ⅲ 孤独
時が止まっていた。
全て、全てが止まっていた。
天吏と、目の前にいる笑みを浮かべた猫耳の先生以外。
このふざけた空間は、何度目を擦っても変わることはなかった。周りは静止画像のように止まったままなのに天吏は動ける。
そして、猫耳は言うのだ。
「―――吾輩は猫である。名前はまだない」
と。
某有名小説の、有名な一節を奏でるように猫耳は言った。そして、笑った。
「まぁ、吾輩の事を皆さんは『ねこさん』とか『夜』とか呼ぶけれどね。吾輩の名前はない。これは事実。吾輩は元々、この世界に存在する生き物ではないのでね。ただ、」
と、仮にこの猫耳を『夜』としておこうか。夜は眼鏡をくいっと持ち上げる。そして、
「吾輩は小説という個々が想像し創り上げた世界からこの世界に連れ出された者なのだよ。この世界を救うという英雄名義でね」
夜は笑った。
「まぁ、この世界の時を止めたからのんびりと話をしてもいいのだがね。吾輩は手っ取り早く仕事をしたい。といっても無理だろう」
そう言いながら夜は教壇から下りると天吏にゆっくりと近づいてきた。
「まず、この世界の時は止まっている。静止している。全員が教室に揃ったところで時を止めさせてもらったよ。といっても、吾輩が強制的に時計の針を一〇分早めて生徒たちを集めた、のだがね。まぁ、それはいい。そして、時を止めさせてもらったよ。といっても、永遠に止められるものではない。君の時計が昼休みの終わりを告げると自動的に君は時から解放される。普通に考えると、君の方が彼らより遅れている、となるのだがね。どうも吾輩は言葉足らずなところがあるようで、なかなか説明が上手ではないのだが」
「つまり、俺の時間が遅れているだけで他の奴らの時間と同じになるまでこうなっていると?」
「まぁ、そうだ。昼休み中に君の時間を一〇分止めさせて貰った、今はその分だと思ってくれてかまわない。あぁ、そうそう。これからは時計を持っておくと良い」
なるほど、と天吏はやけに早かった昼休みを思い出す。気づいたら梓が隣にいた。あの時、時間は止められていたのだと、この夜によって。
「で、何の用なんだ俺に」
「勧誘、だ」
「勧誘?」
「そうだ」
「何の?」
そこで、夜の歩みが止まる。そして、重々しく口を開いた。
「―――英雄、のだ」
「英雄?何だ、それ」
馬鹿か、と天吏は思った。ここまで凝った(馬鹿馬鹿しい、とても信じられないこと)をしておいて『英雄』はないだろう、と。『英雄』は一番嫌いな言葉なのだ。それに、『英雄』をそう軽々しく使って欲しくない。そもそも、そんな軽い言葉ではないと思う。なのに、この男は重大そうに言いながら軽はずみで言った気がした。
「要は、」
と、夜は続ける。
「君に英雄になってほしい。英雄の一人になってほしい」
「どうして」
思わず、天吏は叫ぶ。
「どうして、俺にそんなことを言う。この世の中、英雄なんて必要ない。あったところで、それはただの名ばかりだろ。もう、期待なんてしてないから。こういった奴、今まで何度も出てきたじゃないか。そして、最後には何もせずに金だけ巻き上げて消えていった。お前もそんな奴なんだろ。少しは期待したけど、そうだ。そのパターンだろ。いい、何も言わなくていい。黙ってここから立ち去れ」
「違うな」
ため息交じりで夜の声が響いた。
「違わなくないっ」
「違う」
その声には威厳があった。この何者かよく分からない不審者と同然のこの男、その男を天吏は何故か認めていた。分かっていた。この男は今までの奴とは違うことに。だけれど、不審の目を向け疑惑を抱いた。
「今日の夜、十一時五五分に中央公園。その時に続きは話そう」
風が―――前髪をくすぐった
にゃおーん
黒猫が、開いた窓から飛び降りたのが見えた。
「天吏、くん」
梓が天吏を見上げていた。その、赤い瞳で。
そして、今、自分がどうなっているか天吏は知ることになる。目の前には、猫耳のない田中次郎先生が少し顔を引きつっていた。黒板には先ほどまではなかった用語がいくつか書かれている。
何故か天吏は立っていた。多分、教室の空気を読むに急に立ち上がったのだろう。覚えはないが、たしかに立っている。咳払いをする、先生。
(目立っちゃったな)
と、少し頬が赤くなるのを感じたがこう、ぼうっとしていてもいけない。なので、天吏はゆっくりと席についた。
「なぁ、天吏よ。一体、チビ鬼先輩と何があったってんだよぉ」
後ろからシャープペンの消しゴムの方の先で背中がノックされる。緑色の髪、日本人には珍しい髪色。いや、人間でも染めないとなかなか自然に出る色ではない色。そんな髪色を持った天吏の悪友だった。彼、スバルという名前だが彼は、人間ではない。今こそは人間だろうが、元は色を守る番人、そう言われている古来からの種族だ。ただ、あの鬼と人との対戦までは人間と交わらないように生活していたため存在を知っているものは少なかったが、人間と同じ容姿を持つ彼らは人間を助けるべく、人間に味方した。当然、差別などはあったが、同じ所で生活している中で『人間と同じ』ということが徐々に分かり、目に見えた差別は減っていた。その色を守る番人、カラーズは守備力の高い、いわば、バリケードをつくる能力を持っていた。今まで人間に見つからずに生活していたのもその能力のおかげで、今もまた、鬼から守るために役立っている。基本、人間とあまり変わらない体だが、髪の色が多種多様で、人間が住む地区の名前に色を入れたのもここからきている。後、人間と違うところと言えば体に蛇の鱗のようなあとがいくつかある、ということだろうか。だからといって、人間とは目に見えた違いはほとんどない。
スバルもまたそんなカラーズの一人。
そして、カラーズの子供が一八歳になったら防衛部に所属することは生まれながらにして決まっている。スバルもまた、防衛部に入るための準備をするため最近は夜遅くまで防衛部のアルバイトをしているらしい。
そんなスバルと天吏が友達だった。悪友だった。
「でさ、どうなった?」
しつこく尋ねるスバルに天吏は「黙れ」と言おうとしたその時、再びの田中先生の咳払いでさすがのスバルも黙った。そして、笑いが漏れる。
やっぱり、恥ずかしいことこの上なかった。
そんな様子を、黒猫はみていた。そして、再びにゃーと鳴こうとしてその開いた口を閉じる。そして、まじまじと天吏の横に座る梓を見た。その赤い瞳を。
なぁご
誰かが、そう鳴いた気がした。
鬼の鳴き声。
それが、高校と言う安全のはずの校舎の中でした。
ツインテールが教室の窓から入ってきた風に揺れた。
✝
廃屋で埋め尽くされている。
その全ての廃屋に人が住んでいるわけではない。
住民はまばら。
というのも、この街には家が有り余っているのだ。家の数と人間の数が合わない。というのも、家が壊されずに建っているからだ。
この街の建物、全てが全て二〇年前の建物なのだ。それ以降は何も建てられておらず、気配もない。要は住めればいい、と。いらない建物が壊されないのは、バリケードとして使うため。万が一、鬼がバリケードを超え、この街に侵入してきた時、少しでも侵入を防ぐためにある。
そして、廃屋が全てを占めていた。
どこを見ても廃屋、廃屋、廃屋。
学校などの公共の施設までもが昔つかわれていた校舎だし、学校として使われていないものもそのままなのだ。
すべてが二〇年間変わっていない。
変わったのは人間だけ。
そして、技術。
それだけだった。
天吏はその廃屋の合間をすり抜け、歩いていた。耳にはヘッドホン。両手はポケットに突っ込みだらしなく歩いている。そして、その数歩後ろには梓が瞬きもせず、その大きな赤い瞳を見開いて歩いていた。
この街の治安は安定しているか?―――そう尋ねられても答えられない
安定、はしていない。
ひったくりなんてざらだし、犯罪だってよく起こる。ただ、それほどでもない。
そんなことをやっている暇はないのだ。
生きるのに必死。
それが、この世界の現実だ。
にゃお
そして、そこには黒猫がいた。
七色の瞳を持つ黒猫がいた。
道の中央、壊れかけたコンクリートの隙間に前足と後足を器用に置き、たたずんでいた。そして、天吏を見ると再び、にゃおーんと鳴いた。
「お前は昨日の・・・・・・」
助けた猫じゃないか、と。しかし、それを言わせる前にその黒猫は走ってどこかへ消え去ってしまった。
「おい、待てよ」
「どうしたの」
猫に投げかけたのに答えたのは梓だった。急な登場に天吏は心臓が一瞬跳ねる。
「あ、いや、梓か。いや、何でもない」
「そう」
赤い大きな瞳が天吏を捕える。
「ならいいや」
その言葉を置き残して梓は天吏の横を通過してさっさと歩いて去って行ってしまった。そして、その場には天吏だけが残される。
「何なんだよ・・・・・・一体」
なぁご
また、鬼が鳴いた。
天吏は気づきもしなかったが。
夜。
再び、天吏はその場所にいた。
あちらこちらで人工の明かりが激しく灯っている。目に悪そうだ。そう思いながら、天吏は持ってきた腕時計を確認した。
―――p.m.11:20
来いと言われた時間までまだ余裕があった。ここから中央公園まではほんの数分なのだ。少し早く出すぎたかな、と思いながらあくびをした。
誰にも止められない。
それが、現状だった。
天吏が住む家には天吏しかいない。4LDKの一般的な創りをした一戸建てだが、住んでいるのは天吏一人。そう、天吏には両親がいない。もちろん兄弟も、いない。物心ついた時には誰もいなかった。気づいた時には孤児院で暮らしていた。
現在の一人立ちは一二歳。つまり、中学校に入学した時から一人立ちできる。というのは、孤児院も一二歳まで。それ以降は最低限の生活と勉学は保障してくれるが、後は自分一人でやるしかないのだ。といってもそれは個人の自由で、親がいれば一緒に住んでもいい。こうなると、天吏の選択肢は一つしかなかった。そうして現在、天吏は一人で暮らしている。
贅沢なのかもしれない。
しかし、それは孤独でさみしいことだ。
それに天吏は耐えた。
孤独を感じた時、天吏は自分が育った孤児院に行くことにしていた。今日もまた、天吏の足は孤児院に向いていた。
強烈な音楽が耳に鳴り響く。
ヘッドホンから流れ出す音楽―――ロックが
「天兄ぃ」
誰かが天吏を呼ぶ。
そこには、汚らしい格好をした一〇歳ぐらいの少女がいた。ぼさぼさの髪を無造作に結い、目は帽子で隠している。フード付きのベストを羽織っているがそれはつぎはぎだらけ。細くて今にも折れそうな手足をそのぼろぼろの服から出している。見た目はまるで乞食。その見たとおりで、この少女、乞食という部類に配属されるストリートチルドレンだった。
ストリートチルドレンのほとんどは孤児院から抜け出した子供たちだ。ほとんどはお遊び程度としか考えていないが、この少女は違った。
まだ一二歳にもなっていないのに全て、自分で稼ぎ、生きていた。別に体を売っているとかそういうふうじゃない。この少女、名の知れた情報屋なのだ。名前はナナシ。これは自分で付けたらしい。情報屋は名前を知られると殺されると誰かが言っていたことがあるから、まぁそうなのだろう。
「今日もまた孤児院か?」
「まあな」
「相変わらずだな、天兄ぃは。一人立ちで来てない。だから弱いんだよ。んで、また、こんな夜にねぇ。チビ達はもう寝ちゃったんじゃないかな」
「だろうな」
「空気吸って安心する、ってやつか?ボクにはよく分からないが」
音楽を停止して、ヘッドホンを首にかける。そして、はぁと溜息をついた。
「ちなみに、」
と、ナナシが話しを切り出す。
「『黒猫』の情報は一〇ドルだ」
っつ、と天吏はナナシの顔を見た。その平然とした眼差しに天吏は少しの恐怖を覚えた。
「何で知っている?」
「昨日、鬼から黒猫を助けたんだってね。カラーズの一人が面白そうに言っていたよ。まったく、勇敢な少年だとね。ボクはすぐその少年が天兄ぃだと分かったよ。まったく、まだ、正義のヒーローを続けているのか?あの時、止めるって言っていたのに」
「黙れ」
「まぁ、黙るよ。ボクは喧嘩が嫌いだ」
ただね、とナナシは続ける。
「その黒猫、ただの黒猫じゃない。気をつけた方がいい。昔からの長い付き合いだからその情報は無料だよ」
そう言ってナナシは天吏の前から姿を消した。音もなく、すっと。
―――p.m.11:50
腕時計が時刻を告げた。
後五分か、と思いながら天吏は歩き出す。中央公園に向かって。
にゃおーん
猫が、鳴いた。
書けた(^O^)/
盛り上がってきたつもりが、そんなに盛り上がってなかった・・・・・・
そうだね、うん・・・・・・