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その記憶喪失、最悪につき  作者: 沼田ゆう
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勘違い

 寝台に腰かけて窓からの景色を見ていたレイナに、文也は目を見開いた。

「文也か……なによ、その顔は」

「いえ……目、覚めてたんですね。よかった」

 ――てっきり、目を覚ますなり暴れるものかと思った。

 そんなことを口にすれば、次の瞬間に拳骨が飛んでくることは想像に難くない。文也は十二という未熟な齢ではあるものの、他人の顔色を伺える程度には聡明な子供だった。

「あいつは?」

「アカネさんが相手をしています」

「そう」

 レイナの顔に曇りはない。それがどういう心境を表しているのか、幼い文也では想像することも出来なかったが、少なくとも珍しいことなのだろうと晴れやかな少女の目を凝視していた。

 不意にその瞼が閉じられ、文也より少し大きい少女の身体はぽすりと寝台に倒れる。

「ねえ文也。最初に教えたこの世界のルールは覚えてる?」 

「……強さが正義、ですか?」

 忘れもしない記憶。レイナに拾われて最初に与えられた知識。

 それを、彼女の後ろに付いていながらたった数日で忘れられる事ではない。

「そう――この世界じゃただ強い奴が正しい。勝てば願いが叶えられるのはもちろん、使い方次第で人を殺しかねない力を与えながら、それを律する法もない」

 弱肉強食。――いくつか救いがあるとすれば、この世界に臨む者は等しく目的があり、また《先駆者》による統治と龍王による修正があって、安全地帯が存在することか。

 はたまた、敵意を向ける矛先は一つではないことか。

「だからあたしはそれに則った。あんたがいた世界がどんなとこか知らないけど、アカネのいた世界に近いってのは知ってる。少なくともここはあたしがいた世界よりマシよ。強いってだけで大抵のことが許されるんだもの」

 けれど――。

「あいつ、どこかおかしいわ。《先駆者》は変人ばっかだって聞くけど、そんなレベルじゃない」

 あそこは森の中であり、街中ではないのだ。被害を気にする必要はなく、それでなくとも歯向かう者を腕っぷしで黙らせるのは、この世界における万人の共通認識であるはず。

「《先駆者》を含む奴らが最初にこっちに来たのは三年前。なら少なくとも三年、この世界に浸かっておいて、あんな反応が出てくるなんて――異常ね」

 低く、おかしいのだとレイナは断ずる。

 文也は無意識に頷いていた。

(確かに、あの人――)

 武器に手を掛けているにも関わず、彼はこう言っていた。

 ――『なあ、お前。もしかして誰かと間違えてたりしないか?』 と。

 遠巻きに眺めているだけだったが、それは文也にも聞こえていて、何を言い出したのかと思った記憶がある。別の世界ではどうか知らないが、文也が教わった通りならまず人を間違える可能性などない。それが有名人なら尚更だ。 

「あいつももう少し考えるべきよね。いかにも『襲撃にあってました』って恰好で、目立つ剣ぶら下げて、知り合いにまで声掛けられてんのに……誰かと間違えてないかですって?」

一拍を置いてレイナもまた剣士の言葉を反芻したのか、爆発したように飛び起きる。

「あの状況でどうやったら間違えれんだってのよ! 剣の柄握りながら結局抜かなかったみたいだし? つまり片手で十分でした見てから回避余裕でしたって言いたいんでしょ、あいつ絶対あたしのこと舐めてるわぶっ殺してやる!!」

 レイナは怒りが再燃したのか、床が抜ける勢いで足を踏み鳴らす。

「レ、レイナさん落ち着いて、下の階に響きますってば――…………あれ?」

 慌てて宥めようとした文也は、喉下に引っ掛かりを覚えて、不思議そうに首を傾げた。

 年相応な仕草。しかし、少年の聡明さはレイナとしても認める部分である。身を焦がさんばかりの怒りをそのままに、ギロリと文也を見た。

「……なによ」

「あいや、……えっと、アカネさんとあの人って知り合いなんですよね」

「そりゃ同じ《先駆者》なんだから、アカネが一方的に友情を感じてたとしても、あいつのほうが全く知らないってことはないでしょうね。それが?」

「だとしたら、おかしくないですか?」

「今頃気づいたの? さっきから言ってるでしょ、あいつは頭がおかしいのよ」

「いや、そうじゃなく……」

「?」

 アカネは嘘を吐けるような性格ではない。大らかで寛容、正義感も強い。そういう認識が文也にはあった。

 だからその信用故に、あの場でアカネが口にしたことは全て事実だとする。

 だがそうなるとおかしな点が一つ。

「あの人、希望さんでしたっけ。明らかに警戒してませんでしたか?」

「……? そりゃ警戒くらいするでしょ。あんたあいつが何して追われてると思ってんの」

「一年前、龍王への挑戦で間接的な敗因となった、ですよね。具体的になにがどうとかは分からないですけど、大まかにはアカネさんからも聞きました。そこは疑ってませんけど、ならなんでアカネさんを警戒してたんでしょう」

「――……だから、いや……あれ?」

 そこで、文也の言わんとすることにレイナも気づく。

「アカネさんは確かに友人として接してたと思います。けど、あの人は? 数日前にこっちに来たばかりの僕や、数か月前にこっちに来たレイナさんを警戒するのは分かりますけど、アカネさんの人柄を知っているはずのあの人は、なんでアカネさんにも警戒をしたんだろうな、と」

「…………」

 そこまで言い募り文也は、深く思考を始めたレイナの目の前に指を一本立てる。

「全くの確証はありませんし、決定打に欠けますが……あの人、確かに言ってましたよね」

「……まさか」

 あの剣士は言っていた。

「誰かと間違えてたりしないか?――って。もしかすると僕たちは、異世界から迷い込んだばかりの、それこそ瓜二つの赤の他人と間違えてしまったのかも……」

 ごくりと唾を飲む音が聞こえた。

 それが文也のものか、はたまた人違いで右も左もわかならぬ迷い人を襲ってしまったかもしれないレイナのものかはわからなかったが、当の文也も口にして、いかに突飛なことなのかを理解している。

 無造作に伸ばされた黒い髪と中肉中背の体躯。

 刀身が黒い特徴的な剣と、ボロボロの身なり。

「あいつ、アカネから聞いた特徴とは一致してる――でも……」

 アカネの反応からも確信を持って喧嘩を売ったが、文也の話を聞いた今では、それも疑わしい。

 この世界に通じる異世界は人の数ほどあると言っても過言ではないのだ。

 文也は平和で文明の進んだ世界から来たが、レイナはその限りでなく争いの絶えない世界だったという。文也の世界では空想や妄想の類と言われていた龍や妖怪、魔物の類もいないわけではないらしい。

 ならば、名も知らぬ彼の剣士のいた場所はレイナのような、いやレイナの世界よりもいっそう過酷で血生臭く、剣を取らねばならないほどに暗黒とした世界だったのかもしれない。

 だからこそ、戦闘には慣れていた。数か月の研鑚を積み、『狂戦士』と呼ばれるまでに成ったレイナを片手であしらってしまえるほどには。

 けれどそれは、戦いを真に好み、望むことと同義ではない。

 ――と、すれば。

「……まずいわね」

「……まずいですね」

 結果的に殺めることはなかったとはいえ、何も知らない者に刃物を向け殺す気で襲ったのでは弁解の余地もない。法がなくとも罪悪感は存在するのだ。


 一つの勘違いが新たな誤解を呼ぶ。

 事実を知る由もない二人は、重い沈黙の中でアカネの無事を祈っていた。

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