目に見える綻び
「ねえあなた、晩御飯はなにが食べたい?」
新婚したての新妻かなにかの様に遥奈が首を傾げる。
もうつっこむ気力も失せた希望は視界を閉じた姿勢で最低限の注文を口にした。
「日本で言う珍味に該当するもんじゃなく、見た目で食欲がそそられそうなら何でも」
「てことは虫と魚介系はほとんどアウトだな……。出汁はまだ残ってるし、確か卵もあった。日はまだ完全に落ち切ってないし……よしっ、今日はなんちゃっておでんでも作ってやるか」
またアレなノリだった為、素っ気なく返したが存外、頭はまともだったらしい。
「昼もそうしたんだが、お前も馴染みのある味付けのほうがいいだろう? それとも異世界の食材や未知の料理に興味あるか?」
「いや……」
しかし、おでんか。――希望は具材に何が使われていたかなと思い浮かべてから聞く。
「……大根や蒟蒻はこっちにあるのか?」
他にも芋やちくわ、卵はあると言ったが、巾着やしらたきなど、馴染みのある食材の如何は。
『なんちゃって』と言っていたあたりが恐怖心を煽る。『〇〇風』だとか、本来のアイデンティティを度外視した創作料理が散見される日本出身だからこその恐怖。
そしてなにより、作り手が他でもない逢魔遥奈という恐怖であった。
「そう心配するな、他でもないこの私が作るんだ」
だが、遥奈は自信ありげに体躯の割には大きい胸の中心をとんっと叩く。
だから、作り手が問題だと。――などと言うわけにもいかず。
「……味の似通ったものがあるのか」
「ま、そういうことさ。昼に食った梨みたいなもんで、味も見栄えもそう変わらない。こう見えて意外と料理家な私が美味しく笑顔に満ちた食卓を保証しよう」
そう言ってから、思い出したように鍵を取り出す遥奈。
「というわけで私はこれから晩御飯の材料を買ってくる。スペアキーを渡しておくから、適当にぶらつくなり先に戻るなり自由にしてくれ」
「ん、今からか?」
ならば荷物持ち程度でも、いないよりはましではないか。
金を出すわけでもないのだから、それぐらい。そんな軽い調子で尋ねた希望に、遥奈はまるで戦地に赴くように神妙な顔をした。
「もうじきタイムセールがあるんでな」
「…………」
タイムセール。短時間限定で、一部の商品が安くなるあれか。
その文言の意味するところはわかるのだが。
「なあに、お前がいる以上、私とて主婦共に後れを取る気はないさ。この世は強者こそ正義。――ならば、これを機に誰が本当の強者なのかを教えてやろうじゃないかっ! いまや家庭があるのがお前らだけと思うなよっ!!」
少なくとも、お前に家庭はない。――希望がそんな冷え切ったつっこみを口にするよりも速く、大人げない小さな魔女は魔法を駆使して飛んで行った。
後には魔法陣の残痕とも呼べる粒子だけが残る。
思わず、遠い目にもなる。
「あいつ、まじで人間やめてるなぁ……」
男である柵と同時に、彼はなにから解き放たれたというのか。
脳裏に過った疑問の答えはすぐそばにあった。希望は自身の手を見つめ、強く握る。
人の限界、からか。
遥奈の考えが真に迫るものであるとすれば、この世界に足を踏み入れた時点で大概の人間はその原型を失っている。
きっと法則が違うのだろう。
《因子》にせよ、肉体にせよ。
異世界同士の人間が難なく意思疎通できるのもそこら辺が絡まっている。
(ま、俺には関係ないことだ――)
元の世界に帰る。希望の意志は変わらない。
その為にはきっと多くのものを犠牲にする必要がある。それも、前の尾張希望が積み重ねてきた他人に認められる類のそれらにドロップキックを食らわす程度の覚悟が求められる。
実際はそこまで難しい話でもないだろう。幸いにも境遇に理解ある逢魔遥奈に出会え、ともすれば協力的でもあるのだ。彼女の言う通り一週間を待てば街は落ち着きを取り戻し、東の大陸へ渡ることもそう難しくない。
「……はず、なんだが」
喉下に閊える感覚がある。あるいは思考が滞っている感覚。
盲点になっている部分があるのではないか。
目には映っていても、欠損が故に見落としてしまっていないか。
欠損には心当たりがある。それもこの世界に来てすぐ気づいた致命的な欠損には――。
出口の見えない思考に区切りをつけるべく、希望は周囲に目を向けた。
洋風な家屋にファンタジー気質な装飾やらが混在した街並みは、夕暮れ時とあって人通りが落ち着いている。希望の感覚でいえば道を多種多様な販売店が挟むここは商店街と言ったところか。
夕闇の迫る商店街。
いや確か、遥奈は商業区と言ってたか。
遥奈の拠点にしている自宅は、街の北側である居住区の外れに位置するとも。
つまり。
「……逆か」
適当に歩いて来ただけあって、知らぬ間に反対側に進んでいたらしいと希望は項垂れた。
魔法なんてものがあるのだから、街の反対側から反対側へ移動する転送機相当のものがあってもいいんじゃないか。そうでなくとも、これだけ広い街なのだから案内板くらいは。
「なんて不親切設計だ……ん?」
フード越しに頭をかいて、進路を変える。嘆きながら角を曲がった直後、音がした。
軽い、金属音。
(……決闘、か。ここは本当に争いが絶えないな――)
手にした獲物で繋がる二人の影。
呑気にそう考えた瞬間、希望はもう一度首を傾げる。
――本当に、決闘か?
もっとも人通りの多い中央広場でなく、これから閉まる店も多い商業区で。
今でこそ立っているのは二人だが、周囲には転がる体が三つ。動かないところを見れば気絶しているのだろうと想像は出来るのだが、それならばやはりおかしい。
決闘の目的が『繋がり』を求めることにあるのであれば場所に利がないことは勿論、気絶まで追い込む必要性はないだろう。また複数で一人を追い込んでいる構図にも疑問が募る。
そこで一つ思いついたのは、遥奈の言葉。
「闇討ち……?」
大会を前に、優勝候補を狙った襲撃。
人通りの少ない場所で、明らかに摩耗した一人。『殺せないだけのやりよう』とやらは、これを指していたのか。希望はこの世界に来て何度か聞いた言葉を反芻しながら、少し考え、
「…………」
その先を想像する前に、無音で踵を返した。
お世辞にも優勢とは言えないが、複数を相手に健闘している。残りは一人だというのであれば出ていくだけお節介というものだろう。
(確か……レイナ、だったか)
例えそれが――見知った顔だったとしても。
襲われていたのは金髪で軽装の少女。短剣を扱い、俊敏な戦い方をする戦闘狂。――と言っても、希望に一発で退されたのは事実だが。
あれで闇討ちされる程度には有名だったのか、という驚きはあった。
好戦的な性格からして、再戦の為に探される可能性も危惧はしていた。
だが、そこに心配をするような関係があったわけではない。
敵対ではなく中立。
肩入れすら、するべきではない。
「……なんだってんだか」
胸に残った蟠りに、青年は呟く。それも彼の足を止めるには至らず、それどころかこの場から一早く立ち去れとせかされるままに、希望は半ば走るように地を蹴った。
この場から離れろ。
いるべき場所ではない。
あるべき場所がある。
「尾張希望は――観客にいるべきじゃないよな?」
どこかで魔女が笑ったと同時、
ゴッ! ――っと、暴力的に軋む音が響いた。
「…………ッ!?」
蹴り上げられた襲撃者の身体が時を忘れたように一瞬浮遊する。その後、重力を思い出したように落下を始めたそれは、鈍い音を伴って地に叩きつけられた。
たった一撃で変わりは果てた状況。
「……え、は?」
フードを被った乱入者に少女が目を見開く。
これで四人。――新手は無しかと希望は周囲を確認し、それから助けたはずの少女の出方を伺う。消耗しているだけあってすぐに襲われたりはしないだろうが。
周囲を確認して暫く、怪訝そうな目をしていたレイナがハッと気づいたように息を飲んだ。
「あんた、もしかして……っ!」
――来た。
多少身なりが変わっていると言え、背丈までは変わらないし、何より特徴が変えられない。
アギリの言葉を借りるのであれば『日除けのフード』と『黒曜の剣』――。
ありふれているようで、此処まで似通った恰好の人間を見ていない。
神聖視されているのか、忌避されているのか。
どちらにせよ、気づかないわけもないだろう。レイナは確信を持って希望の名を叫ぶ。
「まさかこんなとこで本物に会えるとは思わなかったわ……――あんたが希望ねッ!!」
…………。
………………。
まるで。
初対面のようなその反応に、希望の時間が止まった。
「一応お礼は言っとく。危ないところを助けられたわけだし。……しかしアカネも当てにならないわね、結局街の中にいるんじゃない」
「…………」
「けどまぁなに? ……こうしてみるとやっぱり本物は違うわね。森であんたに似た特徴の奴を襲ったんだけど、本当にアカネと同じ《先駆者》かって恰好だったし」
気づいてもよさそうなほどジロジロと観察するレイナは、それでもやはり気づけない。
一方無遠慮に近づくレイナに希望は一歩引いてしまっていた。
(なんだこいつ、なんで……?)
それから、ああそうか、と視界を狭めるフードに触れる。確かにレイナとあったときは日の通らない森の中であった為に、素顔で話していたし、街についてからは遥奈の気遣い(という名の謀略)もあって頭からつま先までそこそこ値が張ると一目でわかる身なりに変わっている。
加えて状況も雲泥の差だろう。
薄暗い森の中ボロボロの姿で発見されるのと、闇討ちの最中、助けられるように出会うのでは。
「――っと、それどころじゃないっ! えっと、アカネってわかる? あんたの知り合いなんだけど、今この街にあんたを探してきてて……でもないっ!」
「…………」
出会い頭に喧嘩を吹っ掛けて来たのとでは対応も随分違う。
フードを被った青年はどこか釈然としない感覚のまま、どうしたものかと考える。
噂になってる特徴から、剣を抜けばバレるだろう。
フードが外れてしまえば、言わずもがな。
声を出しても、恐らくは。
希望の逡巡を知らず、勢いを落としたレイナはやがて足元に転がる襲撃者を指した。
「……説明するまでもないとは思うけど、一応これ、闇討ちね。しかもあたし狙いじゃない」
「…………」
「あたしの兄貴がこの街にいるみたいなんだけど。どうにも次の『月』での出場を望まれてないみたい。こうして妹のあたしを利用しようって輩が襲ってくるくらいには危険視されてるんでしょうね」
「…………ふうん」
思わず唸る。
レイナの兄と聞いてあまり想像できなかったからか。
想像していた闇討ちがその規模を超えていたからか。
それから、少し考えて声を出した。
「兄貴が心配か?」
バレていない。そう確信出来るくらいにはキョトンとした顔をすると、レイナは吹き出すように笑う。
「まっさか。私は私で他の目的があってぶらついてたわけだし。……まぁ、こうして飛び火してるわけだし、その途中でもし見かけたら一発くらいはぶん殴ってやるけどね」
屈託なく笑うその顔は、年相応である。
信頼しているのだろう。兄とやらが闇討ちにあっても無事であると信じている。
「……なに?」
「いや、なんでも。……それで、なにか話の途中だったんじゃないのか」
「あー……っと、うん。まあ」
レイナは思い出したように短剣を鞘に納める。
「一応、アカネがあんたのことを探してるってのが一つ。何となく力量も見えたし、あたしじゃあんたを捕まえられるとは思ってないからもう行くけど。……もし――」
そこで不意に視線が揺らぎ、
「――いや、やっぱり何でもない。あんたも有名人なんだから闇討ちには気を付けなさいよ」
「……ああ」
「それじゃ」
無警戒に背を向けてレイナは歩き出す。
きっと居住区はそっちの方角にある。――それを理解しながら、その後に付いていくのは躊躇われて、希望は逆方向へと歩き始める。外壁をつたっていけばいづれは遥奈の家にも辿りつけるのだろう。
ガラス窓に反射する夕陽から逃れるように脇道に逸れ、更に道なりに奥へ。
一方向へ突き抜ければそのうちどこかへは着く。中央広場か、いっそ居住区へと入れるのであればそれに越したことはない。後先を考えているのか、考えていないのか微妙な思考そのままに、誘われるままに道を抜け。
ようやく足を止めた希望は、息をついた。
「……生憎と、お願いは聞けそうにないな」
きっと、彼女はこう繋げようとしていたのだろう。
『もし、兄が闇討ちされていたら同じように助けてやって欲しい』――などと。
だが、言葉にされなかったお願いが果たされることはない。
間に合わなかったとか、聞き届けられなかったとかそういう次元でなく。
例え知っていても間に合わなかったし、聞き届けられなかったから。
希望は酷く冷静に、死んでいないだけのそれに目を落とす。
「この世界の『戦士』とやらは外で寝ると、風邪引くって知らないのか?」
まるで赤色のペンキを被ったようだ。――希望はあくまでも平坦に、先刻までとは打って変わり、ピクリとも動かない『喧嘩屋』を見下ろした。
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