予兆
「凄いもんっすねー、『魔女』ってのは」
ゴーグルに派手な柄のジャケット。かなり幅広の、薔薇の刺繍が施された布切れを二の腕に結んでいる。長銃を肩に掛けた、旅団メンバーである少女が残骸を見下ろして呟いた。
南の街から出て、外壁に沿って歩いた西側。
散乱する獣の死骸と、抉れた大地。
それらに至る過程を目にしていた少年はもう一度熱の入った調子で続ける。
「あのゲートには本気で驚きましたけど、いまじゃそれ以上に珍しいもん見れたってぇことでテンション上がっちゃってますよー。もうあんなん反則じゃないっすか? 片手っすよ片手!」
数刻前、宙空に現れた『魔女』は片手を振るった。
ただそれだけで、惨状が一つ。
何処かの世界に生きていた生物の数多の命が失われたのだ。
「……気持ちは分かりますが、ゲートはまだ残ってるってこと忘れてませんかねー」
少女の声に、頭一つ身長の低い全身鎧が注意を向ける。
頭まですっぽりと多い、腰には両刃の剣。薔薇の刺繍が入ったマントを翻しているが、いかんせん身長が低い。口ぶりからしても、中身は若いのかもしれない。
少女と少年。外壁を背にした二人の前には思い思いの恰好をした人影が多数。その誰もが薔薇の刺繍が入ったマントを身に着けており、此処にいる誰もが一つの組織の構成員であることを示していた。
その最前線。
重々しい空気の中、警戒に当たる数人が囲む、次元の裂け目。
何かを吐き出すでもなく、沈黙するゲートがそこにはあった。
「って言っても、もう一時間くらい? なんも出て来てないじゃないっすか。どうせあと数分で閉じるっすよ、もう帰っていんじゃねとか思ったり」
「それじゃ治安維持の名目が立たないんですがねー……。ただでさえ最近この手の異常事態が目につきますし、『喧嘩屋』の件もそうですけど警戒するに越したことはないのではないかと」
「あー……ここに来る前の、西の神隠しっすよね。あれも実際はどうだか」
苦く零す少女に、少年は頷く。
「ともあれ『魔女』さんが帰ってしまわれ、団長も未だ姿は見えず。ともすれば、やはり目前の異常事態を放置するわけにはいかないと思いますよー少なくとも僕は」
「真面目っす、ほんと真面目。……こう暇だと、南と北に分かれた連中が羨ましいっすねー。先輩知ってます? 退屈って人を殺すらしいっすよ、団長の入れ知恵っす」
「入れ知恵の使い方……。大丈夫ですよ、人間はそんな簡単に死にませんから」
呆れ調子の先輩と後輩。弛緩した空気は彼らだけではなく、ゲート付近から遠ざかるほどに冗談交じりの会話が増えているイメージである。
そこに違和感はなく、誰もが自然体で。
繰り返せばいつしか日常になるように。
彼らにとって、既にこの世界は『異世界』という括りではないのだろう。
「……それにしても妙と言えば妙ですね」
「あのゲートっすか?」
少年は兜に覆われた頭部を頷かせた。
「ええ。本来……というか、今まで確認された“ゲート”というものは、ああもただ留まるものではないんですが」
「……ええと?」
「聞いたところでは最長で丸一日。この世界で二十四時間あまり開きっぱなしという話がありますが、それにしても何も出てこないってのはおかしいなーと、少なくとも僕は思うわけです」
「平和でいいじゃないっすか」
「……僕の住んでた世界では、嵐の前の静けさ、という諺があってですね」
つまり――何かが起こる前兆ではないか、という懸念。
それは、正しく的を射ていた。
「警戒しろッ! 何か出てくるぞッ!!」
前方から響いた波紋が、最後方に立つ少年少女へと伝わる。
長く沈黙を守っていたゲートが突如として動き出す。甲高い耳障りな音と共に、徐々に本体から伸びるパーツが姿を表す。
ゆっくりと、滲み出るようにして現れるそれは――足だった。
「……獣っすかね? ようやく奴さんのお出ましっすかー!」
ゴーグルを上げて、少女が息まく。珍しい物に惹かれる性質なのだろう、銃を脇に構え駆けだそうとしたその前に、現状が待ったをかけた。
「お、おい……」
「なんだあれ……」
周囲からも戸惑いと違和感が伝染してくる。
同様に駆けだそうとした者たちが次々に警鐘を鳴らす中、遅れながらにして少女も気づいた。
「……んー……んん?」
遠近感が、どうもおかしい。
少女が立っているのはゲートから最も遠い位置である。脇に立つ人間だって米粒とは言わないが随分と小さく見える。だが、あれが掛値無しに大人一人分のサイズとして正しいというのであれば。
――ゲートから伸びる、鳥の足先に見えるそれは大人一人分はありそうだった。
「……え、ええと先輩? あれってこっち来るんすかね……?」
「……まあ」
兜に包まれた顎に手をやる少年は言う。
「別の世界にもゲートが空いていて、そこを潜るとして。進めなさそうだったら大体選択肢は限られるんじゃないかなーと……」
すなわち押すか、引くか。
明らかに全体のサイズに見合っていないゲートから伸びる足先の爪が踏ん張るように地を抉る。警戒する旅団の構成員が一歩、二歩と身を引くが、彼らは誰しも次の光景がなんとなく、ぼんやりと予想がついていたのではないか。
「でも、あれが僕たちと同様だったら引けない、と思いますよ」
少なくとも僕は。――そう口にした少年の声に、幾分かの焦りが滲む。
なにせ誰もがこの世界に至るまでにゲートの強制力を体感している。
ふざけた話だが、拒否権などそもそも存在していないのだ。
「そ、空が、裂けて……ッ!?」
前方で情けない声が上がった。違和感は次第に未知の現象に対する恐怖へと変わる。
バキリ、バキリと乾いた枝をへし折っていくような音が響く。
当然、化け物であっても引くという選択肢は与えられない。片足を突き出し、次元の境界線とも呼べる部分にぶつかると、円形だったゲートを裂くようにして、天へと向かい亀裂が走った。
『――――――――――ッ!』
空が割れ、異世界の化け物が顔を覗かせる。
ごくり――誰かが息を飲んだそれが、やけに大きく響いた。
場面転換で短いですが更新です
着地点にどうもってくか悩む…




