第五区切り
結論から言うと、僕は今まで過ごしてきた普通の世界にきちんと戻っており、尚且つ、あっちの世界で過ごした時間は無い物とされるのか、保健室で寝た時間から時刻は変わっていなかった。
正確には、僕はあの後、誰にも見つからないようにこっそりと保健室に戻り時計を確認したので、自分が寝たであろう時刻より五分ほど経っていた。
豚にその辺を尋ねると、『あの空間には、時間という概念が無いブヒ。現実に干渉するもんじゃないブヒからね。だから、こっちの世界では時間が変化することはないブヒ』と言われた。
ちなみに、豚は僕以外には見えないらしい。
その辺の原理がどうなっているかは教えてくれなかったが、あまりにも堂々と、優雅にパタパタと目立った動きで移動する為、なんとか目立たないようにしてほしいと僕が言うと、『私の姿も声も、あの空間に行けるような特別な存在にしか見えないブヒ』だそうだ。
「ていうか……君、あの人のところ戻らなくていいの?」
場所は保健室。
ひっそりと保健室に戻ると、最初と同じく誰もいなかった。ちなみに元の世界に戻った証拠としてというべきか、保健室にも教室からの生徒や先生の声は微かに聞こえている。
誰もいないものの声を潜めながら、ベッドに腰をかけて話をすることにした。
「あの人? って誰ブヒ?」
「ほら、君と一緒に来た……なんか、魔女っぽい人?」
「ああ、彼女のところに戻ろうにも自分じゃ戻れないブヒ。まあいつか戻ってくるブヒよ」
本当に、大雑把というか大らかというか、前向きというか……。
そんなんでいいのか、豚よ……。
「そっか。じゃあとりあえず、僕と一緒にいるってわけ?」
「そうなるブヒかね。まあ、やぶさかではあるブヒがね」
「そうかい、そりゃ良かったよ」
まあ、一緒に居て嫌な気はしないしな。
それどころか、和む部分のが多々あるので、僕としては歓迎して良いところだろう。
「ところで、お前はなんであの空間にいたブヒ?」
あの空間というのは、言わずもがな『あの空間』であろう。
「いや……僕に訊かれても僕自身よく分からないんだけど……」
あの魔女のような格好をした人は、人助けがどうのと言っていたように記憶している。――つまりは、それが関係しているということだろう。
……ていうか、豚に「お前」とか呼ばれると、なんだかこう……。
「そうブヒか」
しばしの沈黙。豚の二の句を待つものの……。
「待つものの……」
「ブヒ?」
ブヒって! 可愛いけど! その小首傾げるのすごく可愛いけど!
「……それで終わりかよっ!」
思わず大声を発してしまった。ご近所の教室とかに聞こえていないか心配だ、まったく。
「なにを大声を上げてるブヒか」
「いやいやいや……それで終わりかよ。いえ、終わりですかお豚様」
「急に何ブヒか。終わりって何がブヒよ」
本当に何のことだか分かっていないらしく、小首を傾げて不思議そうな顔をしている。どうやらこの豚は、お馬鹿らしい。……いや、そうなのだろうか? いや、そうであってほしくない……。
「何が、じゃなくてですねお豚様……僕がどうしてあの空間にいたのか分からないのか……?」
「分からないブヒよ?」
さも当然のように『何言ってんだこいつ』みたいな顔をする。
くそっ……! これはこれで憎めない……!
「そ、そうか……」
豚に訊けば僕があの空間にいた理由が分かる気がしていたので、肩を落とす。
魔女みたいな人が言っていたことが関係あるとしたら――あの時だろう。
女の子を助けて、時計の針が動くような音がした――あの時。
でも、それが何だと言うのだ。人助けをしてあんな摩訶不思議空間に放り込まれたのだとしたら、たまったもんじゃない。
たとえ彼女を助けたことにより『あの空間』へ強制的に連れて行かれたのだとしたら、僕はそれをいったい誰に抗議すればいいのだ。
抗議をする相手が見つかれば、たとえそれが地獄におわす閻魔様、悪魔様だろうが、天界におわす神様、天使様なのだとしても直談判をしに行かざるを得ない。
――でも、それじゃまるで僕が彼女を助けたことを後悔しているみたいじゃないか。僕は決して、後悔なんてしていないのに――
人一人の命を、僕が助けたんだ。それを誇りに思うことはあっても、穢れに思うことはないだろう。
そんなわけで、直談判すべき相手――閻魔様、悪魔様、神様、天使様が見つかったところで僕は行けそうにない。
いつの間にかベッドで僕のすぐ隣に座っていた豚の頭を撫でると、豚は気持ち良さそうに目を細めた。
それに口元を緩めると、僕は頭の中で決めたのだった。
今日の夕飯は、豚カツにしよう。
ついでに、こいつの名前も『豚カツ』にするなんてどうだろうか。