喫茶やおよろず
緑町、昔ながらの商店街の入口のすぐ側にその店はあった。
丸太を削ったような看板には「やおよろず」と書かれている。
店先にはイーゼルに立て掛けられた小さな黒板が置いてあり、そこには「本日のおすすめメニュー」が書かれていた。
店の中は色も形もバラバラの椅子やテーブルが三組だけ点々と置いてあり、燭台やら提灯やらで照らされた統率感のない不思議な空間ができあがっていた。
可那子はそのなかの椅子に浅くかけ、包帯の巻かれた肘をさすりながら居心地悪く店の中を見回していた。
この日、可那子は緑町べんり商店街をクリーニング屋目指して歩いていた。可那子は来月から緑町高校に入学する。だから、同じ高校を卒業した従姉から制服を譲り受けることになり、クリーニング屋に取りに行ってくるように言われたのだ。当然、暇な爺婆が歩いているだけのつまらない商店街などに行くのは面倒だから嫌だとずいぶんごねたのだが、誰もかわりに取りにはいってくれなさそうだったので諦めて自分でいくことにした。
小さい頃はよく母についてこの商店街にきた。そしてクリーニング屋の隣にある駄菓子屋でおねだりをしたものだ。だが、その駄菓子屋も一年ほど前に店主のおばあさんが亡くなって、今はシャッターが冷たくたたずむばかりだ。
「あら、可那子ちゃん久しぶりねぇ~」
「お久し振りです……」
可那子はちょっとうるさくて苦手なクリーニング屋のおばさんの話を聞き流し、制服を受け取って歩き出した。
「だるいなー………」
無意識にため息がこぼれる。
ぼーっと手にもったスマホをいじりながらとろとろと歩く。
もうすぐ商店街の出口というところでふいに手元に影が射した。はっとしたときにはぶつかっていた。
「うっ」
「うわっ」
なにかに鼻がぶつかった鈍い痛みに耐えながら顔をあげると、可那子と同じように尻餅をついた女の人がいた。
やば、ぶつかっちゃった!
「す、スミマセン!大丈夫ですか!」
悪いのは歩きスマホをしていた可那子にきまっている。
さらさらのショートカットのその女の人はパンパンと自分の服をはたいて起き上がり、困った顔で笑った。
「お嬢さんこそ、お怪我は?」
お嬢さん。
ついぞ呼ばれたことのない響きにぽかんとしてしまう。
「お嬢さん?これ、落としたけど?」
自分に向かって呼び掛けるやさしい声に我に帰る。
可那子は差し出された制服を受け取って頭を下げた。
「あ、あのぶつかってしまってすみませんでした。」
「いいえ、こちらこそ……ああ。」
下げたままの視界に滑り込んできた白い手にそっと腕をとられ、顔をあげると、その人の鳶色の瞳と目があう。
「怪我してる。」
そういいながら笑うその人の顔があまりに美しくて可那子は知らず知らず息を飲んだ。真っ黒の髪がさらさらと揺れる。透き通るような肌と真っ赤な唇。その人は目が離せなくなった可那子の頭を撫でて困ったようにまた笑った。
そしてあれよあれよという間に手当をするからとかなんとかいわれ、引っ張られるままに歩いて気がついたらこの店にいた。
「おまたせ。オレンジジュースと私の特製ケーキだよ。」
可那子の肘の傷に包帯を巻いたあと、厨房に消えたその人は美味しそうなガトーショコラをもって現れた。
「わたしは月子。ようこそ喫茶やおよろずへ。」
ガトーショコラは文句なく美味しかった。
ガトーショコラを食べ終える頃には可那子はすっかり月子に心を許していた。帰るときにお土産だと月子がくれた小さな包みを家に帰って開けるとピンクの金平糖が入っていた。可那子はそれをそっと大切にしまった。