峠の怪 地を這うUFOと空飛ぶぬりかべ
実はぬりかべを見たことがある。
夜中に山道を運転しているといきなり眼の前に白い壁が現れた。
反射的にブレーキを踏み抜くが、間に合う距離ではない。
激突を覚悟した。
かなりスピードを出していたから生きるか死ぬかの瞬間だったが、何故か事故後の警察や保険屋といった後処理が脳裏に浮かんでうんざりした。
しかし、白い壁にぶつかることはなく派手な音をたてて止まった車のなかで呆然する俺だけが残った。
実は幽霊を見たこともある。
同じく夜中に運転中に橋の上でど真ん中に佇む白い帽子と白いコートの女がいた。
おお、これが橋姫という奴かとアクセルを踏み込んだ。
もちろんなにかを轢いたりぶつかったりすることもなく、車はそのまま走り抜けた。
以上、ハイウェイヒュプノシスによる幻覚である。
特に橋姫の時はおお、脳から視覚へと情報が逆流して幻覚を見ている自覚があった。
だから面白半分でアクセルを踏み込んだのだが。
ぬりかべの方は幻覚を見ている自覚はなかったが、アップダウンの激しい山道でハイウェイヒュプノシスに陥るとどうなるか?
もう脳みそがわやになっているので、朦朧として遠近がつかめない。そんな状態で運転するなよって話だが、本人は朦朧として運転をやめるということすら思い浮かばない。
そんな状態で登坂に差し掛かるとどうなるか?
遠近もあやふやなので、自分の車のライトに照らされた登坂がいきなり白い壁が現れたように見える。
登坂だったから、案外すぐ止まれたんやねえ。
他にもいきなり崩れかけたトンネルの中を走ってる幻覚見てびっくりしたりだとか、運転してる間の10分くらい記憶がなくなんで俺いきなりここ走ってるのとなったり。
よく事故らなかったものだ。
おそらくいま幻覚を見てるぞ、と自覚できるような絶妙な脳の壊れ方によるもんだと思う。
全て同じ国道での出来事だから、運転中に催眠状態を誘発するような何事かが道にあるのだろう。
ドライバーが峠で経験する怪のほとんどがこれだろう。
ハイウェイヒュプノシスによって誘発される幻覚。
ドライバーのコンディション次第ではそれが起こらないとされている道でも容赦なく発生する。
俺が幻覚を見たのは仕事のおかげで慢性的な睡眠不足の時期だった。
それが解消されてからは幻覚を見たことはない。
逆に言えば、人は体調次第で簡単に幻覚を見る。
コンディション不良にハイウェイヒュプノシスが重なれば特に。
おまけに日本の道路のセンターライン。あれは時速70キロで走ると催眠誘導の点滅と同じになるのだとか。
70キロか。
山道でも夜中で対向車いなかったから、そのくらいは出していたな。
と同時にトンネルやら峠にまつわる心霊スポットに突撃してレポートするなんてのをネットでよく見るが、なにかを見た例がない、空振りばっかってのも深く納得する。
心霊スポットになっているからには催眠状態を励起する心理学的ななにかがあるのだろうが、写真を撮影するために車から降りて歩いていったのではスピードが足りない。
それではハイウェイヒュプノシスにはならない。
なにか変なものが見えたりはしないだろう。
UFOもこれと同じ原理だ。
ハイウェイヒュプノシスで見る幻覚。
それに変わりはない。
しかし、なぜ原理は同じなのに、片方は幽霊やぬりかべになり、もう片方はUFOなのだろう?
道が違う。
ハリウッド映画で見るようなカードレールもなく延々と舗装された道路がひたすらまっすぐ延びている、そんな道が日本にはない。
アップダウンが連続してカーブ連続するそんな道だとハイウェイヒュプノシスで脳みそがわやになっていても注意が道にいく。
空にはいかない。
空に注意が向くためには延々と続くまっすぐな道が必要なのだ。
そんな道はアメリカぐらいしかない。
そのせいでUFOと言えばアメリカなんてことになっているのだと思う。
それと生還率だな。
アメリカのガードレールもないまっすぐな道だと対向車がなければハイウェイヒュプノシスで運転がわやになっても道路からそれるだけで済む可能性が高い。
対して日本ではかなりの確率で事故を起こして死亡に至ることも多いだろう。
だって遠近も把握できないし運転してる記憶すらないんだぜ。
結果、催眠が励起される場所で死亡事故が多発することにもなるから心霊スポット化に拍車がかかるのだろう。
俺のように幻覚見るような状態に何度も陥って、全部無事というのがおかしい。
そしておそらくだが、峠での怪異にはアップダウンによる微妙な気圧とGの変化も関係している。
地べたを走っていることを抜きに移動速度と移動位置だけ見ると、それは鳥類のみが可能な動きをしている。時速100キロで数十メートル駆け上がり、すぐに急降下したかと思うと横Gを感じながらカーブを曲がる。
人類が自動車を得るまではまさに鳥のみが可能とする動きだ。
車で峠を走る時、脳は飛翔している。
脳は人類には不可能な動きにさらされている。
故に脳のなかに基準がなくなり、色々なものが緩む。
その緩みに変なものがわく。
思えば峠の走り屋を駆り立てるのは、飛翔のへの憧れなのかも知れない。
いまがどれだけスピードを出そうとも、地べたをタイヤで走るしかないが永遠に近い繰り返しの果てにいつか本当に飛べる日が来るかも知れない。
その時にはUFOが地を這い、ぬりかべが空を飛ぶのだろう。