負けない!だって男装乙女だもん!
◇
拝啓、兄上様、お元気でしょうか?
不詳の弟――のような妹であるキュイは、
現在、絶賛寝不足中です。
◇
「――っ!」
飛び起きたわたしは汗だくでした。呼吸も荒く、鼓動も早いです。
清々しい朝の空気を吸い込むと汗がスゥっと引いていきますが、鼓動は未だドクドクと高鳴っています。脳裏には先程まで見ていた夢の残像、それがあまりに恐ろしかったせいか――もしくはただ単に寒さを感じたせいか、身体がブルっと震えます。
ま、瞼を閉じたくありません。閉じたら、閉じたらあの夢に舞い戻ってしまいそうでっ……!
妙にリアルでした。暗闇の迷宮で彷徨うわたしはひどく慌てていて、全力疾走していました。けれど、なかなか思うように脚が動かなくて、それでも背後から迫り来る複数の影から必死に逃げていたんです。闇のくせに影があるのかなんてツッコミは無用です。夢とはツッコんでナンボのことばかりなんです。
――とかそんなことはどうでもよろしくて。それはもう吐き気を催すほどに恐ろしくも――とにかく恐ろしい夢だったのです。
その夢でわたしは、始めこそ兄上と二人、楽しい時を過ごしていました。うふふふ、あははは、音で表すならこんな笑い声が聞こえてきそうなほどに嬉しくも楽しい時でした。
けれどそんな幸福な時はあっという間に闇へと変わり、わたしはひたすら走ることになったのです。天地なき道なき道を無我夢中で駆け、何度も何度も、――来るなっ! そう叫びながら。
しかし無情にも気配はどんどんと近付いてきます。
すぐそばに何かを感じ取ったわたしは、必死に腕を振り振り逃げ惑いますが、どこからか現れた白い手についに腕を捕まれてしまったのです! ――すると、影の正体が怪しい笑みを浮かべた妖怪のごときご令嬢だと判明、――そうと分かった途端、次々とご令嬢たちが文字通り降って湧いて襲いかかってきたのです!
このときのパニック感、半端ではありません。きっとベッドの上で暴れていたのではないでしょうか。
だって夢の中で、腕を掴まれ、脚を掴まれ、鋭くも艶やかに輝く爪に服を引き裂かれミミズ腫れができ――しまいには腰に抱き着かれ、捕らえられ――
上着をいちまーい。
シャツをいちまーい。
靴下をいちまーい。
そうやって、脱衣ゲームで負けまくったヘタレのように服を脱がされていったのです。パニックにならないわけがありませんっ!
それでも抵抗するわたしの耳にはどこからか――よいではないか、よいではないか――そんな悪代官の声が響き渡ってきて……!
よくない! と叫びましたけれども、抵抗虚しくついにはご令嬢たちに押し倒され……、視線の先で――花瓶にいけた椿の花がコトリと落下。
――と、そこで目が覚めたのです。休日なのに、せっかくの休息日なのに、まだお日様も昇らない時間に目が覚めるなんて……、……。
――だぁぁぁぁぁあっ! 恐ろしいっ、あぁもうっ恐ろしいっ!
もうっ、本当にっ、勘弁して下さいっ!
ベッドからイライラしながら抜け出して、柔らかい絨毯の毛を裸足で踏みつけ、鏡台の前に立ったわたしは自分に両ドン。冷たい鏡に手のひらを打ち込みました。すると、景気も体調も悪そうな瞳が恨みがましい色で見つめてきます。
――くっ、なんて顔でしょう!
美少年の瞳は輝いてなければならないのに、今のわたしの瞳は腐りかけた魚の瞳。その下には腐った魚を食い尽くそうと大きなクマっ!
……ダメです。これはもう本格的に何が何でもなんとかしなければ美少年度ダダ下がりですっ。寝不足はお肌に悪いのです!
――くぅ、こうなったら最後の手段をとるしかありません!
最後の手段!
我がラストリゾート、それはっ、
「――ねぇ、フォルト」
いざっ、他、力、本、願っ、です!
この王州の別宅でわたしのことを乙女だと知っている唯一の人――執事のフォルトさんを頼るしかありません!
……ふ、出来れば家族以外の助けは借りたくありませんでした。やはり心底信頼できるのは兄上と父上のみです。けれど泣きつける兄上が不在で、年の功な父上はやたら多忙で会うこともままならない今、頼れる第二の存在といえば、もうこの人たちしか残されていません。我が家の忠誠心分厚き執事たちしかね!
――わたしの秘密を知りつつ真っ向から次男坊として扱ってくれる彼らならきっと相談に乗ってくれることでしょう。
なら最初から頼ればいいじゃんって感じですが、……わたし、この執事という存在がめっちゃくちゃ苦手なんです。執事といえばなんだかこう――乙女心をくすぐる響きをしていますが、ここの――この世界の執事は違うのです。わたしの脳内にいる執事とは百八十度違うのです。今の今ままで、ここのここまで我慢するほどに苦手なのです。……いえ、実際のところ執事の中の人たちはいい人なのです。とっても献身的に仕えてくれるんですから。
でも、でもですね、
「これはキュイさま、おはようございます」
――ぅ。覚悟していたけど……は、吐き気が。
咄嗟に口元に手をあてそうになるのを必死に耐えます。
「……ぉ、おはよう」
笑みがぎこちないのは十二分に分かっています。
だって、……わたしはこの、抑揚も特徴もない――いわゆる『心酔執事』と呼ばれる執事特有の声が本当に苦手で、その声の原因である――慇懃な所作で上下させた顔に張り付いた仮面がさらに苦手なんです。
仮面です、仮面!
この執事――実家の執事も、もちろん他の家の執事の中にも付けている人はいますけど、とにかく仮面を付けているんです!
目鼻口が描かれたものもあれば掘られたものもありますし、黒かったり白かったりと様々ですが、共通しているのはその仮面の何処かに仕える家の紋章、つまりが家紋が描かれている点です。大なり小なりありますが、何処かに必ず描かれています。
我がピナス家お抱え心酔執事の一人である王州別宅担当のフォルトさん――彼の仮面は、目鼻口などもなく、まさに手抜きかよと言いたくなる白地の面に薄い赤で家紋がデカデカと描かれていまして、かなりシンプルな作りをしています。
そして、そんな仮面のせいでフォルトさんの表情は全く読みとることができず、仮面が声を変える効果をもっているため耳からその手の情報を得ることもできないのです。
となるとですよ? いったい何を考えているのかがさっぱりで……こう――なんといいますか、本能的な恐怖がジワリと浮き上がってくるんです。
それは実家の執事も同じことで、生後数日の赤ちゃんの頃から執事が近づくと涙腺が緩んで泣きわめき、距離を取りたくなったほどです。普通は小さい頃から傍にいるとそれが当たり前になって恐怖心なんて育たないらしいのですが、わたしはもうアイデンティティーが確立されていたためか恐怖心が育つ育つ。
執事がダメなのではなく、あの仮面が嫌なので外してくれさえすれば問題ないと思うんですが……、あの仮面って付けてる執事にとっては誇りみたいなものらしくて……。
フォルトさんのような仮面をかぶった執事のことを一般的には心酔執事と呼ぶわけですが、それはつまりが、主人に身も心も捧げた執事のことで、仮面をつけるに値する主を見つけた、ということに執事たちは価値を見出し、自らその仮面をつけるのだとか。
仮面を一度つけたら人前では決して外してはいけないし、外そうとも思わない。それが心酔執事である――と、何かの本に書いてありましたが、なんだかその意味不明さも怖いんです。しかも、主至上主義であり絶対服従。逆らった場合、その先に待つのは仮面の呪術による壮絶な死のみと知ったら、赤の他人になんでそこまでと思いませんか? 命を掛けて仕えるなんて、驚きや感動を通りこして怖いです。
それに、呪術。呪術ですよ呪術!
仮面をかぶることで声を変え、さらには命までも奪うという呪術が、この世界に存在するという事実!
それの存在を知ったときはちょっとファンタジーだなーなんて思ったりもしましたが、全然まったく嬉しくありませんでしたね。だって呪術です。魔法ではなく呪術です。響きがイヤです。きっと魔法と同じく便利なのかもしれませんが、わたしの好きなファンシーメルヘンとは程遠いです。せめて黒魔術とかそんな呼ばれ方ならいいのに、呪術なんてそんなのホラーですよホラー。ダークファンタジーです!
――と、そんなこんなで、わたしはこの日まで執事を遠ざけてきたわけです。少し不思議がってはいましたが、兄上も父上も咎めませんでしたし、執事もあえて近寄ってくることもありませんでした。わたしの態度でバレバレだったんでしょうね。免疫のない人は不気味に思うものらしいですし。
でもね、それでもフォルトさんはピナス家の偽りの次男坊であるわたしに――避けてることが分かっているであろうわたしにも執事然と接してくれたんです。初日の挨拶のときに引きつった笑顔を見せてからというもの、事務的な会話以外は交わしてませんし、過ごす時間がごくわずかになるように会うことすら避けてきました。ですが彼は、そんな失礼な態度に腹を立てることなく、わたしが快適な王州生活を送れるように取り計らってくれたのです。
この別宅で暮らすこと一月弱。その間、わたしが苦手な料理は一度足りとも出されませんでしたし、中庭にはわたしが好きな花を中心にガーデニングしてありました。用意された部屋は本宅と同じ家具が同じ位置でリフォームされており、乙女であることが他の使用人にバレないような配慮もしてくれました。
全ては本宅の執事から聞いたんでしょうけど、わたしは、この屋敷での生活に限っては、困ったことや不安に思うことは何一つありませんでした。だって全てが至れり尽くせり。初めて実家を離れるわたしのために随所に安らぎの空間が用意されていたんです。
……本当はね、お世話したいのはわたしではなく父上なんでしょうけど、現在、この別宅唯一のピナス家直系次男であるわたしが彼の実質の主。なので、そんなことはおくびにも出さず彼の忠誠はわたしに向けられ、わたし中心に行動し、わたしが過ごしやすいように彼は働いてくれていたんです。その様はまさにプロ。執事の中の執事です。
……だからですね、本当、余計に、申し訳ないとは思ってるんです。本当に、怖がって避けるなんてフォルトさんに悪いと。罪悪感だって積もり積もっているんです。が、――やっぱり怖いものは怖いわけで……。しかも、仮面を前にすると吐き気を催し胸がムカムカして――わたしはこれを仮面酔いと呼んでいますけど、そうなるもんですから自ら積極的に近付いていく気にもなれず……。
けれでも、そんなわたしがフォルトさんを頼る。それはもうわたしの中の革命です。過去の自分への反乱です。そしてそれは正しい道への回帰です! と、それほどにわたしは切羽詰まっていて、切羽詰まったわたしは冷静になって天秤にかけてみたんです。
苦手な執事に頼るがいいか。
アマゾネス令嬢軍団に襲われるがいいか。
よくよく考えてみれば答えは明らかでした。逆に、なぜ今まで考えてみなかったのか。……はい、もちろん怖かったからですね。はい。
いやでもですねっ、本当に冷静になって考えてみたんです。――このまま今の生活を続けていけば、確実にわたしの椿は手折られてしまいます。手折られることがなかったとしても、処刑台で首が折れるかもしれず、どちらにしろピナス家は滅亡します。その方がよっぽど恐ろしいことだと悟ったのです。
勝手に執事コエーと思ったいるのはわたしで、執事は本来は優しい人です。究極に健気な集団だと思うのです。それに……、執事への苦手を克服してアドバイスを得たなら、心と首が折れることを回避できるだけでなく苦手克服を果たしたことで美少年スキル度アップ! 兄上と再会した暁には頭ナデナデ、ハグアンドハグ……!
これはもう執事に頼るしかありません!
ですから今朝、数十回目のあの悪夢から目覚めたわたしは腹をくくりました。いい加減にしろと我が尻を叩いてやりました。
そして自分に言い聞かせたのです。
フォルトさんはいい人。
心酔執事は悪くない。怖くない。
敵は自らの心のうちにある。
偉い人が言ってた。平和の砦を心に築こうと。いいとこメガネをかけて見つめたら、きっと仮面の向こうにいるのはめっちゃいい人。
すると少しだけ、腐りかけた瞳に美少年らしさが戻ったような気がしました。未来への希望は人を勇気づけるって本当ですね。
――さて、そんなこんなでわたしは、チョー怖い仮面を前に、人の字ではなく仮面の二文字をエア手の平に描いてエア捕食。エアで噛み砕き、仮面よされ、と念じました。フォルトさんの顔についているあれは純潔を守るベール、あの声はボーカロイドだと思えば道は開く!
仮面がなんだっ、酔っ払うのは怖いけど、目の前に介抱してくれる安全安心の執事がいるんだから酔い潰れてしまったってかまわないではないですかっ!
醜態を晒してこそ人は強くなっていくんです!
美少年よ、羞恥を抱け! 醜態を晒せ! 覚悟を決めよ! ふんっ!
――わたしは、できる限り平静な声で、そしてとびっきりの笑みを浮かべる――努力をしました。
「……少し、時間をとってもらえないかな? 訊きたいことがあって」
美少年ボイスでトライ。
もし声が震えていたり笑顔がぎこちなかったりしても、それは疲労のせいですからっ!
「忙しい、かな?」
すぐに反応がこなかったことで、ブワッと消極的になってしまった心が「忙しいならいいんだ」と引く体勢を整えようとします。やばい、足が、足が逃げたいと震えていますっ。胸がムカムカしますっ、吐き気がっ、さっき一人ぼっちで食べた朝食をゲロりそう……!
トイレかっ、トイレに行くべきですかっコレはっ?
笑みを貼り付けつつ内心格闘していましたが、――フォルトさんがわたしの言葉を聞き入れないはずはなかったのです。
「かまいません。では、温かい紅茶でもおいれしましょう」
……おあぁぁぁ、お、お茶、お茶ですか。
ティータイムですか。
清廉な朝陽が差し込むテラスでティータイム。完璧な所作でいれる紅茶は絶品ですよね! うん、紅茶大好き! わーい、嬉しいなぁぁぁ……。ゲフ。
休日の朝に執事と紅茶! ルンルンだなぁ! ……ゲフ。
ゲフゲフゲフ。……あははは!
……はい、スミマセン。今の全部嘘です。椅子に座る腰が引けています。お礼を告げる声もカップを持つ手も明らかに滑稽なほど震えています。だって近くに仮面がっ、仮面が!
ブルっているわたしの態度のせいでしょう、フォルトさんは給仕を終えるとテーブルから少し離れた所に行ってしまいました。どうやらわたしが落ち着くのを待ってくれているようです。……くっ、親切ですね! 気がききますねっ! ――でもその優しさが痛いです!
あぁぁっ、もうっダメダメだなわたしっ!
仮面がなんだ、声がなんだっ! 紅茶をこんなに綺麗に美味しくいれる人が悪い人なわけないではないですかっ、それに、思い出しても見てください。この人イヌ好きです。この間野良犬を手懐けてご飯やっていたではないですか。頭撫でてましたよ! 犬懐いてましたよ! よく言うでしょう? イヌ好きに悪い人はいないって……!
「……どうぞ、座ってください」
逆流してせり上がってきそうな紅茶やらなんやらを喉元で無理やり押し止めて、わたしはなんとかそう告げました。その声でフォルトさんが近寄っては来ましたが、座ることなく直立不動。まぁ、執事は普通、同じテーブルの席に座ることはありませんもんね。
よしよし、視線を庭の草花に向けていれば吐き気はおさまりますね。視界にいれなければ酔いもそこそこのようです。よしよし。では落ち着くために紅茶をもう一口。……き、緊張であ、味しないですけどねっ。
さらに紅茶を一口、二口と飲んだわたしは、今度は綺麗に並べられたクッキーに手を出しました。少なくとも食べてる間はこの沈黙に意味を持たせることができます。
でも、――クッキーを一口かじったとたんサクッという音がやけに大きく響いて……辛い!
それでも、何か話さなくては!
フォルトさんは忙しいのです。それをいつまでも引き止めてはお互いに不利益!
「……あの、」
乾いた舌で言葉を発しようとする心意気は褒めたいのですが、何を話せばいいんでしたっけっ? なんのためにわたし、ここで苦手な仮面を前にティータイムしてるんでしたっけっ? え、なにコレ罰ゲーム? わたしの前に仮面を連れてきていったいなに、
――って、いや違うから、違う違う! わたしが相手にしてるのは仮面じゃなくてフォルトさんだから! 仮面は添え物、メインはフォルトさん! ヒッヒッフーヒッヒッフー! 落ち着けー、落ち着けーわたしっ!
「……実は、兄上がここでどのように過ごしていたかを聞いてみたくて」
よし言えたっ。やれば出来る子!
とりあえず、何気ない雰囲気を作りつつ屋敷での兄上の様子を尋ねてみましょう。いきなり女性をあしらうコツなんて尋ねたら美少年度下がりますからねっ、きっと! 兄上のここでの暮らしぶりから何か分かるかもしれませんしっ。
――だってですね、六年前、兄上がわたしと同じように婚活レースに参加されて、この屋敷で暮らしていたときには週末の度に必ず戻ってきてわたしと遊んでくれたわけですが、今思えば、そのときの兄上は全く、全然、今のわたしのように夢に魘されクマに襲われている様子はありませんでした。いつも笑顔で爽やかでニコやかで優しくて素敵で――それはもうこちらでの生活の疲れを感じさせない溶融綽綽な出来る完璧な美青年ぶりでご帰宅なさっていたんです。
もうね、その姿はまさにわたしが理想とするもので――
……って、……ん? うーん? あれ? ……でも、それって考えてみるとおかしな話ですよ?
参内を命じられてここで暮らすようになった十五の兄上は、その頃にはかなり身体の調子も良くなっていましたけど、……騎士試験に一発合格し、その強さは誰もが認めるところでしたけど、……けど、兄上って走ったり運動するのはあまりお好きではなかったはずです。
子供時代、心臓が止まるかもしれないからと走ることさえ禁じられていたためか、兄上は無駄な運動を好みません。騎士として必要な運動量をこなしてはいますし、それが訓練や実践ともなれば本領発揮で大活躍間違いないのですが、普段の――日常生活を送る中では滅多に走りません。幼い頃の習慣が抜けないので、走らず急がず慌てず騒がず――常に人の一歩先、二歩先を考えて動く癖をも備えていて、――その頭の回転の速さたるや精神年齢アラフォーな今のわたしをも上回っているのではいかと思われるほどで、わたしなんかより兄上の方こそ神童だと打ち震えたこと数百万か――ぃ、とそれはともかく、とてもとてもとっても慎重な人だったのです。
そんな兄上が走る? ……兄上が女性に追いかけ回されて焦る姿なんて想像できません。――ということは、兄上は通勤ダッシュ以外の方法で女性を脇においやったのでしょう。そして、無遅刻記録を樹立した。いったい、その他の方法とはなんなのか……?
ダッシュ以外に……、逃げることが……――ぁ、あれ? 待ってください。
兄上はダッシュしません。ということは、資料室まで歩いていったってことですよね? そんな余裕ある行動をとるためには、……周囲に女性がいない、もしくは女性の許可を得ている必要がありますよね?
……それはつまり、……ご令嬢たちを味方につけたということ、ですよね?
いえ、わたしだって女性を虜にして味方につけようと考えたことはありましたよ? でも、この一月、先輩たちが女性同伴で歩いている姿をよく見かけて――しかも、喰われたくなかったら喰っちまえと言わんばかりに物陰でゴソゴソしているのを目にして、男装乙女であるわたしにんなことできるくぁぁあっ! ――と、女性を味方につけるという案は早々に唾棄したのです。が……、兄上がそんなハレンチなことをするとはそれこそ想像出来ないので、他の方法で女性を味方につけたんでしょう。
でもいったい、どうやって――。
……ん、虜? 女性が虜になるもの?
「……あの、フォルト」
ふと仮面を見上げてしまい、――ぅ、とまた呻いて視線を逸らしますが、逃げてはダメですっ、ここは正念場ですよ! 気持ち悪さなんかに負けてはいけません。ぐっとこらえてっ、なんか出てきそうになったら飲み込んでやりなさい! が、我慢しすぎて体中が気持ち悪いですが、ここで吐き出してはいけませんっ!
「兄上に、何か頼まれていなかった?」
兄上が何をしたにしても、頼るとしたらきっとこのフォルトさんのはずです。普通、わたしたち貴族子息は金銭をもっていません。必要なものがあれば執事に頼むのが常道です。ゆえに執事たちは仕える家族の趣味趣向を完璧なまでに把握できるのです。……ぁ、わたしはこっそり買い物したりしてますけど、だって、ねぇ……恥ずかし――なんて与太話はいいとして!
フォルトさんのことを見上げずに――たぶんもう一度見ると吐く気がします――ので、失礼ながら視線は優雅に綺麗な花へと向けて――ちょっとインテリ気取った考える人をイメージしながら問いかけます。
すぐに返事がありました。
「毎朝のように甘味の用意を頼まれておりました」
それは予想だにしない――いえ、冷静になって考えてみれば至極妥当な回答でした。
「……甘味」
「ご令嬢方への贈り物だったようにございます」
贈り物。
――ふっ、なるほど。兄上、そうですか、そういうことですか。
わたしはフラリと立ち上がりました。
……あぁ、目眩が、己の馬鹿さ加減に目眩がします!
どうしてっ、どうして今まで思いつかなかったんでしょうかっ!
この世に生まれて十四年、ヒントはいくらでもありました。もちろん前世にも、そして、一月近いこの王宮通勤ダッシュ生活の中にも……!
ふふっ、ふふふっ、どうやらわたしはこの一月、まったく周りが――アマゾネスな令嬢たちの一面だけしか見えなくなっていたようです。あまりの恐ろしさに見る余裕がなかったのでしょう!
けれど、ふふ、ふふふ、ふふはははっ!
そう、そうです、答えはすぐそこにあったのです! しかも、多くの女性をガッと一度でわたしの味方に引き込む方法が!
そう、全ては甘味!
甘味なのです!
そして、甘味といえばわたし!
ふふ、実はですね。何を隠そう、わたしは巷ではナウでクールな甘味王と呼ばれているのです!
誰が言い始めたかは知りません。気付けばそう呼ばれていたのですが、それは全く間違ってはいないのです。ふふふ、わたしったら前世での杵柄を利用してこの世にニュー甘味を解き放ったのです!
――その名も『スイーツ』!
えへ、まんまですけどね。こっちにはスイーツって単語はないので、新種の甘味名として使わせてもらっているのです。
スポンジケーキにプリンにパイ。チョコにアイスにパフェにミルフィーユ!
もともとこちらにあったものももちろんあるんですが、わたし好みに進化させたら大評判!
今やスイーツは多くの女性を虜にし、魅了してやまない究極の甘味とまで呼ばれているのです。初めは自分で食べたい――いえ、家族に食べてもらいたい一心で作ったスイーツは口コミで広がり、今では『カフェ』という名の甘味屋にまで発展したのです!
それもこれも、金麦は男も女も老いも若いも甘味好き。パンがないならクッキー食べるーと懐に常に何かしら甘味ちゃんを忍ばせているお国柄であるがため。カフェには連日行列ができ、売上はがっぽがっぽ! オルヴィナ産の小麦も加工品も売り上げ右肩上がりです!
そんなスイーツですから、食べたくても食べれないご令嬢がいてもおかしくはありません。きっとわたしのアマゾネス――ではなく、麗しきご令嬢方の中にもいるはずでず。いるでしょう確実に! ホイップクリームだチョコだハチミツだを抱えて追いかけてくる方もいるんですから。
ふふっ、うふふっ!
そこで、そんなご令嬢方にスイーツを振舞ったならどうでしょう? しかもですよ、店に出ていない新作なら? きっと目からヨダレが出るほどに喉が鳴るはずですっ! もうっゴギュッと心は婿より甘味に向かうはずです! 間違いありませんっ!
そうと決まれば、さっそく準備に入りましょう。伯爵家の次男坊がきびだんごや駅弁のように配って歩くわけにはいきません。ここはモーニングティーパーティと洒落込もうではありませんか! ホスト役を務めるのは初めてですが、
――ん?
……ホスト?
……あぁ、そうですっ! 女性を虜にするホストをイメージするんです!
ホスト的ホストとしてスイーツでご令嬢をもてなす、それこそが答えだったのです!
夜の帝王となることは無理でも、わたしは甘味王です。高級な紅茶を嗜み、甘味を愛する舌をもつご令嬢方をもてなすことは不可能ではないはずです!
「フォルト、君に頼みたいことがあ――ぁ、」
となれば、善は急げ!
対ご令嬢対策の確実性に自信を得たわたしは、きっと明るい未来を反射して輝いているだろう瞳を執事に向けて、
――暗転しました。
ス、スミマセン。どうやら、……も、……限界のようです。
膝をついたわたしは、渦巻く吐き気を抱えながら地球が逆さになるかのような目眩を感じ、
――ガクン。
気絶したのでした。
お、恐るべし……仮面酔い……!
◇




