スタートライン
苛立ちはなかった。
疑問だけがあった。
そして回答を得た。
だから、この場において。希望の口からそれ以上の感情が形を成すことはなかったし、臆面なく肯定した少女の態度を見ても、返って据わりがいいとすら感じてしまう。
希望の反応に逢魔遥奈は。
天性の裏切者は、肩を落としていた。
「私としては――だ、もう少し劇的な舞台を期待していたんだがな。いや私も聞かれたもんだから勢いで答えたさ。だがな、お前史上類を見ない大親友だぞ。あれこれと世話だって焼いてくれた美少女がまさかの黒幕……それが呆れ調子ってのはどういうわけだ、ああ?」
「はぁ……」
「それだよ、それ。こういうシーンでどうしてそう締まらない顔が出来るかね。 なんだかんだで長い付き合いだが、未だにお前の琴線がどこにあるのかマジでわからん」
「いや……結局そういう話なんじゃないか、と思ってな。じゃあこの話はおしまいにして、飯を再開しよう。せっかくの料理が冷める」
「……おい、本当にお前はそれでいいのか? お前の感覚とか価値観が駐輪場とかで長年放置されてる自転車より錆び切ってるのは百も承知だよ。だが、それでも怒れるってのはお前に残された唯一の人間性だろうがよ。そこまで捨てたら本当に何も残らないぞッ!」
「心底どうでもいい。なんだ? 取り合えず怒っとけば静かになるのか? ……自分から怒って欲しいとかほんと救えないな女になったお前は」
「否定はしないが違う! ああくそ、なんだこいつノリが悪すぎて付いてこねえッ!! とりあえず一旦フォーク置きやがれッ!!」
先ほどまでのシリアスな空気はどこへやら。
喚き散らす半裸の少女がバンバンとテーブルを叩き、しかし青年はそれでもお構いなしと食事を進める。
「大体、これ以上どう話が広がるんだ? 何処で気づいたんだーとか聞いて、それに俺が答えたら、今度は実はこういう目的が云云かんぬんって話始めるのか? いやいや、スープ冷めるから」
「おかしい。自分の置かれた状況に関わる深刻な話よりも、だし汁に卵やらワカメやら適当にぶち込んでそれっぽく味を調えたスープが大事だと聞こえるぞ……」
「事実その通りだ」
言って、程よくとろみの付いたスープを啜った希望は、はぁっと温かい息を漏らす。
美味しそうに食べてくれるのはいい。作り手冥利に尽きるというか、なんの感慨もなく機械的に、それこそ淡々と行われるよりはずっといい。
ただ、物事には優先順位というものがあるわけで。
「あのさあ、お前が失った記憶ってのは人間の本質なんだぞ。これが人格を構成していると言っていい。それを失った――いや、奪われたってのは即ち、その間における経験を失ったってことだ。世界ってのは大概個人に無関心だから流石にいなかったことにはならないが、私はお前の三年間を殺したといっても間違いではないわけで」
「大仰に話を盛るのはお前の悪い癖だぞ」
「……盛ってるわけじゃないんだがなー……ダメだ、この三年間で私も大概になったものだが、こいつと同じカテゴライズだとは到底思えん……何かしらが致命的にズレている」
「そりゃ大変だ」
希望はカッカッと固い音を鳴らして残りのパスタを流し込み、続けて空になった皿の代わりにグラスを傾けて一拍。
「で、結局なにが言いたい?」
「……お前には私をどうこうするぐらいの権利があるぞ――と、言いたかった」
「それは望んでか?」
「別に疑ってくれても構わんがな。所謂『ごめんなさい』のポーズだよ。口ばかりで悪いと思ってるとか、本当はやりたくなかっただとか言ったところで、お前はどうせ聞きやしないだろう」
「……まぁ」
「妥当なとこだと私も同じ目に合うのが筋だろうが、生憎と今の私は記憶を失う程度じゃ罰にもならん。だから、何でも一つだけ言うことを聞いてやるよ。勿論、私は女であるわけだから、この貧相な身体でよければ劣情をぶつけるのもありだ」
「なんでも、ねえ……」
どこまでが本気なのか見通せない遥奈を脇に、渋い顔をした希望はグラスを再び傾ける。
そうしてから、すでに中身が空になっていたことに気づくと同時、ずいっと視界に割り込んでくるようにして、酒瓶の口が向けられた。
「……、」
「よろしい」
暫しにらみ合い、結局グラスを差し出した希望に、満悦の遥奈。
器が再び酒で満たされたことで、横道に逸れかけていた話も軌道を修正する。
「あながち冗談というわけでもないから安心しろよ。なんなら迷惑料というか、その程度の話だと思ってくれればいい。もっとも、今すぐこの場で死ねというのは御免被るがな」
「ふうん。……なら、」
視線を彷徨わせ、
「俺が『星』とやらで優勝したいと言ったらどうする」
「東西南北、中央問わず。並みいる猛者どもに片っ端から闇討ちを仕掛けて一切合切を再起不能にする。単純な一対一で私をどうにか出来る輩なんて数えるほどだろうよ」
「いますぐ『東』に行きたいと言ったら」
「包囲網の突破から船賃のやりくり、まぁそれ以前に安全性なんて保障しなくていいというのであれば空を飛ぶなり海を行くなり、やりようはいくらでもあるがな」
「……劣情をぶつけると」
「二階の奥の部屋にご案内だ。ただしその場合は私が気絶するまで寝かさないと思え」
「ぶれないなお前は……」
言葉を遮る勢いに押されたように――否、逃げるように希望は背もたれをギィっと鳴らす。
それから天井を仰ぎ、この空間全域を眺めるようにして視界を移し、続けてもう一度食卓を映してから、いまや少女と化した悪友を見た。
更に一拍。――間を置いてからようやく、意を決したように口を開く。
「じゃあ俺が『元いた世界』に帰りたいと言ったら」
「すまん、そればっかりは出来ない相談だ」
返答はそれまでよりも迅速だった。
「……何でもと聞いた気がしたが、聞き間違いか?」
「どこぞの神の龍だって己の力を超える願いは叶えられないだろ。あれと一緒だよ、ものには限度がある。私は魔女であって神ではないからな。ギャルのパンツでよければくれてやるが?」
ギャルでなければ下着はパンツですらないくせに、よく言う。――冗談めかす遥奈に咎めるような視線を送ると、小柄な身体から伸びる小さな手が、まいったというように開かれた。
「東に行くくらいなら簡単だ。私とお前がいた地球の、日本という大陸に戻ることだって驚くくらい難易度は低い。もう一度この世界に呼ばれるとしても、戻るだけならな」
だが。――遥奈は続ける。
「お前のいう『元いた世界』とやらはあれだろ。私がまだ男であって、ロベリアの奴が後輩であって、お前がまだ日本に住む世間ずれした高校生だったという三年前のことだろう。今更そこに帰るだなんて、本物の神様にでも頼まないと無理だってわからないか?」
「…………」
意味するところは予想の範囲内。
だからだろう、希望に落胆と言うほどの気落ちは見受けられなかった。
「……てことは、なにか? 俺が真の意味で『元いた世界』に戻るには」
まず、世界単位で時間を三年分巻き戻し、こっちに来ている有象無象を元の世界に帰す。
その上で、またこの世界に呼ばれないようにするには。――そんな実現不可能とも思える夢のような一手を希望が思い浮かべた瞬間、遥奈が卑しい笑みを浮かべた。
「龍王を泣かす。――口で言うほどに簡単ではないが、まさしく一石二鳥じゃないか?」
結局。
そこに行き着くのか。
この世界の存在理由。龍王の破滅願望。――まさしく堂々巡りとも言える現状に投げ出したくなる思考を必死に手繰り寄せて、希望は眉間を抑えた。
「ちなみにその『龍王を倒す手伝い』なんてお願いも聞いてやれないことはないぞ。むしろ、それならば私の目的と合致する分、協力を惜しむ理由がない」
「そういや、結局お前の目的って?」
「当面の目標はお前と、あと何人か。流石に私一人の手には余るんでな、協力者を集めること。最終的には神の椅子にへばりついたトカゲを引き剥がすことにある。……そしてあわよくば」
三日月に歪む少女の口元。
「世界征服。――なんてのも、一度は経験したいところではあるな」
不確かな想定でなく、実質的な確信を伴ったそれは、つい先日に耳にした言葉だった。
『――俺みたいなやつは何処にでもいる。そしてそんな奴が異世界に来たからって世界征服に目覚めるか?』
逆説的に言えば、そういうことだ。
希望とは根本的に違う遥奈だからこそ、そういった発想に行き着いた。
いかにも無邪気な子供が思いつきそうな理想ではある。――だが、だからこそ、それを口にしたのが逢魔遥奈だからこそ、耳にしたそれは絶望的なくらいの現実味を伴っていた。
曖昧だった線引きがハッキリと見えてしまう。
「お前に対する関心も含め――この好奇心を満たす。残念ながら私にそれ以上の目的はない」
自分自身に呆れたように遥奈は笑みから一転、ふっと息を吐くと再び希望へと目を向けた。
「……さて、急かす気はないが内容によっては速いほうがいいかもしれないぞ? 下準備があるとないとで作業手順はだいぶ変わってしまうし、私も気まぐれなほうだ」
いつ気が変わるかわからない。――魔女が意地悪く笑う一方で、希望は思案を始めた。
たしかに限度はある。遥奈にだって越えられない一定のラインは確実に存在する。
だが、それを差し引いて余りあるほどに叶えられる選択肢は広い。それは刹那的なものから恒久的なものに至るまで、大概のことであればきっと二つ返事で叶えてしまうだろう。無理のある内容ですぐにとはいかずとも、確約する程度は想像がつく。
(相手がこいつである以上、多少のリスクはある――が、それでも)
得られるものと見比べれば決して飲み込めないほどではない。
いつどんな形で裏切られるかはわからないが、希望よりは人間らしい遥奈のこと。
彼女は決して諸刃の剣ではないのだから。
時折に理不尽ではあるが、そこには彼女なりの線引きが存在する。――裏切りものを相手に馬鹿らしい話ではあるが、そう希望は信じている。
だから、それに引っ掛かりを覚えたのは必然だった。
「……一つ。その、協力関係にあるはずだった俺がお前に記憶を奪われてるってのは、俺がお前の申し出を拒んだ結果か?」
腹いせというと安っぽく聞こえるが、名詞に遥奈を置くと不思議としっくりとくる。外見程に子供らしくはないが、悪い意味で発想が子供じみているというか。
だから半分以上は確信を持って、確認の意味を持ってそう問いかけた。
希望は遥奈の言葉を何らかの理由があって、突っぱねたのだと。
「まぁ、そこらへんは……なんというかだ」
しかしこれまではっきりとした反応だった遥奈は、ここで言い淀む。
「……? はっきりしないな、違うのか?」
「いいや、結果だけ言えばまさしくお前の想像通りだよ。私は一つの提案を口にして、お前はそれを蹴り飛ばした。だから私は記憶を奪い、お前は記憶を失った――と言えばな」
いやに引っかかる物言いをする。――希望が再度、口を開こうとしたそれを制するように、遥奈は片手を上げ、三本の指に光を灯すと、つまみでも捻るような動作をする。
ギュルリ――と。
それだけで、指先の空間は捻じ曲がった。遥奈には触れられる質量があるのか、ギリギリと引っ張られた空間はやがて耐えかねたようにして、無機質であることを辞める。
後には、淡い光に縁取られた穴が一つ。
「もう大概のことじゃ驚かん。これは?」
「身もふたもない言い方をすればテレビの生中継みたいなもんだよ。何やら外で物騒な音がしたもんで、適当に映してみたんだが……」
「音?」
目の前に作り出されたそれは別の空間へと突き抜ける穴という印象だが、確かにテレビなんかの液晶というほうが近い。鏡のように対面を反射するでもなく、何処かの映像が間断なく流れている。うっすらと奥に部屋の景色が透けて見えるあたり、画面の奥に繋がっているというわけでもないらしい。
不思議な穴は、何処かで起きている現状をただ視覚情報だけをこの場に伝えていた。
一通りを確認して、それという物音はないと怪訝な希望の耳に、遥奈の声が滑り込む。
「外壁ってことは端、それも見たとこ居住区ってことは……孤児院のあたりか? あーあー、これはまた、随分なタイミングでわかりやすいショッキングな映像が流れたものだな」
まるで夕食時のお茶の間に、テレビから流れたゾッとしない映像を一歩引いた位置から笑うような。
「おい」
そんな軽々しい感覚についていけず。――否、ついていく気にならず希望は声を上げた。
宙には、依然としてどこかの映像が流れている。
より具体的に言えば――希望が破壊は不可能だと断じた外壁を破り侵入してきた大きな化け物が、建物を次々に瓦礫へと変える映像が。あるいは無謀とも思える体格差を前に応戦する数人が無様に吹き飛ぶ、そんな非現実的な映像が、淡々と流れていた。
そんな凄惨な背景が当たり前のように、流れていた。
「これは何処の話で、何が起きている」
「……現実逃避、ってわけでもないか。お前はそういうことの出来る生き物じゃないし。しかし、真顔で何を言うかと思えば」
水を差されたような下がり調子となり、
「迷子の面倒を見てる施設があるって話はしたろ。そこで見ての通り異世界の化け物が暴れてる、もちろん現在進行形での話だ。夜更けとは言え、この規模じゃ外はお祭り騒ぎだろうな」
「その『施設』とやらが見えない」
「そこらへんに散らばってる瓦礫があるだろうが」
「……中にいた人は」
「さてな。無事に逃げられたのかもしれないし、もう瓦礫の下敷きになってるかもしれない。しがない魔女の私にわかることと言えば、まぁ……」
スッと、細い指が一点を指した。
「少なくともあそこで潰れてるのは昨日の子供じゃないってことくらいか?」
注視しなければそれこそ気づきもしなかっただろう。
山となった瓦礫から一本、男のものと思われる太い腕が生えていた。
「…………っ」
戦慄――とまではいかないが、小さくない動揺。
感受性に乏しい希望でも、何かしら胸に溜まるものがある光景だった。
見ず知らずの他人が死んでいる。一つの終着点を前にした恐怖ではない。それはもっと利己的で、道徳や倫理なんて正当性のレールからは大きく外れた思考だった。
陳腐に言い表せば、我儘か。
あるいは――。
「――……なあ、遥奈。迷惑料の件だが」
「このタイミングでか? 私にあれを助けろとか言うんじゃないだろうな」
「まさか」
冗談めかす笑いに、希望は当然のように首を振る。
それから呆れたような口ぶりで記憶に新しい三年前を振り返った。
「俺の後輩曰く、この世は楽しんだもの勝ちらしい」
この場合の“世”は、既に変わってしまっているが、そこはまあ置いておいて。
「それが例え、倫理にそぐわないとしても、誰かの正義に反していたとしても。独りよがりだって自分が正しいと思えばそれはきっと正しくて結局は最後に笑った人が勝ちだという」
「……ほう」
興味深そうに頷く遥奈に、希望はつまらなそうに続けた。
「残念ながら俺はこの言葉の意味するところを真に理解しているとは言い難い。なにせ、生まれてこの方『楽しい』と感じた覚えなんてないからな。そう言う意味じゃ尾張希望は、あいつの言う負け犬から一生抜け出すことは出来ないわけだ」
この話自体、面白いはずもない。
端的に言えば、後輩の何気ない話によって自分の皮の下に気づかされたというだけなのだから。
感情の欠損。――希望の記憶にある感情と言えば他者に対する憤怒くらいなもの。しかし怒るだけならば知性の欠けた野生動物にも出来る。それどころか、自分の欲求に正直な動物は感情を偽らない。惰性で生きていると言って否定できない希望よりは幾らか上等ではないか。
畜生にも劣る負け犬。
そのレッテルは、誰でもない希望が張り付けた。
「正直、お前はこの世界を楽しいと思えるか?」
「それは私に聞く必要あるのか? ――楽しいに決まってるだろう、毎日が発見の連続で飽きることなどない。不満や障害もないわけではないが、そこら辺も含めて醍醐味だろうが」
こうしている今も隣では人が死に、混沌が渦巻いている。
それを直視しながら爛々と目を輝かせる遥奈が、一見して狂気に満ち満ちているようにも思えてしまう悪い意味で純粋な少女が、羨ましくないと言えば嘘になる。
「それは重畳だ。――なら、俺からの要求は一つ」
心からこうなりたいと望むわけではなかった。
だが、もし仮にこうであってもよかったとは思った。
それはきっと三年間の記憶があっては決して至らなかった回答であり、誰にとってもイレギュラーな結果を生み出すものである。焚きつけた張本人であるところの遥奈であってもそれを予測することは叶わず、反則的なパラメータを持ちながら口を挟むことさえ許されなかった。
だから、希望の取り立てた迷惑料は簡潔に響く。
「俺が元の世界に戻るまでに、お前の言う『楽しい』を教えてみろ」
惨状に溢れるこの世界で、虫に前向きな感情を与える。
言ってしまえばそんな、魔女になって以来最悪の困難が降り注いだ瞬間だった。
書き溜めたデータが吹き飛んでふて寝してました。
一旦真っ白になったのを新たに考えるので予想以上に大変ですね…(汗




