灰色の核心
ポケットから取り出したのは、預かったまま授けられたガラスのような質感の鍵。
やはり取っ手となる部分が見当たらない窓のような扉の、気持ち中央あたり。鍵穴もなにもない真っ平の半透明に、鍵の先端を押し当てた。
たったそれだけの動作で、奥を見通せなかった半透明のガラスが消失する。こういった部分ばかりがファンタジーで、街に蔓延るは誰も彼も世紀末の思想だと、内心で不満を漏らした。
扉を潜った希望は、空間の奥に設けられた台所に目をやってから脇に置かれた四角い箱に目を留めると、迷うことなく近づき手を掛ける。
「……帰って早々自由だな。構わんが、つまみ食いならほどほどにな。夕飯が入らなくなる」
調理の手を止めて苦笑する少女の声に反応を返すことはなく、青年は物色を続ける。
冷ややかな空気が満ちているあたり、やはり冷蔵庫に準ずる何かで間違いはない。ただ、外からの見た目に反し、内容物が多かった。上中下と分けられてはいるが、当然ながら量に比例するように空間も相当なものとなっている。
改めて見回してみれば、扉の向こう側に当たる魔女の家も外側から見る以上の間取りがある。玄関口から入ってすぐ、食卓を囲む居間と台所。玄関に近い側にトイレと風呂場があり、それを超えるように階段が伸びる。二階には希望に宛がわれた部屋が一つと、遥奈の使用しているものと思われる部屋が二つ。それ以外に倉庫代わりに使われている空き部屋が四つ。明らかに幾つかの法則をぶち抜いて、空間を捻じ曲げて使ってますと声を大に宣言しているようなものだった。
結局、扉側の収納に収まっていた瓶を一つ拝借すると、蓋を開けて口に。
「……っ」
咽喉をちりちりと焼く感覚と鼻を抜ける匂いにフードの下で渋い顔を作る。
瓶を満たす透明な液体の正体は酒だった。
しかし昨日、この瓶はあいつが飲んでなかったか。――などという疑問に、三年と経って互いに二十歳であることを考えれば問題はないのかと結論付けると、瓶を手に椅子に腰かける。
加えて言えば、ここは希望の知る世界と違い法の類に縛られない。だとすれば、やはりそれは全く無意味な思考でしかなかった。
「どうだった? 包囲網の具合は」
「……見ててそういうことが言えるってのは素直に感心するな?」
「いくら私が生粋の裸眼族だと言っても、それは過剰な期待というものだな。南の街は高い建物も多いし、見通しが悪くて敵わんよ」
「誰が視力の話をしてる。あるんだろ、たまたま見える魔法とやらが」
「ああ、あると言えばないわけではないがー」
菜箸がかんかんと音を鳴らす。
「私もさっきまでそこそこに忙しかったんだよ。おかげでお前が帰っているというのに、未だに料理が出せない不測の事態。……不測というよりは不覚か?」
「知らん」
差して興味はないというように切り捨て、希望は潜り抜けたばかりの扉を見やる。
依然として槍の散乱した路地裏。他でもない家主の一撃によってアスファルトは剥がされ、でこぼことした通路は歩きづらいことこの上ない。
それ程の被害を片手で振るう『魔女』が、忙しく感じる事態、か。
「ゲートか?」
何気なく零したそれに、遥奈の手が一瞬止まった。
その反応に目を丸くしたのは誰でもないフード頭だ。
「何だ、正解なのか」
「……お前こそ何処からか見てたんじゃないのか? いくらなんでも察しが良すぎるだろうが」
「冤罪だ。それなら、それとして納得してやる。包囲網なら最悪だったぞ」
「……お前の態度も含め私が納得いかない……はぁ、どう最悪だったって?」
「外壁は破壊不可、飛び越えるのも不可。街は思ったより人がいたし、外壁近くにはレイナだけじゃなくアカネもいたな。お前の言ってた旅団も……――」
口に出してから、意図せず止まる。
(そう言えば、薔薇のマント――旅団の連中は一人も見なかったな……?)
警戒していたことはもちろんだが、聖堂からの帰り際にふらりと寄った正門でも姿が見えなかったこと、今の今まで思い出しすらしなかった事実が、なんとなしに違和感を与える。
アギリを血まみれにした件の首謀者が発見されたか。
それにしたって街の中心まで歩いて、一人も見ないというのはどうだろう。
いくら考えたところで分からないが、
(……まぁ、いいか)
あっさりと思考を放棄した希望は再び瓶に口を付けて液体を迎え入れた。
酩酊とはほど遠いが、アルコール分が身体に回っているのが分かる。喉だけでなく腹の辺りから熱が広がっている感覚がある。記憶喪失である点を踏まえて、いまの希望にとって初めての酒は存外、好ましいもののようである。
「……あれが頭だってんならやっぱり最悪だ」
「あん? なんだお前、結局ロベリアの奴に会ったのか?」
手を止め、小さな身体が振り返る。
「てことはやっぱり街中にいたのか……あの暴走娘め」
「……? ま、そんなとこだ。いっそアギリの奴に止めを刺して引きこもった方が建設的だな」
「その発想が既に非建設的で、私達のいた世界の道徳観念を派手にぶち抜いているということに気づかないかー……? つか、敵を減らすってのは方法の一つとして間違ってないが、万が一にしくじったらただでさえ絶望的な難易度が達成不可能なレベルまで跳ねあがるわけだが?」
後半を一段低く、『魔女』は言う。
見つかれば緩い包囲網ではなく厳重な警戒網が張られることは希望にだって想像に難くない。目下、いつ誰に襲われてもおかしくない身の上であるフードの青年は見上げた天井に、床に臥す細身で長身の男と脇に立ち刃物を振り上げる自分を描き、やがて首を振った。
「言ってみただけだ。出来るか出来ないかは置いといて、な」
「…………」
「鍋、噴いてるぞ」
希望がそう言ったことでようやく少女は咎めるような視線を外し調理を再開した。
茹で上がったのは希望の知る麺に近いなにか。夕食はパスタか、それに限りなく寄せたなにかが出てきそうだとぼんやりと眺めながら、ぽつりと呟く。
聞くのであれば、今しかないだろうから。
「まったく話は変わるんだが、アカネのこの世界にいる目的を知ってるか?」
脈絡がなく、重くなった空気をものともしない声に、遥奈は振り返ることなく淡々と答えた。
「……北の復興、だったか。聞いたかもしれないが、ラインの北区はゲートから表れた怪物……私とお前の感覚で言えばRPGに出てくるモンスターってとこか。あれの被害を受けて崩壊しててな。あいつはそのモンスターの討伐を目標にしてたはずだ」
「ふうん、ロベリアは?」
「あいつには会ったんじゃなかったか? 龍王の討伐――ってのは建前で尾張希望の帰還、というか再会……場合によっちゃ召喚を言ってもいいかもしれないが、そこら辺だろう」
「それは、アギリとか、そこら辺にもあるのか?」
「……? まぁ、帰り道がわかっててこの世界に留まるくらいだ。ないわけじゃないんだろうが、詳しくは知らないな。私は魔法を使える魔女であって賢者ではない」
配膳を始めた遥奈は、そういうと一品づつテーブルへと運び始める。
香りだつ汁物に、色彩の豊富なサラダ。メインとなるのは希望の予想違わず、掛けられたソースとその上に乗った香草、見栄えにも拘りが伺えるパスタだった。
机に並んだ皿に満足げな顔をした遥奈は対面へと座る。
「しかし、お前が他人に興味を示すだなんて珍しいな」
「……ハッキリ言うとどうでもいいんだがな。前提ってのは大切だろう」
希望は、ぱさりとフードを外すと真っ直ぐに遥奈の目を見た。
「この世界に留まる奴には多少なりと目的がある。――なら、お前の目的ってのはなんだ?」
ここまで希望が尋ねずとも、みなそれとなく方向性を明らかにしてきた。
それはアカネしかり、ロベリアしかり。アギリであってもそれとなく察することが出来る。
だが、目が覚めてからまだ二日とない。そんな短い時間で、最も長く時間を共にしているはずの少女だけが違った。時間だけではなく、距離感であっても同様のはずの『魔女』だけは、記憶喪失であることを理解した上で、価値観を共通のものとする逢魔遥奈の目的が見えない。
ただ一人、彼女だけが希望に協力的という形で同じ方向を示していたから。
「自意識過剰かとも思うが、俺はこの世界においてはそこそこに重要なポジションにあるらしい。アカネに腕を買われ、アギリは俺を知ってる風だった。前者で言えば、アカネ同様に俺を探してる奴らってのは、俺が逃げる手助けがしたいんじゃなくて待ってるんだと」
話題の重さとは裏腹に、希望はくるくるとパスタを巻き取りながらつまらなさそうに語る。
「恨まれるにしろ、俺は求められているらしい。……不本意ながらな。だがお前はどうだ? いや、別にお前のこの世界での目的が俺に全く関係ないところにあって、旧友だって親切心とか、記憶喪失になった俺に対する哀れみで手助けしてくれてるんだって言うならそう言ってくれ。そっちのほうが俺としても助かる」
ぱくりと一口。
それから汁物にも口を付け、緩くほほ笑んだまま微動だにしない遥奈を見た。
少女の瞳にあるのは――期待か。
暴かれることを望んでいるようにも見える、受けの姿勢。
「はぁ……お前さ――」
やがて、諦めたような仕草で呆れたようにじとりと目を向ける。
期待を、裏切る。ただそれだけが本質の『魔女』を映す。
暗い瞳と、淡い瞳が交錯し。
色鮮やかな食卓に、灰色の核心が落ちた。
「俺の記憶奪ったろ」
「ああ私が奪ったよ」




