第十一話「前進」
「シャラガをやるのはいいけど、ひたすら負かされ続けるのは心が折れるのよ。一回2個落ちでやってくれないかしら?」
「あ!じゃあ僕も8個落ちで!」
「じゃそれでいいですから。とりあえず2人とも一回勝っておきましょう!」
モナはランクがプラチナであり、賭けシャラガで緊張感溢れる真剣勝負もこなしてきた。その百戦錬磨の西区を代表する強豪であるから2枚落ちで負けるはずはない。そしてノールドもクレイとはいえ、伸び盛りである。8枚落ちは玉と金と歩だけであり、サンドバッグのようなものである。だからリョウマは自分が負けるだろうと思って気楽にそう言ったことを誰が責められようか?そして対局が始まって、30分ほどが経過した頃、ノールドは顔を真っ赤にしていた。もうハンデ分の有利などどこにもない。つまりノーハンデで戦っているようなもので、もはやノールドに勝ち目は無かった。そしてモナ。
「負けました・・・」
「ありがとうございました」
彼女が投了の意を示した。
「ここまで差があるなんて・・・これじゃプラチナもシルバーもブロンズも大差無いじゃない・・・騎士にも勝ち越していたのに2個落ちで負けるなんて・・・自分の弱さが情けない・・・」
モナはそう言うと、ひっくと体を揺らし、涙をぼろぼろこぼして泣き出した。そして間も無くノールドも投了の意を示した。
「・・・」
ノールドの目にも涙が浮かんでいた。リョウマは二人に対して先ほど気楽に言ってしまったことを思い出した。
(あんなこと言うんじゃなかったな・・・)
モナとノールドはテーブルに突っ伏して泣いていた。リョウマはそれを見て笑うようなことはしない。自分も過去に何度も負けて泣いて来たからだ。その辛さは痛いほどよく分かっていた。そして、敗者にかける言葉が存在しないことも知っていた。慰めは逆効果である。こういう時ほど淡々と感想戦を行うべきだとリョウマは思った。
「モナさんは左辺でのやり取りでかなり損をしています。攻めも手順にこちらの駒が逃げてしまっていますから、実質的に遅らされています。もう少し相手の狙いを消す手を考えてみてはどうでしょうか?ノールドは攻め駒が渋滞していてさすがに重過ぎるよ。駒損になるけど渋滞を作ってる原因になっている重い駒を捨てると攻め易くなるよ」
リョウマはそうアドバイスしつつ、該当局面を再現した。モナとノールドは真っ赤にした目に溜まっている涙を拭いながらその盤面を見た。
「・・・狙いを消したくてもあなたの指し手を全然読めないのよ・・・それに2個落ちであなたのような指し方を今までに見たことが無いわ」
「だとしたら慣れの部分が大きいと思います。ノールドもそうだけど、何度かやれば勝てるようになると思います」
リョウマはそう言って感想戦をすぐに切り上げると、次の対局のために駒を並べた。
「今は感想戦よりも慣れを重視しようと思います。ほら!顔を上げて!どんどん指しますよ!」
しかしこの日、モナとノールドは一度も勝てなかったのである。
翌日、すでに昼に差し掛かろうとしているのにも関わらず、ノールドは布団から出ようとしなかった。モナはモナでテーブルに頬杖を付き、外を眺めているだけであった。2人とも昨日の全敗によってモチベーションが底を尽きていた。
(このくらいで参られてもなあ・・・)
リョウマとしても今の手合いは早く負けたいと思っていた。ノールドには8枚落ち、モナには2枚落ち。この手合い割は少し駒を落とし過ぎだと彼は思っていた。
「ほら2人とも!2連勝目指して頑張って!」
リョウマは昨晩、2人が2連勝したらそれぞれ6枚落ち、大駒1枚落ちに移ると伝えていた。
「・・・テンドリアでは今日は1日中寝る日」
布団の中からノールドがそう言った。
「モナちゃん今日はシャラガやったらブスになっちゃう日」
(この人達は全くもう・・・)
「何わけの分からないこと言ってんだ!早くやるぞ!」
リョウマは立ち上がりながら2人にそう言ったが、明らかに暖簾に腕押しであった。
「寝ないと逮捕されるよ」
ノールドが嘘過ぎる嘘をついた。
「モナちゃんがブスになっちゃってもいいって言うの?酷い」
モナも口から出まかせを続けた。
「じゃあ2人とも今日はメシ抜きです!!」
リョウマはそう叫んで部屋の入り口まで行くと、振り返りながらどすんと座り、腕を組んであぐらをかいた。通さない、の意である。ノールドが布団から顔を出してリョウマを見て言った。
「ズルい大人!」
「ガキ!うるさい!さっさと起きろ!」
ノールドとリョウマがそう罵り合うと、モナも割り込んだ。
「ヒモのくせに!」
モナがリョウマの一番気にしていることをハッキリ言った。そしてそれを聞いたリョウマの首がポキっと折れてうなだれた。
「モナ、それだけは言ったらダメ・・・あの異世界人、今死んでもおかしくなかった・・・」
ノールドが仰々しくモナに突っ込んだ。
「もう2人とも出てって・・・」
リョウマは首が折れたままそう言うしかなかった。結局、2人がシャラガをやる意を示し、3局指した。結果はまたもや2人の全敗であった。
「もう無理ぃー!」
2人が同時に声を上げた。
(2人ともあと一歩なんだよ・・・)
2人は序盤中盤終盤どれも課題があったが、最も深刻だったのは終盤であった。寄せの技術があまりにも未熟であった。しかし、それは無理の無いことであった。騎士道精神が先にあったシャラガでは序中盤に重きが置かれていたことと、終盤力を鍛えられるような問題などがリョウマの世界ほど充実していなかったのである。リョウマはモナが持ち込んだ「追い詰めシャラガ」の本を見せてもらったが、詰将棋ほど洗練されておらず、持ち駒が余っても作意に沿っていなくてもとにかく詰ませば良いというもので、筋が身につくような問題はほとんど無かったのである。プラチナのモナでさえ「必至」や「ゼ」に相当する技術や概念についてほぼ知らなかった。
(問題を解かせてみるか・・・作るの面倒だな・・・)
「2人ともこれを見て下さい。追い詰めシャラガのようなものです。解けますか?」
リョウマは駒をささっと並べて2人に見せた。それは有名な古典詰将棋である。自分→相手→自分と指すだけの3手詰めであるが、初手で価値の高い駒を途中下車みたいな動きでいきなり捨てなければならない為、人間にとって盲点になりやすい問題である。リョウマは3手詰めであることやヒントなどはあえて言わずに出題した。モナとノールドはその盤面を食い入るように見つめ出した。
(お、乗ってきた。出題して正解だったな)
数分後。
「・・・これ問題あってんの?」
ノールドがそう言った。
「あってるよ」
「クレイの僕でも出来る奴なの?」
「出来るはずだよ」
そう言われたノールドは再び盤上に意識を向けた。すると今度はモナが言った。
「・・・これ問題あってる?」
「今あってるって言ったばかりでしょ!」
リョウマはモナがふざけてそう言ったのだと思ったが、実際は彼女が凄く真面目な顔で盤面を見ながらそう言ったことに気付いた。そしてさらに10分ほどが経過した。
「うー・・・無理ぃっ!
と言ったノールドは椅子から落ちるようにして床で大の字になった。
「諦めないで解きなさい!」
リョウマは子供教室を手伝った時にそこの経営者に言われたことを思い出してそう言った。
(子供だからこそ甘やかしてはいけないんだよな)
そしてリョウマがモナの方を見ると、彼女はピクリとも動かずに考え続けていた。
(凄い集中力だ・・・)
そしてトータル20分ほどが過ぎた頃。
「で、出来たわ!」
モナがいつもより大きな声でそう言った。リョウマはノールドが解くまで彼女に答えを言わせるのを控えようと思っていたが、ノールドはもはや集中力が途切れ途切れだったので、彼女に回答を披露してもらうことにした。
「じゃあモナさん、答えを披露して下さい。ノールドも聞いてて」
「分かった時に凄くびっくりしたんだけど、まずこれをこうやって捨てるのよ」
「えー!マジで!?
ノールドがその手を見て驚いた。
「そうすると、どちらで取ってもスキの出来たほうに持ち駒を打って終わりよ」
彼女はそう言うと確認をするかのようにリョウマを見た。
「正解です!」
「はぁー、疲れたわ。でも、これ凄い問題よ。たった3手なのに盲点で全然分からなかったわ」
「確かに3手ならクレイの僕でも解けてもおかしくないんだね・・・それにしても凄い手だ。実戦でこんなこと出来たら嬉しいだろうなぁ」
「ねえリョウマ、こういう問題ってもっとある?」
モナがリョウマにそう聞いた。
「ありますよ。今日からしばらくこういう感じで問題を解くようにしようと思っています。2人とも終盤の指し方に損が多いので」
「ほんと!?それは嬉しいわ」
「叩きのめされなくて済むの?やったー!」
今日まで連戦連敗ですっかり自信を失っていた2人はそれぞれの理由で喜んだ。その日からしばらくリョウマは問題を量産し、2人に解かせ続けた。詰将棋だけでなく、次の一手形式や寄せ方の問題なども出題した。「駒の損得よりも速度」のような考え方のヒントになるような言葉も交えて教えた。
「2人とも段々解く速度が早くなってきましたね」
「コツが掴めて来たわ。普通は思い付きにくいような所へ駒を捨てたりすることが多いのね。こういうのはテンドリアではほとんど見たことが無いわ」
「自力で解けると楽しいね!」
モナとノールドは問題を解くことは嫌がらなかった。ノールドの方は解けないと時々集中を切らすこともあったが、それでも自力で解けることが多くなって来ていた。
(それにしても、モナさんは詰将棋好きなんだな。どれだけ時間が掛かっても必ず解いてる。必至とかその他の終盤の問題もかなり見えるようになってきた。今まで詰みの手筋を知らなかったからこの集中力を活かせなかったんだろうな)
モナがあまりにも頑張って解く為、今ではノールドと盤を別にして出題されていた。リョウマはそれを利用して、ノールドには詰将棋と同じくらい寄せ方の問題を出すようにしていた。無駄な王手や非効率的な寄せが多かった為、「玉は包むように寄せろ」という将棋でよく言われることを理解させるように何度もやらせた。そのおかげで、ノールドの終盤力はかなり改善されて来ていた。
(そろそろ、対局もやらせてみるか)
「2人とも、久しぶりに対局やるよ」
「えー!」
2人は同時に嫌がった。しかし、そう言っているだけで本当に嫌がっているのではなかった。今日まで培ってきた終盤力を2人とも試したかったのである。リョウマもそれは感じていた。そして以前と同じく、ノールド8枚落ち、モナ2枚落ちで開始し、20分ほどが経過した。
(前と全然違うな。終盤を意識しているせいか、中盤の指し方も随分良くなってる)
実際、善戦しているのを2人自身も感じており、気迫があった。そしてさらに15分後。
「負けました。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました!勝ったぁあああああ!!!」
ノールド、ついに勝利。8枚落ち戦績、1勝8敗。そしてモナの方は最終盤であった。ノールドもそれが分かったのか、静かになって見守った。
(モナさん、落ち着いて。もうモナさんの勝ちなんだよ)
リョウマは祈るようにして彼女の次の指し手を待った。リョウマの玉に7手詰めが発生していた。中段玉風の少し難しいタイプの物だった。そして次の手を指すモナの手は震えていた。指された駒が乱れ、周囲の駒をいくつか弾いてしまった。そしてそれを見て、
「負けました。ありがとうございました」
と、リョウマが投了した。
「ありがとうございました」
モナはゆっくりと噛み締めるようにしてそう言い、深く頭を下げて礼をした。モナ、ついに勝利。2枚落ち戦績、1勝7敗。
矛盾等御座いましたらご指摘頂けますと幸甚です。