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饅頭呑み

 混んできた時分にバーを辞し、今では家と呼べるようになった哲のマンションへと向かう。


 もうすっかり慣れてしまったこの道筋に苦笑しながら電車を降りると、駅のキオスクの店員が閉店作業をしているのが目に留まった。


 お土産用のお饅頭の箱が重ねられブース内に運ばれていくのを見ながら、今日のお昼前に少しの間席を立っていた隣の後輩が部に戻ってくるなり走りよってきた光景を思い出す。


「沙智さん! 菅原さんが週末に彼女と旅行に行ったお土産を持ってきたそうですよ」


 息を弾ませながら勢いよく椅子を引いた彼女は、腰を下ろすと声を潜めて沙智の耳元に口を寄せた。


「へえ。彼女とうまくいってるのね」


 目を泳がせながらそう言った沙智に後輩が項垂れる。


「あんまりそういう話聞かなかったから、もしかしてもう別れてるのかもと思ってたのになー」


 残念そうにため息をつく彼女に苦笑し、一方で後ろめたい気持ちになりながら沙智は口を開いた。


「残念だったね」


 白々しい。


 自分で発した言葉に自分で悪態をつく。


「温泉旅行だったみたいですよ。H山。営業部の女の子たちも騒いでました」


 ふと部内を見回すと沙智が苦手とする派手な女子社員集団が見当たらない。


 彼女らもこの後輩と同じく今ごろ哲についての噂話に花を咲かせているのだろうか。


「結婚するんですかねー? もし大学時代からずっと付き合ってるならそんな話が出てきてもおかしくないですよね?」


「さあ、どうだろうね?」


 少なくとも温泉旅行へ行った『彼女』と結婚はないけどね。


 思いながら後輩の問いに肩をすくめてパソコン画面へと向き直る。


「躍起になって菅原さんのこと落とそうとしてる子結構多いみたいですけど、今回のことでちょっと数減りますかね?」


「さあ。それにしても相変わらずモテるんだね、菅原くん」


 興味ないふりをしながらも打ち込もうとしているデータが何一つ頭に入ってこない。


「誰が近づいても誰も相手にしてもらえないらしいですけど」


 それはまあ、そうよね。


 キーボードの上で指を泳がせながら次はどのキーを打てばいいんだっけと考える。


「菅原さんの彼女ってどんな人なんですかね? でも魅力的な人ってことは確実ですよね?」


「……菅原くんが誠実なんじゃない?」


 するりと自分の口から出た言葉にハッとして思わず後輩を振り返る。彼女はキョトンとした目で沙智を見つめた。


「沙智さんが菅原さんのことそんな風に言うの珍しいですね。いつもは全然興味なさそうなのに」


 にっこり笑った彼女に誤魔化すように「そう?」と返す。


「ほら、菅原くんって仕事の仕方が丁寧で他人に気づかいできる人だから、彼女にもそうなのかなって思っただけ」


 我ながら苦しい言い訳だ。しかし後輩は納得したようにうなずいた。


「確かに菅原さんならそうかもしれませんね。やっぱり素敵だなー」


 そう言って仕事を再開し始めた後輩をもう一度だけちらりと見て、沙智は居心地悪く椅子に腰掛け直した。


-----


 駅からマンションへ向かう途中で突然降り出した雨に慌てて小走りに道を進む。


 昨夜渡された合鍵を取り出してエントランスへ入るとほっと一息。上がった息を整えながらエレベーターへと進む。


 少し濡れてしまった顔や鞄をハンカチで拭いながら廊下を歩き、部屋の前にたどり着くと先ほどの鍵を取り出してドアを開ける。


 玄関に几帳面に揃えられた革靴に哲がすでに帰宅していることを悟り沙智はリビングへと直行した。


「ただいま」


 声をかけながらリビングのドアを開くと、ダイニングテーブルの前で立ったまま携帯を見つめていた哲がびくりと体を揺らして振り返る。


「あ……おかえり」


 どこか顔色の悪い彼が瞳を揺らしてつぶやいたのに首をかしげながらリビングへ体を滑り込ませる。


「どうかした? 体調でも悪い?」


 尋ねると、しかし彼は取り繕ったように笑って首を振った。


「いや、ちょっと仕事の連絡に集中してたから驚いただけ。それよりこれ。不在票来てた」


 ダイニングテーブルの上に置かれていた薄っぺらい紙を彼が沙智の方へ差し出す。受け取って覗き込むと、週末に元彼の家から送るように手配した荷物だ。


「え、もう来たんだ」


 週末にも集荷をやってくれるのは知っていたが、まさか配達までこんなに早いとは。


 そのまま再配達してもらう日時を考えていると彼が苦笑して声をかけてきた。


「雨降って来たんだね。早く着替えなよ。風邪ひく」


 言われて「そうね」とリビングを出る。と、ドアを閉める間際に哲が暗い表情で手にした携帯を見下ろすのがちらりと見えた。


 その彼の表情に見覚えがある気がして、ばたんと閉じたドアの前で動きを止める。


 あ、あの時。旅館で食事をしていた時。


 彼の携帯に着信があった時、彼はあんな顔をしてフリーズしていた。


 もう一度リビングのドアを振り返り、しかし沙智はそのドアを開けることなく自分の部屋へと足を向けた。


 仕事で何か難しいことでもあったのかな。


 あの時も仕事だと言っていた。


 どっちにしろ、私には関係ないか。


 そして一つ嘆息すると沙智は自分の部屋の戸を勢いよく開けた。

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