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お読みいただきありがとうございます!

m(_ _)m

 しばらく応接間でぼんやりしていたシルフィアの下に、モクレンがやって来た。

「お待たせいたしました、お嬢様」

 完璧な角度で腰を折ると、彼は高貴な令嬢からの指示を従順に待つ。

 その姿に、様々な感情が込み上げた。

 均整がとれた体躯は程よく引き締まり、医者のわりに貧弱そうには見えない。思慮深さを湛えた緑の瞳は、今は銀色の睫毛の向こうに隠れている。

 見れば見るほど端整な佇まいは、けれど懐かしくもあった。

「……顔を上げ、楽にしてくださいませ。あなたとはじっくりお話したいの」

「かしこまりました。何なりとお申し付けください、お嬢様」

 特に何かを命じるつもりはないのだが、そう解釈されても仕方のない状況だ。

 全く接点のなかった領主の娘からの呼び出しに、彼も警戒しているということだろう。

 誤解を解こうにも、シルフィアの背後にはクランツが控えている。

 腹を割って話したくても、未婚の令嬢が妙齢の男性と二人きりになることを、この堅物執事は決して許さないだろう。

 ちなみに専属メイドのミーナは、ランと相部屋ということで彼女についてもらっている。

 クランツを追い出す方法を画策しながらも、まずは気になっていたランの容態を問うことにした。

「彼女は大丈夫そうかしら?」

「はい、ようやく緊張もほぐれてきたようです。また三日後に往診させていただき、回復に努めたいと思っております」

「まぁ、わざわざ往診してくださるの? 評判の名医に診てもらえるなんて心強いわ」

「おそれ多いお言葉にございます」

 本来ならば忙しくしている彼の診療所に、こちらが訪問するのが筋だろうに。

 モクレンの医者としてのひた向きな姿勢、そして如才ない受け答えにも感動した。

「そうだわクランツ、ランの治療費なのだけれど。私としては就業中のことなのだし、我が家が負担すべきだと思っているの。念のためお父様のお考えを聞いてから、彼女に伝えてくれるかしら? 気がかりがあってはゆっくり休めないでしょうし」

 名案、とばかりに振り返ると、案の定執事は渋面になっていた。

 客人の前にもかかわらずお小言が飛び出しそうな口を、シルフィアは先回りして封じた。

「他の者には任せられないことなの。お父様の腹心であり、誰より信頼しているあなただからこそ、お願いしているのよ」

 にっこりと微笑みを添えてしまえば、彼は黙らざるを得なかった。

 けれど部屋を出る時まで、忠告には余念がない。

「……お嬢様。くれぐれも、慎みのある行動をお心がけください」

「私は一体何をやらかすと思われているのかしらね、心外だわ」

 肩をすくめてあしらうと、ようやく思惑通り二人きりになった。

 シルフィアは改めてモクレンと向き合う。

 使用人を排除したことで、彼はなおさら神経を尖らせているようだった。

 かつてのモクレンも、警戒心の塊だった。誰にも心を開くことなく、感情を見せることなく。

 たくさん苦労をしただろうに、今はフィソーロの代表として街の人々に信頼されているのだ。

 彼が人を助ける医者という道を選択したことも、どこか誇らしい。

 心身共に、本当に立派に育った。

「モクレン。お前、大きくなったな」

「……は?」

 モクレンは冷悧な美貌を崩し、ポカンとあどけない表情になった。

 言われた意味を理解できないのか、はたまた子爵令嬢の荒っぽい口調のためか。

「あ、悪い悪い。いきなりこんなこと言われたって、混乱するよな」

 シルフィア自身も失言に気付き、頭をガリガリと掻く。その令嬢らしからぬ仕草を、これまた凝視されていることに気付いていない。

「んー、まず何から説明すればいいのか。ーーえぇと、俺だ。クシェルだ」

 モクレンの眉間に、グッとシワが寄る。

 信じられないものでも見るような目付きだが、無理もなかった。

 クシェル・リュクセ。

 それは、モクレンのような身寄りのない子どもを、まとめて養っていた男の名だ。前フィソーロ代表でもある。

「なぜ、あなたがその名前を……」

「たぶんクシェルが死んだあと、シルフィアとして転生したんだろうな。俺も何でこんなことになってるのか、いまいち理解できてねぇけどよ」

 モクレンが絶句する。

 澄んだ緑の瞳に凝視され、シルフィアは耐えきれずそっぽを向いた。

「まぁ、突然こんなこと言われて驚くのも当然だよな。信用してもらうために過去の話でもするかと思ったんだが、お前、ガキの頃の恥ずかしい思い出とか、ばらされたくないだろ? 他のガキ共の名前くらいじゃ信じる材料にはならないだろうし……」

 養い子達が元気でいるだろうことは、聞かなくても分かった。

 元々、生への執着の強さを気に入って引き取った子どもばかりだ。生きるための術も教えてある。

 その時ふと、気がかりを思い出した。

「そうだ。あの時の女の子は、無事だったか?」

 クシェルが二十五の若さで死んだのは、一人の少女を助けるためだ。

 ある時街で火事が発生し、フィソーロの代表であるクシェルもすぐに駆け付けた。

 家の前には泣き叫ぶ母親。中に、娘が残っているはずだという。

 クシェルは一も二もなく火の海へ飛び込んだ。

 肌を舐めるような熱気の中、怯えてうずくまる子どもを見つけるまで時間はかからなかった。

 けれど見つけたと同時、少女の頭上を運悪く梁が。咄嗟に彼女を突き飛ばすも、焼け焦げた梁はクシェルに直撃した。

 一命をとりとめたものの、体はもう動かせない。

 それでもクシェルは最後の力を振り絞り、出口まで走れと少女に指示を飛ばした。

 彼女が無事母親と再会できればいい。薄れゆく意識の中、そんなことを考えた気がする。

 最年少でフィソーロ代表の座に就いた強者の、何ともあっけない幕切れだった。

「俺は、あの子を助けられたのか? 出口まで守りきれなかったことが、ずっと心残りだったんだ」

 呆然と口を開いたままだったモクレンが、何かを噛み締めるように唇を引き結んだ。

 一度ゆっくりと瞑目すると、神妙な顔でシルフィアを見返す。

「彼女は……あの時の少女は、何年も前に他領の商家へ嫁いでいきました。両親共々、クシェル・リュクセにずっと感謝しています」

「そっか……。体に火傷が残っちゃ大変だと思ってたが、どっちにしろ愛してくれる男がいたんなら、よかった」

 片頬を引き上げるようににかっと笑うと、彼は思わずといった風に眉間のシワを深めた。

「冷たいですね。僕達より、よその子の心配とは」

 あくまで冷たい印象の表情。

 けれどクシェルの記憶が甦った今となっては、彼の瞳の奥の揺らぎが手に取るように分かる。

 シルフィアは苦笑をもらすと、モクレンが座るソファに移動した。

 貴族の令嬢としては褒められた行動ではないが、この場で二人きりになった時からクシェルとして振る舞うことを決めていた。

 シルフィアは躊躇わず、大きな子どもの頭をわしゃわしゃと撫でた。

「バーカ。お前らは、俺がいなくても強く生きていけるだろ。そうしていけるよう育てたんだからな」

 乱暴で、痛いくらいの撫で方。

 その度に髪が抜けてしまうと文句を言った。けれど、いつも堪らなく嬉しかった。

 様々な思いが込み上げ、モクレンはくしゃりと顔を歪める。

「あなたは……本当にボスなんですね」

「おう。その呼び名、久しぶりでくすぐったいな」

 クシェルは独身だったし、荒くれ者と対等以上に渡り合うほど気性が荒かった。

 そんな自分が『お父さん』と呼ばれるのは何だか気恥ずかしく、養い子にもフィソーロの部下達同様『ボス』と呼ばせていたのだ。

「それにしても、お前がフィソーロ代表なんてな。しかもその年で。支部長の間違いじゃないのか?」

「ご心配なく。クシェルよりずっと仕事をしてくれると、支部長達からも絶賛です」

「あんのクソ親父共……」

 悪態をついたあと、彼らが高齢に差しかかっているだろうことに、ふと気付いた。

 シルフィアは好奇心があり余る少女だが、屋敷をみだりに抜け出さないくらいの分別を持っている。

 代表であるモクレン以外、フィソーロの会員と顔を合わせたことはなかった。

 ーー何か、不思議だな……。

 シルフィアとして歩んだ時間は嘘ではないのに、まるで彼らに置いていかれたような気分。

 モクレンにしたってそうだ。

 彼がフィソーロの代表となるまでに、どのような葛藤や決断があったのだろう。

 身近な存在であったはずが、彼の歩んできた人生をまるで知らない。

「……お前はいつも、治安維持なんて野蛮な仕事だって、嫌ってたのにな」

「あなたが毎日のように怪我をこしらえて帰ってくるから、心配していただけでしょう。こうして代表になってみて、よく分かりました。冷静に話し合えば大抵のことは解決するんです。カッとなってすぐに手を出すあなたに問題があるんです」

「おいおい、死んでからも説教かよ」

「本当に、何を仕出かすか分からなくて、あなたからいつも目が離せなかった。しかも今度はシルフィア様に生まれ変わっていた? 予想外すぎます」

「それな。まさか自分が女になるとは」

「問題はそこじゃないでしょう」

 孤児院育ちのモクレンは、出会った頃にはすっかりすれていた。まだ七歳の少年に、こうしてよく理詰めで説教されたものだ。

 彼も同じことを思い出していたのか、二人は目を合わせると同時に吹き出した。

 笑いが収まると、モクレンはシルフィアを見つめながら目を細めた。

「あぁ……あなたにこうして、また会えるなんて」

 ふわりと、体温が近付く。

 シルフィアは、感極まったモクレンに抱き締められていた。



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