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と息を衝かれる

 いつもより早く起きたせいか、昼を過ぎたころにとんでもない眠気に襲われ沙智はたまらず眠気覚ましのために同じフロアにある自動販売機まで走った。




 ブラックコーヒー、いや、砂糖入りの方が実は眠気覚ましに効果があるんだっけ?




 頭の中でぶつぶつと考えながら自動販売機の前で何を買うか迷っていると、「沙智さん」と後輩が走り寄ってくる。




 とても軽やかなその様子に沙智はしょぼしょぼした目をさらに細めた。




 この暑くて眠いのになんであの子はあんなにさわやかでいられるのかしら。あ、眠いのは私だけか。




 とりとめのない思考をめぐらしているうちに彼女がすぐ目の前までやって来る。




「どうかした?」




 一瞬、にこっと笑った彼女は少しだけ息を整えるとその品よく色づけられた口から滑らかに言葉を紡ぎだす。




「総務部の松本課長が沙智さんのこと探してましたよ。あと椎名さんがK社の件で相談したいことがあるって。それから午前に営業部の栗原さんに前期のS社の予算資料見せたんですけど、時間あるときに詳しい説明が聞きたいそうです。それと例の食事会、木曜日でどうですか?」




「うん、うん、うん? え?」




 一瞬席を外しただけでそんなに一度にいろいろ起こる?




 眠い頭をフル回転させ一つ一つを整理して、彼女が最後に口にした件にやっと頭が追いついた。




「例のって、例の?」




 あの、四人での。




「そうです。下重くんたちとの食事」




 了承はしていたものの、実際に行くとなると途端に気が重くなる。




「うん。いいよ。木曜なら特に何もないし」




 笑顔で承諾しながら、眠気は飛んだものの疲れが増した気がして、沙智は結局何も買うことなく自動販売機から離れた。




----------




 あいにくの雨模様になった木曜の夕方。男性陣との待ち合わせ場所に向かう途上で電車の遅延に行き合った沙智は、いつもより人が多くさらにじめじめしたホームでおもむろに携帯に目をやった。特に着信はない。




 隣に立つ後輩はじれったそうに時計を見ている。




「間に合わないかもしれないですね。下重くんに連絡しておきます」




 いつになく気合の入った格好の後輩を横目に沙智は「お願い」と小さくため息まじりにつぶやく。




 携帯に何かを打ち込んでいる彼女から目を離しなんとなしに周囲を見回す。




 携帯に夢中な若者、ただぼおっと中空を眺める老人、明らかにイライラした面持ちで携帯と時計と電光掲示板を見比べる中年。年代、性別を超えて様々な人がホームには集まっている。




 一人なのか複数なのか、誰かと落ち合うのか別れるのか。向かう先も様々。でもこれから電車に乗るという目的だけは共通している集団。




 なんか不思議。




 脈絡なくそんなことを考えていると、隣の後輩が明るい声を出した。




「沙智さん、今日はシンプルコーデなんですね。それも素敵ですけど今日はもう少し可愛い系でも良かったんじゃないですか?」




 唐突なその発言に薄く笑って返す。




「引っ越しの時に服をたくさん捨てちゃったの。だから今あんまり服持ってないのよ」




 それに今日お洒落したところで男性陣のお目当ては沙智ではない。




「でも沙智さんてシンプルな服をクールに着こなしちゃうからいいなー。私だと同じ服着てもなんか野暮ったくて手抜きっぽく見えちゃうんですよね」




 心底羨ましそうに唇を突き出した彼女を沙智は驚いて凝視した。沙智はむしろ彼女のような可愛い服装のできる女性に引け目を感じていたのに。




 人間て本当に、ないものねだりなのね。




 悟りの境地で考えていると、低く警笛を響かせ電車がホームに入ってきた。そのまま人の波に乗って前に進むと、いつもよりぎゅうぎゅうの電車の中に押し込まれる。




「あー、死ぬかと思いました」




 目的の駅で電車から吐き出され、ホームで後輩がめずらしく低い唸り声をあげるた。




 そんな声も出るのね。




 それを聞いて可笑しくて笑っていると背後から「石田さん」の声。




「賢木さん」




 後輩が沙智の背後を見て口にした名前に、沙智はぎくりと一瞬だけ身をこわばらせた。




「お疲れ様です」




 さらに背後から違う声が聞こえ、今度こそ振り返る。と、そこには彼の後輩の姿。




「どうも」




 さわやかな笑顔を浮かべる彼らに沙智が会釈すると、沙智の後輩がずい、と前へ出た。




「全員集合しちゃいましたね」




 駅のホームで四人、丸くなって笑い合う。




「とりあえず店に向かいましょう」




 明るくそう言った相手側の後輩が先頭を切って歩き出す。その横に自然と並んで歩き出した自分の後輩を見て何だか申し訳ない気持ちがわいてきて、沙智は隣を歩く男性にちらりと視線をやった。




「この間は急だったのにお付き合いいただいてありがとうございました」




 その沙智の視線をばっちり絡めとった相手は、穏やかに笑っている。




「いえ、こちらこそ美味しいお店に連れて行ってもらってありがとうございました」




 慌てて頭を下げると彼が「いえいえ」とまた穏やかに返してくる。




「そうだ。あのお店を気に入っていただけたなら、もう一つぜひお連れしたいお店があるんです。きっと気に入っていただけると思います」




 ん?




 彼の言葉に一瞬動きを止め、その意図を探ろうと彼の顔をおずおずと見上げる。




「もし石田さんが嫌じゃなければ、ですけど……」




 沙智の戸惑いを感じ取ったのか、彼が瞳を揺らしてそう付け足した。




「いえ、ぜひ」




 なに? これは本格的な飲み友達突入コース?




 それとも口説かれてるの? いや、まさか。




 心の中でぶんぶんと首を振って打ち消していると、前を歩く後輩が「ここでーす」と無邪気に振り返った。

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