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その記憶喪失、最悪につき  作者: 沼田ゆう
21/23

戦場の賭け

 ――これは、もう無理だ。

 目が覚めた少女は月明かりが照らす空を、ゴーグル越しに見上げていた。

 草原に仰向けになって寝そべり、ぼんやりと空を映す。そんなことをしている場合ではないと分かりながら、今すぐ立ち上がり暴れる獣をどうにかしなければならないと思いながら、それでも身体に力は入らない。

 重力がより身近に感じる。

 その一方で、片方の肩から先にはそれがない。

 少女の腕が繋がっているであろう空間には、街と外を隔てて守っていた外壁だった瓦礫が鎮座していた。僅かに顔を傾ければ視線に入るそれが、身体の感覚を断ち切っていると気づくのにもそう時間は掛からず、だから復帰を諦める事だって同様で――。

「だから、優先すべきはこっちじゃなくてあっちっすよ」

 最後方から一転、最前線へ。

 余波によって即座に負傷した少女は力なく笑う。

 それに応えるように、片腕を押しつぶす瓦礫が僅かに動いた。

「生きていれば、こんな怪我だって治るんすから」

「……この戦況をどうにかする前に、死んでしまっては元も子もないでしょう。そもそも人間は、そこまで丈夫じゃあないと、僕は思いますよ……!」

「へへへ……先輩、さっきと言ってること違うでやんの……」

 息も絶え絶えの少年。その奮闘あって徐々に傾き、やがてズシンと音を鳴らして瓦礫が九十度向きを変える。

 その下から現れた真っ赤な地面と、腕だったものに、兜の奥の目がと歪んだ。

 だが、それでも。

「まだ、……まだ間に合います。――いや、僕が間に合わせます」

「……先輩がカッコいいんで水を差す気はないっすけど、この状況でっすか?」

 背負われた少女の言葉通り、戦況は芳しくない。

 巨大な獣――二足歩行に、百獣の王を彷彿とさせる頭部。“獣人”とも形容できそうな、しかし外壁を優に超す全長十メートルほどはありそうな獣は、依然として街の中にいる。既に外壁に近い何軒かは巨体の余波を受けて瓦礫と化しているが、それ以上の被害を出さない為、旅団の面々もあまり大っぴらな行動が出来ないでいる。今も十人ほどが入れ替わる形で消耗戦となっている状態である。

 また、ゲートから現れたのは巨大な獣だけではない。

 街の外にも十数匹が溢れかえってまだ、ゲートは攻撃性のみに特化した獣を吐き出し続けている。誰も彼も自分のことで手一杯という状況であることに間違いはない。

 少女の問いは、その上で戦力的に抜けてしまってもいいのかという意味合いではなく、出血多量の現状で間に合わせようと思えば、その戦場を抜けなければいけないという事実だ。

 南の街は広く、外周を壁で囲んでいる。流れ弾の危険を避けて街の中に入ろうと思えば、東に位置する門まで走り、それから街中にある医療施設まで進むことになる。実行事態は出来るものの、目的が少女の命にあることを考えれば賭け要素が強すぎる気がした。

 そこまで考えて鎧を纏う少年は気丈に笑った。

「……僕は運がいいことだけが取り柄ですから。まぁ、任せてください」 

 ローリスク、ローリターン。

 いや、賭けるのであれば逆だろう? ――と。

 眼前にあるじゃないか。わざわざ東まで周らなくとも街に入れる道が。

 巨大な獣の脇。

 爆撃も魔法も銃弾も光線も飛んでこない戦況を少女を担いで駆け抜ける。

 ただそれだけで助かる命がある。

「まったく――僕の命ひとつで乗れるだなんて、破格な賭けだ」 

 ぼそりと吐き捨てた全身鎧の少年は意を決して駆けだした。

 大前提として、気づかれないわけがなかった。

 それでなくとも獰猛な獣の前を血の匂いをさせて通り過ぎるのだ。少年の鎧は足元だって例外なく覆っており、地面を蹴る度にガシャガシャと音を鳴り、それもまた注意を引いてしまう。

「うらあぁッ!! こっち向け獣野郎ッ!」

 それでも止まることなく走り続けられたのは、一早く少年の目的に気づきそれ以上に獣の注意を引いた団員の健闘あってこそである。

 二メートル、三メートルと、獣と少年の距離が離れていく。

 これならば、きっと助けられる。

 無力な一人の少年がそう確信すると同時――月が隠れた。

(……違う? 何かが――)

 いや、月が雲に隠れたわけではない。少年の視界にある崩壊した街は月明りに照らされている。

 暗いのは、少年の周りだけだった。

(何かが、光を遮っている!?)

 なにか。――なんて暈した言い方は相応しくない。

 少年はここに来て、自分に降りかかった状況が理解できないほどに愚かではないのだから。

 ドクドクと脈打つ心臓に急かされるように。

 思い過ごしであればいいと心底願いながら、


 振り返った少年の視界を、巨大な獣の大きな足が覆いつくしていた。


 いやに、時間が長く感じる。

 その瞬間に少年がとった行動は英雄的だった。

「うあぁ――ああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 少年はなんら迷うことなく抱えていた少女の無事な方の腕を握ると。

 獣の奥を目掛け、背負った少女を力いっぱいに投げつけたのだ。

 ただ、このままだと助からない二つの命があった。

 だが、こうすることで助けられる命が一つある。

 放りだしたその先には、少年よりもよっぽど頼りになる団員がいる。彼らが宙に投げ出された仲間を見捨てるはずがない。――それはいわば積み重ねた時間の信頼だった。

 程なくして、振りぬいた姿勢の少年に僅かな力が加わる。

 掛値無しの暴力。

 振り下ろされた獣の爪が鎧越しに少年の身体を叩き潰す為だけに存在する。

 まるでそれは、処刑を待つ罪人とその首を落とす処刑具のようだった。

(あ、終わった――)

 少年が状況より早く、終わりを告げた数瞬。

 風を切る音がやけに大きく聞こえる。――なんて呑気な思考が過った後で。

 地を揺るがす鳴動があった。

  

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