井戸の男は地獄の男
大変ご無沙汰しております。
どこの世界の歴史上の人物にも想像の斜め上をいくような逸話や発想を持つ人物はいるものである。
--例えば今目の前でへらへらと笑っている日本の小野篁という人のように。
その日は特に何もなく愛は祈と2人、のんびりとした1日を過ごしていた…はずだった。いや、間違いなくのんびりとしていたのだが珍客によりそれは続かなかった。
「悪い祈、文句は後で訊くから」
乱暴に開けられた扉から入ってきた翼とその後ろから疲れきった顔をした男の人と反対に楽しそうに笑う男の人を見て祈の顔が歪んだ。開口一番謝罪した翼の姿は光の速さで見えなくなった。
「こんなところで遊んでていいの?」
諦めたように祈は残った2人を招き入れながら訊いた。するとそれまで疲れきった顔をしていた男の人がガバッと顔をあげた。
「頼む、もっと言ってやってくれ。できればあと数十年こっちに来たくなくなるぐらい」
どうやら彼は苦労人のようだ。しかし誰かわからないままでは話が進まないので愛は祈の方を見る。
「あー、その死にそうな顔してるのが要。天の一族なんだけど主に地獄と連絡をとる為の窓口みたいなことをしてるわ。で、もう一人の方が小野篁。地獄で仕事してる筈なんだけど何故か今此処にいるわねぇ…」
小野篁…。確か日本の古い偉人だったはず。それならばと自分の手元で光るブレスレットを撫でる。
「湊、出ていらっしゃい」
応えるようにブレスレットが光り少年が姿を現した。そう、彼は先日愛に引き取られた少年だった。
「愛姉やっと呼んでくれたー」
早く出てきたかったのにと不満げに口を尖らせる湊に愛は苦笑をかえす。好きなときに出てきていいと言ってあるのに呼ばれなければ出てこないのは湊の我が儘だからだ。
「ねぇ君今ブレスレットになってたの?凄いねぇ、閻魔大王もそれくらいコンパクトになってくれないかなー」
それまで黙っていた篁が口を開いた。が、想像以上に軽い。見れば祈も要も呆れ顔だ。もっとお堅いイメージを持っていたのだがどうやら捨てた方が良さそうだ。
「いや、ね。閻魔大王がメタボでダイエットしてるらしいんだけど痩せなくってさー。大王がサボってても僕らじゃ動かせないから嫌がらせにサボりに来てみたんだー」
どうなの、それ。ちゃんと機能してるの、地獄。ちらっと祈ちゃんの方を窺うと既に我関せずな態度でニコニコしている。
「愛姉、この人詐欺師?」
真顔で呟いた湊にあたしも祈ちゃんも要さんも思わず吹き出してしまった。そうね、教科書とかいう代物には描かれないであろうぶっ飛び加減だものね。
「詐欺師、ふふ、あはは」
何故か祈ちゃんのツボにはまったらしい。涙目になりながら笑ってるのでとりあえず放置しておくことにした。
「あ、そういえば詐欺師さんって1回島流しになってなかったっけ?」
湊…詐欺師さんと呼ぶことに決めたのね。本人含め誰からも注意が飛ばなかったので良しとしておこう。
「あー…うん。船ボロくって乗る気なくなったから」
ケロッとした顔で言ってますけどそれ現代の日本社会では通用しませんよ、その勤務態度。
湊の顔にも『この人ダメな人だ』と出ている。
そんなものお構いなしに店の中を見回していた篁はふと思い出したようにこちらを見た。
「そういえば前にここに来た時には愛ちゃんまだ子どもだったよね。どう?そろそろおにいさんと遊びに行かない?」
「嫁に三行半突きつけられても知らんぞ」
それまで我関せずでお茶を啜っていた要さんがぼそっと呟く。
篁さんお嫁さんいたのね。ちょっと見てみたいわ。
「やだなぁ、僕の生きてた時代は一夫多妻制だったから問題ないよ」
そういやそうでしたね。確か篁さんが生きていた時代は平安時代とかいって一夫多妻が基本のお貴族社会でしたもんね。
篁さん性格に難あり行動に難ありなんですけど見た目はそんなに悪くないんだよなーとか思っていると湊に腕を掴まれた。
「詐欺師さん見た目若いけどさ、そういや死んだ人っていつの姿でいるの?」
あー…説明してなかったのさっぱり忘れてましたね。祈ちゃんを見ればそういや言ってなかったっけーなんてケラケラ笑ってる。
「死者は亡くなった時の年齢の見た目をしているわ。だからこどものままの姿の魂もいれば大往生を遂げた姿の魂もいるわ」
それが亡くなった時の姿とは限ら無いけどね。流石に天国に分類される此処でえげつない姿はいただけないもの。
ねぇ?と確認するように祈ちゃんを見ると頷いて後を続けてくれた。
「地獄からの要請もあってね。自分たちよりもおどろおどろしい姿の亡者を相手にするのは精神的に良くないって」
案外みんな怖がりなのよ、自分たちだって充分怖い見た目なのにね。なんてクスクス笑う祈ちゃん。
流石の篁さんも苦笑いだ。
「頭弱くて怖いものだめでって何が出来るんだって感じだよねー」
そういや篁さん頭いいんだったっけ。
「『子を12個書いたものを読め』だったかしら?」
確か嵯峨天皇に出されたのがこれだったはず。
経緯がなんとも言えない話だけれども。
「あー、あれ?無悪善って書いたやつ?」
湊って歴史系得意よね。どうでもいいような少し逸れた部分を覚えてるところがなんとも言えないけど。
なんとも言えない話が多くないかしら…。
「あれねー。酔っ払ってつい書いちゃった☆」
てへっと舌を出す篁さん。語尾に星ついてるけど可愛くないですよー。ええ、まったくもって。
要さんと祈ちゃんは仲良く呑気にティータイム中。湊が思ったよりも篁さんに食いついたのをこれ幸いと我関せずな方にシフトチェンジしていた。
「詐欺師さんなんで生身で地獄にいたのってか通えたの?」
あ、それあたしも気になります。日本の伝承では井戸からってなってるけど、こちら側、所謂あの世と呼ばれる世界には基本的に魂しか存在しないから。
なんにしろ篁さんは例外中の例外だったのだ。
「あー、当時の補佐の人が地獄の住人と天界のハーフでね。ほら、天界の方々って能力を持ってるじゃん? あれでこっちでも大丈夫なようにしてもらってたんだ」
へらっと笑って何でもないように言ってますけど篁さん、それ人間であること放棄してません?
ていうか当時の補佐って誰だろう…。何でもありなのか。
チラッと祈ちゃんを見るとなんだか遠い目をしている気がする。触らぬ神に祟りなし、とも言うし聞かないでおこう。
仕事サボりたかったんだってー、なんて呑気に宣っていらっしゃいますが本当に大丈夫なの、地獄の方々って…。
と、白目を剥きかけていたがよく知った気配が近づいてくるのに気づき笑みが浮かぶ。
「やっとお迎えが来たみたいね」
やれやれ、といったように祈ちゃんはテーブルの上を片付け始めた。愛と同じように少しずつ近づいてくる気配に気がついたからだ。こころなしか先程までより機嫌が良さそうだ。
「仕方ないから仕事しますかねぇ」
なんて言って立ち上がったのは篁さん。その横では要さんがやれやれといったようにお茶を啜っている。
えーっと、お帰りになるのは篁さんだけなんですね?
ドアにつけられた鈴の聞き慣れた音が響き、本日2度目の登場となった翼が姿を見せる。
「小野篁殿のお迎えにあが…「遅い!」
嫌味な程丁寧に挨拶を告げかけた翼を祈がばっさりと切り捨てる。容赦ないな、祈ちゃん。
「はい、これ連れて帰って。そうね、少なくともあと200年ぐらいは連れてこなくていいわよ」
パチンと指を鳴らし、翼の目の前に篁を移動させながらさあ帰れと捲し立てた。
そのまま祈の笑顔に負けすごすごと篁を連れ翼は店から出ていった。首根っこを掴まれて連れ出されているにも関わらず終始笑顔で愛と湊に手を振っていた篁にはある意味凄いと思わずにはいられなかったが。
そして普段ではなかなかない騒がしさではあったがそんな日があってもいいかなと思うぐらいには篁の登場を楽しんだ愛であった。
小野篁が宮廷に仕えていた時代の天皇は嵯峨天皇で当時嵯峨天皇がいなければどれだけいいだろうかという意味の「さがなくばよからん」という文句を読めた為に罰せられそうになったところの救済措置が「子を12個書いたものを読め」というものでした。
ちなみに答えは「猫の子仔猫獅子の子仔獅子」です。
小野篁に纏わることを調べると詳しく知ることができます。