開けて悲しいびっくり箱
古くからの常連がたくさんいそうな渋い焼き鳥屋のランチメニューは沙智の予想とは裏腹にかなり洒落たものだった。
木皿の上に並べられているのは普通の定食として提供されるような和食のおかずばかりなのに、配置と色の妙で流行りのワンプレートランチとして成り立っている。
そういえば周りのお客にも若い女性は少なくないし、カウンターの向こうにいる高齢の男性をのぞけば従業員も大学生くらいの若者ばかりだ。
なるほど。夜になると常連の集まる町の居酒屋が昼間は若者向けのメニューを展開して客層を広げているわけだ。
ということはデートスポットとしてもありなのかな? やっぱりこれってデートでいいのかな?
「美味しい」
考えながら目の前のプレートから炭焼きの鶏肉を頬張り思わず漏れた一言。皮はぱりぱり、中はふっくら。こんなにジューシーな焼き鳥はなかなかお目にかかれない。
「ですよね? やっぱりうまいですよね? 良かった、口に合って」
沙智の一言で目を輝かせて笑う彼を見て、ごちゃごちゃと形式にこだわって考え込んでいた自分が馬鹿らしくなる。
彼はきっと単純に美味しいお店に沙智を連れてきたかっただけだ。そしてその美味しいという感覚を共有したかっただけだ。
「こんなに美味しいならやっぱり私も賢木さんと同じ焼き鳥丼にすれば良かった。注文のとき迷ったんですよね」
それなのにデートの形にこだわって思わず女性向けなワンプレートランチを頼んでしまった。
若干の後悔を抱きつつ横目で見た彼の手の中の丼には、これでもかというぐらいの焼き鳥にたっぷりのタレが乗せられ艶やかに光っている。
「いや、でも副菜もうまいですから」
フォローするように言った彼は「この煮物とか」と沙智のプレートの上を指さす。
言われるままに煮物を口に運ぶとよく味のしみた里芋がホロリと口の中で溶けた。
こんな美味しいお店なら少し足を延ばすことになっても仕事帰りに寄ってしまいそうだ。
哲もこういうとこ好きかな? 連れてきたら喜ぶかも。
ふと考えたが、それはさすがに駄目だと思い直して隣の彼をちらりとみる。
お箸で丼を食べる彼の向こうで、彼と同世代ぐらいの男性が丼に口を付けて豪快に掻き込んでいるのが見える。
奥と手前の落差がすごくてシュールな絵面ね。
育ちがいいのか沙智に気を使っているのか彼の所作は上品だ。
「どうしますか? 酒、頼みますか?」
彼が空になった沙智のグラスを見て尋ねてきたのに、沙智は軽く笑って頷いた。
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ほろ酔い気分で店を出て海へ向かって歩き出す。
太陽は真上からは傾いているものの、一日の中で日差しが一番暑い時間帯。
夏の蒸す空気が火照った体にまとわり付くようで少し不快だ。頭は少しクラクラするが足元がふらつくほどでもない。歩いていればその内酔いも覚めるだろう。
「石田さん、すみませんでした。まさか大将にあんなに色々すすめられるとは思わなくて……」
沙智の隣を歩く彼が申し訳なさそうに肩を落とす。
「いえいえ。私も調子に乗っちゃいましたし。それにあんなに色々な種類をサンプリングできてむしろラッキーでした」
焼き鳥屋で彼の一押しを飲んでいると、カウンター向こうにいた店の大将が沙智の飲みっぷりを気に入ったのか別のオススメをおごってくれた。
大将のオススメは口当たりもスッキリしていて飲みやすい。素直に「美味しい」と告げると、それに気分を良くしたらしい大将が様々な種類の日本酒を出してきたのだ。
まさかの展開に慌てながらも大将の厚意を無下にもできず、少量ずつとはいえ次々に出される日本酒を二人でひたすら消費し、結局店のランチタイムが終わるギリギリまで居座っての酒盛りとなってしまった。
「それにしても石田さんってお酒強いんですね。こんなに飲める人ってなかなかいないですよ」
「ええ、ああ、はは、まあ……」
曖昧に笑いながら内心で冷や汗をかく。
違うんです。別に普段からこんなに飲むわけじゃないんです。今日は状況的に仕方なく飲んだだけなんです。強いのはただの体質です。遺伝子として受け継がれただけです。強いからって決して呑兵衛ではないんです。
心の中で必死に言い訳をしながら挙動不審に視線を動かす。
「賢木さんもお強いじゃないですか。全然顔色が変わらないんでびっくりしました」
話題をそらそうと彼に水を向けると彼は苦く笑った。
「就職したばかりの頃に接待なんかでだいぶ飲まされて強くなりました」
ああ、そういえば営業の人だったっけ。
全員とは言わないが営業職はお酒に強い人が多いイメージだ。
哲も強いほうだし……。
家で一緒に飲んだ時に見た同居人のリラックスした笑顔を思い浮かべ、それをかき消すように慌てて視線を足元に落とす。
デート中に他の男性のこと考えるとか失礼でしょ。
自らに言い聞かせていたところで、ふと沙智の視線が隣を歩く彼のスニーカーをとらえた。
「そのスニーカー素敵ですね」
待ち合わせ場所でも目を引いたスニーカー。何にでも合わせやすそうなカラーに一癖あるデザイン。
「ありがとうございます。大学生の時に初めてのバイト代で買ったスニーカーなんです。当時の俺としてはかなり高い買い物だったんで愛着があるんですよ」
だから今でも特別な時にしか履かないんです、と少し照れたように笑う彼。
その視線が自身の足元を見つめ、一瞬だけ切なく歪んだ気がして沙智は首をひねった。
「勝負靴ってやつですか?」
浮かんだ疑問を振り切るように悪戯っぽく尋ねると、彼は「あはは」と声を上げた。
「そんなとこですね。でもそう言っちゃうと大学生のころから成長がないなあ。もういい歳なのに」
あっけらかんと笑った彼の中に先ほどの切ない表情はもう見えない。気のせいかな、と思いながら沙智は彼につられたように笑った。
「そういえば石田さんに聞きたいことがあったんです」
視線を落としていた彼が勢いよく頭を上げたのにびっくりして少し背をそらす。すみません、と笑った彼が唇を湿らせて沙智を見た。
「この前の合コンに来てた南さんって石田さんの後輩なんですよね? どういう人ですか? 彼氏いるかとか知ってますか?」
思いがけず出た名前に目をぱちくりさせる。同時にいつも会社で隣の席を陣取る後輩の笑顔が目の奥を掠めた。
なんだ。なあんだ。そういうことか。
気分が急速にしぼんでいく。真っ青に晴れた空の色が一瞬にしてくすんだような気がする。
「南さん、ですか?」
白々しく聞き返して彼から視線をそらす。
そりゃ、そうよね。
さざ波のように広がった失望が心の内でだんだんと大波に変化していく。
若くて可愛い子がいればそっちの方がいいに決まっている。
「良い子ですよ。あんまり先輩らしいこともしてあげられない私によく懐いてくれて。最近は色々心配かけちゃったんですけど気も使ってくれて」
心の中の荒波とは裏腹に沙智の口は滑らかに穏やかに動く。
やっぱりこれはデートじゃなかったのね。
そう結論づけて沙智は彼を見た。
「とっても、良い子です」
泣きたいような気分のまま呟いて、彼の視線を捉えたまま沙智はゆるりとその口角を上げた。




