しゅごきし登場?身分上昇?
◇
さて、本題本題!
とにもかくにも盗賊を退治したわけですから前に進みましょう。
「お怪我はありませんか?」
剣を鞘におさめたわたしは、まずは黒髪のお嬢さんに微笑みかけました。金麦では天使の微笑みと名高いスウィートなスマイルです。何度となくわたしの微笑みを目にした彼女は、予定ではもう美少年に恋して瞳がハートになっているはずですが……、
「……ありません。助けていただきありがとうございます」
うーん? 反応は微妙です。
驚いている様子ではありますが、その驚きの中にわたしへのラブが込められているかというと……、判断付きかねます。今までのご令嬢たちがとても分かりやすかっただけに、反応が薄いとどうにも分かりにくいですね。
それにしてもこのお嬢さんってば色々と羨ましいです! 声がハスキーで中性的ですし、背も高く、顔はとてつもなく美形です。
わたしは顔こそ中性的で美少女でも美少年でもイケる造りをしていますが、身長は十四歳男性の平均程度で、例え多少なりと成長期が残っていたとしても、大幅アップは見込めません。さらには声変わりなんて一生しないでしょうからね。
それに引き換えこのお嬢さんときたら……、男装したら確実にイケメン間違いなしです。ちょっと冷やかな印象なので「氷の貴公子」なんて二つ名もつきそうで……。まさに男装の麗人。……指を加えたくなるほどうらやましいです。
「あの、……あなたは、」
――おっと、不躾にジロジロ見るのはよくないですよね。問われてスンの間、思考を高速回転させました。が、危うく――
「わたしはキュイ。金麦の――、金麦で甘味職人をしているキュイジーヌと申します」
つい正直に「金麦のピナス伯爵子息です」とか言いそうになりました。ふぅ……、ダメダメ、ここは慎重に慎重を期して発言には注意しなければ。
「キュイ、ジーヌ様、ですか?」
「はい。キュイとお呼びください」
「……キュイ、様」
「ふふ、呼び捨てでもかまいません。よろしくお見知りおきを、お嬢さん」
ちょっと気取った感じで告げてみました。さらに怪しまれては困るので、手持ちの外エマ通行許可証を提示してみます。細やかな銀細工でできたソレには今述べた偽名が堂々と彫られています。――そう、なによりこの通行許可証の名義がキュイジーヌで発行されていますからね、本名をさらすと偽名である事情も話さなければならないので、咄嗟にこのことを思い出せてよかったです。でないとやっかいなことになるところでした。
父上が親心で――将来わたしが家出をしたときに新たな身分を得られるようにとあえて偽名で通行許可証を発行してくれたわけですが、咄嗟に思い出せてグッジョブわたし。発行者は州城主である父上になっていますから、もし万が一のことが起きたとき――例えば国境侵犯罪に問われたときとか――そんなときには父上に連絡がいきますから、きっとピナス家に類が及ばないようにいかようにも誤魔化してくれることでしょう。
「ありがとうございます、キュイ様」
お嬢さんが通行許可証を確認してすぐに返却してくれました。まだ少し戸惑っているようですが、きっとさっきの出来事が尾を引いているのでしょうね。うーん、ここはもう少し付け加えておきましょうか?
「わたしはこれから女王国へ向かう予定なんです。金麦の甘味を広げ、また女王国の甘味を学ぶために」
それらしいことを述べて安心を誘ってみます。はっきり言って今マッハで考えたばかりの設定ですが、嘘は嘘を呼び込むようで、脳内では次から次に偽のキュイジーヌ少年の経歴が出来上がっていきます。
例えば、――甘味職人には見えない服だと言われたら仕えた貴族に頂いたのだと答え、なぜ剣をもっているのかを聞かれたら護身用だと答えることにします。どこで学んだのかと問われたら……甘味の師匠が教えてくれたのだと濁すことにしましょう。わたしの師匠は世界を股にかける甘味職人で、わたしもまた師匠のようになりたいのだと。甘味修行の旅に出ているのだと。
……うん、よし、パーペキです!
「それで、お嬢さんはどちらに向かうのですか?」
この道は一本道です。
女王国から来たのか、女王国へ向かうのか。内エマ出身ということですから、出来れば行き先が同じだと嬉しいです。でなければ作戦変更を余儀なくされてしまうのですが、
「……女王国です」
よし!
エア拳でビシッとガッツポーズ。
「盗賊たちの話では、あちらの――内エマにお住まいだとか? ご自宅へ戻られるのですか?」
「えぇ」
うふふ。よしよし、何気なさを装って行き先情報ゲット。順調です!
あとはこのお嬢さんがカモンマイホームと誘ってくれたら最高なんですけどね!
「――でしたら、途中までご一緒しませんか? いくら平和な女王国といえど、女性の一人旅は危険です。わたしは急ぐ旅ではありませんし、内エマの境界までお送りしますよ?」
これでもかと微笑みを向けます。
ついさっき襲われていたばかりですから説得力があるはずです。このお嬢さん、どう見ても腕っ節が強そうには見えません。逆に賢そうな顔をしていますからきっと賢明な判断を下してくれるはずです。そして、ポイントは「途中まで」を強調することです。わたしの通行許可証は外エマオンリーです。これを家まで送りますなんて言ったら下心丸見え。ここは内エマになんか興味ないですよアピールをしておくのです。
「それに、馬で駆ければ早く着けますし」
ニコニコ。ニコニコニコニコ。
出来ることならここでお嬢さんに誘われたいところではありますが、盗賊に襲われた直後でショックもあるでしょうから、ここは少しずつわたしという存在に慣れてもらい、家に呼びたくなるように仕向けましょう。
じっとお嬢さんを見つめながら返事を待っていると、お嬢さんの視線がスッと逸らされました。……ん? 良く見てみれば、お嬢さんの頬がほんのり色付いています。瞳も濡れて……、こ、これは……もしかして……ラブ? 照れていますか? 彼女の心は既に恋に落ちて……?
「よろしければ、あなたの名前を教え――」
ていただけませんか?
これはもう一押しで落ちるかもしれない、そう思ったわたしは、とりあえずお名前でも尋ねようと口を開いたのですが、
――その矢先に、
「――いたな! 男女!」
甘酸っぱさを含んでいる気がしないでもない二人だけの空間に、第三者の声によって亀裂が入りました。
わたしたちはほぼ同時に声の方へと振り向きます。
そこには、……この世界では最近開発されたばかりだという火器――見ためは前世のテレビでみたことがあるようなデコられた拳銃――をもった全裸の――もといほぼ全裸――裸体にブーツを履いただけの男が立っていました。
女性を前にしてなんという破廉恥、と思いきや、さっきの盗賊の一人――おそらくリーダーだった人です。
「さっきはよくもやってくれたな!」
叫んだリーダーは、銃口をわたしに向けながら山の中を滑りおりてきました。靴抜きでハレンチ斬を放ったことが仇となったようで、わざわざアジトに戻って銃を持ってきたようです。
もしかしてアジトには銃はあっても替えの服はなかったのでしょうか? ――なんてことを口走りそうになりましたが、目が血走っている彼は相当おカンムリのようなので、減らず口を叩いたら最後、銃口から弾丸を発射しそうです。
……あー、よし、冷静になりましょう。
裸の男が銃を片手に怒っています。
なぜ裸かと言えばわたしがハレンチ斬を放ったからで、なぜ銃口がわたしに向けられているのかといえば、ハレンチ斬を放ったからです。
はい、全てはハレンチ斬のせい、つまりがわたしのせいです。
さて、ではどうすればいいのでしょうか?
いくら高品質の金麦似非男子といえど、銃弾白刃斬りなんてしたことありませんし、ビンボーダンスで銃弾を避けられるほどの瞬発力もたぶんありません。もしわたしが物語の主人公だとすれば主人公補正で全ての銃弾が勝手にそれるなんてこともあり得るでしょうが……、それを期待して敵に背を向けて逃げるなんてそんなの無謀な大馬鹿です。かといって特攻したりしたら流れ弾がお嬢さんを傷つけることにもなりかねません。
結果、
「お前がどんなに強かろうと、この最新鋭の火器には手も足も出ねぇだろうよ」
その通り。ヤバイです。背中に汗が流れそうです。とりあえず美少年としてお嬢さんだけはお守りしなければ!
「さぁ、そこの嬢ちゃん、俺に通行証をよこしな。でないとこの生っちろいクソガキの頭をぶち抜くぜ」
――とは思いますけどっ、こ、これは、この状況はかーなーりっ、ヤバイっ!
どうしましょうっ? どうするべきですかっ?
と、とりあえず、ここは「渡してはいけません」とか言っときますか? ――ぃいえ、ここはおとなしく渡すべきなのでは? どうせ渡したとしても女王国の警備隊にとっつかまって終わりのはず。なら、ここはおとなしく、
「……それはできません」
お、嬢さーん!
マジですかっ?!
「女王国民として、許可なき者を通す手助けをすることはできません」
……そ、そうですよね。そうです、こんな状況でも国のことを思うなんて気丈な方ですね。さすが王女様(妄想)です。
が、そうするとわたしの頭が吹っ飛ぶのですが!
お嬢さん、あなたわたしに淡い恋心とか微塵も抱いていなかったのですね……。瞳が潤んでいたり、頬が少し赤くなっていたのは、もしかしなくても盗賊たちの裸体を直視してしまったせいだったのですね! その瞳に浮かんでいたのは喜びではなく羞恥。時間差で訪れた羞恥心によるものだったんですねっ!
わ、わたしもまだまだ修行が足りないようです!
「……まぁいい。それならそれで二人ともぶち殺せばいい話だからな」
良くない良くない! わたしこんなところで死にたくないです! わたし、兄上を助けなくちゃいけないんです! 女王国から救い出して国へ連れ帰るという使命があるんです! 再会した兄上にハグしてもらうんです! ですからわたしはまだ死ぬわけには――
「死ね」
この世界で初めて聞く銃声が森に響いた瞬間、思考回路が停止しました。二度目の人生を歩んでいるからか、恐怖は感じませんでした。
感じたのは、これでもう終わりだという現実――わたしがここで死ねば、もう誰も兄上を助けられない、そうなれば、兄上が死んでしまう。そのことへの恐怖と、拒絶。
終焉を拒むように、瞬きはしませんでした。
銃口から発射された弾が、まるで映画のワンシーンであるかのように飛ぶさまを眺めていたのです。
――あぁ、イヤだッ! 死にたくないッ、死なせたくないッ! 兄上を守るために、わたしはまだ死にたくないのにっ!
――誰かっ! 神様!
一瞬の思考停止から回復したわたしの脳みそでは、そんな嘆願がなされていたのではないでしょうか。きっとこのまま死んだら化けて出る。化けて出て兄上を助けてやるんだからとか、そんなことを考えていただろうわたしの耳に――
「――うにゃらぁああああ!」
聞き慣れない第三者の声が、銃声に被るように響き渡ったとき、めいっぱいに開かれた視界で、放たれた黒い弾丸が壁にぶち当たったように弾ける光景を目にしたのです。
そして、
「我がしゅに危害を加えようとしゅる者よ!」
どこからともなく聞こえてくる声に、盗賊リーダーが銃口を四方八方に向けながらうろたえています。彼にも聞こえているということは幻聴ではないのでしょう。でも、……しゅる?
「誰だっ? どこにいるっ? 姿を見せろ!」
それに応えるように、目の前に赤い球体が現れ、――それは光を放ち始めました。徐々に発光気体から液体へと変化させたそれは、炎よりも、太陽よりも赤く――血が沸きたっているかのようで……、ぐにゃぐにゃと変形しているその様は、はっきり言って気味が悪いです。
でも、不思議と恐怖心は感じませんでした。それよりも、ぐにゃぐにゃから発せられているだろうくぐもった声のサ行が気になって気になって……。
「汝の罪はしに値しゅる!」
その幼い子供のような声を聞いているとつかの間状況を忘れてしまいそうになりましたが、
「よって――、」
おそらく完全に形状が定まったのだろう後ろ姿を見つめて、わたしはうわーと、目を見開きました。
あの赤い液体からどうやったのか知りませんが、ラベンダー色の長いコートの裾を風にはためかせ、片手をあげるその姿が、
「しぇーばい!」
振り下ろされたその腕が、あまりにもちまくて、ぷにぷにっとしていて、なんというか、……とにかくミニチュアで可愛いくて……!
ちまぷにが出現させた青い羽が悲鳴を上げる盗賊リーダーを包み込み、手品のように消し去ったことを知ったのが、数秒遅れたほどでした。
メルヘンを待ち望んでいたわたしはテンションアゲアゲ。だって小人が、空飛ぶ小人が!
「ご安しんくだしゃい、しれ者はしりじょけましゅた」
つい魅入っていたわたしは、その台詞にハッと我に返り、――いったいどこへ、とツッコミを入れたかったのですが、――次の瞬間にはそんなことは脇に追いやることになりました。だってそのちまぷが、わたしへと振り向き慇懃な仕草でこうべを垂れたちまくてぷにっとした小人が、
「お怪我はなしゃっておりましぇんか? ひ――」
はいストップ!
ちょっとそこのちまぷにさん! 今、あなた、安心せいとおっしゃった口で何を口走るおつもりだったのですかっ?
「ふぃ――」
いえ、言い直さなくて結構です。分かります。わたしには分かりますよ、あなた今、『姫』と、わたしのことを『姫』とかなんとか呼びそうになったでしょうっ? ふん! この手の単語は空気を吸っただけでセンサーが察知するのですから間違いありません! まったくっ、美少年キャラをはっているわたしに向かって『姫』だなんて! それは禁句です!
「おかげさまで怪我一つありません。ありがとうございました」
禁句を発する小さなお口を両頬をギュッと指で摘まむことで口封じです。……って、なんですかこのほっぺちゃん! 発酵したパンみたいじゃないですかっ! ぷ、ぷにぷにつやつや! 柔らかいし弾力があって……つい揉む方に意識がもっていかれます――が!
「あにょ、ひ――ふぎゃっ?!」
いけませんいけません。可愛いからって禁句を発していいわけではありませんからねっ。
「にゃににょにゃにゃりゅにょにぇりゅりゃ?」
ぇ、何って? ぷにぷにです。ぷにぷに口封じです。可愛い版ムンクの叫びの刑とも呼べますが? ぇ、何故って? そりゃああなたが姫なんて呼ぶからです。しかも当然のように。
どうして知っているのか、もしくは見間違えたのか。どちらにしろわたしを姫と呼ばないでください!
「ふぃ――ふゃっ!?」
あーあー、まったく! あなたまた姫と呼びそうになりましたね? さらにぷにムンク刑を酷くしてやります。苦しいですか? ふふん、苦しいですよね? よし、少し緩めてやりましょう。いいですか? 今の単語は言ってはダメです。ダメですよ?
本当は口頭指導が早いのですが、お嬢さんがいる手前それもできませんからね、わたしはひたすらぷにぷにを続けるしかありません。
頬を摘まんだ指をぐいぐいと少し力をこめてあげると「ふやややぁ、」とふやけた声が漏れて……カワユイ。
でも可愛いからってダメなものはダメです。『姫』なんて単語を出すお口は絶対に解放しませんからね?
笑みを浮かべホッペに夢中になっている振りをしつつ「姫と呼ぶな姫と呼ぶな」と視線を送り続けること数秒後、ようやく「……やぁめへくらはいぃ、じぇんかぁぁ」とお気に召す返答がありました。はい、殿下なら男女共にオッケーですからね、……ま、殿下なんて呼ばれるような身分ではありませんけど、たまにわたしのことを殿下と呼ぶ市民もいないことはありませんしね。違和感なしです。
「ふややや……、この痛みもまたひやわしぇでしゅぅ」
指を放してあげると、ちまぷには奇妙なことを呟きながら頬を両手でさすりだしました。もにもに、ぷにぷに。その姿がまた可愛らしいことといったらもう――ハムスターやリスやモモンガもメじゃないです!
「それで、あなたは何者ですか? 小人族の方ですか?」
そのような種族が本当にこの世界にいるかどうかは知りませんが、目の前にこうして存在しているということはそういうことなんですよね? しかも空を飛んだり青い羽を操るという超能力までもっているなんて、――ザ・メルヘンですねっ!
わたしが知らないだけでこの世界にはもっと色々種族がいるんでしょうか? 喋るクマとか、妖精とか――ああ、そういえば、女王国には御神木の精霊がいると聞いたことがあります。夢物語だと思っていましたけど、これは実在するかもしれません。
ふふ、どうやらこの世界、わたしが思っている以上にファンタジックでメルヘンちっくのようです!
あぁでもあの柔らかさ、堪りません! も、もう一度、もう一度だけ……今度は優しくしますからっ! ――誘惑に負けて指を伸ばせば、ちまぷに小人が自ら進んで我が手の中へ。ぇ、なにわたしったらもしかしなくても懐かれてる? うぷぷ!
「あぁ……、殿下の指はとても良い匂いがしましゅ。触って頂けるととても心地良いでしゅ」
もっと撫でてと擦り寄る猫のように指に絡みついてきたちまぷにに、わたしはもうメロメロ。あぁ、もう、たまらん。顔が垂れ下がってはいないでしょうか? お嬢さんの美少年像が崩れてはいないでしょうか?
ふと思い出してお嬢さんに視線を向けると、――ガン見でした。
目を見開いてこちらをガン見。わたしが見ていることにも気付かないほどに驚き、呆気に取られているようです。……まぁ、それはそうですよね、いきなり小人が現れて窮地を救ってくれたんですから。
「殿下、殿下」
呼ばれて視線をちまぷにに戻すと、ゴソゴソと動き出しました。指の間から上半身を出し、何をするのかと好きなようにさせていると――なんと!
上体を曲げ、手の甲に全身でチュウ。
小さなチュッという音に、身震いするほどの愛しさが溢れてきます。
ぃ、いやん! もうなにコレカワユイ! カワユイィィィ! 萌え死ぬっ、萌死にしちゃうからっ!
「殿下、僕の名前はウィルキンゲトリシュク・フィッシャーランドと申しましゅ」
「……ぁ、」
も、もしかして、今の、騎士がお嬢さん方にする挨拶? 手を取ってチュッ――てあれだったんですかっ?
「殿下のしゅごきしでしゅ」
あぅ、騎士! やっぱり騎士なんでしゅね!
しかもわたしの騎士! 今のは「あなたに忠誠を誓います」的な誓いのチュウだったわけでしゅかっ?
「これから先、殿下は僕がお守りしましゅ」
うにゃぁあ! やっぱり!
い、いつの間に! いつの間にわたしは小人族の騎士を魅了していたんでしょうかっ!
び、美少年って罪作りです。わたしってば罪作りな顔です!
「でしゅから僕を、きょじぇつしないでくだしゃい」
ヒシッと手に縋り付き、瞳をわずかに震わせるその姿にわたしの心は撃ち抜かれました。ズキューン! この胸のトキメキは兄上以来です!
「もちろんです。あなたがわたしと共にいることを望むなら、拒んだりはいたしません」
拒絶なんてとんでもない!
こんな可愛い存在を否定したらこの世の何を受け入れろと言うのですかっ!
「ですから、泣かないで。君の可愛い頬が濡れる姿も可愛いらしいですが、君の可愛いらしさに涙なんていりません」
そう、そのほんのりと赤く染まったほっぺの感触が素晴らしい。だから涙は拭いて、――あぁいえ、拭いて差し上げます。こう、クイっと親指で、ふふ、小さな顎。小さな唇。小さな鼻。小さな瞳。でもその小ささがいい!
「フィッシャー」
確か、そんな名前でしたよね?
「――で、でんかっ!」
ポロっと親指に落ちた涙に、ちまぷに――もといフィッシャー君を優しく抱え上げ、左手の指で優しく涙を拭います。すると、おとなしく手の平で膝をついていたフィッシャー君が両手をわたしの顔の方へと伸ばしてきました。……ふむ、どうやら顔を近づけてほしいようです。
その意図を汲んで顔を近づけると、フィッシャー君が瞼を閉じます。あぁ、可愛いっ! これはもしかしてほっぺにチュウでもしてくれるんでしょうかっ?
カモンカモン! チュッしてチュッ!
「――っ、殿下!」
微笑ましさに望まれるがままにフィッシャー君を顔面に呼び込んでいると、急にその腕を掴まれました。お嬢さんです。
その力強さに思わず手の平のフィッシャー君を放り投げてしまいましたが、……まぁ、彼は空が飛べますから大丈夫でしょう。それよりも、
「――どうかされましたか?」
しかめっ面です。お嬢さん、いったい何が? ――ハッ、まさかこのちまぷにがバッチいとか? もしくは噛むっ? でなければ、わたしのあまりのデレデレぶりに幻滅っ?! 見ていられないわ! ――まさかそれほどに酷い有様でしたかっ?
「……あなたは、」
は、はい?
声に出すことも忘れて、お嬢さんと見つめ合います。な、生唾飲み込みたい!
「あなたは、……」
ゴキュン。
風が吹いたのを気に喉を鳴らして続きを待ちます。風が止むにつれてお嬢さんの表情にも変化が訪れます。……視線を下げ、顎を引き、唇を噛み、まるで言うべきことを悩んでいるかのようです。急かす理由もないのでただじっとお嬢さんを待っていると、
「あなたは、……公爵です」
「……は?」
「あなたは、女王国エマニュエルサの公爵殿下です」
「……」
ぎゃふん!
わたしのこの驚きが顔に出ていなかったか心配です。顎を引き上げ告げた言葉がそれだなんて誰が予想できますか? しかも、なんですって? こうしゃく? 公爵ですって? ……ち、近いです。わたしはその下の――けれども上級貴族である伯爵家、の次男。ちなみに金麦伯爵家ですけど、それはそれとして――どど、どうして分かったのでしょうかっ? こ、このちまぷにが殿下なんて呼んだから? それとも隠しきれない貴族オーラのせい? ど、どちらにしろ否定っ、否定しなければっ!
「残念ながら、わたしはそのような高貴な身分ではありませ――」
「いえ、あなたは公爵殿下です。女王国エマニュエルサの、公爵であらせられます。殿下はご存知ないかもしれませんが、彼は女王国に伝わる御神木の精霊であり、守護騎士。そして、守護騎士が現れた者は等しく王族、もしくは公爵と呼ばれる存在となり得るのです」
「………………」
――あ、れ? よ、く、話が掴めませんけど、でも、そんなわたしでも分かることがあります。いえ、今のわたしにとってそれ以外は重要ではないほどの要点が存在していたような――、
「キュイ様、あなたは紛れもなく女王国エマニュエルサの――」
公爵!
あぁ! 兄上! 公爵ですっ、ま、まさかの公爵ですよ兄上様!
生粋の金麦貴族であるわたしが女王国の公爵なんて明らかにお嬢さんの勘違いではありますが、お嬢さんがそう思ってしまうような要素がわたしにあったのでしょう。ならばそれはそれで大歓迎。なんと言っても公爵ですからねっ、公爵といえば貴族の中の貴族! トップオブ貴族! となれば――? 内エマに入り放題間違いなし! イエイ!
「……あの、……殿下?」
おっと失礼。いけないいけない。嬉しさのあまり脳内に引きこもってしまいました。感情を表に出すことを極力自分に禁じているせいか、何かあると引きこもりがちに……、けれどここはうまく立ち回らなければね!
わたしは、遠慮がちに尋ねてきたお嬢さんに、オフコースと、フルコースの前菜的笑みを浮かべました。ここでメインを出してはいけません、ここは控えめでいきます。
「もちろんです。まさかわたしが女王国の公爵だったとは……人生なにがあるか分からないものですね」
うふふ、よく聞いてませんでしたけど、とにかくわたしが公爵だということですよね? 内エマへの通行手段ができたかもしれないということで、それはつまるところ兄上のもとへ参上する術を得たかもしれないというこですよね? そうですよねっ?
――あぁ! お嬢さん、でしたら申し訳ありません。他にも何かゴニョゴニョ仰っていましたが、わたしが公爵である、という以外の情報は今のわたしにとっては単調な文字の羅列に過ぎないのです。ゆえにあなたが例え今この時分に、わたしに愛を囁きかけたとしても馬耳東風、馬の耳に念仏なのであいすいません!
「……甘味修行をするつもりが、大変なことになってしまいました」
小難しい顔をして顎に手を当てたりなんかしてますが、内心は――んふ、ムフフ! か、顔が、顔がにやけちゃいますっ。
「――ぁ、公爵、ということは、わたしは、内エマまで入ることになるのでしょうか? あいにくわたしは内エマの通行許可証を持ち合わせていないのですが」
内心を押し隠しつつ、今気付きましたとばかりにハッとしてグゥな――なんとなしに不安気で困惑してます風な空気を纏わせて確認してみます。重要なのはそこですからね。――すると、
「問題ありません。公爵であるあなたを遮ることなど誰にもできませんので」
まさかの顔パスっ? あぁっ、グッジョブ! グッジョブお嬢さん! アーンド、サンクスっ、ベリーマッチョサンクス! お嬢さんっ、あなたは天使だっ、エンジェルだっ!
あぁっ、小躍りしたいっ、ステップ踏んでお嬢さんに抱きついてクルクルに回したい気分です!
「――そうですか」
ひとまずホッと息を吐きます。
けれど、ここで気を抜いてはいけません。まだ重要なミッションが残っています。
「では一つお願いが……、――いえ、こんなことを今日出会ったばかりのあなたに頼むわけにはいきませんよね」
迷う素振りを見せて遠慮深さをアピール。首を振って額に手を置きます。その姿はまさに悩ましい美少年のはずです。となれば、周囲は必ず――
「なんでしょうか? 私に、できることなのでしょうか?」
食いついたっ!
「……実は、わたしは内エマはもちろん、女王国に入るのも初めてです。突然公爵だと言われても、どうすればいいのか……、ですから、出会ったばかりのあなたに頼むのは大変恐縮なのですが、……不慣れなわたしのために内エマまでご同行願えないでしょうか?」
ふふ、美少年が困っていたら助ける、これこの世の常識です。そこに下心があろうがなかろうが、わたしはこの表情――心細いんです、でピンチをチャンスに変えてきたのです!
公爵という地位を得たことでお嬢さんの乙女心を弄ぶ必要はなくなりました。けれど、だからといって離すわけにはいきません。彼女にはやはりどうしてもついてきてもらわねばならないんです。
だって、この先わたしを公爵だと保証してくれるのはこのお嬢さんのみですから、せめて内エマに入るまではご同行願わねば。
「……お願いできないでしょうか?」
わたしは自称儚げな笑みを浮かべ、――やっばり、ダメですか……? みたいな表情を浮かべました。
これでダメなら他の手を考えようと画策しつつ眉尻を下げて見上げていると、――あら嬉し! 焦らしに焦らしたお嬢さんがわずかに頷き、
「……私でよろしければ」
あなたがいいんです!
パッと笑みが漏れたわたしは、堪え切れずにお嬢さんの手を掴み、お礼を述べつつ手の甲にキス。――ぁ、とお嬢さんが手を引いたのでヤバいとは思いましたが、その引いた手を見つめるお嬢さんにわたしへの嫌悪感などは浮かんでおらず、……ホッと一息です。つい王宮ホスト癖がでてしまいました。
「すみません、――でも、ありがとうございます」
控えめに笑みを浮かべ、内心――ふぅ、と再度安堵です。ここで逃げられては困りますからね、接し方には今後注意しなければなりません。金麦令嬢たちへの対応とは違い、ここは距離をとって、スキンシップや過度な言い回しは止め、出来るだけ丁寧に対応しなくては。
「本当にありがとうございます。その代わりというわけではありませんが、あなたのことはわたしが必ず守ります。無事にあなたの家まで送り届けますので」
未だ表情の固いお嬢さんに笑みを向け、安心安全な優良物件であることをアピールします。大丈夫です。わたしのことは人畜無害なボディガードだと思っていて下さい。何と言ってもわたしには新たな騎士――不思議ちまぷになフィッシャー君もいますし、豪華客船、いや軍船、いやここはエアフォースワンにでも乗ったつもりでいてくださいっ。
わたしは誓います。あなたを守ることを。あなたはわたしの幸運のエンジェル、いや女神なのですから。そして、あなたを守りつつ全速力で内エマへと赴き、兄上を見事救出してみせますっ!
さぁ、行きましょう!
我が騎士ちまぷにフィッシャーよ!
我が盗難馬シルバーよ!
国境を駆け抜け、一足跳びで兄上のいるエマニュエルサの首都へ!
◇