#207 ゴリラ、そして支配種。
ゴリラフレイズの剛腕が唸る。打ち下ろした巨大な拳は、大きく地面を砕き、小さなクレーターを生み出した。なんてパワーだ。
『もらったあっ! 「ブースト」ッ!!』
打ち下ろした右手に素早く接近したエルゼのゲルヒルデが、「ブースト」で強化したパイルバンカーの一撃を側面から叩き込んだ。
ビキキキッ、と亀裂が入り、前腕部の真ん中から先が砕け散った。パイルバンカーの威力もとんでもないな。
『やったっ!』
エルゼが喜びの声をあげた瞬間に、ゴリラフレイズの複腕がまたしてもドラミングを始め、ゲルヒルデがその場から吹っ飛ぶ。
『うっぐっ!?』
飛ばされても体勢を立て直し、なんとか着地するゲルヒルデ。
それに構うことなく、ゴリラフレイズは砕けた自らの右手を目の前にもってくる。胸の奥の核がオレンジ色に脈動しながら点滅し始めた。
たちまち砕かれた右腕の先がパキパキパキッと、まるで氷が伸びていくように、再生していく。数秒で巨大な腕がまったく元通りになってしまった。半端ない再生能力だな……。
再生した腕を振り回し、再びゲルヒルデを狙って拳を突き落ろしていくゴリラフレイズ。「ブースト」を発動させたままのゲルヒルデが、右に左によけながら後退していくのをひたすら追いかけていく。
「スリップ!」
僕の魔法で足を滑らせ、横転する巨大ゴリラ。その隙にゲルヒルデはなんとか逃げ切っていた。
転倒したゴリラの胸めがけて、どこからか飛び込んできた諸刃姉さんが剣を突き刺す。しかし、相手が相手だ。いくら姉さんでもあの剣だけではどうしようもない。核までの分厚い胸部を貫くには長さが足りないのだ。
しかし姉さんは突き刺した剣の柄尻にもう一本の剣先をぶつけ、先に突き刺した剣をさらに胸の奥へと強引に押し込んだ。それでも核には届かない。
「ふむ、二本分でも足りないか。思ったより胸板が厚いね」
胸の上に乗る邪魔者をフレイズが手で払い除けようとするより先に、ひょいっと諸刃姉さんは自ら飛び退き、地面へと着地していた。
僕も諸刃姉さんの横に降り立つ。
「冬夜君、さすがにこれは私でも手に余るなあ。力を使わない状態では無理っぽいよ」
神の力を使えばなんとでもなるということなんだろうか。だったら出し惜しみしないで使ってほしいところだが。
「うーん、でもあいつを真っ二つにすると同時に、ここら一帯がみんなごと吹っ飛ぶし、大陸が裂けるかもしれないけどいいのかい?」
「物騒だな!」
なんじゃそりゃ! 力の加減ってもんができんのか、この人は! 大雑把すぎる!
いや、確かに僕だって「1メートル動かして」と「1ミリ動かして」では、どっちが難しいと言われたら1ミリの方だけどさ。
力が極限にセーブされて、0.1ミリ動かすくらいしかできない状態が今の姉さんたちなのかもしれない。それでも普通の人よりはるかに上のレベルなんだろうが。
「それに神力をこの世界で使い切ってしまうと存在を保てなくなるからねえ。できればやりたくないな」
「あーもう、引っ込んでてください」
人材はやはり適材適所だと実感した。姉さんたちは僕と違って肉体を持たない。神力とやらで形成しているに過ぎないので、力が尽きれば存在を保てなくなる。
それでなくてもあまり神の力を地上で使うのは許されていないらしい。花恋姉さんのように、ちょっとした恋愛事の手助け程度ならそんなにうるさいことを言われないみたいだが、地上の破壊はあきらかにやりすぎだろうし。
ギィィィィィィィィィィィィン!!
突然、ゴリラフレイズから大音量の共鳴音が放たれた。背中の突起物が大きく振動している。なんだ!?
次の瞬間、ゴリラを中心にして地面が大きく波打った。まるで床に敷かれたカーペットの「たわみ」が移動するかのように。僕は隣の諸刃姉さんを抱え上げて、空中へと避難する。
まるで陸の津波だ。ゴリラフレイズを囲んでいたフレームギアがまとめて跳ね上げられ、地面に叩きつけられる。
何体かの者はとっさに跳び上がり、ダメージを減らすことに成功したようだが、かなりの数のフレームギアのボディカラーが叩きつけられたあとに変色してしまった。
くそっ、こんなこともできるのか!
土砂に埋まった中から、なんとか脱出転送を回避した機体が這い上がってくる。エルゼのゲルヒルデも無事だった。
しかしそこに長い尻尾の一撃が飛んでくる。先端には尖った分銅のようなものがついていて、これが土砂から出て来た何体かのフレームギアをなぎ倒した。
荒らされた地面に叩きつけられて、装甲を壊しながら何体かが転がっていく。機体の色は変わっているので搭乗者は脱出したと思うが、無事かどうかはわからない。最悪死んでさえいなければなんとかなるが……。
ゴリラフレイズがまたしても複腕で胸部装甲を開く。核にオレンジ色の光が再び集まり始めた。マズい! またあれをぶっ放すつもりか!
こうなったらいちかばちか本体に向けて、「リフレクション」ではね返すか? いや、もしもそれで中央州になにかあったらとんでもないことになる。
ここはやはりさっきと同じように上空へと逸らすしかないか。
「リフレクション!」
再びゴリラフレイズの正面に反射障壁を出現させる。45度に傾かせ、正面からの照射を上空へと屈折させる状態にした。
ところがゴリラフレイズは胸を逸らせた発射の瞬間に、その前で両腕をクロスさせた。
「なにっ!?」
前でクロスさせた太い腕に、胸から放たれた光の大砲が照射される。瞬間、光が当たった腕から四方八方に細い光線が飛び散った。
水晶の腕を使って拡散させ、周りに放射したのか!
威力は落ちているようだが、それでも被害は大きい。コクピットを直撃はしなかったものの、大きな損傷を受けた機体の色が次々と変わっていく。
くっ、こうなったら……。
『全員上級種より退避! 距離を取れ!』
全チャンネルで指示すると同時に「ストレージ」の中のものを送るため、ゴリラフレイズの上空に小さなゲートを無数に開いていく。
「「流星雨」」
開かれた上空の「ゲート」から、ソフトボール大の晶材の雨が降ってくる。ひとつひとつが「グラビティ」で加重した、重さ1トンもあるやつだ。
それが上空を訝しげに見上げた上級種に、容赦無く降り注ぐ。
肩に腰に背に。食い込んだ晶材は僕の魔力によりさらに重さを増して、フレイズの身体の中へと亀裂を広げながら侵入していった。2トン3トンと重さを上げていく。
両膝をつき、四つん這いになっていたゴリラフレイズだったが、突然重さに逆らい、全力で身体を反転させて、仰向けになった。なにを……? そうか!
背中や肩にめり込んでいた晶材の球があまりの「重さ」で地面に落ちてめり込んでしまう。つまり、フレイズの身体から重力に従い、抜け落ちてしまった。そんな手があったとは……。
このままでは肩や背中の亀裂も元に戻ってしまう。
と、その時、僕の背後からモノトーンの竜騎士が高機動モードで駆け抜けて、仰向けになったゴリラフレイズの上に飛びかかり、右手に持った小太刀を胸部装甲へと突き刺した。
しかし、分厚い胸板に阻まれ、諸刃姉さんの時と同じように、わずかに刀身が核へと届いていない。
『シャール』
エンデがなにか唱えると、小太刀が刺さった周りの胸部が粉々に砕け散った。なぜか突き刺した竜騎士の右手もバラバラに砕けている。核が剥き出しになりつつも、ゴリラフレイズが起き上がり、胸に上にいた竜騎士をどかそうと手を払った。それをかわして竜騎士が後退する。
と、その入れ替わりで、今度は赤い燐光を発した機体が疾風迅雷の飛び込みをもって剥き出しの核に迫り、その拳を振りかぶった。
『一撃、粉砕ッ!!』
渾身の力を込めた必殺のパイルバンカーが、剥き出しの核に撃ち込まれた。
オレンジ色の球体に一瞬で亀裂が入り、木っ端微塵に粉砕された。と、同時に上級種の全身にも無数の亀裂が走り、ガラガラとその身体を崩壊させていった。
『ぃよっし!』
「ははは……やってくれたなあ……」
砕けて散った上級種の残骸の上で拳を突き上げるゲルヒルデ。
まったく……僕の出番があまりなかったな。
『上級種討伐完了。これより掃討戦に入る。各自一体一体確実に倒していくように』
全員に向けて通信を入れる。あとは残りの下級、中級種を全滅させれば作戦終了だ。
「どれ、じゃあ私も手伝ってくるかな。おっと冬夜君、剣を貸してくれるかい?」
ゴリラフレイズに剣を突き刺して手ぶらだった姉さんに、持っていた大剣を二本とも渡した。
すぐさま軽い足取りなのに、ものすごいスピードで残ったフレイズたちへと向かっていく。
唖然とそれを見送っていると、別の方向から竜騎士が近づいてきた。胸部のハッチを開けてエンデが飛び降りてくる。
「ごめん、冬夜。腕が壊れちゃったよ」
「いや、あれがなかったらヤバかったかもしれないし、助かったよ。竜騎士の方は直しておくから、また少ししたら取りにきてくれ。……しかし、一体何をやったんだ?」
「魔力の音……というか振動をね、一点集中させて直接撃ち込もうとしたんだけど、その前に腕が吹っ飛んじゃったんだよ。加減を間違えた」
なるほど。僕が黒騎士に乗って魔法を全力で使った時と同じか。竜騎士のベースは黒騎士や重騎士と同じ旧型だ。エンデの魔力の強さに耐えられなかったんだな。
この際だから完全に改修するか。毎回壊れていたら面倒だろ。エンデはウチの騎士ってわけじゃないから、直すのにいちいち来られてもな。
そんなことを思いながら、竜騎士を見上げたそのとき、空に妙な感覚を感じた。なんだ?
「…………冬夜。ちょっとマズいことになりそうだよ」
いつの間にか隣に来て、同じように空を睨みつけていたエンデが口を開く。やっぱりあそこになにかあるのか?
「おいおい、まさかもう一体上級種が出現するとかは無しだぞ……」
「上級種じゃないよ。あれは……来る」
上級種が現れた時よりも大きい破壊音が辺りに響き、空が砕け散る。
空間の裂け目から飛び出したそれは、地上へと優雅に降り立った。
額から臍のあたりまで、身体の前面以外が水晶のような結晶で覆われた「人型」。
目は赤く、長い髪もバキバキに結晶化している。膨らんだ胸と身体つきからして女性型なのだろうか。胸は左右の脇から結晶が登頂部までを覆っている。大きさは僕ら人間と変わらない。
「おい……なんだよ、あれは……」
「上級種より上のフレイズ……支配種だよ」
「支配種!?」
驚く僕の声に、辺りを見回していたそいつが赤い目をこちらへと向けた。
「#om@e€h@……*e€nd#e!!」
「ちぇっ。よりにもよって出てきたのが彼女とはね……」
苦々しく笑いを浮かべたエンデへと、フレイズの女は一瞬で飛びかかるように接近し、その結晶化した拳をあり得ない速度で叩きつけた。
その拳をエンデが右手で受け止める。後ろにいた僕にもその衝撃波が飛んできた。とんでもない力だぞ、こいつ。受け止めたエンデも只者じゃないが。
「お、おい、こいつ、知り合いなのか!?」
「まあね。だけど仲は良くないんで、退いてはくれないと思うよ」
いや、それは見ればわかる。人型だけあって感情が顔に出るのか、目は吊り上がり、どう見ても怒っている。
「#k∋#is@m@$! o¥uwo*d◎okΩo≒hey+@tΣt@!」
「いや、僕に聞かれても」
女の話す言葉はまったく聞いたこともない言語だが、エンデにはわかるらしい。
エンデに掴まれていた拳を振り払うと、フレイズの女は後ろに飛んで距離を取り、大きく口を開く。
口の中に光の粒子が集まり、眩い光が煌めき始める。
ちょっと待て、これって……!
次の瞬間、エンデ目掛けて上級種よりも凄まじい粒子砲が爆発的な威力をもって放たれた。
「っく、リフレクション!」
突然のことに慌てて分厚い「リフレクション」を展開する。そのため、角度をうまくつけられず、粒子砲があらぬ方向へ反射し、女の後方、彼方にあった山の登頂を吹き飛ばして空へと消えていった。むろん「リフレクション」の反射障壁は粉々に砕かれている。
冗談だろ……なんて威力だよ……。
女は仕留め損なったとわかると、今度は右手を剣のように変化させ、斬りかかってくる。
それをエンデがかわしながら、女の手首を掴み、なんとか動きを止めた。
「冬夜、悪いけどこれで失礼するよ。竜騎士は後日取りに行くから修理をよろしく」
「お、おい!?」
フレイズの女を掴まえたまま、エンデの足下がゆっくりと霧のように消えていく。エンデに巻き込まれるように、同じくフレイズの女もその場から消えていった。
二人が消え、誰もいなくなった戦場に僕はしばらくひとりで佇んでいた。