#328 イグレット、そしてイカ料理。
イグレット王国は二つの島から成り立っている。南北に長いイグランド島と、その三分の一ほどのマルレット島だ。
その小さな方の島、マルレット島に僕とスゥ、リンゼ、桜、それに黒曜と珊瑚の、四人と二匹は足を踏み入れた。
ルフ族の三人は一足早く僕の開いた【ゲート】で王都レトラバンバへと向かっている。僕らがこの島に来たのは、巨大イカの魔獣・テンタクラーに負けた海竜がどうなったか心配だったからだ。
海竜の寝ぐらである洞窟の奥はバビロンの「研究所」の転移ゲートと繋がっている。そこから転移し、相変わらず秘密基地みたいな洞窟を抜けていくと、開けた場所に出た。まるでちょっとした地底湖のようだ。
「冬夜さん、あれは……」
同行しているリンゼが地底湖の奥を指差す。そこには傷だらけの体で横たわる海竜の姿があった。
上半身(?)だけを地面に横たえ、残りの体を海面の中へ沈めている。美しかったサファイアブルーの鱗はところどころ剥がれ、血がこびりついていた。
息も絶え絶えの海竜は、わずかに開いた眼で僕の姿を捉える。動き出そうとする海竜の体に僕は手を当てた。待ってろ、いま治してやるからな。
「【光よ来たれ、女神の癒し、メガヒール】」
光の波動が海竜を包み、傷だらけの体がみるみるうちに回復していく。鱗も元通りのサファイアブルーの輝きを取り戻した。
「もう大丈夫か?」
『はい。ありがとうございます。瑠璃様の主たる望月冬夜様。大変お見苦しいところをお見せ致しました』
「だいたいの話はイグレットの人に聞いた。テンタクラーとかいうのとやりあったんだって?」
『はい。不躾にもあやつらが我が領域へと乗り込んできましたので……。ヤツらの触腕は恐るべき力で、私の体の骨を砕くほどでした』
うーむ、竜の骨を砕くってよっぽどだぞ。テンタクラーは見た目はイカに近い姿をしているが、タコの要素も含まれているのかもしれない。確かタコって体の九割が筋肉なんだよな。
さらに海に棲む無脊椎動物の中ではイカの泳ぐスピードは最速だとか。ジェット推進……水を取り込んで吐き出す力で最大時速は四十キロ近くまで出るという。
意外ととんでもない怪物かもしれない。
「その怪物退治も頼まれたから、お前さんは少し休んでるといい。片付いたらまたイグレットを守ってくれればいいさ」
『ご厚情、誠にありがたく……』
海竜が持ち上げた頭を下げる。相変わらず人間くさい竜だな。
しかし、気になることがひとつある。
「さっき、『あやつら』っていっていたけど、テンタクラーって一匹じゃないのか?」
『はい。複数おります。私は二匹と戦い、三匹目が現れた時点で逃走しましたので、確実な数はわかりませんが』
ってことは最低でも三匹はいるのかよ……。こりゃ骨が折れそうだ。
陰鬱な気持ちを切り替えつつ海竜に別れを告げ、僕らはトトラから手に入れた記憶を辿ってレトラバンバへと【ゲート】で転移した。
「ここがイグレットの王都、レトラバンバか。ずいぶんと風光明媚なところじゃのう」
スゥの言うとおりレトラバンバは海岸沿いの丘の上にあり、そこから眼下に見える風景は、椰子のような木が立ち並んだ白い砂浜にエメラルドグリーンの海と、まるで南国リゾート地のようであった。
町中には緑の芝生が広がり、極彩色の鳥たちが空に羽ばたいていた。街並みは石造りの建物で造られており、高い塔や神殿のようなものが遠くに見える。古代アステカ文明が残したピラミッドみたいなものもあるな。
遠くの山々は緑に茂り、空は碧く、海も碧い。水天一碧とはまさにこのことなのだろう。
しかしよくよく見てみると、椰子のような木は折れたあともあり、建物も崩れた家が何件かあった。先日の嵐の被害か。やはりダメージは大きかったようだ。
レトラバンバの中央部に大きな建物があるが、あれがここの城だろうか。とりあえずそこへ向かおうと、都の通りを歩くことにする。
「町の人たちがなんとなく元気がありません、ね」
「食料不足らしいからね。海にはテンタクラーがいるし、山は土砂崩れが危険らしいから」
リンゼに言われるまでもなく、僕にも力を落としたイグレット王国の人々を目の当たりにしていた。
全ての町がそうではないだろうが、やはり国としての被害は大きいようだ。
王都はそれほどでもないが、山間部や北部の漁港都市などは壊滅的な被害を受けたらしいからな。土砂崩れや川も氾濫したりして交通も滞っているだろうし。大型船があればまた別だったんだろうけど……あ、テンタクラーが邪魔か。
ふと気付くと、向こうから馬車がやってきた。いや、馬車というのは正しくないのかもしれない。その車体部を引いていたのは馬ではなく鳥だったのだ。ダチョウのような鳥だが、ダチョウよりも首周りと頭が大きい。
その馬車(とりあえずそう呼ぶ)が僕らの目の前で停まる。二頭(二羽?)立てで、屋根のない四輪馬車の御者台には、ルフ兄妹の妹の方、リリカラが手綱を握っていた。
「お迎えに上がりました。城で我が王がお待ちしております」
出迎えに来てくれたのか。ありがたいね。
ところが僕らが馬車に乗り込もうとしたそのとき、砂浜の方で悲鳴が上がり、大勢の人たちがざわめき始めた。
崖の上に設置された鉄柵から下を見ると、海から巨大なイカのような魔獣が頭を出し、触腕を伸ばして人々を襲っている。
あいつら地上にまで這い上がってくるのか!?
伸ばされた触腕が一人の男性に絡みつき、持ち上げる。テンタクラーは肉食で、イルカやサメなどを捕食するが、時に人間でさえも食べてしまう。
「【水よ来たれ、清冽なる刀刃、アクアカッター】」
桜の放った水刃が、男の人を持ち上げていたテンタクラーの触腕をスパッ! と切り落とす。
砂浜に落ちた男性は慌てて逃げ出し、青い血を撒き散らすテンタクラーに今度はリンゼの魔法が発動する。
「【炎よ来たれ、煉獄の火球、ファイアボール】」
海中から出ているテンタクラーの頭部に、特大の火の玉が炸裂する。
『プギャラギャ────ッ!』
不気味な声を上げてテンタクラーが海中へと後退していく。追い打ちに僕も【ファイアアロー】を放ったが、それが当たる前にテンタクラーは海へと沈み、消えていった。
「逃がした。残念」
「聞いていたのよりも、小さかった気がします、ね」
「子供だったのかのう」
子供だったとしても凶悪なのに変わりはない。
切り落とされた触腕が、砂浜でまだウネウネと動いている。うわあ、気色悪っ。
確かにあんなのがいたんたじゃ、安心して海に出られないなあ。そう言えばテンタクラーってこの近海にどれだけいるんだ?
「検索。イグレット王国近海におけるテンタクラーの数」
『検索中……検索終了。五十三匹デス』
「ごっ……!」
懐のスマホから発せられた異常なほどの数に僕は思わず絶句する。
さっきのような幼体(なのかどうかはわからないが)を含めた数としても多すぎじゃないか!?
確かテンタクラーはイカと同じ卵生ではあるが、一回に千単位で卵を産むイカとは違い、数十しか卵を産まず、その数十匹の中でも孵化して無事成体になるのはわずか数匹だとギルドの本に書いてあったはず……。
もしかしてこれも世界融合の余波で起こる異常現象なのか?
砂浜に降り立ち、ブリュンヒルドをブレードモードにしてテンタクラーの残した触腕に斬りつける。
ぬめる粘液に刃筋がずらされて、うまく切ることができない。次に切っ先で突いてみると、ある程度の抵抗はあったが普通に突き刺さった。
刺激されたからか、またもぐねぐねと触腕が動く。うええ。
八重ぐらいの腕があれば切り落とすこともできるかもしれないが、もっと大きい個体になると難しいだろうな。魔法の刃は効果があるようだが。
「テンタクラーに効く魔法ってなんの属性だっけ?」
「火属性か風属性の雷撃、光属性の攻撃魔法も大丈夫だと思い、ます。水属性は、【アクアカッター】のような斬撃系は効くでしょうが、【メイルシュトローム】のようなものは効果が薄い、かと」
うーん。だけど火も雷も海の中だと威力は半減以下だしなあ。光も海上からだと屈折するだろうし。
となると、海中から引き摺り出すしかないな。やはり釣り上げるか?
僕が砂浜で考え込んでいると、何人かの兵士を引き連れて、黄金の羽飾りを頭につけた褐色肌の男性がやってきた。横にはトトラとリリカラのルフ兄妹も連れている。
歳は三十代前半くらいか。細身だが鍛えられた筋肉には独特の刺青が描かれ、ネイティブアメリカンのような民族衣装をその身にまとっていた。
「よくぞ魔獣を撃退してくれました。感謝します、ブリュンヒルド公王陛下」
「あなたは?」
「レラウレ・コチャの子、レファン・レトラ。イグレット王国の国王です」
国王陛下だったのか。屈強な戦士という見た目だから、戦士長かなにかかと思った。
差し出された手を握る。がっしりとしたその手は、日頃から武器を持ち、訓練に明け暮れる戦士の手そのものだった。
「ブリュンヒルド公国公王、望月冬夜です。よろしくお願いします、レファン国王陛下」
次いで、僕の後ろにいる三人の婚約者を紹介する。婚約者というより、各人優れた魔法使いである、という方を強調しておいたけど。複数の恋人連れてリゾート気分か? とか思われるのもアレだし。
幸い、先ほどの戦いを見ていた者も多いので、すんなり納得してくれたようだが。
「先ほどこの辺り近海を探索魔法で調べてみたのですが、テンタクラーは五十匹以上いるようです」
「五十……! なんと……それでは船があったとしても漁に出ることもできない」
「新しい船の方は我が国で用意できますから、あとはテンタクラーを退治するだけなのですが。なにぶん相手は海中。なんとか地上に引き上げて退治したいところなんですけどね」
王都レトラバンバから少し離れた岬の方なら、多少荒らしても構わないとレファン国王にお墨付きをもらったので、そこをテンタクラー退治の現場とすることに決めた。
まあ、それはそれとして。
「黒曜。これって食えると思う?」
『どうかしらぁ? 毒性はないから安全なのは確かよぉ。美味しいかどうかはわからないけどぉ』
ふよふよ浮きながら僕の周りを漂っていた珊瑚の背で、黒曜が答える。
一応【分析】で調べてみたが、確かに毒性はない。食べても問題はないということだ。美味いかどうかはわからないが。
やっと動かなくなった触腕の部分を薄く切り落として、塩で揉み、よく洗ってぬめりを取る。それを細くスライスし、【ストレージ】から取り出した器に入れた。
同じく【ストレージ】からイーシェンの醤油と生姜を取り出し、すりおろした生姜を小皿に一緒に混ぜた。早い話がイカソーメンである。
「公王陛下……まさかそれを食べるのか?」
「食糧不足の足しになるかなと思いましてね。僕もあまり好きではないんですが、イーシェンって国や僕の出身地じゃこうして食べられていたもので、試しにと」
イーシェンじゃ普通にイカもタコも食べるしな。毒ではない以上食べられる……はず。あとは美味いか不味いかだ。
イグレットの人たちがドン引きする中、箸でイカソーメンならぬ、テンタクラーソーメンを取り、小皿の生姜醤油につけて一口すすった。む……う……。
「ど……どうです、か?」
心配そうな顔をしてリンゼが聞いてくる。
「……意外といける。僕はくにゅくにゅした歯触りが苦手だけど、これならまあ、食べれないことはない。味も悪くないし。好きな人は好きかも」
「私も食べる」
僕に続いて、桜もテンタクラーソーメンを口にする。次いでスゥが、黒曜と珊瑚が、最後にリンゼも口にした。
「意外と美味しい」
「わらわは苦手かのう……」
「歯ごたえがあって美味しい、です。タレを変えれば、別の美味しさを楽しめるんじゃ、ないでしょうか」
それぞれ感想は違うようだが、結論としては「食べられないことはなく、人によっては美味い」という通好みのような感想だった。タコのようなイカのような、甘みあり淡白な味わいである。もう少し厚切りにして、刺身でもいけるかな。
眉間にシワを寄せて僕らを見ていたイグレットの人たちも、やがて興味をひかれたのか、まずルウ兄妹の兄トトラが、その後に妹のリリカラがそれを口にした。
「ものすごく美味いかと言われれば、確かに違うが、食えないことはない」
「私はさっぱりとしていて好きだ。このショーガジョーユにも合っている」
やはり好みは分かれるようだ。ついにはレファン国王陛下もテンタクラーソーメンを口にした。
「……ふむ。思ったよりひどくはない。初めは抵抗があったが、食べてみるとなんてことはないな。これなら食べられないことはない。もう少し味が濃い方が私の好みだが」
国王陛下はあまり美味くは感じなかったようだ。今まで食べたことのないものなのだから、最初はそんなもんだろう。
こうなったらついでにいろんなイカ料理を試してみるか?
衣をまぶし、油であげたイカフライ。イカとニンニクの芽の甘辛炒め。バター醤油焼き。生姜焼き。試しにいろいろと僕が作ってみると、イグレットの人たちも「これは食材だ」と認識したらしく、王宮の方から本職の料理人が来て、イグレット風に料理を始めた。
さすがはプロなだけはあって、僕が作ったものよりも洗練された物が出来上がってくる。「テンタクラーのパルス香草炒め」とやらは美味かった。
イカは保存食にもできる。テンタクラーでもできるんじゃないかな。
これはますます釣り上げないといけないな。
リンゼたちのフレームギアを使えば不可能ではないだろう。特にスゥのオルトリンデオーバーロードは専用機一のパワーを誇る。テンタクラーの一匹や二匹、簡単に海から引き摺り出せる。
倒すにしても食材にするわけだからあまり身は傷めないほうがいいよな。あれ? そういや昔、じいちゃんがイカとかタコを一撃で殺す方法があるとか言ってたような……。
ネットでちょっと調べてみるか。
えーっと、『目と目の間にアイスピックを突き刺す』……うおう。




