0 始まりは終わりから
色鮮やかな花々が咲き乱れる夕焼けの高原。そこに一軒の屋敷があった。
貴族の邸宅でもおかしくはないほど立派な屋敷。しかし所々色あせており、壁にはヒビが見られている上で修繕がされる様子もない。更に門から玄関に至るまでに広がる広い庭も手入れがされているのはほんの一部で、残りは荒れるに任せてある。庭の端にあるバラ園は無数のアーチに無秩序に蔦を伸ばし合い、絡まって花を咲かせている。
外から一見すると、まさに落ちぶれた貴族の屋敷にしか見えないことだろう。
事実は少し違い、ここに住んでいるのは貴族ではない。没落した貴族が放棄した別荘を今の住人がある伝手で買い取ったのだ。
屋敷を出てからほんの少し歩いた先、そこにある高原の花畑では一人の娘と二人の幼子達が輪になって笑顔ではしゃぎながら遊んでいる。娘はおおよそ20歳前後ほどであろうか、夕日に煌くプラチナブロンドの髪とブルーの瞳をした美しい娘だ。立って楚々と街を歩けば多くの男性の目を引くであろう彼女は、今は子供に囲まれて無邪気に、まるで子供のように楽しそうに笑っていた。
二人の幼子達は10歳に満たないくらいの女の子と男の子で、もう少し山を下った所にある小さな集落に住む子供達だった。二人は屋敷に住む娘らを慕って、よくこうして遊びにやってくる。
そんな三人のすぐ近くでは銀色の狼のような大きな獣が寝そべり、大口をあけてあくびをしていた。その額には立派な角が一つだけ突き出されている。
風に吹かれ、花びらが空に舞う。冷たい風は間近に迫った夜の到来を囁いている。
屋敷の門から一人の青年と一人の幼い少女が出てきた。
青年は花畑で遊んでいる娘と一緒に住む屋敷の主人であり、まだ若くして隠遁するかのようにひっそりとここで暮らしている。
真っ白な白髪に淡褐色の瞳。やや小さめの背をしており、どこか気弱で頼りなさげな表情が印象的だ。しかし、両足を地につけて立つその姿はどっしりと揺らぎなく、体は兵士としてほどほどに鍛えられていた。さらによく見ると、一見して舐められそうなその目の奥には鋭く研ぎ澄まされた刃のような強い光があることに気付かされる。
一方少女は屋敷を訪ねてきた客人だった。波打つ金髪を背に流し、鳶色の瞳は外見とは不相応なくらい優しく穏やかだ。10歳を少し過ぎた当たりだろうか。小さな体で青年と並び立つその姿は兄と妹のように見えるだろうが、青年と少女の間に流れるそれは朋友、或いは姉と弟のものに近い。これは青年が気弱そうにしていることと、少女の一挙手一投足が悠然とし優雅に見えるせいだろう。
「――」
「――」
二人は言葉を交わし、青年が片手を適当に動かす。それから一度神妙に少女に頭を下げた。
「――」
「――」
またいくつか二人の間で言葉が交わされる。今度のそれは、青年がまるで困らせられているかのようだった。だが、一度花畑にいる娘に視線をやり、最後に少しだけ寂しそうに微笑い、頷く。
少女はそんな青年に虚をつかれたように目をわずかに見開き、それから感慨深そうに頷いた。
「――」
それから少女がそっと手を伸ばし、青年の首筋に触れる。労働など一切したことがないような綺麗な白い指がわずかに動き、小さく撫でていく。その間ずっと、少女は慈愛をたたえた瞳で青年を見上げていた。
「――」
青年が花畑に向けて呼びかける。
すると娘ははじかれたように顔を上げ、喜色を満面に浮かべて駆け出す。そして体全体を使って恥じらいもなくその胸に飛び込んでいった。
青年の首に腕を回し、顔を肩に埋める。そこには無条件の信愛が見える。
もう立派な大人の娘がするには少々淑やかさと慎みが欠けていると、人によっては顔をしかめるほど奔放に振舞う。
青年はそんな娘の背を優しく叩き、もう片方の手でそっとそっと肩まで伸びている髪を撫でる。
すぐに娘を追うにようにして二人の子供も駆けて来て、最後に銀色の獣がゆったりと歩いて来る。
やがて二人の子供は手を振りながら村への道を元気に走って下りて行った。
そして娘は青年の腕を手に取り、体を寄せる。青年はそんな娘を大事に扱いながら、門の前から前庭を通って屋敷へと先導する。その二人の背を口元に手を当てて小さく笑う少女がついていく。
三人と一体が屋敷の中へと消え、扉がゆっくりと閉まる。
後に残るは迫る宵闇。その刺すような冷たい風が荒廃しかけている屋敷とその庭を駆け巡る。
空にかかる白月と一番星が無人の庭園を深々(しんしん)と照らす。
ただ屋敷から漏れ出すわずかな灯りだけが温もりに溢れていた。
青年にとって、今を過ごすこの時は何者にも替えがたい夢のような幸せの時間。
決して手に入らぬと思っていた日々。
長い道のりを経て、手に入れた幸福がここにあった。
さて。
では時を巻き戻し、ここに至るまでの青年と娘の物語を語ろうか。
そう。惨めな道化が歌う愛の歌を。
さあ、このENDに向けて突っ走りますか。