互い消耗するだけだし、張り合っても意味がないもの」
「そうですね、馬鹿馬鹿しい」
微笑みながら、モクレンの胸に身を預ける。
そこにぎこちなさはなく、溶けるように自然と温度を分かち合う。
もしかしたらこれが、モクレンの目論見なのかもしれない。
おかげで、こうして素直に甘えられる。
「こんな傷だらけの女がいいなんて、あなた相当変わっているわ」
「その程度の傷、一週間もすれば跡形もなくなってますよ。それに万が一残ったとしても」
モクレンの医者らしい繊細な指が、頬を覆う包帯をなぞった。
「この傷を見るたび、あなたが勇ましく戦う姿を、思い出せますから」
「…………見ていたの!?」
驚きすぎて体を離すと、モクレンは悪びれもせず笑った。
「あなたが攻撃されているというのに、手を出せないのは歯痒かった」
「嘘でしょ……」
剣さばきは覚束ない上、卑怯な隠し玉で辛勝して。勝利に貪欲で野蛮な姿を、よりにもよってモクレンに見られてしまうなんて。
「恥ずかしいから、あなたにだけは絶対見られたくなかったのに……」
顔を覆ってうめくと、彼はシルフィアの金髪を一房すくい上げた。
「綺麗でしたよ。戦うあなたは誰より目映く輝いていて、気高い」
「だから……そういうことをサラリと言わないで。やらないで」
物語の王子様でもあるまいし。
また真っ赤になっているだろう顔を隠すため、シルフィアはのそのそとモクレンの懐に戻った。
彼の清潔な匂いは、不思議と心を穏やかにする。
石鹸と、僅かに消毒薬の香り。
「……まずは、お父様に認めてもらうところから始めなくてはね」
昔からシルフィアの結婚相手を吟味し続けているクロードは、誰より越えがたい難関だろう。
「そうですね。ご領主様がどれほど娘を溺愛しているか、側にいるだけで分かりますから」
彼の表情に、やや疲れの色が混じった。
「何といっても身分の隔たりが障害になるでしょうね。シオンのように貴族の養子になろうにも年齢が行きすぎてますし、かくなる上はそれなりの功績をあげる他ないか」
フィソーロで活動していれば、きっと機会は巡ってくるだろう。その時はシルフィアも協力を惜しむつもりはない。
「私も、あなたに見合う人間にならなくてはね」
当然とばかり頷いてみせると、なぜかモクレンは目を見開いて固まってしまった。
そうしてシルフィアをとっくりと眺めたのち、腹を抱えて笑いだす。
「何よ!?」
全開の笑顔も魅力的だけれど、笑われているのが自分だと思うと素直に見惚れることもできない。
シルフィアは眉を寄せてじろりと睨み上げる。
「すみません。身分違いの恋なんて、普通の令嬢ならば泣く泣く諦めるところだろうと思えば、何だかおかしくなってしまって」
彼は銀縁眼鏡をかけ直しながら、いたずらっぽく目を細めた。
「それでこそ、俺のシルフィア様だ」
まるで子ども同士の触れ合いのように、ぎゅむっと無邪気に抱き直される。
シルフィアまでおかしくなってきて、声を上げて笑ってしまった。
「当たり前でしょう。何といっても私の人生、三度目なのだから」
「ええ。本当に、敵わない」
今はただ、こうしていられる時を大切にしたい。
甘い雰囲気にはほど遠いやり取りさえ、自分達らしいと思えば愛おしいのだから。
目が合うたびに微笑みを交わす。
何気ない幸せを噛み締めながら、シルフィアは穏やかなひとときを過ごした。
併せて連載している
『悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ』
もよろしくお願いいたします!(^-^)




