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第一話「転移」

 東京将棋会館。鬼の住む場所。プロ棋士約160名を擁する将棋集団の総本山。2階までは一般客の入場が可能になっており、将棋道場や売店、多目的ルームがあり、その上では天才同士による命の削り合いとも言うべき戦いが日夜行われている。そして、そのプロを目指す者「新進棋士奨励会」の奨励会員も多くがここで明日のプロになる権利を賭けて戦っている。幼い頃から天才、神童と称された子供達の潰し合いの結果、将棋の神様に認められたかのようにすんなりと上に登っていく者もいれば、敗れ去って普通の生活に消えて行く者もいる。そして奨励会員2級糸田シダリョウマも消えゆく一人である。


 奨励会というのは21歳までの誕生日に奨励会初段にならなければ年齢制限で奨励会を強制退会、初段に辿り着いても今度はプロとして認められる四段になるまでに再び年齢制限があり、しかも年間でたった4人しか四段になることを許されない狭き門。リョウマはすでに19歳だが、今期の成績は今日で5連敗・・・そしてついに諦めたのだ。彼はすでに実家の母と師匠にそれを伝えて礼と詫びをした。師匠からは暖かい言葉と力になれずという謝罪の言葉を頂いたが、それは余計に彼を精神的に苦しめた。「それ」とは、自分の意思で奨励会を退会すると決めたことである。彼は規定による強制退会ではなく、自ら退会する道を決断したのだ。もうチャンスも無いだろうし、このまま強制的に退会させられるよりは一刻も早く社会人になって今まで苦労をかけてきた両親を少しでも楽にさせてあげたいと思ったのだ。

(・・・いや、違う・・・俺は・・・負けたんだ・・・そして逃げたんだ!)

 年齢制限間近とはいえ彼にはまだ時間が残されていた。しかし、彼は自分より何歳も若い真の天才や神童達が自分を追い抜いてどんどん駆け上がって行くのを毎年見てきたから分かる。自分はここを勝ち抜けない、と。悲しいかな、そしてなんと厳しき世界か。糸田リョウマは10代にして己の限界を悟り、去るのである。


 5連敗を喫したリョウマは泊まっているビジネスホテルに戻った。彼は浴室に入り、シャワーの蛇口をひねると、ここまでの道中で抑え込んで来た感情 ― 悔しさ、敗北感、嫉妬、悲しさ、申し訳無さ ― が一気に押し寄せ、溢れ返り、声を上げて泣いた。すると自分の声にも関わらず、あまりにも大きく反響して彼は我慢出来なくなり、浴室を飛び出てびしょ濡れの全裸のまま今度は床にへたり込んで、しばらく泣き続けた。彼は体が冷えてきた頃、ようやく嗚咽が止まり、もう一度シャワーを浴び、その後は服を着て外に出て周囲をフラフラした。外はまだ夕暮れなのに彼には真夜中のように静まり返っていたような気がした。心身に余裕があれば暑さも引いて過ごし易くなったこの季節を楽しむ事も出来たのであろうが、彼は気温も湿気も感じていなかった。そしてふと気付くと将棋会館近くの神社にいた。

(まさかこんなとこに来るなんて・・・)

 彼は以前、ここで願掛けしている者達を心の中でちょっと馬鹿にしていたこともあった。だから負けが込んだ時にも願掛けだけはしないようにしてきた。諦めた今となっては、全く無意味な意地を張ってきたものだと思う。彼は神社の敷地に入って辺りを見回しながらそんなことを思っていると、急に走馬灯の様に彼のライバル達との思い出が蘇ってきた。厳しい戦い、その反動かのようなどうでもいい楽しい会話、彼らの対局姿、彼らの笑顔・・・。まだリョウマは彼らには自分が奨励会を去ることを伝えていなかった。そして、思い出さないように意識から消そうとしていた今日の連敗が思い返されてしまった。苦痛でしかないのに。

(あそこで1手自陣に手を入れておけばまだ勝機はあったはず)

 最後例え勝てていたとしてもリョウマはそれまで4連敗の身。最近の切れの無さではその1勝では何も変わらなかっただろうし、辞める身にとってはもはや遅すぎて無意味な振り返りである。しかし、将棋指しとしての自分の中で沸き起こる勝ちへの執着をリョウマは彼の疲れ切った理性では止めようが無かった。


「まだやれるはずだった・・・」

 神社の敷地内をウロウロするリョウマの口に思わず出た。すると奨励会退会を伝えた後悔が急に彼を襲った。ここしばらくずっと考えて出した結論だったのに。今さら胸が苦しくなってきた。

「俺はまだ終わってねえんだよぉおおおおおお!!!!!!!!!!」

 彼は胸の苦しさに抗うかのように、叫んだ。そしてまた涙が頬を伝っていた。脳裏には今日の将棋。なぜ攻め急いだのか自分を責めるしかなかった。目は開いているのに将棋盤しか見えなかった。そんな時間がどれほど過ぎただろうか。

(!!??何だ?)

 その時、急にグラっと来た。

「地震?か?」

 彼がそれまでいくら振り払おうとしても振り払えなかった目の前の将棋盤は消えており、我に返った。そして一瞬の静寂が訪れた。

(収まったか?)

 と彼が思った次の瞬間、周囲がゆっくりグニャリと曲がり出した。そして、それは空の一転を中心にして渦のように回りだした。

(何だ?何なんだ!?)

 彼は恐怖と焦りのせいか身が硬直して動けなかった。すると渦の中央から一筋の光が差し込んだかと思うと、その光は一気に強まって彼を照らした。

(なんだこれは!!まぶしい!)

 彼には目を瞑って手で光を遮ることしか出来なかった。


 一瞬だったのか長かったのか、リョウマは段々と自分を取り戻すと耳鳴りがしていることに気付いた。彼は乱れている自分の呼吸に気付き、それを整えるようにゆっくりと大きく呼吸をしながら、恐る恐る目を開いてみた。

(・・・)

 彼の眼前には開けた草原のようなものが広がっていた。その時、すでに耳鳴りが収まっていることに気付いたが、今度は頭がボーっとしていてうまく状況を認識出来ないことに気付いた。

(夢・・・?それとも無意識のうちに神社から離れてどこかに来てしまった?)

 彼は眼前に広がる草原を見つめながら、そんなことを思っていると、感覚器官が正常になってきたのだろうか、急に草の匂いを感じ始めた。

「は・・・?」

 彼は急に不安を覚え始めた。ボーっとしていた頭が段々とハッキリしてきたのは分かるのに、自分の身に起きていることは全然分からなかった。

(何だこりゃ夢か?)

 彼はそう思うと同時に今度は不安が消え、妙な高揚感を覚えた。

(そうだ夢だ!夢!!てことは今日ここまでの出来事も全部夢!!今日の連敗も夢!!実際にはまだ対局は行われていないんだ!!もしそうなら!!)

 さきほど感じた後悔に対する反動だろうか、急に明るい未来を思い描いていた。

(今日の対局はまだなんだ!!退会も伝えていないってことじゃないか!!・・・やり直せるんだ!!)

 そして気分の高揚が最高潮に達した時、背中の方から怒鳴られた気がした。


「おい!聞いてんのか!おい!どいてくれ!道の真ん中に立ってんじゃねえよ!」

 リョウマはその声に滅茶苦茶驚いた。心臓が口から発射される勢いで驚いた。

 彼が怒鳴り声の方を振り向くと、荷馬車が近づいて来ていた。

「あ・・・ば、馬・・・車・・・?」

 荷馬車がリョウマから約10m手前で停止し、彼は再び怒鳴られた。

「お前街道の真ん中で何突っ立ってんだよ!?通るのに邪魔なんだよ!俺がちょっと目を離してたら今頃お前の背中にはでっかいヒヅメのタトゥーが入ってた所だぞ!」

 その男は指で下を指しながらそう怒鳴った。リョウマは彼の指の先の方を見て、ようやく怒鳴られているこの状況を理解した。

(俺、道の真ん中に立ってるのか!?ていうかここどこ・・・)

 リョウマはなぜこんなとこにいるのか分からず戸惑いながらも、とりあえず荷馬車が通れそうなスペースを空けるようにして道の端まで移動した。

「あの!すみませんでした!ちょっとボーっとしていて!」

 彼は荷馬車の方に向かってそう声を張った。

「まあお前みたいなのはたまにいるからな!俺もまだ5人しか轢いたことねえよ!」

「え!?」

(馬車で人身事故を何度も起こしたってことか!?やべー奴じゃん!?)

 リョウマは咄嗟に馬の足や荷馬車の車輪を見た。

「冗談だよ!わははは!!」

 その男は豪快にそう笑うとリョウマの前まで馬車を進めて止めた。壮年と思しきその男の髪は金髪で短く刈り上げており、体格はガッチリ、服装は中世欧州の労働服のような感じである。荷馬車を引いている馬は一頭。栗毛の馬で、目の前に来ると想像よりも大きく見えた。

(外国人?)

「ところでお前どこ行くんだよ?」

 その男はリョウマの姿をジロジロ見ながらそう聞いた。

「え?えーと・・・そうだな・・起きようかな・・・」

(何だかおかしな夢だ。とりあえず早く起きて対局に臨もう・・・)

 リョウマはそう思いながらそう返答した。すると、その男は不思議そうな顔をしながら言った。

「はあ?何言ってんだよおめえ?起きてるじゃねえか。あれか?若者の現実離れか?世も末だな。で、どこ行くんだ?道の真ん中で何してんだ?」

 リョウマは早く起きたいと願うが、どうやって起きたらいいのか分からない。

(あのまま轢かれてた方がもしかして・・・起きれたのか?)

「ちょっと轢いてもらってもいいですか?」

 リョウマは真面目な顔でそう答えた。

「バカかよ!死にたがりかよ!物騒なこと言ってんじゃねえよ。どこかへ行くのか?何をしてるのか?って聞いてんだよ、めんどくせえ奴だな」

 その男は顔をしかめながらそう言った。

「どこって言われてもここがどこか分からないんだよ!」

 めんどくせえと言われてカチンと来てしまって声を張ってしまった。やべえと思ったが間に合わなかった。

「急に怒鳴ってなんだお前は?まあ死にたがりじゃ情緒不安定も当然か」

 その男がやれやれという表情でそういうのを見てリョウマは少し恥ずかしくなった。

「すいません・・・」

 まずは謝った。

「お前はここがどこか分からねえって本気で言ってんのか?」

 訝しげな表情で聞いてきた。

「はい・・・自分の夢の中だと思って・・・」

 それを聞いた途端男が手足をばたばたさせて笑い出した。

「わーっはっは!!自分の夢の中ってか!!こりゃお、おもしれえ!!こりゃケッサク!!はーっはっは!はははは!腹が痛い!!ダメだ笑いすぎて腹が痛い!!」

 男は大笑いしながら苦痛の表情を浮かべて腹を抱えた。

「失礼な!」

 とりあえず遺憾の意を示しておいた。

「ああこりゃ悪いな!久しぶりに笑わせてもらった。あんたあれだろ、異世界人だろ?こことは違う世界からさ、気付いたらここに来たんじゃねえのか?」

 その男は涙をぬぐいながらリョウマにそう聞いた。

「はあ?何それ?」

 リョウマはそう言いながらも何となく嫌な予感がした。

「お前みたいなのがさ、たまにいるんだよ。異世界から急にこの世界にすっ飛んでくる奴がさ。そういう奴は皆こう言う。『気付いたらここにいた』、とさ」

 リョウマはそれを聞くと、嫌な予感が寒気に変わっていった。

「・・・・・・。ここは何て所ですか?」

 彼は恐る恐るそう聞くと、その男は冷静な口調でこう答えた。

「テンドリアのジンヤ国領内の街道だ。すぐそこに首都がある」

 それを聞いたリョウマは体の力が急に抜けて草の上にどすんと尻を突いた。

「お前大丈夫か?やっぱ異世界人か?」

 リョウマの悪寒は今度は頭痛に変わっていった。

「・・・大丈夫。・・・ふぅ・・・夢じゃないなら、異世界人・・・だと思う・・・」

 リョウマは出来る限り落ち着きを取り戻そうと自分をコントロールしながらそう答え、今日の連敗はすでに起こっていたものなのかと気分が落ち込んだ。

(そうだよな・・・棋譜までちゃんと覚えてるんだから夢なわけないよな・・・ていうか変なとこに来てまで将棋のこと考えちゃうんだな・・・ていうか異世界・・・ほんとかよ・・・でもあまりにも神社の景色から変わり過ぎているし、草の匂いはするし、泣いたせいか目は痛いし・・・少なくとも夢って感じはしない・・・)

「・・・おい、しっかりしろ、おい!」

「え!?」

 どうやらリョウマの心ここにあらずだったらしい。

「俺はジンヤ国の街に戻る所だが、異世界人の手続きもそこで出来る。お前は運がいい、俺がそこまで連れてってやる」

 連れてってやると言われたリョウマは急に現実的な恐怖に襲われた。

「え!?ちょっと待って。異世界人ってどんな扱いされるの?」

(まさかバラされて研究対象になるとかは絶対にゴメンだ)

「住居に空きのある区域に住むことになる。空きがあるってことは不人気な地区、つまりシャラガは弱い地域ってことだがな。ああお前シャラガ分からねえわな。簡単に言うと特に何もされねえが、税金が高い区域に住まわされる可能性が高いってことだ」

 リョウマは男の回答を聞いても何だかよく分からず、殺されはしないのだろうか?酷いことされないか?という心配が消えない。

「こ、殺されるとか実験対象になるとかはないの・・・でしょうか?」

「わはは!何ビビってんだよ。んなことせんわ。異世界人てのはどいつもこいつも普通の人間ばかりで面白くもなんともねえ。大昔ならどうか知らんがもう誰も異世界人に特別な興味なんて持ってねえよ。異世界人の出現は単なる一現象としか見られてねえし、俺もお前に興味なんてねえよ」

 リョウマはそう聞いてちょっと安心を取り戻して大きなため息が出た。

「はあー・・・そうですか・・・良かった・・・。あ、ところでどこかに住まわされるってことは異世界人って何か生活保障とかあるんでしょうか?」

 男は呆れたような表情をして答えた。

「んなもんあるかよ。仕事探せ」

(元の世界でもここでも大した学歴も下地も無いまま社会に入っていかなきゃならないのか・・・)

 普通っぽい現実を突きつけられ、気分が落ち込む。

「教えて頂き、ありがとうございました。街まで甘えさせてもらってもいいでしょうか?」

 男はよし来たと言う雰囲気で気前よく返事をした。

「いいぞ、だが金はやらんぞ」

(この人を信用していいか分からないけど、とりあえずこんなとこにいても何も得られそうにないし、首都とやらに行ってみるしかないよな・・・)

 リョウマはそう自分を説得しながらその男の荷馬車に乗った。


 リョウマは街までの道中でその男との話の中から新たな情報を得た。男の名はボン・バーデラというらしい。普段はウェストコースターという場所で働いていて、今日は客人を送っていった帰りとか何とか。リョウマには世界なのか地域名なのかまだよく分からないが、テンドリアというところにあるジンヤという国の領内に今いるそう。そこは街を区で分けて管理していて、シャラガとかいう競技の成績、試験?か何かで税率が決まるらしく、税率が低い地域は人気なので転入希望者が多く、基本的に住居の空きは無いらしい。だから俺は不人気な区、つまり税率の高い区に入れられるだろうから全然稼げないだろうとのことだった。税率の低い区へ転入希望を出すことも出来るが、コネで決まる部分もあるらしく、何の知り合いもいない異世界人は恐らく人気の区への転入は出来ないだろうとのこと。簡単に言えばお先真っ暗らしい。リョウマはバーデラにそうはっきり言われた。

矛盾等御座いましたらご指摘頂けますと幸甚です。

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