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第三区切り


 確かな希望を抱いた僕は、もう一度校庭に立っている人を見た。

 背格好からして、おそらく男性だろう。しかし、顔は見えない。男性と思しき人物は、頭に深くフードを被って俯いていたからだ。

 真っ黒なパーカーと、下も真っ黒なズボン。

 ――人がいた喜びのあまり、その人物が纏っている怪しい雰囲気に僕は気付かないでいた。


 急いで教室を飛び出し、二階から駆け下りて行く。

 二階と言ったらいいのか、一階と言ったらいいのかという階段を下りていた途中――人影が現れた。

 心臓が止まったかと思うほどの衝撃が襲った。

 ――その姿は、確かについ先ほどまで校庭に立っていた人物であった。

「は……えっ……?」

 男は最初からそこにいたかのように、階段の中腹にある踊り場に立っていた。

 ――おかしい、おかしい、おかしいおかしいおかしい!――

 全身を寒気が、吐き気が、悪寒が襲う。

 ――そうだ、なぜ僕は忘れていた!? この異常である世界で、なぜ彼は一人で校庭に立っていたんだ――

 男が纏っている異様な空気にも気が付いた。

 その瞬間、冷や汗が頬を伝い、足が震えた。

 早く逃げようと思っているのに、足が動かない。

 男の纏った空気に混ざっているのが、殺気である気がした。確信はないけれど、ピリピリとした空気が男から放たれている。

 ――動け!――

 言葉を失った自分に、脳内で何度も叫ぶ。

 瞬間、男が動いたと思ったら、その手には何と言ったら良いのかは分からないが、鋭利な物体が握られていた。

 ――あいつ、今……手の平を開いたらそこに……何か現れた……? 見た目は氷を尖らせたみたいな奴だけど、刺されたらまずそうだな――

 余計なことを考えている余裕など無いけれど、そういう風に思うことが出来た。

 冷静さを、少しだけ取り戻せた。

 氷のような物体を握ったまま動かない男を警戒しながら、僕は走ってきた方向へと走り出した。

 追いかけてくるような足音はいっさいしなかったが、男が追いかけてきているのが分かった。

 背中にピリピリとした痛い殺気が伝わってくる。その殺気からは確かに、『お前を殺す』という言葉が聞こえた。

 少しでも早く走らなければ、捕まって殺される――!

 焦燥感で足がもつれて、転びそうになる。こういうとき、日頃から運動をしていなかったことを後悔する。

 足も遅いし、転びそうになるし、緊張からか、運動不足からか心臓が張り裂けそうにもなっているし、息もだいぶ上がっている。

 走りながら、鍵のかけられる教室を思い出す。基本的に教室全部に鍵はついているけど、内側からかけられるようにはなっていない。

 ――どこか、早く隠れないと……ッ。

 そうだ、保健室! あそこだけは確か内側から施錠できるようになっている。

 遠回りをしながらになるが、保健室に行くしかない。

 変わらず背中に殺気を感じて、どうにかなりそうだった。

 額に流れる汗は数え切れないほどに、滴り落ちていった。

 ――第一なんで僕が殺されなきゃなんないんだよ!――

 走りながら、そもそもの疑問がわく。

 ――何にも悪いことした覚えなんてないんですけど!――

「あっ……」

 思った瞬間に漏れた言葉には、罪悪感が含まれていた。

 何も悪いことをしていない、そんなことはなかった。

 あるじゃないか、どうしようもなく拭えなく、非道な過去が――。

 ――ああ、じゃあ……それの罰かな……――

 一瞬、走っている足が遅くなった。疲れたわけではない。

 罰なのだとしたら、相応のことなのだから甘んじて受けるべきなのではないかと思ったのだ。

 でも、それでも、今自分が生きているのは、自分のおかげだけではない。

 すぐに足を踏ん張り、駆け出す。

 保健室のドアを勢いよく開けると、震える手で内側から鍵をかけた。

「はっ、はぁっ……ッ、はっ……ふっ……くぅ……っ」

 震えも汗も止まらない。

 制服の袖で汗を拭ったが、またすぐに視界は悪くなった。

 廊下側から足音はしないが、気配は感じる。

 ――いる、確実に。

 いつドアを蹴破るなりなんなりして、入ってくるか分からない。

 窓から飛び降りようと思った。ここは二階だけど、足やどっかの骨の一本や二本、命には代えられない。

 窓に近づくと、とても現実とは思いたくない光景が広がっていた。

「おいおい、冗談だろ……。ここまでするかよ……」

 走っているときに窓の外を確認している余裕など無かったので、いつ変わったのかは分からない。けれど、確かに外はまた、さっきの白黒写真から姿を変えていた。

 眼前に広がるは、黒と言うべきか、闇と言うべきか、あるいは無とでも言うべきか――街どころか校庭すら無くなっていた。姿を留めていない、などという表現ではない。まったく何も、無くなったのだ。

「なんだよ、こりゃ……。飛び降りても駄目ってか……」

 飛び降りるもクソも、着地地点が無いんじゃどうしようもない。

 保健室の扉がカタカタと音を立てている。

「万事休す……か……」

 この後に及んで、自分の頬を抓って見た。どうせなら、飛び起きたくなるくらいに思い切り抓った。

「はっ、くそ……っ。……超いてぇ」

 目は覚めなかった。

 それこそ、この後に及んで期待などしていなかったけれども。

 それでも、僅かな希望はあったのかもしれない。

 扉は先ほどより一層激しく、ガタガタと鳴っている。

 ――ふざけんな。なんだこの状況は。僕が死ななきゃ終わらないのかよ――

『貴様、生きたいのか? 助けて欲しいか?』

 女性の声……?

 頭の中に、直接誰かの声が響く。

 辺りを見渡せど、扉がうるさく音を立てているだけで、もちろん誰もいないので、ついには幻聴が聴こえ始めたのかと思った。

 もう、藁にも縋る思いだった。

「生きたいに決まってるだろ。どこの誰か知らないけど、助けて欲しいさそりゃ」

 返ってくる声は無かった。

 やはり幻聴だったかとバカバカしくなった。

 ――ついに扉が音を立てて、壊れた。

 フードを目深に被って、相変わらず表情は窺えないが、殺気だけは痛いほどに伝わってきた。

 男が持っている鋭い得物を、振り上げた。

 ――得物が僕にぶつかるその時、得物は男の手から砂のように零れ落ちて消えた。

「ふむ、よかろう。ならば助けてやる」

「えっ」

 ふわっ、と風が吹いた。

 どこから現れたのか、僕のすぐ目の前に立つ女の人がいた。

 魔女が被っていそうなとんがった帽子に、全体が黒い服。マントなのか、どこからか吹いている風にバサバサと音を立てている。

 その姿はまるで――死神であった。

「なんだ、雑魚か。ブー、喰っていいぞ」

 誰に向けた言葉なのかと思い、よく見ると彼女の肩には小さな黒い豚が乗っていた。

「了解だブヒ」

 黒い体に似合わない白い翼をパタパタとさせ、豚は空中を飛び、男の前に行ったかと思うと口を開いて――男を飲み込んだ。

 飲み込んだ、としか表現のしようがない。

 豚が口を開いた瞬間、男はその口に吸い込まれるようにして消えた。

 ぽかーんとしていると、彼女が振り返った。

「お前なんであんなのに狙われてたんだ? 顔を見た限り、死相が出ている様子もないが」

 その言葉が僕に投げかけられていることに気付くのに数秒かかった。

「へっ? ああ、え……。僕にもさっぱりで……」

「そうか。死相も出ていないのにアレに狙われていたということは、それ相応のことをしてしまったのだろうな」

 うんうん、と勝手に納得している。

「いや、あの……。僕には全然心当たりがないんですけど……」

「貴様、ここ最近、誰かを助けなかったか?」

「えっ」

 どうして、それを……。

「……やはり、そうか。じゃあそれが原因だな。まあ、そういうことなら自業自得だ。老い先短くなったけど頑張れ少年」

「えっ、いやいやいや!? まったく話分からないんですけど!?」

 目の前で起こった出来事が信じられず、話にまったくついていけない。

「まあ助けてやっただけ良かったと思え。私は先を急ぐのでな」

 じゃっ、と言ってどこから出したのか分からない時限ワープの元みたいな場所に入ろうとする。

「ちょっと待って下さい!」

 僕はマントの裾を引っ張った。彼女は負けじとさらにそれを引っ張る。

「離せ。私は忙しい。……あー、分かった。ブー、お前行け。事情説明してやれ」

 今まで会話にまったく参戦していなかった豚を掴むと、僕のほうへと投げた。

 片手でポイッと投げられた豚を僕はしっかりキャッチした。

「へっ!?」

 僕と豚は同時に声を上げたが、彼女は無視してどこかへ消えた。

「………………」

 僕と豚の間に長い沈黙が続く。

 ――そういえばこの豚、喋れるのか。さっきなんか喋ってたけど……――



 どうでもいいけれど、僕が最初思い浮かべたのは、『黒い豚=イベリコ豚』だった。

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