後輩
居住区の外れから直線距離で最も近い外壁。
南の街を囲うようにして立つそれに沿うようにして歩く影があった。
(今のところレイナはいない、アカネも――)
フードを被った青年は周囲を警戒しながら、壁に手をつきゆったりと歩いている。
外壁の高さは目算で見積もって十メートル程度。異世界生物の脅威に晒される活動拠点としては納得のサイズであり、一般的な建物に当てはめると三階相当になる。それを時折見上げては、やはり高いと感じざるを得ない。飛び越えるという考えは現実的ではないだろう。
「建物からなら……いや」
思いついた方法に首を振る。
包囲網突破の大前提として『旅団の構成員に発見されない』というものが一つ上がる。建物の上を跳ねる不審者など見つけてくれと言わんばかりであるし、昇るところを取り押さえられでもすればそれこそ一巻の終わりだろう。
無事に街の外へ出れたとして地の利はない。見つかってしまえばそこまでだ。
「いっそぶち抜くか……? 適当にそこら辺を片っ端からこう……」
誤解のないように言えば、希望はなにも自暴自棄に飛び出したわけではない。
明日の自分の為に、今日の自分は座して待つべきか? ――答えは否である。最悪だと分かっているのであれば、その時点で反逆に足る十二分の理由は満たしている。
では、現状はどうか。
予期せず構築されつつある包囲網は、まだ完全ではない。
完全ではないということは、まだ余地があるのだ。横槍を入れる余地が。
だから行動を起こす。それだけの単純な思考のままに状況の再確認と伴って、遥奈のいう包囲網に亀裂がないかどうか探している。言うまでもなく、それは刺さるうちに槍を突き立てようという意味で。
今日中に、尾張希望一人が通れる程の逃げ道という穴を抉じ開ける。それが無責任にも最悪の明日を迎える今日の尾張希望に許された最大限の貢献であると信じているのだ。
これは他でもない自分のことだから、――というと希望とて釈然としないものもあるが。
素材を確かめるように壁へと触れて、
「……無理、か」
思った以上にしっかりしたつくりであることに関心を半分。
もう半分は、諦めにも似た納得だった。
というのも遥奈の話を聞いてからある疑惑が浮上している。
次から次へと希望の目の前に現れる問題、荒事、面倒事。
これがこの世界の普通だと言うなら、それは仕方のないこととしても、一日に遭う量としては些か常軌を逸していると思わないでもないのだ。
記憶喪失もあって、希望の世界に対する知識は完全とは言えない。力が正義だと誰もが妄信しているのだから森や街で喧嘩を吹っ掛けられるくらい普通なのかもしれない。その結果、レイナやらアギリやらが報復に希望を探すことだって百歩譲ってそれもいいだろう。
だが、もう一度冷静に俯瞰してみて欲しい。
記憶喪失の犯罪者が周囲を頑丈な外壁で囲まれ、出入り口にあたる門が一つしかない南の街で意図せず包囲網を組まれている。――いや、余りにも出来過ぎだろうと。
もっと言えば。
この現状すら、希望の持つ《最悪の因子》とやらが原因ではないか? ――と。
「……はっ」
こんなもの、追い詰められた状況でなくとも思わず笑ってしまう。
仮に何らかの陰謀に寄るところだとしても、それを引き当てた疑いが向くのはやはり希望の持つ《最悪の因子》とやらで、もっと言えば記憶喪失や龍王戦の件だってその余波というか、前の希望もこれの被害者である可能性が捨てきれない。
だとすれば。
「元の世界に戻る前に、中央にも寄る必要があるな……ッ?」
固く握った拳の矛先を探し、破壊は困難だと断じた外壁へと当たり散らす。フードから覗く顔は形こそ笑っていたが、その肩は怒りに震え、背は不吉なオーラを幻視する程度には近寄りがたい威圧感を放っていた。
神様だか王様だか知らないが一、二発くらい殴っても罰は当たるまい。
むしろ理不尽に晒された怒りの鉄拳こそが邪神あるいは暴君に対する罰というか、云々――。
「あの、大丈夫ですか?」
ともすれば、誰彼構わず噛みつきそうなフードの青年に、声を掛ける勇者が一人。
躊躇うような声音に、希望はフードを目元まで引っ張ってから振り返ると、声の主の姿を狭まった視界に捉える。姿、と言っても希望の顔をフードが隠すように、希望に確認できるのはその首から下の話であるが。
まず目についたのは胸元の控え目なリボン。それから紺色のブレザーにチェックのスカートと、おしゃれな制服といった印象である。スカートから伸びる足は黒のタイツに包まれており、靴だけは機動性や防御面を考慮してか、踝よりも高い位置までカバーできるスニーカーのように見える。背丈は希望より低い、恰好と声色から見て少女で間違いはなさそうだ。
「……あー、これは」
知らない人だ。――つぶさに観察して、真っ先にそう結論付けると、
「あれだ」
「……あれ、ですか?」
「ほら、あれあれ」
「……あれ、あれ? ……え、どれですか??」
適当に指差された方角を賢明に探す少女。
(馬鹿で助かった――)
それをいいことにこのまま逃げてしまおうと用心深く一歩引いた希望は、更に二歩目を引こうとして――ビクリと肩を跳ねさせて固まる。
フードに隠れた瞳は、左手の道から歩いて来るレイナを捉えていた。
(間が悪い……ッ!)
ならば反対側はと目を向ければ狙ったように今度はアカネがぶらぶらと歩いて来る。
「んー……? すいません、ちょっとどれかわからないんですけどー」
「……っ」
左右から挟みこむように迫る追手に冷汗を垂らしていると、今度は正面に立つ制服の少女が覗き込むように近づく。
慌てて逃げるように身を引かせた希望、暫しの逡巡。
レイナはボロボロの服を着ていた時の希望と今の服装の希望を別人だと勘違いしている。よって声を掛けられ、二言三言話すくらいであれば問題はない。
一方、アカネは服装を改めてからはまだ一度も会っていないが、本人の弁によるとそれなりに長い付き合いらしい。多少恰好が変わったからといって、レイナのように気づかないというのは余りにも希望的観測が過ぎるだろう。
よって、ここで希望を挟み、二人が鉢合わせをするとレイナの誤解が間違いなく解ける。
それは見方によっては騙していたということの露見でもあり、その場で白刃のぶつかり合いに発展してもおかしくはない。というか、これまでの経験から見れば、そうである方が自然ですらある。
と、すれば。――一つ、咳払いがあった。
「おい、女子高生」
「……? ああ、私ですか。ふふふ、こんな格好してますが、もう女子高生というわけじゃ」
「それはどうでもいい。ちょっと街を案内しろ」
「え? ――ええ、ちょっと!」
希望は手を取ると、制服姿の少女の背後に伸びる道を行く。挟むように立つ店の人間や、疎らに道を行く視線が突き刺さっている気はしたが、もう数十秒もあれば出会うだろう追手に捕まることを考えれば不思議と気にもならない。実害の有無は希望にとって無視できない条件なのだ。
「すいません、歩くのがちょっと早いんですけど……もう少し」
「そうか、じゃあもう少し歩幅を広げるといい。歩数を増やすのも手だぞ」
「……合わせてはくれないんですね」
背後でため息が聞こえる。制服を着ていること、先ほどの発言、この世界の創生から三年しか経っていないことも踏まえれば、年齢は高くても二十一。低ければ十八ということになるが、意外に苦労性なのかもしれない。
やがて、希望のカツ、カツ、という足音に追いすがるように、引っ張られていた足音が分かりやすくその回数を増やす。
「素直だな」
横に並んだスカートに希望はへらっと笑った。
少女はどこかふてくされたような声音で話す。
「……貴方によく似た人を知ってるんですよ。大人しく従ったほうが身の為という経験測です」
「ほう、世の中広いもんだ」
「その切り返しも本当にそっくりですし、それと背丈と恰好も。……大体今日は暖かいのに、そんな厚手のコートにフードだなんて暑くないんですか?」
「暑いか暑くないかで言えば、それなりには暑いかもな。だがお前こそ、今日は寒くもないのに、そのタイツ」
「ストッキングです」
どっちでも変わらんだろう。――という言葉を飲み込み。
やや語調を強める。
「あっそ……そのストッキング、は暑くないのか?」
「……まあ、言われてみれば暑くないこともないですけど」
「ふうん、暑いんだな」
「涼しくはないです」
「涼しくないってことは暑いってことだろ」
「……まぁ、こうしてると流石に暑い気もしますけど」
会話のテンポを乱すことなく、けれども歩く速度が少しづつ上がっている。
それに気づきながら、希望はあえてまた半歩分ほど意識して歩幅を広げた。
「いまちょっと歩幅広げましたね?」
「……何のことだか」
「そういうわかりづらい意地悪するのよくないですよ。絶対よくないです」
「ほう、具体的になにがどうよくないんだ?」
「え? ええと、それは……色々ですよ。特に女の子はそういうの気にするんですから」
「男女差別反対。男だって意地悪されりゃ気にするさ」
「女の子の方がデリケートなんです。気づいた時の衝撃なんてすごいんですから」
「じゃあお前はいま傷ついたわけか」
「ええ、それはもう。私はなんで初対面の人に意地悪されてるんだろうという衝撃がすごいです。というか、あの……」
「ところでそろそろその暑苦しいの脱がないか? 見てるだけでこっちがあれなんだが」
「往来で女性に脱げとかデリカシーが……というかっ!」
ダンッ! と、少女は一歩抜きんでると希望の前に立ち塞がるように立ち止まる。
「いい加減、一度、止まりませんか……? ちょっと、流石に……疲れたんですけど……」
「……そうだな。そろそろいいか」
肩で息をする少女に周囲を見やってから、希望もようやく息をついた。
会話が進むにつれてどんどん駆け足のような速度になっていた二人は街の端から随分と中心部に近づいている。具体的に現在地がどの辺かというのは想像でしかなかったが、レイナやアカネが追ってくる気配が無いのであれば些末な問題だろう。
適度な人だかりと流れる老若男女。その大まかな目的を見る限り、商業区は抜けていないようである。販売店も少なくないが、食事処が多数を占めている印象を受ける。昨日の段階では足を踏み入れていない領域なのだろう。
希望の知識で言えばレストラン街が相当する、そんな通りだ。
「……ふう。それで、案内っていうのは?」
目を離した合間に素早く回復を済ませたらしい少女が希望へと問う。先ほどのやり取りを振り返っても好印象ではなかったはずだが、その声音は渋々というものではない。
「この世界の奴らってのは俺と同レベルだな」
「……えっと?」
「こっちの話だ」
感情欠損と言えばそれまでだが、もしかすると暴力が許されるだけに嫌悪に起因するそれが薄いのかもしれない。
もっともこれまでに会った人物が軒並み特殊である可能性も捨てきれないが。
「そうだな、適当に落ち着いて座れるとこ頼む。出来れば人にあまり知られてないとこがいい」
希望がそういえば、少女は少し唸った後で、ハッとすると何度か躊躇うように漏らす。
此処まで一貫して希望は少女の顔を拝むことはしていないが、感情の機微くらいは顔を見ずとも読み取れる。なにより、先ほどまであれだけ明瞭だった声が続かないとなれば、察しがつくのも時間の問題だった。
「……ないなら別に」
「いえ」
断ろうとした希望の声を遮るように静かに響いた少女の声。
思わず続く言葉を待つと、今度は希望の上着の袖が控え目に握られる。
「案内します。取って置きの場所がありますから、ついて来てください」
そう言って少女が歩き出した方角は、先ほど通って来たばかりの道だった。
まさか来た道を引き返すのを躊躇っていたのか。ふと浮かんだそんな考えに希望はかぶりを振ると、やんわりと引かれるままについていく。フードを被っていることもあり、何処となく連行されてるような気分で路地に入り、方角を変えて歩くこと数分。
先ほどまでの流れるような会話が嘘のように、街の活気だけをバックサウンドにして景色はだんだんと色を変えていく。
やがて足が止まったのは、おそらく商業区と居住区の節目。そう希望に判断させたのは、案内されたその建物が商業施設には見えなかったからだ。
大きさはそれほどでもないが、庭があり門がある。色としては白を基調とする建物。
一見してただの一軒屋にも思えたが、三角の屋根に映える十字架を見れば、希望でなくとも想像するものがある。
「教会……?」
正確には教会堂、あるいは聖堂とでも呼ぶべき類の建物。
何を崇拝しているのか外観だけでは見て取れないが、きっとこの世界に関わりのない元の世界の神や、龍王を崇拝する為のものではない。宗教関連に馴染みがなく、興味もない希望だったが、それだけは一目見て分かった。
この世界――ラインが今の形になったのは三年前だという。
ならば、どれだけ早くとも建てられた建物はみな二年かそこら、大きい物であれば一年も経っていない。どれだけ超人が集い、魔法があろうと建築までに至る過程はそう容易なものではないのだから。そしてそれは目の前にある教会とて例外ではないはずなのだ。
だが、どういうわけか。
いや、考えるまでもないのか。
「見ての通り、寂れた教会堂です。現在は管理を行っていた方が長く離れていて、立地もあって人も寄り付きません。人が寄らず、腰を落ち着けられるところ、ということですが……どうですか?」
「……まぁ」
思わず希望はフード越しに頭をかいた。
どうですかと言われれば、現在進行形で一文無しである為、下手な店を紹介されず安心しているくらいではあるが。
(しかし、教会とはまた――)
立場と状況。
それらが折り重なって、希望に一つの未来を暗示する。
ギィ……――っと、雨風に晒され手入れもされず放置された門が開いた。
此処にいるのは罪人で、向かうのはがらんどうな聖堂だという。
誘われるままに敷地へと入り、次第に重くなる足の感覚を無視して、突き進む。
「……そういえば、自己紹介がまだでしたね」
それは少女も同様だったのか、耐えきれなくなったように――あるいは始めからそうするべきだと考えていたようなタイミングで彼女は切り出した。
明るい髪が、チェックのスカートが風に揺れる。
一段、二段と階段を上がり、聖堂の扉に手を掛けた少女はいつかの光景と同様に振り返り、
「――ロベリア。私の世界では『悪意』という意味の、それが私の名前です」
事無げに、あっさりとその名と、それに込められた意味を口にした。
「名は体を表す――なんて、言いますけれど、実際名前負けはしてないと思います。……どうです、場所も場所ですし、少し私の名前にまつわる話でも聞いていかれませんか?」
静かな問いかけに、希望は深く考えることはなく答える。
「それは、お願いか?」
希望の返答に、ロベリアの目が見開かれ――やがて、どこか哀しそうな笑みへと変わった。
「本当に、そっくりなんですね。いえ、だからこそ聞いて欲しいんです。お願いします、そっくりさん」
「そうか……了解」
互いに諦めが覗くやり取りの末に、聖堂の扉が開かれる。
ステンドグラスから漏れる光が照らす道を行く少女の後ろについていき、希望は今更ながら気づく。
不思議と。
少しだけ大人びた後輩は、希望の記憶にあるほどに眩しくはなかったな。――と。
数日と日数が空いて申し訳ございません。というのもマウスが壊れましてPCの電源すら消せず……
今日からまた毎日更新目指して投稿していきますよー!




