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 アルファタル王国に住まう貴族達には、それぞれ自治権がある。

 領主達の治め方は様々だ。

 自ら舵を取る者、信頼する側近に一任する者、そして、領民に自治権を譲る者。

 王都の西方にある小さな領地、ロントーレ。

 そこを治めるクロード・ロントーレ子爵も、自領の治安は領民に任せていた。

 穏やかで分け隔てない人柄。早くに亡くした妻を一途に愛し続ける姿勢も含め、民は領主に親しみを感じていた。

 ロントーレは小さな領地なので、民との距離も近い。クロードは定期的に、治安団体フィソーロの代表と面会の場を設けている。

 騒ぎが起こったのは、そんな折だった。

 ロントーレ子爵家の一人娘、シルフィア・ロントーレが午後の紅茶を楽しんでいると、にわかに玄関の方が騒がしくなった。

「何かしら?」

 飛び交う大声に振り返ると、春の陽光のように柔らかな金髪がふわりと舞う。優しい琥珀色の瞳は、好奇心に輝いている。

 そのままソファから立ち上がると、側に控えていた執事のクランツが渋い顔をした。

「お嬢様。もう十六歳なのですから、もう少し落ち着きというものを……」

「でも、あなたも気になるでしょう、クランツ?」

 四十歳を超えてまだ衰えを見せない彼は父の腹心で、シルフィアが生まれる以前からロントーレ家に仕えている。

 いたって真面目な男で、好奇心の強い子爵の愛娘にはよく振り回されていた。

 シルフィアは片目をつぶってみせると、執事の苦言にも構わず玄関へと向かう。

 あくまで足音を立てず、けれど迅速に行動する使用人とすれ違う。

 やはり何かが起こっているようだ。

 その中に、ドタバタと忙しなく駆ける年若いメイドの姿があった。 

「ミーナ」

「あ、お嬢様ぁ!」

 頼りなげに眉尻を下げ、慌てた様子を隠しもしない。シルフィアの専属メイドだ。

「一体何があったの?」

「メイド仲間のランが、怪我をして帰って来たんですぅ!」

 ミーナが泣きそうな顔で告げた内容に、シルフィアは眉をひそめた。

 それほど裕福ではないロントーレ家では、使用人との垣根も低い。ランとも、もちろん顔見知りだ。

 シルフィアは簡素なドレスをからげ、さらに早足になった。ちゃっかり付いてきていたクランツも、今度ばかりは止めない。

 玄関には人だかりができていた。

「ラン!」

「お嬢様……」

 駆け付けると、人垣の中心に座り込んでいた黒髪の少女が弱々しく顔を上げた。

 腕に包帯を巻いているところを見る限り、応急処置は既に済んでいるようだ。

「ラン、大丈夫?」

「はい。もう血は止まっておりますし、ほとんど痛みもありません」

「よかった。移動しても問題ないのなら、屋敷に行きましょう」

 シルフィアが指示を出し、クランツらが協力してランの歩行を介助する。負担がかからないよう、入ってすぐの大広間に誘導した。

 ゆったりしたソファに腰を落ち着けると、彼女はようやく肩の力を抜いた。

「ラン、何があったの?」

 温かな紅茶を手渡しながら問いかける。ランは、とつとつと語り出した。

 彼女はメイド長の指示を受け、街へ買い物に出かけていたのだという。

 買い物を終えた帰り道、人通りの少ない路地を抜けたところで突然背後から切り付けられたらしい。

 ひどく混乱し、また恐怖したけれど、傷が浅かったこともあり何とか痛みを堪えながら屋敷にたどり着くことができたのだとか。

「そうだったのね……こんなことを聞いていいのか分からないけれど、犯人の顔は見たのかしら?」

「それが、振り向こうとした時に切られたので、痛みで座り込んでしまい……」

 恐ろしかったのだろう、彼女の肩はかすかに震えている。シルフィアは膝を突き、労るようにランの手を取った。

「ラン、仕事はここまでにして今日はゆっくり休んでちょうだい。メイド長にはこちらから伝えておくわ。もし一人が怖いのなら、同室の子についていてもらいましょう」

「お嬢様……ありがとうございます」

 シルフィアの後ろで、クランツが痛ましげに目を伏せた。

「最近、似たような話を聞いたことがあります。街で通り魔が流行っているとか」

「何てこと。自治会は何も対応をしていないの?」

 そこまで言って、シルフィアはフィソーロの代表が屋敷にいることを思い出した。

 医者としても有能であるという話を聞いたことがある。彼にお願いすれば、ランの怪我も診てくれるかもしれない。

 考えている内に、父クロードが大広間に現れた。

「何ごとだ?」

「お父様」

 穏やかな容貌の父の隣には、冷悧な印象の青年がいた。遠目にならば何度も見たことがある、フィソーロの代表だ。

 シルフィアが幼い頃から屋敷を出入りしていたことは知っているが、顔を合わせるのはこれが初めてだった。子爵家とはいえ貴族の令嬢が、みだりに人前へ出るわけにはいかない。

「実は、ランが街で通り魔に遭ったの。命に別条はないのだけれど、跡が残らないか心配で」

 ちらりと視線を向けると、端整な顔立ちの青年は心得たように頷いた。

「私に診察させていただいてよろしいでしょうか、領主様?」

「あぁ、ぜひお願いしたい」

 すっと膝をつく青年の雰囲気は、既に医者としてのものだった。全員固唾を呑んで見守る。

「この連続通り魔は、皮肉なことにひどく腕がいい。切断面が綺麗で引きつれもありません。清潔を心がけ、毎日の消毒を忘れなければ、おそらく跡はほとんど残らないでしょう」

 周囲にいた人間から、一斉に安堵の息が漏れた。

 シルフィアはすぐに気持ちを切り替え、青年に質問をする。

「連続通り魔と、断定していらっしゃるのね?」

「はい。被害に遭った他の方々も、診察させていただいております。患部の状態がよく似ておりますので、単独の犯人ではないかと」

 つまり傷口が常人ではあり得ないほど鋭い、または同一の刃物を使った形跡がある、ということか。

 ーー治安団体であるフィソーロで警戒しているのに捕まえられないなら、犯人はとんでもない手練れの可能性がある。犯行状況、狙われた人間に何か共通点は!? そこから次の犯行場所を絞り込むことは可能か!?

 思考が目まぐるしく回り出す。

 シルフィアは自身にふと、違和感を持った。

 フィソーロの活動についてはそれなりに理解しているつもりだ。けれど、犯罪の捜査にまで関わったことはない。なぜ自分は当然のように、これからの対応について考えているのか。

 そこまで考えた瞬間、膨大な情報が頭の奥底から噴出した。

 まるで大量の水が逆流するように、シルフィアを呑み込んでいく。

 様々な情景。誰かが生きた二十五年という歳月、その当時の感情。

 ガンガンと痛む頭を押さえながら、シルフィアは気付いた。これは、記憶だ。何者かの生涯。

 ーーいや。何者か、じゃない。これは俺の……。

 思考も視界も、何もかもが奪われかける。

 目眩が起こり僅かによろめいた。

 だが幸い、父の注意さえランに向いている状況だったので、誰にも気付かれることはなかった。

 静かな呼吸を意識する。表面的な動揺は、次第に落ち着いていった。

 今は、シルフィア・ロントーレだ。不自然な行動をするわけにはいかない。

「ーー確かモクレン・リュクセ様、とおっしゃったかしら?」

 話しかけると、彼はゆっくり顔を上げる。

 普段通りの冷静さを保っているものの、その表情は僅かに怪訝そうだった。

 銀色の髪、知性の宿る深い緑の瞳。

 銀縁眼鏡をかけた白皙の美貌は冷酷な印象を与えるけれど、笑うと目元がふわりと和むことをシルフィアは知っていた。

「何でしょう、シルフィアお嬢様?」

「詳しいお話を聞かせていただきたいわ。ランの治療が終わり次第、私のところに来てくださる?」

 突然のお願いに驚いたのは、父も同様だった。

「シルフィア?」

「すみません、お父様。私、関わったのなら最後まで確かめずにいられない性格なので」

 有無を言わせず微笑むと、クロードは力なく首を振った。

「全く、誰に似たんだか……」

「お父様が愛していたお母様では?」

「シルフィア、過去形は間違いだ。私は彼女を、今でも愛している」

 クロードは、ランの傍らに膝を突いたままのモクレンを振り返った。

「モクレン君。よかったら娘のわがままに付き合ってもらえるかね?」

「私でよろしければ」

 フィソーロの代表であるモクレンは、平民とは思えぬほど優雅な所作で頭を下げた。

   



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