そんなに愛し合っているなら、全員失脚してください
華やかな夜会。けれど私は壁際にたたずんで、ぼんやりとするしかない。私にはお世辞を言ってくれる男性も、ダンスを申し込んでくれる男性もいない。
平凡な顔立ちと、目立たない茶色の髪と瞳。流行の話題に疎く、趣味は読書と絵を鑑賞すること。婚約者のジェラルドにも「面白みがない」と言われてばかりだ。
対照的なのは、妹のグレイスだ。華やかに装って、大広間の真ん中で多くの男性に取り巻かれている。しょっちゅう笑い声をあげては、皆とふざけ合っている。
貴族の女性たちはグレイスと私を見比べて、ひそひそと噂話をしていた。
「ソフィア様は、第一王女だというのにまた壁の花ね」
「婚約者のジェラルド様まで、グレイス様のところにいらっしゃる」
「けれどグレイス様も、ちょっと、ねえ……」
「婚約者がいらっしゃるというのに、あのように男性を大勢はべらせて」
グレイスは、隣国の王太子殿下のもとへ輿入れすることになっている。そして私の婚約者のジェラルドは、我が国最大の領地を持つ公爵家の嫡男だ。食糧の輸入を依存している隣国にはグレイスを、国内の大貴族には私を、ということだろう。
けれどグレイスは、この縁談を嫌がっている。
「あんな、畑ばかりの田舎へ行かなくちゃいけないなんて……」
グレイスが泣き真似をしながら、ジェラルドにしなだれかかった。男たちは沈痛な顔で「おいたわしい」と口々に言う。
「グレイス様をあんなところへ嫁がせるなんて、国王陛下は何を考えているのか」
「王太子などと言っても、きっと野蛮な男に違いない」
「馬の代わりに、牛に乗っているのかもしれないぞ」
父は三年前に亡くなり、現在の国王は兄のスティーブンだ。父は病に倒れる直前、グレイスを隣国へ嫁がせると決めた。母は猛反対したが、父は突っぱねたと聞いている。そして縁談がまとまるのを見届けるかのように、帰らぬ人となった。
「グレイス」
母が未亡人らしくない、華やかなドレスでグレイスに近寄る。私には目もくれない。
「かわいそうに。亡きお父様の勝手な取り決めで、母の私と引き離されるなんて……」
「お母様」
二人はしくしくと泣き始めた。ジェラルドがいつものように憤慨して「国王陛下に申し上げよう」と言う。取り巻きの男たちも頷いている。
ジェラルドは私ではなく、グレイスを妻に欲しいのだ。しかし、父とジェラルドの父が、私との婚約を強引に進めてしまった。そしてジェラルドは私を顧みず、いつもグレイスのそばにいる。
「国王陛下、ご臨席でございます」
侍従が声を張り上げ、兄が姿を現した。大広間が静かになり、全員が礼をする。兄は手を挙げてそれに答えたあと「皆、聞いてくれ」と告げた。
「隣国の王太子、エリオット殿下が、グレイスとの結婚準備のため、我が国に滞在されることとなった。皆も知っての通り、隣国の関係を強化することは、最重要課題である。エリオット殿下の饗応をよろしく頼みたい」
グレイスは目を見開き、「お母様!」と叫んで、母に抱きついた。母はグレイスを支えると、兄をきっと睨みつけた。
「スティーブン。私は何も聞いていませんよ」
兄は苦笑して、首を横に振る。
「母上にご相談申し上げたら、反対されるだけだとわかっておりましたから。そうだ、ソフィア」
突然声をかけられて、慌てて返事をする。
「は、はい」
「初日の晩餐会について、急ぎ献立の相談に乗ってくれ。明日の朝、執務室で待っている」
「……承知いたしました」
母の刺すような視線を感じながら、頭を下げた。夜会嫌いの兄は「では、楽しんでくれ」と退出してしまった。
「ソフィア」
母がグレイスを連れて私のそばへやってくる。ジェラルドも一緒だ。
「田舎者など、もてなす必要はありません。粗末な食事で十分です」
「そうよ。自分たちの立場を思い知らせてやる必要があるわ」
ジェラルドは「そもそも」と鼻を鳴らした。
「女のくせに、国王陛下の公務に口出しするなど感心しないな」
母も「その通りですよ」とため息をつく。
「ソフィアは子供の頃から生意気で、本ばかり読んでいる可愛げのない子でしたけれど、まさか国王の仕事にくちばしを突っ込むようになるとは思っていませんでした。本当に情けない」
そして他の取り巻きも連れて、広間の真ん中へと戻っていく。グレイスはジェラルドと踊り始めた。私は壁際に立ったまま、それを眺めているしかなかった。
◇◇◇
翌朝私は、兄の執務室へ行った。兄はすでに机の上に積まれた書類に目を通し、サインをしていた。
「ああソフィア、待っていた。昨日も話した通り、エリオット殿下をお迎えする晩餐会なのだが」
私はすぐに答えた。
「隣国から輸入した食材を使って、我が国の料理を作ってもてなすのはいかがでしょうか。主菜を牛肉のパイ包みにして、パイ生地を隣国から輸入した小麦で作りましょう。ワインは隣国のものを用意して、食後のブランデーは我が国のもの、というのはいかがですか」
兄は「さすがはソフィアだ」と、満足そうに頷いた。
「エリオット殿下は夜会より、芸術鑑賞の方がお好きと聞く。王立美術館をグレイスに案内させたいのだが」
兄の気持ちはわかるが、グレイスには美術品の説明など無理だろう。油彩画と水彩画の違いもわからないのだから。
「……グレイスに案内させる時は、私も付き添います」
グレイスたちは、隣国を田舎だと馬鹿にするが、隣国の王家は多くの芸術家のパトロンになっている。音楽も美術も演劇も我が国より盛んで、学術書も多く発行されている。食糧の輸出で財政が豊かなため、立派な歌劇座や美術館も沢山ある。だからエリオット殿下も、芸術に詳しいのだろう。
兄は深いため息をついて「ソフィアには助けられてばかりだな」と呟いた。
「ジェラルドの態度を見ていると、お前の結婚について正直思うところはあるのだが、公爵はお前の頭脳に期待しているのだよ。ジェラルドに領地の切り盛りができるとは思えないからな」
ジェラルドの父上も、私の手伝いが欲しいらしい。評価されることはうれしいのだが「女のくせに公務に口出しをする」と非難されたことを思うと、複雑な心境になった。
「グレイスも隣国へ嫁げば、それなりにやっていけると思うのだが……。父上も『隣国の宮廷が華やかだとわかれば、グレイスも落ち着くだろう』と最期までおっしゃっていた。だが、母上は隣国がお嫌いだからな。グレイスたちに田舎だの野蛮だのと吹き込んでいる。困ったものだよ」
そして兄は、再びエリオット殿下について話し始めた。滞在は一か月ほどの予定だという。
「夜会は少なめにして、歌劇や芝居の鑑賞や、楽団の演奏会にお連れしてはいかがでしょう」
「そうだな。お前に負担をかけてしまうかもしれないが、よろしく頼む」
「いいえ、大切な縁談のためですから、何でもおっしゃってください」
そして私は、兄や大臣たちと共に東奔西走した。王立美術館で打ち合わせをし、美術アカデミーの視察を手配し、歌劇や芝居、演奏会の桟敷席を準備した。
母とグレイス、ジェラルドはエリオット殿下の滞在をあからさまに嫌がって、「そんなことをする必要はない」としつこく言ってきたけれど、隣国からの食糧輸入は我が国の生命線だ。隣国の機嫌を損ねてしまい、値段をつり上げられれば、多くの国民が飢えることとなる。私は寝る時間も惜しんで、エリオット殿下に気持ちよく滞在いただけるよう、準備を整えた。
そしていよいよ、エリオット殿下が到着する日になった。
「ご到着でございます」
上品な装飾を施した大型の馬車が、ゆっくりと滑り込んできた。馬の毛並みがとても美しく、体格も良い。
「田舎だから、馬に食わせるものが沢山あるのだろうな」
ジェラルドが嘲笑する。正式な宮廷行事だから、私の隣に並ばなくてはいけないのが嫌なのだろう。エリオット殿下の随員や、隣国の外交官に聞こえるのではないかと、ひやひやした。
馬車の扉が開き、エリオット殿下が降りてきた。黒く艶やかな髪と、誠実そうな緑色の瞳が印象的な方だった。兄と握手を交わす。
「盛大なお出迎え、ありがとうございます」
「遠いところをわざわざお越しいただき、光栄です」
そして兄は「妹のグレイスです」とグレイスを紹介した。グレイスはあからさまに不機嫌な表情をして、突っ立っていた。兄は一瞬苦々しげな表情をしたが、すぐに私を手招きした。
「もう一人の妹の、ソフィアです」
「お初にお目にかかります。よろしくお願いいたします」
私が頭を下げると、エリオット殿下はにこやかに「こちらこそ」と答えた。
歓迎式典の間も、グレイスはずっと面白くなさそうだった。母も、ジェラルドも、グレイスの取り巻きの貴族たちも、一様に苦々しげな顔をしていた。エリオット殿下は穏やかな笑みを浮かべたまま、大臣たちの長々とした歓迎の挨拶にも丁寧に応じている。驕ったところのない方のようだった。
式典が終わった後、グレイスが私につかつかと近寄ってきて「お姉様」とつっけんどんに言った。
「私、頭痛がしますの。晩餐会には出ませんわ。お兄様によろしくお伝えください」
あっけにとられているうちに、グレイスは立ち去ってしまった。母がグレイスの肩を抱いている。
「私も腹の調子が良くないから、晩餐会は失礼させてもらう」
ジェラルドまでそう言い、にやりと笑っていなくなってしまった。皆、最初から晩餐会に出るつもりがなかったのだろう。
私は兄のもとへ急いだ。兄は呆れた後、諦めた様子で言った。
「首に縄をつけて引っ張ってくるわけにもいくまい。ソフィアがエリオット殿下の隣に座って、精一杯もてなしてくれ」
「かしこまりました」
幸いエリオット殿下は、グレイスの欠席を詫びても「ご無理をなさらないように、とお伝えください」と言っただけで、気に障った様子はなかった。
晩餐会の料理は、私と兄が話し合って決めた献立を、料理人たちが腕を振るってくれた。エリオット殿下も目を細めていた。
「この小麦とチーズは、私の国のものですね」
「輸入したものを、私たちがどのように食べているか知っていただきたく、我が国の料理にいたしました」
「うれしいです。我が国の農夫たちが丹精したものが、このように美味な料理になっているとは。国へ帰って皆に伝えることにしましょう」
エリオット殿下はワインを飲み「これも、我が国のものですね」と言った。
「はい。こちらの銘柄を、我が国の公式行事でよく使わせていただいております」
「それは光栄です。ソフィア様は、ワインがお好きですか?」
「あまり沢山は飲めませんが、好んで飲む銘柄はいくつかあります」
しばらくワインの話をした後、明日以降の日程の話になった。王立美術館へ案内したいと言うと、エリオット殿下は喜んだ。
「こちらの美術館には、素晴らしい絵画や彫刻が収蔵されていると聞いておりました。ぜひ拝見したいと思っていたので、ありがたい」
「殿下は、現在も多くの芸術家を支援なさっておられると聞き及んでおります。我が国は過去に収蔵したものの管理が精いっぱいで、芸術家の支援にまで手が回っておらず、お恥ずかしい限りです」
「千年以上前のものの維持管理をなさっているのでしょう? 新しいものを生み出すのも大切ですが、古いものを管理するのも大切な務めです」
緑の瞳は優しく、常に私を立ててくれる。ジェラルドに蔑ろにされ、母とグレイスのわがままに振り回される時間とは大違いだ。エリオット殿下と話していると、緊張せずに話に熱中することができる。こんな良い方のところへ嫁げるグレイスが、少しだけうらやましかった。
◇◇◇
翌日もグレイスは「頭痛がする」と言い、王立美術館へ行くのを断った。あからさまな嘘だったが、私が案内すると言うと、エリオット殿下は喜んでくれた。
大理石の床を歩き、五百年ほど前、一世を風靡した画家の作品の前に進む。美しい女性を描いた人物画や、天使が空を飛んでいる宗教画を、二人でじっくりと眺めた。
「素晴らしい」
エリオット殿下は感嘆の声をあげる。
「私はこの人物画が好きで、よく見に来ます」
「いつでもここに来られるソフィア様が、うらやましいですよ」
一通り見て回った後、貴賓室にお茶の用意をしてもらった。エリオット殿下はチョコレートが好物だと聞いたので、チョコレートを使った菓子を中心に、紅茶もそれに合うものを選んでおいた。
「おいしそうなチョコレートですね。お気遣い、ありがとうございます」
大国の王太子という地位にありながら、エリオット殿下はお礼の言葉を欠かさない。文句ばかり言っているジェラルドとは大違いだ。
「ソフィア様は教養深く、一緒にいて退屈しません。我が国の女性でも、ここまで教養のある方は少ないでしょう」
チョコレートをつまみながら、エリオット殿下は微笑んだ。顔が赤くなるのを感じた。
「とんでもありません。生意気ばかり申しまして、ご不快ではないかと気がかりです」
「謙虚な方だ」
いったん王宮に戻り、劇場で歌劇を鑑賞した。どの歌手も素晴らしい歌声を披露してくれて、私はエリオット殿下と一緒に聞き惚れていた。いつもはグレイスと母か、ジェラルドと一緒だから、退屈だと言われて一幕だけで帰ることがほとんどだったから、終幕まで居られてうれしかった。
「我が国にもソプラノの有名な歌手がいます。この国で共演させてみたいですね」
「素晴らしいですわ。ぜひ合同公演をお願いしたいです」
それから半月、毎日のようにエリオット殿下と顔を合わせているうちに、私たちはすっかり親しくなった。エリオット殿下が私の婚約者だったら、と一瞬考えてしまって、とんでもないことだ、と、思い直した。
私はジェラルドと婚約していて、エリオット殿下はグレイスを娶られるのだ。それに褒められているのは、私の饗応ぶりであって、私自身のことではない。思い上がりも甚だしい、と自分を諫めた。
グレイスは、ほとんどエリオット殿下の前には姿を現さなかった。最初は仮病を使っていた様子だったが、「本当に体調を崩してしまわれたそうです」と、侍女が教えてくれた。さすがに心配になって、エリオット殿下の案内が早く終わった午後、グレイスを見舞うことにした。
「グレイス、大丈夫なの?」
寝室に入ると、グレイスはぐったりと横になっていた。母がおろおろしながら付き添っている。ちょうど医師が診察をしているところで、慎重に脈をとったり触診をしたり、全身を診た後、医師は深刻そうな顔になった。そして母に耳打ちをする。
「何ですって」
母は真っ青になって、椅子にくずおれた。そんなにも重病なのか、と、私も全身から血の気が引く思いだった。寝室から出て行く医師を追いかけて、呼び止める。
「グレイスは何の病気なのですか?」
尋ねると、医師は「その」と口ごもった。
「……グレイス様は、身ごもっておられます。もう三月になられます」
私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
◇◇◇
グレイスは「お兄様を呼ばないで」とわめき散らしたが、黙っているわけにはいかない、と母が諭して、兄がやって来た。兄は激怒して、部屋に入るなり叫んだ。
「エリオット殿下に何と申し開きしたら良いのか……。父親は誰だ!」
母が慌てて割って入り「スティーブン、落ち着いて」となだめる。だが兄の怒りはすさまじく、今にもグレイスを殴り飛ばしてしまいそうだった。
「父親は私です!」
突然叫び声が上がった。寝室の入り口で、ジェラルドが肩で息をしていた。さして衝撃は受けなかった。そうだろうな、という予感がしていたから。
「ジェラルド、貴様、ソフィアを裏切って、グレイスと……」
「いくらでも罰は受けます! 私たちは愛し合っているのです!」
ジェラルドは悲痛な声をあげ、グレイスの寝ている寝台に取りすがった。グレイスも目に涙をいっぱいためて「そうなんです」と頷く。
「どうかお兄様、私とジェラルドを結婚させてください」
「こんなに愛し合っているのに、引き裂くのはかわいそうよ」
母も泣き出した。私は三人をひどく冷めた気持ちで眺めながら、隣国との関係のことを考えていた。エリオット殿下とグレイスの縁談は、破談になるだけではなく、賠償金が発生するかもしれない。さらには、隣国との関係が悪化して、食糧の輸入が途絶える可能性すらあった。そうなれば、平民どころか貴族まで飢える。グレイスもジェラルドも母も、外交というものをきちんと考えているのだろうか。
「エリオット殿下に謝罪をするのが先です」
私がそう言うと、ジェラルドは逆上した。
「なぜあのような田舎者に、私たちが引き裂かれなくてはいけないのだ!」
「お姉様は嫉妬しているのよ! ジェラルドが私を選んだから!」
「本当に見苦しい……。我が子とは思えないわ」
話が通じない。兄の表情が怒りから呆れに変わった。私は三人に向かって言った。
「でしたら、明日から隣国から輸入したものは、一切口にしないでください。料理人にもそう申しつけます」
◇◇◇
翌日、私と兄はエリオット殿下に謝罪した。エリオット殿下は一瞬驚いた様子だったが「そういうことでしたか」と落ち着いた声で私たちに言った。
「グレイス様が姿を現さないので、嫌われたのかと思っていましたが、私と会う以前に愛し合っている方がいらっしゃったのですか。それならば仕方ない」
「きちんと責任は取らせますので、どうか二国間の関係は今まで通りに。心よりお詫び申し上げます」
兄が頭を下げると、エリオット殿下はやや厳しい声で「今まで通り、とおっしゃいましても」と言った。
「私の妃、つまりは将来の王妃に、王女様をもらい受けることによって、二国間の同盟を強化する予定でした。それがなくなったわけですが、そこはどうお考えですか?」
「それは、その……」
兄が口ごもると、エリオット殿下はきりりとした様子で告げた。
「二国間の同盟維持のため、ソフィア様を、我が妻としてもらい受けたく思います」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。兄もひどく驚いている。先に手が震えだした。
「……私で、よろしいのですか」
「ええ」
エリオット殿下は短く言うと、いつもの穏やかさを取り戻した。
「婚約の証書を、急ぎ作り直してください。そして婚礼の準備に入りましょう」
エリオット殿下はグレイスとの婚約を破棄し、私と婚約を結び直した。当然ジェラルドと私との婚約も破棄された。さらに婚礼の準備のため、両国の外交官が毎日のように王宮にやってくる。目が回るほど忙しかった。
「ソフィア!」
王宮の中を早足に歩いていると、母に呼び止められた。青い顔をしたグレイスが母と一緒にいる。
「ひどいじゃないの。毎日毎日、黒パンと薄いスープばかり。まるで囚人だわ」
「お姉様は、お腹の赤ちゃんがどうなってもいいとおっしゃるの?」
私は二人を見つめ返した。二人がたじろぐ。
「隣国からの食糧輸入が止まっていたら、王宮の食事も黒パンと薄いスープだけになっていたのです。それにお母様もグレイスも、どうしようもない田舎のものは食べたくないでしょう?」
二人があっけにとられたあと、押し黙ってしまった。以前なら、黙っていたのは私の方だろう。強くなれた――そう感じた。
◇◇◇
私が婚礼の準備に追われている間に、公爵家と兄の間でも話し合いが持たれた。公爵は自害しそうなほど落ち込んで、ジェラルドの廃嫡を決めた。兄は「ジェラルドとグレイスが関係を持つのを、母が黙認していた」と、侍女たちから聞き出した。母は最初否定していたが、ジェラルドの部屋から「田舎者から奪ってやりなさい」と書かれた母の手紙が出てきて、認めざるをえなくなったとのことだった。
三人は王宮を出て行くことになった。母の持ち物の別荘に三人で暮らしているが、何しろ母が王家に嫁いでくる前から放ったらかしになっていたので、ボロボロになっていたそうだ。それでも母が祖父から継いだ領地の収入がある分、平民よりはずっと良い暮らしができているのだが、華やかなことが好きな三人は「貧しい」と嫌がって、すぐにいがみ合うようになったそうだ。
そして、エリオット殿下がいったん帰国する日がやってきた。半年後に私が婚礼の支度を終えて、いよいよ隣国へ嫁ぐことになっている。
「寂しいですね」
エリオット殿下はそう言うと、私の手をとってキスをした。私は顔に血がのぼるのを感じながら「半年後」と言った。
「一緒に暮らせるのですから、それまでの我慢です」
「ええ、そうですね。けれど寂しい」
「手紙を書きます。エリオット殿下も手紙をください」
「わかりました」
エリオット殿下は馬車に乗り込もうとして、突然踵を返した。そして私を抱きしめると、耳元で囁いた。
「愛しています。あなただけを」
身体中に血が駆け巡った。私もそっとエリオット殿下の背中に手を回す。うれしさと寂しさの入り交じった涙が、あふれ出た。
「待っていてください」
馬車が走り出す。私は涙を拭きながら、エリオット殿下の馬車を見送った。春の花の匂いを含んだ風が、馬車と私の間を優しく吹き抜けていった。




