ストリートファイト・ステーション
ここは「黒旋風駅」。地方都市の片隅にある駅ながら、都心のビジネス街に通じているために、通勤時間帯には通勤客で混み合う。
かくいう俺も、最近転職したためにこの駅を使うことになってしまった。普通の通勤時間帯よりは早い時間に来たつもりだったが、すでに駅構内は人でごった返している。よく見かけるような、死んだ魚のような眼をした疲れた会社員の群れ……のはずだが、ここの人々はどこか違うような気がする。何かを期待するような、妙な光を眼に宿している。構内の片隅では、人々が立ち止まって話していた。
「田中は今日は勝つかな?」
「勝つだろ。俺は田中に賭けるぞ」
「俺は今日はやめとくな。大穴狙いでいく」
何の話だろうか?と思っていると、前のほうで怒鳴り声が聞こえた。
「何ぶつかって来てんだてめえ!どこに眼ぇつけてんだコラァ!!」
「あ?ふざけんな!てめえがぶつかって来たんだろうがオラァ!!」
「なんだ、やんのかコラァ!」
そちらを見ると、紺色スーツのサラリーマンと、灰色スーツのサラリーマンがにらみ合っているのが見えた。
「やってやるよコラァ!!」
灰色スーツが紺色スーツに殴りかかる。紺色スーツはそれを防ぎ殴り返す。灰色スーツもまた殴り返し、殴り合いになった。
「アッコラー!!」
「シャッコラー!!」
「ナマッコラー!!」
殴る殴る殴る!!
そこへ人々が集まってきた。止めに入るのかと思いきや、彼らは二人を囲んで人垣を作り、応援を始めた。
「行け、そこだ!右ストレートだ!」
「効いてるぞ、たたみかけろ!」
「ひるむな、打ち返せ!」
さらには、二人の名前らしきものをコールし始めた。
「い・と・う!! い・と・う!!」
「さ・と・う!! さ・と・う!!」
そのコールの中で二人は殴り合う。
「な、なんだこりゃ……」
俺は戸惑った。ちょうどそこへ、駅員らしき人物が通りかかったので、俺は言った。
「あ、あの……、そこでケンカが起こってるんですが……」
ところが駅員は、タバコをふかしながら(勤務中に吸っていいのか?)そちらをチラリと見ると、こともなげに言った。
「ああ、ケンカですか?いつものことじゃないですか」
「え?いつものことって……、止めなくていいんですか?」
駅員は煙を吐き出して言った。
「お客さん、ここを利用するのは初めてですか?この黒旋風駅は、通称『ストリートファイト・ステーション』。ケンカは日常茶飯事で、見過ごされているんですよ。我々としても、客同士のケンカには責任を負わない代わりに、干渉もしないことにしてるんです」
「そ、そんなムチャクチャな……」
「なに、心配いりませんよ。ちゃんとルールがありますから。あなたがケンカを買わない限り、一方的に試合が始まることはありません。あれは双方合意の上で戦ってるんですよ」
「は、はあ……」
さて二人を見ると、灰色スーツが紺色スーツの右ストレートにクロスカウンターを合わせ、相手がよろめいたところにタックルを決めてマウントポジションを取っていた。そして上になった状態から殴る殴る殴る!
このまま終わってしまうかと思いきや、紺色スーツが相手の攻撃をかわし、一瞬の隙を突いてエスケープ。転がって逆にマウントを取り返すと、上から殴る殴る!さらに流れるように横に移動して、腕ひしぎ十字固め!相手はたまらずタップ!
そこへ観客の一人が割って入って言った。
「ストップ!そこまでだ、勝負ありだ!」
「ッシャァーーー!」
立ち上がってガッツポーズする紺色スーツ。歓声を上げる観客たち。駅員が言った。
「ほう、今の返しはなかなかよかった。期待の新人ですね」
「はあ……」
「お、向こうでも始まったようですね」
そう言われてそちらを見ると、観客が歓声を上げる中、黒スーツのサラリーマンがカーキ色の作業服の男の周りをまわりながら、素早く左ジャブを繰り出していた。
作業服も応戦するが、黒スーツの素早いヒット&アウェイで当たらない。業を煮やした作業服がステップインからのストレートを繰り出したところへ、黒スーツのカウンターが決まる!作業服が前のめりに崩れ落ちたところを、黒スーツは素早く後ろにまわってうつぶせの相手のマウントを取ると、相手の側頭部に左右のフックを連打連打連打!即座に観客の一人が割って入って止めた。
「ストップだ!勝負ありだ!!」
「ウオォーーー!!」
両手を突き上げて雄叫びを上げる黒スーツ。
「ウオォーーー!!」
観客も歓声を上げる。駅員が言った。
「彼は今七連勝中でしてね。これでまた賭け率が上がりますよ。あの人がD社の田中さんです」
「え、D社って……。あの大手広告会社のD社ですか?」
「そう、そのD社です。しかしあの会社は労働環境がブラックなことでも有名でしてね、田中さんも昔は四日に一度ぐらいしか家に帰れなかったそうですよ。その頃は田中さんも死んだ魚のような眼をしていました。でも今は、入社したばかりの頃のように、眼に光が戻って来ました。多少いびつな形ではありますがね」
「はあ……」
「昔はね……」
と、駅員はタバコをふかしながら言った。
「この駅は自殺の名所だったんですよ。仕事と人生に疲れた人たちが線路に飛び込むんでね。
しかし、ここで試合が行われるようになってからはそうしたこともだいぶ減りました。私としても助かってるんですよ。線路の死体を片付けるよりは、ケンカを眺めたり、怪我人を運ぶほうがずっとマシですからね」
「はあ……、しかし、こんなことをしていて彼らは仕事に支障が出ないんでしょうか?」
「いや、ここで試合をするような人たちは、もうそんなこと気にしてないんですよ。むしろケンカをして骨の一つでも折れば、会社を休む口実ができる、いっそクビになったって構わない、そう思う人たちが試合をするんです。
そこまで吹っ切れない人たちは観客にまわりますが、最近はワープアとかでいろいろと失うものが無くて、吹っ切れる人たちが多いですからね。観客だった人の中からまた参加者が出てきたりして、人が途切れることがないんですよ」
「そ、そうなんですか……。でも、なんか悲しい話ですね……」
「まあ、悲しいと言えば悲しいですがね。でも彼らは、そんな悲しみに押しつぶされないために必死に戦ってるんですよ。ロッキーのテーマでも言ってるじゃないですか。『昔の夢を手放すな。ただそれを守るためだけにも、戦わなくてはならない……』ってね」