第三話「ルール」
リョウマは一旦外に出た。どうせ持ち物もほぼ無いし、家具も無いのだから部屋にいても仕方が無い。
空を見上げると太陽が南中に達するにはまだ時間が掛かりそうな頃合だった。
(元の世界と太陽は同じ感じだな・・・宇宙や惑星が普通にある世界ということか・・・)
マイアに西区の見分け方を教えてもらっておいた。知れば簡単で、所々にある灯火用の台に区名が書かれている。西区という文字も教えてもらっていたので早速確認してみると確かに書かれている。つまりここは西区で間違いがない。役所と自宅の距離が何となく分かったので、ジョージにもらった地図で西区のおおよその広さを把握してみる。
(そんなに広くないな。せっかくだからさっそく配達ルートの確認をしてみるか。あ、その前にペンを買おう)
メモが出来ないと文字を読めない身としてはさすがに厳しいので、リョウマは商店の並んでいた中央の方へ向かってみることにした。
「おい!リョウマじゃねえか!」
リョウマの背後から聞いたことのある声がした。
「ああ、バーデラさん」
昨日の大男が笑顔で手を振りながら近づいてきていた。
「生きてたか!で、どこに住むことになったんだ?」
「あ、西区です」
「へ!?」
凄く驚いた表情でバーデラが硬直した。
「バーデラさん、大丈夫ですか?」
「あ、ああ・・・大丈夫だ。ほんとに西区なのか?」
「はい、今そこの自宅から外出してきたところです」
「ほう、お前運がいいな。そしてちょっと悪い」
神妙な面持ちでバーデラはそう言った。
「ん?どういうことですか?」
「税率の話しただろ?西区は平均的で悪くない。安くも無いがな。」
「それが良くて悪いってことですか?」
「いや、良いところだ。悪いところってのは来年は税率が上がるかもしれないってことだ」
「へえ」
「まだ稼ぎ始めてないから分からないだろうが税率で収入は大きく変わる。下手したら来年は半分になる」
「え!?そんなに!?」
「本当のことだ。そして西区は前回頑張ったおかげで今年までの税率は悪くないが、来年は上がってしまう公算が高い」
「どうしてですか?」
「こないだも言ったがシャラガという競技の結果によって税率は区単位で大きく変わる。来年その一番大きな競技大会があるんだが、西区は苦戦しそうなんだよ」
バーデラが溜息混じりにそう言った。
「そういうことだったんですか・・・」
競技自体は分からないが、生活に多大な影響を与えるという意味でバーデラが気にしているのはよく分かった。
「でもなぜ来年は苦戦と予想してるんですか?」
そう聞くとバーデラはさらに神妙な面持ちになった。
「3人の団体戦なんだが、有力な選手が1人、西区を転出してしまったんだ」
「なるほど・・・」
単純な戦力ダウンということか。
「お前今時間あるか?」
バーデラが唐突に聞いてきた。
「え?あ、ああ、まあ・・・」
新聞配達試験のプレッシャーがあったが、彼は恩人でもあるので断れなかった。
「気の抜けた返事だな、別に嫌なら無理しなくていいんだぞ」
「あ、いえ、大丈夫です」
「そうか、じゃあついてきな」
移動中にバーデラから聞いた話では、彼も西区の人間で、同地においてウェストコースターというシャラガ場兼酒場の席主をやっているとのこと。優秀なシャラガプレーヤーを育てるのが彼の重大な役目らしいが、抜けた有力選手の穴埋めを出来るほどの者はまだ育っていないらしい。だから来年税率が上がってしまう可能性が高いことにすでに責任を感じ始めているようだ。
「ここだ」
そこはいわゆるアメリカンな雰囲気のバーのようであった。中に入ると木の香りがした。普通に酒を飲むには良さそうな雰囲気だ。
(だが俺は酒を飲んだことがない)
未成年ということもあるし、将棋一筋だった為、脳に悪影響がありそうな物は徹底的に避けていく方針だった。でも今はそれも過去のこと。やり切れない寂しさを感じながら勝手にカウンターに座った。自然とバーデラもカウンターの中に入ってさながら酒場だ。まあ酒場だが。
「シャラガは競技であるが、ゲームだ。頭を使うゲーム。非常に難しい。1対1の対人戦で信じられるのは己のみ。厳しいゲームだ」
将棋もそうなんだよな。あれは本当に苦しい。誰のせいにも出来ない。
「そういうのでしたら似たようなゲームを知っていますよ。あれはとても苦しいゲームでした」
「そうか、まあちょっとでも気持ちが分かってもらえるなら嬉しいよ。どうだ、ルールを知りたくないか?」
急に大男が目を大きく見開いて声を弾ませた。
「え?ええ、じゃあお願いします」
(本当は今更新しいゲームなんて覚える気にはならないんだよな・・・)
昨日の敗戦を思い浮かべながらバーデラの説明に耳を傾けた。
「まずこれが競技セットだ」
取り出されたのは将棋盤より一回り大きい木製の板とやはり大き目の箱。バーデラは続ける。
「見ての通り、9掛ける9のマス目がある。そしてこの箱にある40個の駒を盤に並べてお互いの王を追い詰めるゲームだ。自分と相手が交互にやっていって先に相手を追い詰めた方が勝ち」
「は!!!?」
リョウマが勢いよく立ち上がった為、座っていた椅子が後方に飛んで倒れた。
「お、おい!どうした?大丈夫かよ」
リョウマはそう言われて我に返った。思わず興奮してしまった。将棋と同じに思ってしまったから。
「あ、ああ、すみません・・・。ちょっと変なこと思い出してしまって・・・。申し訳ないです、説明続けて下さい」
「大丈夫かよ・・・。で、この40個の駒は8種ある。実際にはプロモートするからもう少しあるのだが、基本は8種だ」
ここまで将棋と同一である。リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
(このゲーム覚えられそう・・・)
「まず、こいつが一番弱い駒だが、一番たくさんある。全部で18個。前に1マスしか進めない。戻ってくることも横に行くことも出来ない」
(つまり歩か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「で、次にこいつは前ならいくらでも進める。ただし、他の駒を飛び越えることは出来ない」
(つまり香か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「そしてこいつは特殊な動きをする。左右1マス+前方2マスの地点に飛ぶ。こいつだけは他の駒を飛び越えられる」
(つまり桂か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「ここから急に駒は強くなる。こいつは前、斜め前、斜め後ろ、の合計5マスが稼動域だ。1マスずつな」
(つまり銀か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「んでこいつは前、斜め前、横、真後ろの合計6マスが稼動域だ。1マスずつな」
(つまり金か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「そしてそしてここからが凄い。こいつは十字の方向であれば何マスでもいける。ただし他の駒は飛び越えられない」
(つまり飛か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「んでこいつが斜め方向なら何マスでもいける。ただし他の駒は飛び越えられない」
(つまり角か・・・)
リョウマは落ち着きを保つように息をしながら頷いた。
「最後のこいつが王だ。8方向全てが稼動域だ。1マスずつな」
(つまり玉か・・・あれ?まんま将棋じゃね?)
リョウマは自分の考えがちょっと信じられない気分になった。さすがに落ち着いて頷くことは出来なかった。
「そしてお互い交互にどれかの駒を動かす、あるいは持ち駒を打つことによって進めていく。それを手といって自分で1手、相手で1手と数える。ここまで分かったか?」
「え?ええ、大丈夫です」
リョウマは声を少し弾ませてしまった。
「そうか、じゃあ続けるぞ。相手の駒と同じマス目に重なると相手の駒を取れる。そして取った方の持ち駒になるという寸法だ。さらに、自陣と敵陣という概念がある。向こう3列が敵陣だ。敵陣に入る、あるいは出ることによってこいつ(金)とこいつ(玉)以外の駒はプロモート出来る。駒の上部を見てみろ、外れるようになってるだろ?外すとプロモートしましたという意味だ」
確かに駒の上が外れるものがある。
(つまり成りか・・・)
「プロモートすると動きが変わるものや追加されるものがある」
それぞれの成り駒の動きの説明を受けたがどれも知っていた。
(つまり成金、竜、馬か・・・)
「もう一つ重要なことがある。相手の王を追い詰める際に一番弱い駒を打って追い詰め上げてはいけない。ただし、動かして追い詰めるのは認められる」
(つまり打ち歩詰めか・・・)
「そして初形はこう並べる」
バーデラはほいほいっと駒を並べた。
(つまり将棋か・・・)
リョウマはゲームのルールを理解し、また椅子を弾き飛ばした。
「は!!!?」
リョウマが勢いよく立ち上がった為、彼の座っていた椅子が再び後方に弾き飛んで倒れた。
「お、おい!どうした?大丈夫かよ?さっきから何してんだよ?」
さすがにバーデラも戸惑いを隠せずにいた。その言葉で我に返ったリョウマは慌てて椅子を起こす。
「あ、あ、すみません・・・何度も・・・急に思い出したことがあって・・・」
「いや別に大した椅子じゃねえからいいけどよ、発狂でもしたかと思って心配になるわ」
と言うとバーデラは急に身を乗り出してきた。
(近・・・)
「ルール、覚えたか?やってみねえか?一回でいいからよ!」
目を輝かせて聞いてきた。というよりは迫ってきた。
「え・・・」
リョウマとしてはシャラガをやってみることは嫌ではなかった。しかし、どうしても奨励会のことを思い出してしまって素直にハイとは言えなかった。
(本当に将棋とは限らないのに・・・)
まだ知らされていない細かいルールがあるのかもしれないし、バーデラが説明を間違えている可能性もあるし、自分が聞き間違えた可能性もある。リョウマはそう思ったが、本当はそんなことはどうでもよく、奨励会のことだけが引っ掛かっていた。昨日の記憶が鮮明に思い出され、胸が苦しくなった。
「1回でいいからよ?興味ゼロか?まあ異世界人がシャラガをやるってのはあまり聞かないしな、無理強いはせんよ」
バーデラはちょっとガッカリした雰囲気を出しながらそう言い、駒を片付けようとした。
「あ!別に嫌ではないですし、興味ゼロでもありません。税率にも関わるようですし、ちゃんとルール覚えたかの確認の意味でも一度お願いします。」
リョウマはバーデラのがっかりした雰囲気に申し訳なさを覚えたと同時に、本来大好きな将棋で誰かががっかりするのが嫌であった。それにバーデラはリョウマにとって恩人であるから、それに報いたいとも思った。
(まさか異世界に来てまで将棋みたいなものをやることになるなんて・・・何がどうなってんだか・・・まあでもこの世界の人達がどのくらい強いのかは興味あるな)
とは思うものの駒の形に全く慣れていない。将棋というよりもチェスみたいな駒である。あんなに動物ライクではなくより記号的ではあるものの、将棋の駒よりは確実にチェスの駒に近い。
「よし、俺はこのあたりでも順位は10位に入る強豪だ。ハンデをやろう」
「ハンデ?」
「そうだ。俺は少ない駒でプレイする。お前は初心者だから8個落ちでいいだろう」
と言いながらバーデラは自身の歩と王と金に該当する駒以外の彼の全ての駒を盤上から箱に戻した。
(つまり8枚落ちか・・・そういえばこれまでの将棋人生で8枚落ちの下手を持ったことはないな)
「じゃあ俺からだ。ほらよ」
と言いながらバーデラの玉が真上に上がった。
(将棋的に言えば5二玉か?ほんとに将棋と全く同じでいいんだろうか?何か聞き逃してないかな)
リョウマにはまさか将棋と完全一致と思えなかったので、ルールを覚えるためにもとりあえず8枚落ちの下手でやってみることにした。
「お?積極的だな。ほれほれ、こーしちゃうぞ?えっ、そんなのでいいのか?こうしたらどうすんだ?ちゃんと考えてっか?この手は考えてたか?」
バーデラが一方的に喋りながら指して来た。こちらもそれに合わせてテンポよく指していった。
「ほう?上手いじゃないか。でもこうされたらどうする?なるほどな、じゃあこれは?な、なるほどな・・・でもこれは・・・。・・・」
饒舌であったバーデラが黙ってしまった。あんなに動いていた口が一の字に固まったまま動かない。
「・・・俺の負けだ」
バーデラの口がようやく動き、投了の意を示した。
(嘘でしょ・・・まんま将棋・・・やっぱ夢だろこれ・・てか恐らく、平手でもバーデラさんより俺の方が強いんじゃないかな・・・)
「お前すげえよ!初心者で俺に8個落ちで勝った奴なんて始めてだぞ!!!」
さっきまで悲壮感漂っていたバーデラが驚愕、興奮している。リョウマもある意味驚いていると、ドアを思い切り叩く音が響き渡った。
「何だよいるのかよ!さっさと開けろよバーデラ!」
「やべえ!店開け忘れてたわ」
そういうとバーデラは大急ぎでドアを開けに向かった。
入ってきたのは・・・なんと8人。開店と同時にこんなに入るものなのか?昼間から酒場かよ、とリョウマが思っていると、威勢の良さそうなのが叫んだ。
「今朝!中央区の例の3人をうちの区がぶっ倒したんだ!そりゃもう最高の気分だったぜ!前回のみんなの雪辱を晴らしてやったわ!」
「おう!さっき聞いたぜ!俺に事前相談無しだったのは腹が立つけどよ、ぶっ倒したってのは最高の気分だぜ!」
とバーデラも威勢を示した。8人は椅子に座るや否や、その話題で盛り上がり始めた。
バーデラはそれを見届けると神妙な顔で戻ってきた。
「すまんな、騒がしくて。でもあいつらにとってはそれほどのことなんだ」
「あ、いえ、何か良いことあったんですね」
「・・・ああ、そうだ。最高のことさ」
「バーデラさんはあまり喜んでないみたいですけど?」
「ん?そんなことはねえよ・・・」
と、そこへ9人目が入ってきた。
「あんたたちもういるの!?仕事どうしたのよ!」
8人の男達に臆せず発するのはマイアであった。
「あ!お嬢!」
バーデラがすぐ反応してそう言った。
「あ!お嬢!じゃないわよ。あ、あんたリョウマじゃん。ここで何してんの?」
マイアがリョウマに気付いてこっちを見た(見下した)。
「え?バーデラさんに連れられて、シャラガを教えてもらっていました」
冷静に回答することに成功した。
「お嬢、こいつなかなか筋が良いぜ。初心者に8個落ちで負けたのは初めてだ」
「8個落ちなんて負けて当たり前じゃない?それより私今朝ケルボに勝ったのよ!凄いでしょ!?」
「あ、ああ、それは凄い!さすがお嬢!来年頼りにしてるぜ!」
そう言われたマイアは嬉しさを隠しもせず、
「当然よ!来年はもっと税率下げてやるんだから!あんたたち!今日の勝利をそこら中で言いふらしてよね!」
と言ってのけると、8人の男たちは威勢よく了解した。
しかし、リョウマはバーデラの表情を見て、勝利といっても実は喜べない何かがあると悟った。バーデラはリョウマを数秒見ると控えめにこう言った。
「バレてるか?俺は演技が下手だからな・・・まあお前も西区に来たってことは当事者だからな。嫌じゃなきゃ現状を詳しく話しておくぜ?」
リョウマがすぐに頷くと、バーデラはため息を一つ付いて語り出した。
矛盾等御座いましたらご指摘頂けますと幸甚です。