走れ!ブラコン乙女!
◇
「――わ、わたくし、父上に聞きましてよ」
とあるご令嬢が胸の前で指を組み、沈痛な面持ちで視線を下げています。
瞳には涙が溜まり、わずかに差し込む月明かりに反射して鈍い光を放ち、――進まない話に困り果てたわたしは、窓から覗く薄暗い景色に目を向けたのでした。
◇
ことの始まりは本日午後。
資料室での仕事を終えて、約束していたお茶会へと向かう道すがらのことでした。
喜び勇んで番付結果を携えてきた第四王女アリシナ姫に王からの伝言を聞いてしまったのが運のつき。わたしは華やかな夜の社交界へデビューすることになったのです。
これで招待状を持ってきたのがそのへんの使者なら、適当に仮病でも使って断っていましたが、相手がアリシナ姫となるとそんなこともできません。実はわたし、姫のお姉様である第三王女ルルーシャ様にとてつもなくお世話になっているのです。それにアリシナ姫は可愛いをわたしの妹(妄想)で、わたしのことを「凄い人」だと思ってくれているわけで……、そんな可愛い妹(妄想)の期待を裏切るわけにはいかないじゃありませんか。だいたい、病気になる時間もありませんでしたからね。姫とルルーシャ様、他にも数人のご令嬢とのお茶会の約束がありましたから。
夜会が嫌だからブッチするなんて出来ませんし、もしお茶会のあとにわたしの具合が悪くなったなんて噂が立ってはご一緒したご令嬢方に心配や多大なご迷惑がかかってしまうかもしれません。
となれば、参加するしかないでしょう。
全てはギブ安堵テイク。人は他者に幸福な時を与える存在であるからこそ、幸福な時が巡ってくるのです。情けは人の為ならずって昔の人も言ってます。
残り四日。
ここ王州生活での最終試練が訪れたと思えばいいんです。
陛下だって、わたしが主役だなんておっしゃっていたようですが、どうせスイーツが食べたいだけに決まってます。わたしをおだててスイーツをゲットするつもりなんです。
この夜会、わたしが推察するに、単なる番付上位者の顔見せ程度のもののはずです。
となれば、きっと他の番付上位者がわんさか参加されるはずで、その中の主役といったら間違いなく嫁取り放題の長男たちです。第一、第二……もしくは第十の妻を探すお見合いパーティも兼ねているに違いありません。ですから、わたしなんて脇役。スイーツ好きなご令嬢と歓談して時が経つのを待てばいいんですよ、うん。
それでも、もしも何かあれば、――もし誰かから無理難題をふっかけられたら耳元で囁いてやるのです。
『わたしに何かしたら――、一生スイーツが食べれない世界になるでしょうね』
――と。
ふふ、もしくはこうです。
『誰も食べたことのないスイーツを、食べたくはありませんか?』
うふふっ! これ、素晴らしい殺し文句だと思いませんかっ?
スイーツのレシピは門外不出。ピナス家内において超最重要○秘事項です。
カフェ関係者の中でもごく一部のパティシエたちしか知らず、彼らの師匠はわたし。雇い主もわたしです。ですから、わたしが一声掛ければスイーツをこの世から無きものにすることもできるのです。しかも、それができるのはわたしだけです。だってわたしは甘味王。この世のスイーツの創生者なのですから!
そして創生者であるがゆえに、スイーツをネタに誘惑することも脅すこともできるのです。陛下もスイーツ好きということですから、もしかしたら金麦を牛耳ることさえできるかもしれません! ま、そんなことには微塵も興味ありませんけどね!
――ということで、令嬢だけでなく陛下にまで利きそうな最終手段スイーツ技を手に入れたわたしは、それでもまぁイヤイヤ、シブシブ、グチグチ文句を内心で垂れながら馬車で夜会が開かれるご立派で煌びやかな会場へとたどり着いたのです。
が、そしたらば、目の前の三人が待ち構えていました。
うるうると瞳が揺れるピンク色の髪をした第三王女ルルーシャ様。
姫のご学友で猫目猫髪が特徴的な伯爵次女のキトゥール様。
同じくご学友でいつも物静かで無表情な侯爵四女ウォミ様。
この身分麗しき三名に、あれよあれよと個室へと連行され、
「……わ、わたくし、父上に聞きましてよ」
となったわけです。
ここに至るまでにも長い沈黙があり、どうやら付き添っている二人も事情を知らないようで困惑顔。
「まさかと思いますが、キュイ様が不埒なことを?」
おーい、キトゥール様、なんでそうなるんですかっ!
確かに最近のわたしは資料室の蔵書である『騎士的乙女の口説き方』なる本で学んだ知識をここぞとばかりに実践してはいますが、誓って不埒なことなんてしていません!
……ただちょーっと髪を触ったり、頬を触ったり、軽くスキンシップしたりしましたけど、――でもそれだって、だ、騙してるとかセクハラとかそんなことじゃありませんよっ。なんというか流れ? ノリ? いわゆる、ホストとお客? みたいな?
ご、ご令嬢方もノリノリで喜んでくれましたよ! も、ももちろんルルーシャ姫だって!
「……ち、違いますわ、グスン」
ほ、ほら!
あー良かった。あやうく痴漢扱いです。
「まぁ、そうですわよね。だってキュイ様はみんなのキュイ様ですもの」
……まるでマスコットですね。……これはあれですか? ゆるキャラ? いえ、ここはあえてアイドルとしておきましょうか。
甘味王であると同時にイケメン・スイーツ・アイドル。それがキュイ・ピナスです。痴漢よりも全然いいですね!
「――そ、ですわ。……キュイさ、まは、みんなの……わたくしたちの……うぇーん……それなのにっ!」
「ルル姫!」
ぇ、ちょ、なんでですかっ?
いったい、今の何処にそんなに大泣きする要素がっ?
も、もしかしてわたしが兄上一筋十四年だとバレてしまったんですかっ?! えっと、それとも、えっと――、
「……キュイ様が誰かお一人に絞られて、他家に婿入りするのでは?」
「――っな!」
「な、なんですって?!」
いやっ、なんですってはこっちの台詞です! そりゃあ、わたしの本命は常に兄上ですが、他家に婿入りなんてありえません!
無事に容疑が晴れたかと思いきや、――もうっ! ウォミ様が変なことを言うからキトゥール様に睨まれてしまったではないですか!
こ、ここは落ち着いて対処しなければ。妙な勘ぐりをされて噂でもたったら困りものですっ。
「……そのようなことはありませんし、今後もその予定はありませんよ」
今のところは、――なーんて、少し含みをもたせつつ、とりあえず苦笑付きで否定しておきます。
わたしは一生兄上一筋ですからそんなことには決してなりませんけど、全然ないならないで怪しまれますからね。ここの匙加減が本当に難しくて……。
……と、それはさておき、どうしましょうか? 事情が分からないのでどう接するべきかも分かりませんし……、お友達が一生懸命、何があったのか聞いてくれているのでそれを待つことにしましょうか?
ルルーシャ姫君もですが、他の二人にも失礼があってはいけませんからね。
このお三方は、スイーツ大作戦によりゲットした大切なお味方。三度の飯より甘味が好きで、甘味の王様はスイーツで、スイーツの生みの親であるわたしを尊敬しているらしいですから滅多なことでは敵にはならないでしょうけど……、もしこの方たちが敵に回って本気を出したら、わたし、確実にどこぞに婿入りさせられてしまいます。それだけの権力をもってますからね、彼女たちは。
あーもう、本当に良かったです。この御三方が美少年よりスイーツが好きで。長女じゃなくて。おかげさまでスイーツ同盟を組むことができ、他の危険思考な――つまりわたしの貞操を狙っている真性アマゾネスご令嬢方の暴走を止める歯止めとなってくれていますから。
貴族社会は身分重視。結婚願望のある女性たちが身分の高い男性貴族を追い回すことには寛容でも、身分の高い女性に盾付くことはできません。ですから、より高い身分の女性と仲良くなることが王宮で平穏に暮らすコツなのだと、今回のことで学ばせていただきました。人はこうやって世渡り上手になっていくのでしょうねぇ。
それにしたって、どうしましょう。本当に何があったんでしょうか?
どうやら姫は、わたしに何か伝えようとしているようですが、言うべきか言わざるべきか、何かしらの葛藤も抱えているようです。
となると、話すと姫の不利益になるか、わたしの不利益になるか……どちらにしろわたしにとっても重要な情報を姫は握っているようです。しかも情報源は姫の父君――つまり国王陛下。
今日の今日なので嫌な予感しかしません。
今度は何んでしょうか?
スイーツ持って夜会に来ーい、の次……。
……まさか、拘留延長――ではなく、こっちに居残れなんて話ではないですよね?
うーん? でも、それだと姫様が泣く理由がありません。だって姫君たちからは会うたびにここにいてラブコールをもらっていますから。
……あー、んー? うーん? あぁもうイイヤ、分かんないです。
これはちょっとわたしからもアクションを起こしてみますか。
「ルルーシャ姫」
名前を呼んで一歩、二歩と距離を詰めると、姫が真っ赤な目を上げてくれました。……もうぐしゃぐしゃですね。何がそんなに悲しいんだか知りませんが、
「擦ってはいけません、赤くなってしまいます」
次の日別の意味で泣きたくなりますよ。目がパンパンで。
わたしが頬に触れると、少しビクッとなりましたが、逃げはしませんでした。それどころか、「キュイさまぁぁあ!」と胸にダイブ。肩口でまたも大泣き。
「――姫君、いったいどうなさったのですか?」
絶好調な美少年ボイスを発しながら姫の背中を撫でて上げるとさらに大泣き。
泣きたいときには泣けばいいですけど、人前で泣くなら理由は教えてくださいよ。気になるじゃありませんか?
「そんなに泣かれては、わたしの心まで痛みます。姫君をそのように泣かせる原因はなんなのです? このキュイめに教えてはもらえませんか?」
よしよーし、いい子だから教えてね。気がすむまで肩でも腕でもお貸ししますから。
すると、
「キュイ様はっ、こんなに、も、お優しいのに……! わたしはなんてっ、醜いのでしょうっ!」
いや、え? 醜い? ルルーシャ姫、めちゃくちゃ美人ですけど? それにお優しい方ですし、
「そんなことは、」
「いえ、あるのですっ」
自分を責めている様子の姫に、ご学友と目配せ。天下の第三王女様がそんなにご自分を責めるなんて……本当にいったい何事ですか?
あー! 気になりますっ!
でも、ここは急かしてはダメですよね。まずはゆっくり落ち着くのを待つのです。髪飾りをしていなければ頭も撫でてあげたりできるのですが、ばっちりセットしてあるので、とりあえず背中をさすり続けます。
「……ありがとう、ございます」
ゆっくりとわたしの肩から顔を上げたルルーシャ姫の瞳には、先ほどにはなかった決意の色が。どうやら話す気になってくれたようです。
となればわたしも聞く覚悟を決めます。何を聞いても冷静に対処できるように、頭の中をクリアにして。
「……キュイ様は、四日後にはオルヴィナにお帰りになるとおっしゃっていましたわよね?」
「はい。夏季休暇が終わりますので」
「……もう、しばらくは戻れませんわ」
「ぇ?」
早速反応が遅れました!
だって、しばらく、戻れない? それはどういうことでしょうか?
「国立学校への転校手続きが行われたそうです」
国立学校……って、王州貴族御用達の学校ではないですかっ?
へ、陛下、まさかそんなことを勝手にっ? しかも行われたそうですって、転校決定っ? 事後報告っ?!
「そして、父上が、わたくしにこう、おっしゃいましたの。――お前は、キュイ・ピナスに嫁ぎたいかと」
――いえ、あの、ちょっと待ってくださいよ?
なぜに陛下がそのようなことを? 一応次男坊であるわたしは婿入りが常道。姫君が嫁いで来られても困るのですが……?
「我が家に――わたしのもとに嫁いでこられても、姫君は肩身の狭い思いをされるだけですよ? わたしには兄がいますから」
当然奥方様にはなれませんけど?
「……分かってますわ。でも、ち、父上が、おっしゃったの。……キュイ様が、ピナス家をお継ぎになるんだと……!」
「……ぇ?」
また反応が……というか、それ、聞き捨てならない発言ですよ? わたしがピナス家を、継ぐ? 兄上がいるのに? それって――
「もちろんわたくし、父上に申し上げましたわ! ――御冗談を。キュイ様はご次男様ですと。そうしましたら……父上が、笑うんですの」
陛下が、……笑った?
「――あれはもう戻っては来まい。女王国の毒牙にやられたようだから、と」
……その後の記憶はとても曖昧です。
――キュイ様は兄上想いの方だから、とても大切になさっているから、このことをお伝えしなければと。
――キュイ様の妻の一人になれるのは嬉しいけれど、他の皆様のものになるかと思うと辛くて。でも、それ以上にキュイ様が悲しまれるのはイヤだから!
――父上は、キュイ様をこの王州に留まらせるおつもりなの。まだ若いが、それゆえに多くの妻を娶ることができる。家柄も財力も申し分ない、とそう言って……。
――今宵、それを発表すると。だから先に婚約を取り付けておけと、そうすれば第一夫人になれるだろうともおっしゃって……!
ルルーシャ姫は、他にも色々と言い募っていましたが、わたしの耳はそれを言葉として理解してはいませんでした。頭の中が真っ白で――いえ、もしかしたら真っ黒か、もしくは真っ赤か。何かに塗りつぶされたような状態で、全然まったくこれっぽっちも働いていなかったのです。
でも、わたしの身体は無意識のうちに動いていました。
「――ぁ、キュイ様っ!」
三人のご令嬢を部屋に残し、わたしはその部屋を飛び出していました。
気付けば夜会の会場に背を向け、薄暗い夜の闇の中を駆け出していたのです。
◇