表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生乙女は頑張っています。  作者: にーやん
頑張る転生乙女 in 金麦
2/29

男装乙女、絶賛モテキ到来中!

 ◇



 大陸南部に位置するシュトゥックレンゼン。

 砂漠と草原がほどよい割合で――地図を見るとグリーンカレー的な感じで配分されている領地を有し、『金麦』の二つ名をもつほどに麦栽培が盛んな国、それがわたしの第二の故郷です。


 そして、わたしが生まれたのは王州――ではなく、グリーンカレールーのど真ん中にある首都を有するヴォシュタク王州に隣接するオルヴィナ州です。そこはまぁそこそこ田舎ではあるのですが、金の稲穂の地平線が見渡せる美しい州で、父上はそこの領主様でした。

 ふふっ、すごくないですか? 領主様ですよ?


 しかも、普段は州上しゅうじょう様だとか呼ばれている父上は名門ピナス伯爵家の当主もしておりまして、――あ、我が第二の生家であるピナス家とは金麦全土に名が轟いている家柄で、ピナスの紋章をつけた荷車でも通ろうものなら――え、ピナス? お、ピナス! と通行人が二度見し快く道を開けるほどの好感度バリ高名家で、父上様の代でオルヴィナ州上閣下に就任するまでは王様の御側近を代々務めてこられたという超エリート家系なのです。


 ――あ、父上が州上閣下になったのはもちろん左遷ではありませんよ。身体が弱かった母上のために、国王陛下に願いでたのです。騒がしい王都で、騒がしい人々に囲まれて暮らすのではなく、景色の美しい場所で療養させたいと。その母上の傍にいてあげたい! ――と、渋る国王陛下をそう説得してオルヴィナに引っ越して来られたらしいです。


 ふふっ、愛でしょう? 愛ですよー、美しき真実の夫婦愛ってやつですよ!

 残念ながら母上はわたしを産んですぐに亡くなってしまったので、どんな母上だったかほっとんど覚えていないのですがね。

 ……はふぅ、まったく残念なことです。……前世の記憶があるくせに、いえ前世の記憶があるからこそ誕生直後は転生したことで大混乱を起しておりまして、そしたらその間に……。


 うぅ、母上様……! キュイは口惜しいですっ、こんなにも父上が愛された方ですからきっと素晴らしい女性だったんでしょうに! あぁもうっ、覚えていないなんて悲しすぎますっ!


 ――っと、今はそんなことはどうでも――いや、母上のことは全然どうでもよくないですが、今は脇にそっと置いておくとして、


 なんといってもわたし、絶賛逃走中なんですからっ、今考えるべきは母上のことではなく逃走経路です!


 あぁまったく、どうしてこんなことになってしまったのでしょうっ!

 本当ならあと一年は実家にいれたはずだったんですよっ。就学者であるために夏季休暇の間だけとはいえ、こんな――オルヴィナの実家からほどよく遠く離れたヴォシュタク王州の王宮内を激逃走中なんてっ!

 前世社会なら十四歳ってまだ中二ですよ! 中二の夏休みとかあれですよっ、漫画とか呼んでダラダラしてましたよわたしっ! 実際オルヴィナの実家では去年までのんびりまったり過ごしてたんですよっ、それなのに今年は王宮務め、しかも単身赴任なんて……! 

 しかもしかもっ、


「キュイさまぁ! お願いですから出てきてくださいましぃ~!」


「キュイさまぁぁぁん!」


 結婚適齢期のご令嬢集団に追いかけられることになるなんてっ!

 ありえませんよ~~~っ!


「キュイ様ぁぁぁぁああ!」


「いずこにいらっしゃいますのぉぉおおっ?」


 あちらこちらから近付いてくるハートマーク絡みまくりの呼び声にわたしはチッと舌打ちしました。

 は、はしたないなんて言わないでくださいっ。だって捕まりたくないですからね! ほら、わたしって実は転生乙女――身体はどうしようもなく乙女そのものですから!


「あ、いましてよっ! キュイさまぁぁんっ!」


 はうぁっ……! 見つかってしまいましたぁぁぁあ! に、逃げなければぁぁっ!


 ち、ちなみに、わたしは目的地もなく走り回っているわけではありません。ゴールは王宮内地下にある資料室なんです。


 それは、思い起こすこと一月前。夏季休暇に入る直前になって「人手不足だから出てこーい」と書簡が届き、断ることができずに参内し、あれよあれよと資料室で臨時で働くことになったのですが、……実はわたし、わたしっ、働き始めてから一度も定時出勤したことがないんですっ!

 仕事が始まる二時間前には必ず王宮入りしているにも関わらずですっ。ぅぅぅ……泣きたい。いや、もうこの一月枕を濡らす日が日に日に増えてますよぅ。

 だって、だって、わたしの目的地を知っているお嬢さん方が至る所で張り込んでいたり追っかけてきたりで全っ然職場にたどり着けないんですもんっ!


 そんなわたしを無能だとせせら笑う人やいいご身分だなんて嫌味を言ってくる先輩もいますが、果たしてそうでしょうかっ? わたしのせいですかっ? も、もちろんわたしにも至らない点は多々あるとは思いますよ? で、でもでもっ、この王宮も悪いと思うんですよっ! 横に無駄に広い造りである上に増設に増設を加えているせいで巨大迷宮化していて、地下にある資料室へ続く扉が分かりにくいんですっ!

 それにっ、


「キュイ様! キュイさまぁぁぁあ!」


 なんと言っても追っ手が多すぎますっ!

 わたしを無能だなんだと言いやがる奴らにこの数を見せてやりたいです。野球チームが五つくらいはできそうな人数です。……野球が何人でやるものかは知りませんが。十人くらいですよね?


「さぁみなさまっ、キュイ様挟み撃ち作戦ですわよ!」


「今日こそはわたくしどもの愛を受取ってもらいますのよ!」


「あ、でも最初はわたしですわよ!」


「二番目はわたし!」


「なに言ってますのっ! 二番目はわたしよ!」


「わたしだって譲れませんわっ!」


 うわぁぁぁん……! なにその順番争い! 怖っ! 怖いですみなさん! 

 危機を感じたわたしはスピードアップを脚に命じました。が、そろそろ脇腹が痛くなってきましたっ! うぅ、息がっ、鼻の穴が膨らみそう! で、でも、休んでいる暇はありませんよねっ。捕まったらジエンドです! 腸が捻れようとも、ハラワタが飛び出そうとも、絶対に逃げ切らなければなりませんっ!


 これがダンジョンで相手が怪物ならぶった斬ってやるのですが、相手がお嬢様方ではそれもできません。今のわたしにとっては似たようなもの――おっと失礼。――とはいえ、この場はやはり逃げるしか術がないのですっ!


「キュイさま! キュイさまっ! あ、いましたわっ! キュイ・ピナスさまぁぁぁああ!」


「どうしてお逃げになるのっ? わたくしたちの身も心もあなたのものなのにぃ〜!」


 ぅ、うひぃぃっ! 勝手にわたしの所有物にならないでくださいっ!


 ま、まぁ、わたしのものになりたい気持ちは分からないでもありませんよっ?

 連呼される名前をビージーエムに颯爽と赤絨毯を駆け抜けるこの姿、見る人が見れば映画のワンシーンのようにも見えるかもしれないほどの――自分でいうのもアレですが、誰もが認める絶世の美少年なんですから!


 えへ、だって金髪碧眼ですよ? 二重の瞼に長い睫毛、少し巻いた猫っ毛な髪。つやつやでピチピチな肌。そこには枝毛もニキビもそばかすも何一つなくて、それはもう完璧なパーツが完璧な黄金比率で組み合わされているのですよ? 彼女たちがわたしのものになりたいと思う気持ちは十二分に理解できます。

 ですがね、お嬢様方、


「――あ、いましたわ!」


「あぁん! 今日も可愛らしいわっ!」


「食べちゃいた~い!」


 ――ひぃ! お願いですから食べないでくださいっ。食べられませんよ、わたしは!


「あたくしは食べられた〜い!」


 いやいや食べもしませんからっ。女性を食べる趣味はありませんから!


「あたしはペロペロしたいですわぁ!」


「チョコをかけたら美味しいそうですわよねっ!」


「あたくしはハチミツがいいわ!」


「あたしは生クリーム!」


 ……もうなんのコメントもできません。怖すぎますっ!


 甘味が大好物である金麦のご令嬢の怪しすぎる想像に身震いしながら、壮絶な鬼ごっこの末に押し寄せるお嬢様方に八方を塞がれたわたしは、仕方なく窓から外へと飛び出しました。目的地から遠ざかりはしますが、庭に出ればきっと彼女たちは追ってこないはずです。なにせ朝方に雨が降っていましたからね。泥で靴やドレスが汚れたくない乙女心は、転生乙女であるわたしには丸分かりです。


 わたしは全く――いえ、汚れるのはもちろん嫌ですが、お嬢様方に捕まればチョコだハチミツだ生クリームだで汚れそうなので、それより泥で汚れた方がマシだと思い切り泥を跳ねながら全力疾走し、またも窓から無人の一室へと入り込みました。


 ドロドロの靴で綺麗に掃除された部屋に上がるのは気が引けますが、そこは今度お茶菓子でも差し入れするとして、ひとまずここで休憩させてもらうことにします。さすがに息があがってきましたからね。


 ――さ、よこっこいしょーいち、と腰を下ろして脳内地図を展開し、今まで通ってきた道を思い浮かべて現在地を確認します。……ふむふむ。たぶん、全っ然自信はありませんが、ここはサロン棟でしょう。貴族たちが日夜暇潰しとコネとゴシップを求めてお茶とお酒と甘味を嗜む場です。わたしを追い回す女性たちの根城といっても過言ではない場所のため下手に歩き回るわけにはいきませんが、――灯台下暗し。まさか根城に潜んでいるとは思わないでしょう。


「……はぁぁぁぁ」

 

 疲労がたまりまくったわたしは美少年にあるまじき大きな溜息をついてしまいました。ま、誰もいませんしいいですよね、少しくらい気を緩めても。

 だってもうこんなことを一月も続けているんですよ、わたし。疲労困憊真っ盛りです。


 ――あ、ちなみに、わたしがお嬢様方に人気すぎる理由は、美少年すぎる容姿だけではなく、もう一つあります。というか、きっとこっちの理由の方が追われる最たる原因だと思うのです。


 その原因といいますのは、わたしが『次男』だからです。

 わたしにはめっちゃっくちゃカッコイイ――ハリウッドスターもモデルも神も仏もメじゃないくらいに素敵な兄上様がおりまして――今は……ここ最近は、……かれこれ五年は会っていませんが、……そのことを考えるとテンションだだ下がりなので封印するとして、とにかく、わたしには超絶美形で優しくて強くて完璧な兄上がいるんです。


 それでですね、当然、実家であるピナス家は兄上が継ぐことが決まっています。金麦の貴族法では直系男子なら家名を継ぐことは可能なんですけど、兄上と跡目争いとかする気はまったくありませんし、そんなことしても実質男装乙女なわたしが領主とか無理ですから。まぁ、兄上に万が一のことがあれば……そんなことは考えたくありませんけど、そんなことが億万が一あるとするならわたしが領主、なんて未来もあるとは思いますけど――今現在ではピナス家の跡取りは兄上で決定しているのです。


 となるとですね、このままわたしが一般的な次男坊として生きていく場合、実家を出て他家に婿入り後にお嫁さんの実家を継ぐのが常道なのです。

 金麦貴族法で、貴族の跡目を継げるのは『直系男子』か『直系女子と婚姻関係にある貴族階級の男子』と決められておりまして、貴族の家に男の子が生まれなかったら、もしくは女の子が貴族の男子と結婚しなかったら、その御家は御取り潰しになってしまうんです。


 なので、我が金麦の男子たちは、長男なら実家を、次男以下は他家を継ぐものと暗黙のルールみたいなものが存在しているのです。

 そしてそのルール的な空気のせいで次男扱いされているわたしは女性たちに追いかけ回されているわけです。


 ご理解いただけましたでしょうか?

 わたしを追いかけているご令嬢の多くは婿入り男子を必要としている家の長女で、実家の没落がかかっているのでかなり必死です。必死という二文字では表せないほどです。

 ……彼女らと同じ状況ならわたしも同じことをしていたでしょうから、その立場に同情は禁じえないのですが、必死なのはこちらも同じ。ほだされて脱がされては首が飛びます。


 だから他の方を当たれと本来なら友人だとかを紹介してあげたいところではあるのですが、……残念ながらそれもできないのです。

 ――と、言いますのも、ここ金麦では結婚適齢期にある男性が非常に少ないんです。

 戦争で死んだとか男だけに流行る病気が広まったとか、そんなことではありません。

 ここ最近――百年近く前から――特に貴族たちの男児出産率がかなり低下しているんです。たまたまなのか遺伝子異常か、もしくは見えざる神の手が働いているのか……そのへんはさっぱりぽんなのですが、今現在、金麦貴族界では結婚適齢期にある男子の不足が猛烈に叫ばれています。

 元々男女比に差があった金麦貴族界は一夫多妻の婚姻制度が主流なのですが、それでも婿取り婚の場合は血の混乱を防ぐために一夫一妻――もしくは多夫一妻が適用されます。となれば、婿取り婚をしようとしている貴族にとって既婚者は対象外。二女以下たちは第二夫人、第三夫人を狙えますが、長女は――まぁ、少なくとも姉妹の誰か一人は、――必ず未婚男子を狙い打たねばならないわけです。


 となるとですね、当然、長男は跡目なので他家に婿に出すなんてことはしません。つまり、女子しかいない貴族家にとって重要なのは次男以下なのです。


 けれど、若くて健康で家柄もいい――わたしみたいな次男はそうそういません。なにせ次男以下がいる家自体が多くない上に年々減りまくっていますから。

 おかげでここ百年で没落した家はかなりの数で、――そのことを知った当時、わたしは呑気に椅子取りゲームのようだわなんて思ったりもしたわけですが、……没落した家からしたら冗談じゃねぇって感じなんですよね。


 ですから、彼女たち及びその両親たちはそりゃもうド必死です。

 学生で未成年で今はまだ結婚さえできないわたしを王宮に呼び出させて婚約を狙うほどに、物陰に連れ込んで既成事実を得ようとするほどに、――喉から手が出るほど欲しい存在なわけですよ。


 ……はは、もうね、この国は男にとってはハーレムですよ。

 どんな男でもとりあえず貴族階級なら引く手数多です。

 実家を継ぐ長男はもちろん、次男以下も一人に絞らねばならないという制約はつきますが選びたい放題です。

 これぞハーレム。そう呼ばずになんと呼ぶのか。男たちにとってはこの国は蝶よ花よのハーレム天国なのです。

 ま、婚活女性と男装乙女にとっては地獄ですけどね!


 ……、……、……ふはぁぁぁぁ。まったく、ため息とあくびとがタッグを組んだ息がでちゃいます。肘をついて、窓の外に広がる清々しい空を眺めていると、もうなんか本当に実家に帰りたいです。

 なーんでわたし、こんな奇妙な世界に、しかも、こんなウハウハハーレム天国に転生しちゃったんでしょうかねぇ。のんびり村の村人Aとかでも全然良かったんですけど……。


 ……あ、言っときますが、結婚できる自信がなかったから男装乙女やってるわけじゃないですからね。わたし、美少年の皮を剥いだら美少女ですし、男兄弟がいる場合、婚活するまでもなく貰い手は見つかるのが常なので、そんなことで――婚活争いでみじめな思いしそうだから男やってます、なんて理由ではないですからね!


 というかですね、はっきり言って、兄上がいるんだから男装乙女なんて必要ないんですよねぇ。

 逆にわたしってかなり危険な存在です。性別詐称が露見すれば兄上がいても即行お取り潰しですから、男装乙女って今現在無価値どころから爆弾なんです。

 それなのに、どうしてわたしが男装乙女をしているかと言えばですね、……ピナス家にも御家事情というものがありまして、……なんといいますか……保険の名残? みたいなものなんです。


 と、いいますのも、わたしが産まれた当時の兄上はとてもとても病弱だったんですよね。幼い頃から身体が弱く、歩けば倒れ、倒れては吐き、吐いては寝込む。そんな病弱で貧弱で脆弱な儚い方で……。


 医者の見立てでは十を迎えられるかどうか……そんな残酷な宣告までされていたといいますから、その儚さは虹のごとき有様でした。ですがその儚さゆえに七歳の兄上は愛らしく、この世に産まれたばかりのわたしには衝撃的で……、親戚一同は第二子であるわたしを男児と偽ることに決め、第三子の出産に期待したわけです。


 女児だって婿取りすればいい話なんですけど、婿取りでは格が下がると考える親戚連中だとかがいましてね……。名門の意地だとかプライドだとか、そういうのを守りたかったらしいです。


 ――ですが、ほら、母上は産後に体調を崩してわたしの誕生まもなく他界されましたからね。しかも、母上を愛していた父上は一夫多妻婚が流行る中、非再婚宣言なんてものをぶちかましまして……。

 やたら格式にこだわる親戚たちを震え上がらせたんです。

 もうね、烈火のごとき怒りで震えてましたね。

 あの人たち、父上に再婚しろと迫りに迫ってました。それはもう毎日のように怒声が聞こえていました。けれど父上は当然無視です。そしたら、末は裸の女性を寝所にまで送り込むという暴挙にまで出たんです。ひどい話ですまったく。父上におんぶにだっこ状態で口だけはしっかり出してお金だけむりしとっていくんですから。


 ですが、そんな脛かじりな親戚への同情よりも母上の愛情を貫く決心を固めていた父上は結局彼女たちを追い払って手は出しませんでした。

 それはその後も何度となく――たまに今も、父上の周囲では裸の女性が目撃されているらしいので、父上バーサス親戚一同の戦いは未だ続いている模様です。


 ――とまぁ、それはそれでいいとして、そんなこんなで――病弱な兄上の保険として男装乙女が誕生したというわけです。


 けれどありがたいことに兄上は日に日に元気になってゆかれました。さすが兄上です。ですがそうなると問題となるのがこのわたしの存在でした。

 十歳を過ぎ、十一を過ぎ、さらには十三を過ぎたあたりで兄上の健康状態が上向きになった頃にはわたしは六歳。うちの娘の婿になんて申込が既に舞い込んでいる状況で、実は乙女でしたーなんてことは言えなかったのです。

 このまま男装乙女やってても当然結婚なんてできませんから婿だなんだは問題外なんで完全無視してますが、一度男だと偽ってしまったのでわたしは死んでも男装乙女で、ピナス家の次男でなければならなくなったと。そういうわけなんです。


 けれど、そうなった場合、歳を重ねていくごとに疑惑が湧いてきます。なんで結婚しないんだと。美少年ではなく美少女なんじゃないかと。

 そうなった場合、――もちろん兄上が無事に跡目を継いだ後ですけど、わたし、家出するしかないんですよね。

 実家はきっと追ってなんて来ないでしょうし。早よ出て行けオーラも現時点でチラホラ見え隠れしてますし……。実は何度も追い出されそうになりましたし……。


 でも、でもですね、……わたし、できるだけ兄上の傍にいたいんです。……今は傍にいないんですけど、家を継ぐ兄上を支えて守ってやりたい願望が強くて……。


 だってね! 兄上ってばもう、かなり可愛いんです!

 生まれてすぐに出会った七歳の兄上が本っ当に可愛くて! 五年前に別れた時はもうカッコイイ青年だったんですけどっ、きっとこのまま成長していくと渋くてダンダィーな素敵なおじさまになるんじゃないかなぁ……なんて想像しちゃうだけで興奮しちゃって……!


 できるだけ兄上の傍にいたいなぁ……なんて……ね? 我が儘なのは分かってます。だから兄上たちには内緒で親戚連中と密約みたいなことを交わして――おっと、この話は思い出すと嫌な気分になるので奥底に封じることにして、――それでもやっぱり兄上といたいと思うのはファーストインパクトの影響でしょうかねぇ。あの兄上の愛らしさは破滅級でしたから……。

 あれで食べちゃいたいほどの母性本能をくすぐられて、わたしは兄上のためにこの世に転生してきたに違いないと、前世の未練までも断ち切ることができたくらいですから……。


 しかもですよっ兄上ったらこの婚活レースの景品役で生きる伝説になってるらしいですからもうっ尊敬もんですよね!

 初出勤日から他部署へ転属するまでの間ずっと、ずーっと無遅刻だったらしいですよっ! ヤバいですよそれ! すごいですよ兄上っ!

 割と人気のない人はそれもできるらしいですが、兄上はめっちゃくちゃ人気あったはずです。もうコレは断言できますね! 長男ですから婿取りレースではなく嫁入りレースになりますが、ご令嬢の必死度はそう大差ありませんもんっ!


 ……でも、……そうなると、いったいどうやったら無遅刻なんてすご技ができたんでしょうか?

 わたしの初日なんて……思い出すだけでも震えがくるほどひどかったんですけど。兄上はアレを回避したってことですよね?


 ……あ、本当に思い出すだけで悪寒が。

 あ、あれはもう、なんといいますか……、彼女たちはまるでバーゲームセールで見つけた洒落た服のようにわたしのことを扱っていました。あっちからもこっちからも「私のよ!」「私が先よ!」と叫ぶ女性陣に引っ張られ、抱きつかれ、さっそくキスをかまされて……わたしのファーストもセカンドもサードも指の数以上に唇を奪われ……。


 初出勤を果たしたのは真夜中で、その頃には乙女でありながら乙女恐怖症に陥っていました。乙女怖い。女性怖い。結婚願望って人を獣に変えてしまうんですね……。


 …………でも、怖い怖い言い続けるわけにもいきません。

 これはわたしの――男装乙女的美少年への試練です。というか仕事です。これは単なる鬼ごっこではなく通勤ダッシュです。このままでは永遠無能と呼ばれ続け、一生給料泥棒で男としては半人前扱いされることになります!


 わたしは一月逃げ続けました。そして学んだはずです。女は怖い。女は怖い!

 そんな怖い女性たちから逃げるためには、足腰持久力だけではダメですっ!


 ……なら、いったい何でしょうか? わたしに足りないものは? 兄上にできて、わたしにできないのはなぜ? 兄上にあって、わたしにないものって? ……男らしさ? もちろん兄上に比べれば足りないでしょうが、わたしにだって追っかけがいるんですから、皆無ってほどではないはずです。


 ……


 …………


 ………………


 ………うぅぅっ、もうっ分かんないっ!


 わたしに足りないものってなんですかっ!

 どうやって逃げ切ればいいんですかっ?! どうしたらわたしにチョコをぶっかけて舐めまくろうとするお嬢さん方を撃退することができるんですかっ!?


 うわーんっ! 教えてーっ! 兄上ぇぇぇぇぇっ!





 ――少しばかり泣きが入ったこの日、わたしはいつものように大遅刻。

 資料室にたどり着いたのは真夜中でした。


 ……とぼとぼと現れたわたしを見る先輩の視線がかーなーり、痛かったです。


 ……あの、本当に、給料泥棒でスミマセン。



 ◇

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ