#570 潜入、そして調査。
「まったくもう、まったくもう! ボクたちを仲間外れにして、自分たちだけ遊びに行くなんて! ズルいよね、久遠!」
「いえ、特にズルいとは……」
「わ、私も戦うのは好きじゃないから……」
ぷんすかと怒っているアリスに比べ、久遠とリイルはことさら平然とした言葉を返す。
昨日の集団暴走のことをアリスは怒っているのだ。自分たちの知らない間にそんな面白いことが起こっていたなんて。なんで誘ってくれなかったのかとおかんむりなのである。
とはいえ、二人はダンスの練習中であったし、久遠がそれを知れば間違いなく止めていたか、親に報告を入れていた。
故に誘った段階でその企みは潰えるのだが、アリスにはそこまでの予想ができないらしい。
「ボクも魔獣相手に戦いたかったーっ!」
絶叫するアリスに、あ、これはマズいな、と直感的に久遠は思った。淑女教育のストレスが思ったより溜まっているみたいである。
アリスは飲み込みが速い。教えれば教えるほど、あっという間にそれを自分のものにしていく。ユミナたちも教えがいがあり、次々と教え込んで行った結果、かなりのハイペース学習になりつつあった。
アリスはやればできる子ではあるが、本来は勉強嫌いな子である。時折り、ストレスを発散させてやらないといけない。
この場合のアリスのストレス解消は、運動か食事である。
要は思いっきり暴れさせるか、美味しいものをお腹いっぱい食べさせることだと、久遠は長年の付き合いで把握していた。
今の状態だと暴れたいという方に天秤が傾いているのだろうが、かといって暴れさせるのはすぐには無理である。ならば食べさせる方向で、と久遠は動いた。
「アリス、姉様たちには罰として喫茶店でおごってもらうことにしましょう。ちょうどケーキフェアをやっているらしいですよ?」
「ケーキ! いいね! そうしよう!」
「ケーキってなんですか?」
久遠にあっさりと釣られたアリスとは違って、ここに来て日の浅いリイルが疑問を口にする。
「ケーキはね、甘くてふわふわで美味しいお菓子なんだよ! リイルもきっと大好きになるよ!」
「甘くてふわふわ……」
ケーキがいかに素晴らしいものかとリイルに説明するアリスには、もはや先程の怒りは感じられなかった。
『なんつーか、チョロすぎないっスか……? あんなの嫁にもらって大丈夫なんスか、坊っちゃん?』
「僕としては理想のお嫁さんですよ」
呆れたような声を漏らしたシルヴァーの柄をポンポンと叩きながら、久遠は未だにケーキの素晴らしさを熱弁するアリスを微笑みながら眺めていた。
◇ ◇ ◇
ブリュンヒルド公国内で騎士ゴレムである『ソードマン』と『ガーディアン』の試験運用が開始された。
どちらも五機のみの運用であるが、これが問題なければもう少し増やす予定だ。
どちらも基本的にパトロールがメインとなるが、必ず相棒となる騎士と一緒に行動してもらうことになる。ゴレムだけでは対処しきれないトラブルってのもあるからね。
ソードマンとガーディアンに初めはびっくりしていた街の人たちも、騎士団所属のゴレムだとわかるとすぐに気にしないようになった。
なんというか……うちの国民さん、順応するのが早くない?
もともとノルンやニア、ルナなど、王冠持ちがゴレムを連れて街を歩いていたので、慣れているところはあったんだろうけど……。
いつもフレームギアとかも普通に見てるしな……。
「で、大丈夫そう?」
「はい。ソードマンもガーディアンも問題なく動いています。ソードマンは酒場で暴れていた酔っ払いをうまく取り押さえましたし、ガーディアンも足場が崩れた工事現場から怪我人を救助しました」
騎士団長であるレインさんの報告を聞いて、僕もこれは大丈夫だな、と胸を撫で下ろした。
もう数ヶ月様子を見たら、少し数を増やしてもいいかもしれない。子供たちの話だと、未来では騎士団とは別に、騎士ゴレム部隊という部隊があったらしいし。
部隊長は『白』の王冠であるアルブスだったようだが、アルブスは今、白鯨で『方舟』の監視任務中だからな……。
邪神の使徒の問題が片付いたら編成を考えよう。
「それと陛下、実はこんな物が……」
そう言ってレインさんが差し出してきたもの。それは白い紙で包まれたいくつかの薬包であった。
僕がそれを受けとってひとつを慎重に開くと、中には少量の黄金の粉が入っていた。
「……これはどこで?」
「ソードマンが取り押さえた酔っ払いの男が持っていました。ひょっとしてこれは……」
「間違いないね。黄金薬だ」
変異種の亡骸から作られる、人間を変異させてしまう恐ろしい魔薬だ。くそっ、とうとう公国にも出回り始めたか。
「持っていた男はこれをどこで手に入れたって?」
「ベルファスト王国の港町、バドリアーナで手に入れたと言ってました。酒場で知らない黒ローブの男に声をかけられ、売ってもらったと……」
ベルファストからか。その黒ローブが邪神の使徒か?
「うちに直接来ないとも限らない。警備を厳しくして下さい。怪しい奴がいたら警戒を」
「わかりました」
レインさんが部屋を出て行った後、バビロンへと跳んで黄金薬を『錬金棟』のフローラに渡し、分析を頼んでおく。もしかすると前のと違う新型かもしれないし、偽の黄金薬かもしれないから、一応な。
そして黄金薬のことをベルファストの国王陛下にも伝えておこう。
執務室に戻り、スマホで検索すると黄金薬は西方大陸だけにとどまらず、僕らが住む東方大陸にまで伸びてきているようだった。
特にパナシェス王国、リーフリース皇国あたりが多いな。ここらへんは西方大陸と貿易を始めているからだろうけど……。
多いと言ってもまだパラパラとした数だ。だが放置はできない。一応各国には黄金薬の解毒剤をある程度渡してはいるが……。
「それにしても、ここまで速く広がるものなのか……?」
「それについては」
「わぁ!?」
いきなり現れた椿さんに思わず僕は大声を上げてしまった。
いつからいた!? あっ、天井の隅が空いてる! 忍者だからって普通に廊下から来なさいよ!
「どうやら『黒蝶』が一枚噛んでいるようです」
「『黒蝶』?」
黒蝶……? はて? どこかで聞いたような……?
「公王陛下が潰した西方大陸の犯罪組織です。『黒猫』の前身組織であった……」
「あ。ああー。いたな、そんなの」
昔、ゴレムを手に入れるために潜り込んだ『闇市場』。
その闇市場を牛耳っていたのが西方大陸の犯罪組織、『黒蝶』だ。
確かその闇市場で、初めて『紫』の王冠、ファナティック・ヴィオラと、そのマスターである変態娘、ルナ・トリエステと会ったんだ。危うく殺されるところだったな……。
その後『黒蝶』は分裂、黒蝶から離れたその一部が『影百合』シルエットさんが率いる『黒猫』という組織になった。
『黒猫』は娼館と宿屋を経営しながら情報を集め、それを売る情報屋のようなことをしている。椿さんも懇意にしているようだが、そっちからの情報かな?
「黒蝶って僕が潰したんじゃなかったっけ?」
「正確には完全には潰してはいません。首領に陛下が『呪い』を付与し、放置しただけで」
え? そんな酷いことしたっけか……したな。
確かザビット? だかいう黒蝶の首領にシルエットさんら『黒猫』に近づくな、って『呪い』をかけたんだっけ。
それであいつらは町を出てったんだけど、あのあと他の町で孤児院を地上げしてたところに出くわしたっけな。
『呪い』の条件が『シルエットさんたちに関わらない』だったから、それ以外ならいくらでも悪いことができるからな……。僕が直接何かされたわけでもなかったからって、少し甘かったか?
「で、その黒蝶のザビットだかが、黄金薬を東方大陸へと運んでいると?」
「はい。いえ、黒蝶が運んでいるのは確かなのですが、すでにザビットは亡くなり、別の者が首領となっております」
え? あのおっさん死んだの? 僕の『呪い』のせいか? でもシルエットさんからは特になにかされたって話は聞いてないけど……。
「いえ、陛下の『呪い』は関係なく、内部抗争で命を落としたようです。手下による下剋上ですね」
あらら。部下に裏切られたのか。まあ、部下に好かれるようなタイプには到底見えなかったしな。裏の世界じゃよくあることなのかもしれない。
「そしてその新しく首領になったやつが黄金薬をばら撒いている……と」
「はい」
黄金薬をばら撒いているのが黒蝶だとして、どこからそれを手に入れている? やはり邪神の使徒とどこかで繋がっているよな……。
「黒蝶って今どこを拠点にしているのかな?」
「以前はストレイン王国でしたが、今現在はガルディオ帝国の西部にある都に」
ガルディオ帝国の西部……邪神と戦ったアイゼンガルドに近い場所だな。
アイゼンガルドは荒れに荒れ、無法地帯に近い場所になっている。裏家業の輩が集まるにはもってこいの場所ってわけか。
「ガルディオ帝国にも黄金薬が広まりつつあるな……」
マップに映る光点を見ると、やはり人の多いところに蔓延しつつある。これも黒蝶の仕業なのだろう。
ガルディオ帝国にも黄金薬の解毒薬は渡しているが、数に限りがあるし、解毒薬が必要になるのは変異症が発症してからだ。それだって手遅れになる可能性も高い。
『黄金薬は危険な魔薬』という情報も流しているのだが、それでも一定数の使用者は出る。
『錬金棟』のフローラの話によると、この薬はストレス、いわゆる心の圧迫というものを解放し、心身的な痛みを消してしまうらしい。
それだけなら悪い薬とも言えないが、当然ながら強い依存性という副作用がある。
薬が切れると途端にストレスが増加し、そこから解放されたいがためにさらに薬を服用。延々と陥る悪循環。
フローラが言うにはこの繰り返しによって、その人間の『負の感情』が内部に圧縮されていくのではないかという。
そしてそれが一定の基準を超え、心身が耐えられなくなると、空気を入れすぎた風船が破裂するようにその人間が変異を始める。
完全にこの状態になってしまうと解毒薬ではもう治せない。人間ではない邪神の眷属になってしまうのだ。
精神的な痛みや苦痛から逃げたいと思うのは人間として当然のことだ。皆が皆、強い精神力を持っているわけではない。そこにつけ込んだいやらしい商法だ。
奴らは黄金薬を高値で売っているわけではない。一般市民でもなんとか手が届きそうな微妙な金額で売っている。そこもまたいやらしい。
金を奪い取り、心を蝕み、身体を壊す。文字通り骨の髄までしゃぶられて、奴らの奴隷となってしまう。到底許せるものではない。
「とりあえず自国の黄金薬の場所を王様たちに送ろう」
マップ検索して出てきた黄金薬の場所を各国の代表へメール添付で送る。一斉摘発されればある程度は被害者も減るはずだ。
「黒蝶はどうしますか?」
「うーん、そこだよなぁ……。供給源を絶たないといたちごっこだし」
黄金薬をどこから手に入れているのか、誰が邪神の使徒と取り引きをしているのか。
普通なら黒蝶の新たな首領なんだろうけれども……。
「黒蝶の本拠地に潜入しますか?」
「潜入……って、椿さんが?」
「いえ、私ではなく焔たちが」
あー、あのくのいち三人娘か。猿飛焔、霧隠雫、風魔凪の椿さん配下の三人。
うーん、大丈夫かなぁ……。新人の時から知ってるから、どうしても幾許かの不安があるんだけども。
「あの三人も実力をつけてきてます。少なくとも戦闘能力では諸刃様や武流様に日々訓練されてますので、生半可なそこらの騎士より遥かに強いかと。加えて焔には『遠見』の魔眼、雫には卓越した変装術、凪には様々な暗器術があります」
なるほど。若者たちも成長しているんだな……。って、歳は僕とあまり変わらないけども。
椿さんがここまで太鼓判を押すなら大丈夫か。
「わかった。じゃあその三人に行ってもらおう。ああ、サポートとしてバステトとアヌビスもつけるから」
「バステトとアヌビス……黒猫と黒犬のゴレムですね。なるほど、それなら怪しまれずに情報を集めることができますね」
バステトとアヌビスはエルカ技師のゴレムだけど、最近特にやることもなく町をぶらついてるだけだからな。いや、それも城下町の情報収集やパトロールに一役買っているんだけれども。
何かを調べるならあの二匹の方が怪しまれないだろう。バステトは賢いし、アヌビスは……ちょっとお馬鹿なところはあるけど人懐っこいから普通の犬として動き回れる。
各国での一斉摘発と、仲買人である黒蝶を潰せば、黄金薬による被害者は減るだろう。これ以上邪神の『呪い』を広めるわけにはいかない。
僕はガルディオ皇帝陛下に協力を要請すべく、スマホの連絡先を開いた。
◇ ◇ ◇
西方大陸の南に位置するガルディオ帝国。
その帝国の西、かつて魔工国アイゼンガルドと呼ばれた国があった場所に程近いところに湾岸都市ブレンがある。
かつてはアイゼンガルドからの運搬船や馬車がひっきりなしに往来し、貿易の中継地点として栄華を誇っていた都だったが、アイゼンガルドが滅び、また陸地も分断されてしまったため、今ではその栄華に暗い影をおとしていた。
それでも辺境の都市としてはなんとかやっている方である。
ではあるが、アイゼンガルドの滅亡は大きく市民たちの暮らしを直撃した。
まず人の往来が大きく減った。アイゼンガルドに行く者は、皆ブレンを訪れていたが、今やアイゼンガルドに行こうという物好きはいない。
仕事が減り、物資が減ったことにより、犯罪が横行し、それを牛耳る者たちの勢力が増した。
領主でさえそいつらの賄賂により、見て見ぬふりを決め込んでいるという。この領主は堅実であった前領主が突如病死したため、その跡を継いだ弟であったが……果たして前領主は本当に病死だったのか……。
『裏稼業の者たちが自分たちに都合のいい領主にすげ替えるため、暗殺したのではないか、というもっぱらの噂ね』
時刻は宵の口。ブレンの都の一角、通りを見渡せる角にある宿屋の一室で、取り急ぎ集めてきた情報をバステトが皆に語っていた。
「分裂した黒蝶には暗殺部隊もあったらしいわ。あながちただの噂とも思えないわね」
バステトの報告を聞いて、くのいち三人娘の一人、霧隠雫が長い髪を揺らしながら考え込むように顎に手をやった。
『やっぱり前領主の死は黒蝶の仕業かしら』
「十中八九そうでしょうね。でなければ辺境の一都市とはいえ、ここまで好き勝手できないでしょう」
頷く雫の耳に、会話に加わらず、わいわいと騒いでいる別グループの声が嫌でも届いてきた。
「あっ、凪! その鳥肉あたしが食べようと思って取っておいたのに!」
「早い者勝ちだよぅ〜」
『ちょ、姐さんたち、俺っちにも下さいっス!』
「ええ? あんたゴレムなのに食べるの?」
『俺っちは高性能っスからね! それくらい問題ないんスよ!』
「じゃあこれあげる〜」
『やりぃ! ……ってこれ骨じゃないスか! 動物虐待反対!』
「犬は骨が好きでしょ〜?」
「ぷぷぷ、じゃああたしも骨あげる!」
「『あーもう、うるさい!』」
部屋の隅にあるテーブルでやかましく食事をしていたグループに雫とバステトの声がユニゾンで飛ぶ。
根が真面目な雫とバステトに対して、どこかお気楽気分な二人と一匹であった。
『そうカリカリしなさんなって。今から気合い入れすぎっと、大事なところでミスしやすぜ?』
「お、犬。いいこと言ったね。そうそう、雫ももうちょっと肩の力抜いてさ」
「ねぇ〜」
「あんたは抜きすぎなのよ! もうちょっと緊張感ってものをね!」
「ねぇってば〜」
『アンタもよ、バカ犬! 一緒になってはしゃいでんじゃないわよ! 帰ったらフェンリル兄様に叱ってもらうからね!』
『げっ!? バステト姉、それは卑怯だぞぅ!』
「ひょっとしてアレって黒蝶の連中じゃない〜?」
ピタリと言い争っていた声が止まる。ふと横を見ると、窓際に立った凪が窓の外をじっと眺めていた。
そそくさと他の者も窓に駆け寄り、街灯の下、夜の通りを歩く黒ずくめの服を着た男たちを視界に捉えた。
「……間違いないね。黒蝶の連中だよ」
焔が『遠見』の魔眼を使い、連中の襟元に黒い蝶の刺繍がされているのを確認する。
「初日から標的に邂逅するなんてツイてるねぇ〜」
「ツイてるっていうか……まあ、余計な手間は省けたかしら。バステト、アヌビス、頼める?」
『任せて。行くわよ、バカ犬!』
『バカバカ言うない! 犬はお利口なんだぞぅ!』
窓を開けて、そのまま屋根伝いにバステトとアヌビスが黒蝶の連中を追いかけていった。
「私たちはもうちょっと情報を集めましょう。黒蝶の指揮系統がどういったものなのか調べないと」
「そだね。あたしは酒場とか回ってみるよ」
「じゃあ私は歓楽街〜」
それぞれひとつ頷くと、くのいちの三人娘はバステトたちと同じように、窓から通りへと飛び降り、夜の闇の中へと消えていった。




