ⅰ 黒猫
西暦二〇四五年
世界は荒廃した。
世界各地に、『鬼』と呼ばれるバケモノ達が襲い人を殺し、建物を崩壊させ、何百年もかけて築き上げた人間の文明をたった一日で壊した。
それはまるで、無残だった。
残酷だった。
それからだ、人間と鬼の戦争が始まったのは。
通称、《NO》と呼ばれたそれはあの日を指す。あの日、それはもちろん鬼が世界を壊した日。人間と鬼との戦争が始まった日だ。人間達はこの日をないものとして扱い、《NO》と言ってその日を存在しないものとした。そして、数多の実験、人間文明の全てを費やして巨大な兵器を製造した。しかし、それらは虚しくただのガラクタと化す。
鬼の前ではすべてがガラクタだった。
人間の文明は敗れたのだ。そして、次なる民族に権力は移った。人間はその次なる民族の下となったのだ。もう、人間が先進する日はない。それはただの理想郷となる。
今、人間がやるべきことは自衛。自ら生きることだ。生き残り、人間の文明を後世に伝える者となり自らの考えを妄想にまで広げ、拡散する。その程度だ、個々でできることと言えば。
しかし、戦う者もいた。
彼らは集結し、思考に思考を重ね数多の考えを出し、鬼と戦う力を持った。兵器を開発した。そして、その兵器を操れる人材を育成し、兵士とした。そんな彼らは救世主として崇められ、人間の希望となった。そういった集団は世界各地に生まれ、大小合わせて総勢七つできた。そして、人間たちはお互いに団結しようと《M》という集団を創り世界がまとまった。
《M》にはある意志があったと言われている。しかし、それは闇に葬られ消え去った。というのも、それはある事件によってだ。
ある事件、それによって七つの集団は分裂し、《M》は崩壊。世界各地に競うように勢力を上げて行った。
彼らは団結することを恐れた。
そして、個々の力で自らの技術を守り通して行った。
あれから二〇年。
日本に《M》と名乗る集団が誕生した。
しかし、これらはすべて伝え聞いたもの。真実かどうかは―――不明
✝
真夜中。
黒猫が公園にある今にも崩れそうな時計台の上で月を見上げていた。
今夜は満月。
この公園は街から遠いせいか、月明かりが街から見るより明るく見える。まるで巨大な団子のようだった。しかし、その明るい月に映るシルエット。それはまるで異形をなしていた。
まるでこの世のものとは思えないモノ―――鬼
鬼の出没は日常茶飯事だ。しかし、それは何度見ても薄気味悪いものだった。
ウーウーウーウー
鬼の出没に遅れてサイレンが鳴り始める。と同時にあたりを巨大なバリケードが覆い始めた。人間が住む所にはこうしてバリケードが設置され、鬼の出没と同時にあたりに張り巡らされる。
あたりまえな光景。
そんな光景を天吏は眺めていた。
公園のベンチに座り、ずっと眺めていた。
その時、黒猫がその張り巡らされるバリケードの合間を縫ってそのバリケードの外に出ようとするという光景が目に飛び込んできた。
「え、ちょ・・・・・・」
と、叫んで天吏は思わず前のめりになってその黒猫を目で追う。
「なにやってんだよ、あいつ」
思わず、天吏はその場にあったスケートボードを足に引っかけて飛び乗った。そして、徐々に張り巡らされるバリケードの合間を縫ってその猫に近づいた。
風が冷たい。
何故かそう思った。
天吏にはある特殊能力がある。そのおかげか、人間離れした体力を持ち、今でもそう、天吏はスケートボードに乗っているといえ、あまりにも高すぎるジャンプを何度も何もない地面から繰り出すのだ。それはまるで、飛んでいるかのようだった。
にゃおーん
黒猫は今にももうすぐ完了するバリケードから出ようとしていた。そして、時たまバリケードであるパズルのピースのような赤く点灯するボードを前足でつついている。まったくお気楽なものだ、と天吏は思いながら黒猫に近づいた。
「おい、こっちに来いよ」
ようやく黒猫との距離が数センチになったところで天吏は猫に話かけた。しかし、案の定無視される。その月明かりで反射して黒く光るその毛並みが美しかった。そして、目は、七色に輝いていた。
―――こいつ、猫なのか?
そう言った疑問が天吏を襲った。しかし、今はそんなことはどうでもいい。今、天吏がやることはこの黒猫を助けることだ。
「おまえさぁ」
黒猫が天吏を見上げた。目が合う。七色の瞳が天吏を捕えていた。
なぁご
猫の鳴き声だと天吏は思った。しかし、違った。それは、鬼の鳴き声だった。
なぁご、なぁご、なぁご
徐々に近づくそれ。天吏は固まった。
鬼の顔が天吏の近くにある。近くと言っても、数メートルは離れているし、バリケードがあるから襲ってきはしないだろう。しかし、異臭と変色した液体。血走った目に、鋭い犬歯。この世のものとは思えない図体は巨大で、まるでゲームに出てくるようなラスボスを思い出させる。
―――鬼だ
そこには鬼がいた。
「お、鬼・・・・・・」
思わず天吏はスケートボードから転げ落ちそうになる。しかし、何とかそれをこらえて姿勢を戻すが鬼を間近に見たショックでか天吏は固まった。
天吏の目の前ではバリケードが張り巡らされる様子がただの映像のように流れていた。自分には関係ないもの、別の世界、それが目の前に広がっている。そんな感情に捕らわれた。しかしそれは現実で、本当のこと。そして、生きて行く上でもっとも関わりが深いもの。なのに、天吏はそれを拒否した。
それが普通だと思っていた。
なぁご、なぁご、なぁご、なぁご、なぁご
鬼が月に吠えた。
天吏の視界に黒猫が映り込む。
―――助けないと
瞬時にそんな感情に捕らわれた。どうしてか、それは天吏自身にも分からない。ただ、助けよう、助けようという感情に天吏は支配されていた。
赤いパズルのピース、それが上空を覆う。鬼はこのバリケードが完成しきるまでこの地には来れないだろう。ただ、鬼の目がずっと天吏を見ているのは分かった。獲物を狙っているその目、その目なのだ。
―――負けるな
そう、負けるな。今自分がやることだけを考えろ。そう天吏は自身に言い聞かせるとスケートボードを蹴った。
風を斬る。
そんな表現が適切だろう。今までの自分の実力とは言い難いほど上手に赤いピースを飛び移り天吏は、黒猫を抱き上げた。そして、そのスピードを保ったまま出来上がりかけのバリケードを下って行った。
耳を細かく千切りそうな電子音が響き渡る。
と同時に天吏は地面に着地した。
上を見上げるとすでに鬼は見えなくなっており、バリケードが完成していた。
気づいたら、天吏は汗をかいていた。こんなにまで、というほどに。垂れる汗を袖で拭う。
にゃあ
一瞬、天吏の心臓が跳ねた。しかし、それが黒猫の鳴き声だと分かると胸を撫で下ろす。その声の主である黒猫はのん気に前足で耳を掻いていた。
「はぁ」
天吏は溜息とともに、思わずその場に崩れ落ちた。その衝撃で黒猫がぴょんと飛び出して走り去る。そして、有無も言わせずに黒猫は闇に姿を眩ました。
「ったくよぉ・・・・・・」
天吏はそんな黒猫が走り去った方を見ながら溜息をつく。そして、手をついて上空を見上げた。上空といってもそれはバリケードだし、暗闇で支配されているわけでもない。赤く、人工の明かりが空を埋め尽くしている。言うまでもないが、月なんて見えない。月はあちらの世界のものなのだ。今や、人間のものではない。
「月、綺麗だったな」
思わず天吏の口から独り言が漏れる。そして、その一言は闇に溶け込んだ。
✝
「んで、あいつを推薦したいと・・・・・・?」
「そうだ」
街の一角、暗闇の中に二人の人間がいた。一人は、眼鏡をかけた二〇代前半の青年。もう一人は顔をフードで隠した一〇代中ごろの少女。時々、上空を張り巡らすバリケードの赤い光が彼らを照らすだけで他の明かりはない。薄暗い、ほとんどが闇に包まれた場所だった。
この街には男と女のペアなんて普通だ。逆に一人なんてものは珍しい。ただ、そのペアのほとんどは人工色の照明で照らされた建物の中に入っていく。その中、彼ら二人は道端で話し合っていた。特にそういう関係ではないのだろう、と推測される。
「しっかしなぁ・・・・・・どうしてまた、あいつなんだよ。あいつ、ただの何の取り柄もない凡人だしさ。まぁ、親がいないっていう条件には当てはまっているけれどさ・・・・・・」
「問題はなかろう」
「でも」
そこで会話は中断される。しばらくの沈黙の後、急に少女が口を開いた。
「・・・・・・分かった。といっても、マスターはオレが何と言おうと一度決めたことは曲げないことは知っている。分かった。負けた。オレが負けたよ」
そう言って少女はポンっと青年の整った背広の肩を叩いた。その時の反動で少女の隠していた顔の一部が露わになる。
―――《05》
そう、彫られていた。
「んじゃあ」
少女はにぃっと笑うとさまざまな明かりが入り混じる街へと走って消えて行った。それを見計らってか、売女らしき派手な格好をした少女が先ほどまで彼らがいた裏路地へと足を進める。
「ねぇ、お兄さん?あれ・・・・・・いない」
戸惑うかのようにその少女はあどけない表情を見せ、あたりを何度か見まわしたがそこには誰もいなかった。そう、誰も。
「変、ね」
そう呟くと少女は一別し、再び元いた場所へと戻って行った。
そして、夜の街は人工の光とともに終焉を迎えた―――朝が再び訪れる
感想→スケートボードなんて使ったことないし・・・・・・以上
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