覚悟を決めます、ブラコンですから!
◇
我がシュトュックレンゼンは金麦の二つ名をもつ歴史ある王国です。初代王キュイジーヌ二世は世界の中心と謳われるエマニュエルサ――通称女王国の王族とは縁続きにあるとされ、長く女王国と対等な関係を築いてきたほどなのです。
と、これだけ言っても、女王国の凄さが分からないと我が国の凄さも分からないと思いますが、簡単に言ってしまえば――救世主のご親戚が建てた国なのです。
はるか昔、四千年くらい前に草木も生えない不浄な大地を浄化した一人の少女がいて、その少女が女王国を、その子孫が金麦を建てたんです。この大地に国は数あれど、女王国とご縁が深いのは金麦のみ。これが本当か嘘かは分かりませんが、わたしはそう習いました。
ま、対等だったのは一千年前までで、今は他の国同様に女王国の属国です。その経緯としては、金麦大飢饉が起きたときに女王国の王族が援助してくれて、忠誠と感謝の意も込めて傘下に入ったということらしいですが、これもまた詳しいことは分かりません。……いや、忘れたわけではありませんよっ? なにせ一千年前ですから、そのへんの記録が色々とあやふやなんです。一千年の間に寒波や飢饉や地震や内乱と色々あったせいで記録も失われたらしいですからね。
そして、そんな他の国々よりも女王国との親交が深い金麦では、過去、たまーにですが、王貴族同士の交換留学なんてことが行われていた時期があったそうです。女王国王室は基本的に他国との直接交流を拒んでいますから、これはかなり例外的な――身内贔屓的な国交でした。他の国がどんなに留学やらなんやら――嫁にやるやら嫁が欲しいやらを申し出ても相手にしなかったらしいので、他国からはそりゃあもうかなり妬まれたとか。
とはいっても、女王国の王族が我が国に嫁いだという過去はないそうですし、逆に男性が女王国に婿入りすることが多かったため、その制度は徐々に利用されなくなっていったそうです。元々男女比が激しい金麦ですから、当然といえば当然ですよね。男子の出生率が低下し始めてからは特に男子出国禁止令なんてものまで流布しましたから、最後にその制度が利用されたのは百年以上前だったはずです。
ですから、時が経つごとに、その制度の認知度は下がり、人々の記憶からも消え去っていったんです。
――が。
が、です。
それなのに、ですよ?
その制度を利用して女王国へと飛び立ったバカがいるのです。おぉいい制度があるじゃないか、ほほぅ、楽しそうだし利用してやろう――とヘラヘラ笑って出国した大バカが。
それは誰か?
もっちろんっ第三王子ですことよっ!
しかもっ!
わたしがこの世で最も大好きな人、守りたい人、愛を叫びたい人である兄上を連れて! 素敵無敵愛しきわたしの兄上を連れて出国しやがったのですよ!
あぁもうっ! 一人で行けってのに、あのバカっ、なんでよりにもよって兄上をっ! 思い出すだけでもムカつきますっ!
元はといえば、兄上が第三王子の専従騎士に就いたのが運の尽き。専従騎士なんてつまるところ護衛と側近を足したような仕事ですから、本当なら超エリート役職なんですが、仕える相手があの第三王子ともなれば話は別。これはもう確実に貧乏クジです! 確実に押し付けられていますっ!
そのせいで兄上が女王国に留学するなんて羽目になったのですから、もう貧乏クジと言わずして何と表現すべきなのか……!
許し難いのはそこだけではありません。よしんばそれは受け入れたとしても――なにせお仕事ですから、社会なんて理不尽なことばかりですから、それはそれで納得できたとしてもです、
どうしてっ、どうして兄上に一時帰宅を許さなかったのか……!
おかげで兄上は、わたしに何の挨拶もなしに旅立たねばならなかったのですっ。あまりにも急な話で、兄上が帰ってくる週末を楽しみに待っていたわたしは待ち惚けをくらうことになり、病か吐血か心臓発作かと心配したわたしが騒ぐものだから父上が直接王州へ迎えにいったのですが、――くっ、時既に遅し! 父上が到着した前日に、兄上は王子共々女王国へ出発した後だったのです! あぁなんというこの悲劇!
当然、わたしはもちろんピナス家もまた騒然となりました。
当然も当然、当たり前田のクラッカーですっ!
だって兄上は、だってだってピナス家の未来の当主であり城主なんですよっ? 容姿端麗にして頭脳明晰、運動神経抜群にして性格美人、――そんな素晴らしい兄上をその生家に黙って隠密留学させるなんて……!
王はピナス家を潰す気なのではないかとまことしやかな噂まで流れました。優秀な跡取りを奪われ、ピナス家が反旗を翻すのではないか、すわ内紛かっ! ――そんなことまで囁かれたほどです。また、そろそろ結婚かと思われていた時期でもあったため、ピナス一族だけでなく多くの女性たちまでも王室に抗議する大騒ぎとなったのです。これはもう戦争勃発だと誰もが考えたことでしょう。現王政の時代は終わり、ピナス家の時代がやってくると。
けれど、それを見事に――忌々しいほど見事に収めたのは未来の王と噂された父上でした。多くの貴族が見守る公開会議の席でのことです。未成年であるわたしには参加資格がなかったので直接見てはいませんが、父上は悠然と、そして笑みさえ浮かべてこう言ったそうです。
――万が一のことがあろうとも、王子のために命を賭したならば、誇らしさは覚えても悔いはない。私のもう一人の息子が兄の意志を継ぐだろう。
はん! 万が一? はんっ! わたしがピナス家を継ぐ? ――ははんっ! ――バカなことをお言いでないよあのスットコドッコイ! わたし、父上のことは好きですけど、あの時ばかりは憎らしく思いましたね! あの時のわたしは国を落として兄上を奪還する気満々だったんですからね!
――あぁ、もうっ、ウキャャャャっ!
思い出すだけで胸が苦しくなりますっ! 掻き毟りたくなりますっ! その話を聞いた当時のわたしの心がどれだけ荒れたことかっ、どれだけ憎し王子っ、呪われろ王子っ、死にさらせ王子っ、――そんな恨み辛みを念じたことかっ!
すぐにでも女王国へ乗り込み王子を惨殺して兄上の奪還をしてやりたかったほどです。
それでも、……口惜しいかな、父上に止められたのです。
お前の兄に、万が一など起こりはしないと。あいつの強さはお前が一番知っているだろうと。向かった先は世界一安全で豊かな国、何が起こるはずもない。それに、世界を知って戻ってきた兄はきっと素晴らしい領主になるだろう――と。
そう、父上が言ったのです。
……確かに、このまま金麦から出ずにいれば井の中の蛙。今後、それこそ万が一に大海を知ったときの兄上の苦労を思えば、若い内に苦労を買っておくべきかもしれません。可愛い子には旅をさせろといいますし、虎穴に入らずんば虎子を得ずともいいます。
……一理ある、とわたしは思ったのです。
そして、父上はさらにおっしゃいました。
このオルヴィナをさらに発展させ、さらに潤いのある州にすれば、きっと兄上が喜んでくれると。兄上の喜びは、わたしが立派なピナス家の次男として過ごすことだと。
これが父上の言葉でなければ知ったことかとちゃぶ台を投げ飛ばして兄上奪還計画を実行に移したところですが、……まぁ、父上の言葉でしたからその通りだと、わたしは納得したのです。
兄上は次期オルヴィナの城主。常に民のことを考えなければならないお方です。ならば、今、兄上恋しやと奪還するよりも、王子を滅殺するという罪を犯して復讐を遂げるよりも、成長して帰ってくる兄上のためにこの州を豊かにし、偉人となって帰ってくる兄上の代わりに民のことを考えるべきだと。
賢者とさえ呼ばれるようになるかもしれない兄上がご帰国し州城主となったときの苦労を少しでも減らすことこそが、弟として産まれなかった転生爆弾乙女の唯一の罪滅ぼしであり、やるべきことであると。
ですからわたしは涙を飲んで誓ったのです。
再会すれば愛しさが増すであろう兄上が帰国するその日までに、びっくりするほどの美少年になることを。例えハリボテであろうとも、王者の威厳さえ得て帰国する兄上の弟になって、美しい金麦畑を有する資金潤沢なオルヴィナを兄上にプレゼントするのだと……!
――けれど、その選択が過ちだったのです。
あのとき、父上の制止を振り切って兄上を王子の魔の手から救い出していれば、こんなことには……!
申し訳ありません、兄上!
わたしの過ちのせいで兄上が辛い目に遭っているかと思うと……、くっ!
でも、待っていてくださいっ、わたしがきっと、この命に代えても救い出してみせますっ!
ですから兄上っ、どうか、どうかっ、どうかご無事で――!
◇
「……」
白馬が草を食み、小鳥がさえずり、清流のせせらぎがこだまする――そんな爽やかな空気がたちこめる深緑の森の中で、唯一どよーんとした空気を纏い、万物に降り注ぐ太陽の光さえ届かぬほどに落ち込んだわたし――キュイ・ピナスは今、
「……ごめんなさい、父上」
猿でもできる反省のポーズをとっています。
ついさっきまでは膝をついて三つ指どころか額を地べたにこすりつけて土下座していたのですが、白馬さんがわたしの金髪をハミハミしそうになったのでやめました。今はとにかく木の幹に手をつき一生懸命猛省中。
今のわたしの頭の中にこだましているのは澄んだ水の音色でも小鳥の歌声でもなく、父上への謝罪の言葉。父上ごめん父上ごめん父上ごめん――のエンドレスです。
昨夜は勢いのままに飛び出し白馬で夜更けの山道を駆け抜けましたが、朝陽を浴びると少しばかり目が覚めました。――いえ、頭が冷えたとも言えますか。
ふふふふふ……。ともすれば疲労と罪悪感で膝をつきたくなるのですが、そうすると白馬さんが髪を食そうとやってくるので震える膝を自立させて……カブトムシがいそうな手近な木の皮に額をコツン、コツンとキツツキのように打ち込んでいるこの状況。ふふ、誰が見ても落ち込んで見えることでしょう。そうでしょう、実際落ち込んでいますからね!
……もうね、今となってはこんなところで落ち込んでいる場合ではないですし、父上に謝罪しつつも先に進む気満々なのですが、一晩駆けてくださった白馬さんを少しは休憩させてあげなければならないので、彼が休んでいる間だけでも反省しとこうとあえて暗雲広がる思考をダダ漏れにして落ち込んでいるのです。
ブルルン?
そんなわたしを――どうしたのかね? と気品溢れる上から目線で問いかけて――きたような気がしないでもない白馬さん。
誰でもいいから縋り付きたかったわたしは妄想幸いと頭で木の皮を小突くのをやめて白馬さんの首に腕を絡めました。
タテガミサラサラ。気持ちいい。あぁ、あったかい。この感触。この温もり。泣きたくなります。
けれど泣き言など言いません。わたしが放ったのは、
「……仕方なかったったんです」
言い訳満載の美少年ボイスです。が、泣き言でなかろうと、これに同意してくれる人がさて何人いるでしょうか? たぶん、父上でさえ大きな溜息をついて冷えきった視線を向けてくる気がしますが。
……。
その視線を想像すると……うぅっ! グサッと疲れた心が痛みますっ。
助けてお馬さん!
銀とも金とも白とも呼べそうなタテガミに擦りつき、ギューと抱きしめますが……白馬さんはそんなことは知らんとばかりに首を垂れて草ハミハミを再開。おかげで膝どころか転がって青天を見上げることになりました。痛いです。
ああ、白馬さんまでわたしを非難するんですね。
これは罰でしょうか? ……これが罰ならばきっと序の序の序の三乗くらいの口でしょう。
――あぁ、空が、忌々しいほどに晴れています。
瞼を閉じれば、失望したような父上の顔と昨夜見聞きした兄上の情報が目まぐるしく回ります。
父上ごめんなさい。
分かっています。責めは負います。必ず負いますとも。ですから父上、どうかお許しください。とりあえず頭の中の父上様だけでもいいですから許すと言ってわたしの背中を押してください!
だって、わたしには耐えられないのですよっ! だって、わたしはブラコンなのですよっ!
兄上と出会ったからこそ、この転生男装乙女キュイをやってのけようと思ったのです。
それなのにっ、
『――キュイ様が、ピナス家をお継ぎになるって』
『――女王国の毒牙に』
『――毒牙に』
『――毒牙に』
『――毒牙に』
ウキャアアア――毒牙エンドレス!
もうその言葉を聞いたとたん、身体が勝手に動いていたんですっ。
会場に向かわなければ、そういう気持ちは全く微塵もなくなって、今、どうしてここにいるのかも分からなくなってしまって……、でもさすがに今になってヤバイことをしてしまったと……。せめて家に一言使いを送るべきだったと……!
けれどっ! あんな話を聞いて冷静でいられるほどわたしはまだ完璧な美少年ではないのですっ! あのまま悠長に夜会に参加することはもちろん、使いを出すなんて……、そんな冷静さがあったらとりあえず兄上救出計画を立てて色々根回ししてから出てきましたよ! でもわたしにはそんなことできなかったんですっ!
だって! だって、夜だったんですよっ!
夜っていうのは人を暴走させるんですっ、夜に書いたラブレターや作文なんて人に見せられたものではないし、暴走族は夜過激になるし! それと同じで、わたし、夜の魔力で兄上のことしか考えられなくなっていたんですっ!
……それでなくても、わたしはブラコン。兄上の危機に馳せ参じなければ、わたしは一体何のためにこれまで存在し、これから何のために存在していけばいいというのでしょうっ?
兄上のために生きていると言っても過言ではないわたしが、あんな話を聞かされては……夜の魔力がなくとも今に至っていたでしょう。冷静さを保てと言う方が酷というもの……!
……ですから父上、お許しください。
王命を無視し夜会をブッチした似非愚息を。盗んだ白馬で王宮を飛び出した似非次男坊を!
わたしは、あなたの愚息である前に、次男坊である前に、一人のブラコンなのです。兄上ラブな爆弾乙女なのです!
今動かずしていつ動くのです、今行動を起こさずしていつ起こすのですっ! 兄上の危機に駆けつけずに王宮でのうのうと華やかな舞台に居続けていては、今後一生ブラコンは名乗れないのですっ!
「――よし!」
わたしは腹をくくります。
もしも、これで家に戻れなくなったとしても、兄上が無事ならば喜んで放浪の身となりましょう。兄上さえ無事なら万事うまくいくのです。
毒牙にかかったという表現からして、兄上はきっとな――亡くなってなんかいないはずです。絶対、生存確率は高いはずですっ。恐らく、国に戻れないほどの何かしらの危機に瀕しているのでしょう。
問題はその何かしら――陛下曰くの女王国の毒牙とは一体何なのか……?
一番考えられるのは疫病でしょうか。兄上元病弱少年でしたから。
となれば、この命にかえても、兄上を治せる医者を探し出し、療養のためにもご帰国願わなければなりません!
うだぁぁぁぁぁあっ! なぜわたしは前世で医者ではなかったのでしょうっ! 病弱な兄上と出会うことが分かっていたらもっと勉強して医学知識をもって転生してきたのにっ! わたしって全然使えませんっ!
使えませんが、だからこそ体当たりあるのみですっ!
わたしの取り柄といえば、健全な肉体をもった体力持久力自慢なイケメンであることのみ! やはりここは当たって砕けて兄上救出作戦しかありませんっ!
――うしっ、いざ行かん女王国!
待っていてください、兄上! きっとわたしが助け出してみせますから!
――と、気合いをいれたところで勢いをつけて起き上ったのですが――
「――フギャっ!? なんかヌルって?! なにっ?! まさか本当に食べてっ?!」
寝こけていたわたしの髪をいつの間にか白馬さんにハミハミされ、髪がベタベタになってしまったのでした。
美少年だって髪は大切なのにっ!
いや、今はそんなことよりもっ!
白馬さんよ、休憩が終わったのならば行きますよっ!
女王国への道はまだ遠いのです。……たぶん、休憩前に通っていた街道に戻ってその道を真っ直ぐ行けば女王国が設置している関所に着くはずです。ふっ、昔、どうしても寂しかったときに兄上奪還計画を立てたことがあるので、関所までの道は確認済みです。……その先は分かりませんが、なんとかしてみせますっ!
わたしは白馬さんへと乗り込み、
「ハイヨーッ、シルバー!」
と、白馬お決まりの声を掛けて出発したのでした。
◇