英雄の功績
南の街の東側には、制服姿の少女の姿があった。
傍には異世界へと通じるゲートと、数多の獣“だった”残骸が転がっている。
「流石にちょっと……」
呟いて組まれた細い指。それを空へと向けて、少女はじわじわと全身を伸ばす。
それから、どこか呆れたように項垂れた。
「はぁ、……まったく、みなさん自由なんですから」
大方、東側の騒ぎを聞きつけて応援に向かったのだろうが、壁に囲まれた南の街で唯一の出入り口を留守にするとはどういう了見か。結果的に、押し寄せる大群を一人で相手取った少女は傷らしい傷こそないものの、疲れた様子である。
この場にいない者どもにその声は届かなかったが、
「ん、――」
上体を戻した少女の瞳に、それは届いた。
闇夜を貫く光。
ただし、――光というには些かその光量が暗い。至近距離ならばまだしも、黙っていれば見落とさないまでも、見間違いだと誤認してしまう程度には闇と同色である。
だが、首を傾げた少女はそれが確かに光であるという記憶があった。
「逢魔先輩?」
魔女が力を振るう一瞬に生まれる暗い光。
深い深い紫色のそれはまるで、バトル漫画の悪役かというほどに黒々としている。しかし発光という意味では確かに光と呼称であり、その実状を知るものからすれば見間違うことはない。
故に、少女の疑問は別にある。
「あの人が、魔法を……こんな時間に?」
呟いて間も無く、少女の立つ地より街を挟んで反対側からズシンっと地が鳴り響いた。
反対側にはなにかあったかと考え「開いたゲートがある」という結論に至ると、先刻に放たれたそれが音の正体ではないか? ――なんて、想像も出来てしまえば。
「ああ、なるほど」
ならばあの魔女のこと、つまりは――。
「安眠妨害で激おこ、ですね!」
少女はただ一人、夜の闇を意に介さぬ明るい声を上げた。
また街の外周、その南側で数人を引き連れて警備に当たっていた大柄な男は、
「……? 魔女か?」
呟く視線は宙。その瞳は瞬いた暗い光と、そこから飛び出た高速で動く何かを捉えていた。
目を細め、闇夜を滑るそれの細部を映そうとする。
シルエットは一本の棒切れ。それの先から中ほどに掛けて風に靡いているのは、布のような柔らかい材質だろうか。後方に当たる部分は下向きの鍵状になっているようにも見える。
素直に受け取れば、布を結び付けた歪な棒切れが空を飛んでいる。――だが、ふと思い立って、突拍子もないそれが内声として響く。
(――人?)
すぐに、そんな馬鹿なと首を振った。だが、一度そう見えてしまうとどうにもそれにしか見えないのは、信じたいものを信じるという人の性が故か。
「……っ」
間も無くして、広大な地を駆ける振動が、そして直感とも呼ぶべき予想が男を通り抜けると、冷汗を垂らし、大柄な体をぶるっと震わせた。
自分は、どこぞのフード頭のような鋭さは持っていなかったはずだが。
思い浮かんだ一本の筋は色濃く残り、視界を閉ざそうとも消える気配はない。それどころか、まるで否定されることを拒むように、頭の中で勝手な整理をつけていく。
魔女の放った光。
飛行する人型の物体。
それが見えなくなると同時に感じた鳴動。
「いや、……」
突飛な想像をうまく飲み込めない理由は、目にしたそれを信じられないから――ではない。
むしろ、まったくの逆だった。
お人好しな男には、何だって、どうしても信じられてしまうのだ。
今しがた目にしたあれが――。
「窮地を救うヒーロー……なんて柄じゃないよなあ、あいつは」
男の知る、人柄では幾分に不足しているか。
ならば、逆側ならどうだろう。
「ふ」
ふと思いついた思考が、いやにしっくりと来て。
男はただ一人、堪え切れずに噴き出した。
そして。
「うあぁ――ああああああああああああああああああああああああああッ!!」
闇夜に少年の、絶叫が木霊していた。
血に濡れた少女が、宙を舞っていた。
その場にいた誰もが、次の瞬間に起こりうる凄惨な光景を想像し硬直する中、舞台の主役に位置する巨大な獣だけが、太く伸びた足を前方へと伸ばし、いまにも叩きつけようと振り上げている。
そんな光景が、月下に広がっていた。
制裁――なんて言葉が浮かんでしまう光景だった。
身の程知らずにも、生存本能で生きる獣と同じ土俵に上がったが故の当然の帰結というか。いかに武装しようと昇華しようとも人と獣では土俵が違うのだ。理性や感情なんてものがあるが故に、越えられない壁があって、思いれのある仲間と共に挑む戦いだからこそ、それは際立つ。
守るべきもの、気に掛けるべきもの。それらには当然ながら、相応の重みがある。
“命”なんて不相応な重さに手を出した為の末路。
冷静に俯瞰してしまえば、まさしく救いようのない結末だ。
英雄的行動などと持て囃すにも至らない。投げ出した少女が救われる保証もない。
全幅の信頼――と、いってしまえば確かに聞こえはいいが、突き詰めてしまえば他人任せに他ならない。あらゆる希望を他人へと押し付ける究極の責任転嫁だ。
それに相手が応える義務など、微塵もないというのに。
(あ、終わった――)
ぽつりと。
影に覆われた少年が、あるいはその場の誰もがひっそりと一つの命を諦めた。
あれはもう、助からない。――相手が五トンのトラックであろうと科学兵器であろうと、巨大な生物であろうと。目の前で人が死ぬという点で言えば何一つ変わりはしない。
「――まったく」
故に、大概の取りうる行動は既知のものだった。
「それどころじゃないのが悔やまれるなあ、ええ? 身を挺して一人の命を救ったお前を助けようなんて愚かな奴は一人もいないみたいだぞ。随分と利口な仲間達じゃないか」
人死はお前で最後だ。
だから喜べ。――舞台の外、遠く離れたどこかで魔女が笑った。
「戦友には恵まれなかったようだが、しかし――運がいい」
とある世界には、こんな考え方がある。
悪行には悪果を、善行には善果があって然るべし。
すなわち、因果応報。――と。
「これがお前の功績だ、受け取れ英雄」
瞬間、世界は連鎖的に回転する。
誰よりも先んじて“それ”に気づいたのは巨大な獣。目の前で動きまわる少年を押し潰そうとした足が、無意識に制される形で一瞬、ピタリと止まる。
獣がその存在を知覚した瞬間、突如現れたのは――否、目にも止まらぬ速度で飛来してきたのは一つの影。
闇夜から飛び出した“それ”は、空を切り裂く速度をそのままに、獣の鼻先に直撃した。
『……ッ!!』
悲鳴は上がらなかった。
突然のことに何が起きたのか理解できない観衆の中、巨大な獣もまた理解が追い付かないままに意識を刈り取られると、無様に倒れていく。
後には、ズシン――という地面が波を打つほどの鳴動が残された。
「……え、っと……は?」
舞い上がった風に閉じた視界と、長い沈黙。
やがて声を漏らせたのは、死を覚悟したはずの全身鎧の少年。
いや、覚悟なんて大層なものはなく、ただどうしようもない現実を享受しただけだったのだろう。その証拠に安堵した膝は折れ、立ち上がることは出来ず尻もちをついてしまっていた。
兜の奥の瞳は、信じられないとばかりに見開かれている。
月が明るい。
そこに遮蔽物は存在しない。
未だ無数の戦士は自分の足で立ち、先ほどまであれだけ猛威を振るっていた巨大な獣だけが仰向けになって倒れている。経過はともかくとして、結果だけは誰の目にも明白だった。
「勝っ、た……?」
呆然とした呟きが宙に漏れる。
それが共通の認識であるところを理解した瞬間、一人が鋭く声を上げた。
「動ける者は外の連中の加勢に行けッ! 何人かはこっちに来い、怪我人を運ぶぞッ!」
黒い甲冑に身を包んだ、騎士のような恰好の女性だった。
長い髪に隠れた顔は良く見えないが、よく通る力強い声をしている。背丈は高く、がっちりとした鎧も相まって、手にしている大きな剣が相応のものに見える風貌である。
傍目に見てもざっくりとした指示は、瞬く間に空気を伝って響いた
「…………、」
しかし――一拍を置いて、突然のことに返事はない。
すると、ガキンッ――と、女剣士は苛立ったように手にした鉄製の剣を地に叩きつけた。
「理解したら行動ッ!!」
「「は、はいッ!」」
指示というには余りにも高圧的で、統率というには自由過ぎるものだったが。
それでも彼らはそれをきっかけとして立ち直り、散り散りに駆けていく。より外側に近いものは素早く加勢へと向かい、街に近いものは怪我人へと手を貸すなど、思い思いの行動を取った。
その善性に則った姿をぼんやりと眺めていた少年の視界に、横から手が伸ばされる。
「立てるか?」
何事かと首を回すと、先ほど無理矢理にまとめ上げた女剣士が腰を屈めていた。
「あ、はい。ありがとうございます」
言いつつ少年は手を取って立ち上がる。直前のショックで膝が笑っていたが、どうせ兜に隠れた顔は見えないのだと開き直り歯を食いしばって立つと、女剣士がまじまじと見ていた。
「……なにか?」
思わず身を引きかけた少年だったが、繋がったままの手がそれを許さず、逆に引き寄せられてしまう。
それから女剣士は、少年の肩を鎧越しに遠慮なく叩いた。
「顔立ちに似合わぬ胆力だ。誇れよ少年、お前は男として一つ成し遂げたのだ」
「え?」
忌憚のない声が示したのは、先ほどまで女剣士が立っていた位置。
「……あ」
そこには、少年が奮い立った理由が――ゴーグルをつけた少女が布の上に寝かされていた。
依然として血に塗れていたが、遠目に見てはっきりとわかるほどに胸が上下している。意識の有無こそ判断の付かないところではあるが、少なくとも無事に受け止められたようである。
きっと、この女剣士に。
「応急処置でもと思ったが、流石に腕が潰れていてはな。だが、心配することはない。なにせここは異世界だ、お前の後輩は明日も笑えることだろう。――ところで」
そこで、ぐっと繋いだままの手に力が入った。
むしろ、こっちが本題であるというように女剣士の瞳が鋭く伏した獣を映す。
「お前は、あれを倒した者の姿を見たか?」
「…………」
少年は先刻の光景を思い返して少し、
「いえ」
ただ一言。短く否定を告げた。
その時、兜に隠れた顔がどんな表情をしていたのかは定かではないが、真正面に立った女剣士は、それが鮮明に見えているかのように目をぱちくりとさせてから、ようやく手を放した。
「……そうか、ならいい。怪我がないようならばお前も手を貸せ」
背を向けた女剣士はそれきりに振り返らない。マントがないことが不自然なほどに枠に嵌まった騎士の姿を目で追いながら、
「……なんで、言わなかったんだろう」
全身鎧の少年は、不思議そうに首のあたりを抑える。
確かに、見たはずだった。
月の下に、獣を一撃で伸した黒い髪の青年。
目の前に降り立ち、フードを被るや否や、観衆を超えて駆けていったその後ろ姿を。
(あれ――)
そこまで考え至って、ふと目に留まったのは女剣士の鎧。
否、目に留まらなかったというべきか。
(あの人、団員じゃない?)
旅団は規模が大きい。少年とて一部から先輩扱いされてはいるが、まるで戦力になっていない事実を考えればその来歴は自明である。まだ会ったことのない団員も相当数いることだろう。
しかし、少年が女剣士の姿を注視して気づいたのは、そういうことではなく。
「……『無名』?」
身に着けたそれに薔薇の刻印がない。――すなわちそれは、旅団員ではないにも関わらずこの戦闘に参加し、些か暴力的ではあったがそれをまとめ上げ、今に至っても現場の指揮を取っているということに他ならない。
少年が口にしたのはそういった、力が持ってそれを腐らせる――あるいは、力が絶対正義のこの世界において、それ以外を求めたが故に埋もれている者たちの別称。
『無名』。
与えられた力を持ってして願いを叶えると息巻く『戦士』とも、自警団を謳う『旅団』とも、その他大小に関わらず己の目的の為に団結し集結する何者とも真っ向からぶつかり合う思想を持ち、弱者に紛れた危険因子。
それがどういった問題なのか、この世界に来てすぐに頑丈な鎧を纏った少年はまだ知らない。
『戦士』だけでなく『旅団』だけでなく、これだけ頼りになる人間がそこら中に潜んでいるのであれば、むしろ安心ではないかとすら思ってしまう。
それ故に、彼が女剣士に嘯いたのは決して警戒からではなく漠然とした予感があったからだ。
ここはすでに日常の延長線上にない。
大規模な闇討ちが起きた。
旅団を含む大勢がこの街にいる。
そして巨大な怪物が猛威を振るい、
二人の『無名』が姿を見せた。
何かが違う。
いや、もっと言えば
「何かが、起きようとしている――?」
別作品をちょくちょく書き始めて投稿が滞りぎみです……
こちらの作品が一部終了と同時に公開予定




