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異世界転移というけれど…  作者: 橘吟香
第三章
63/66

3-13

 異世界に来て16日目。

 野営地を出発してしばらくしていると、道中、歩いている人や馬車、荷馬車が目立って来た。

「ねぇラシード。デルナダの城壁が見えてからだいぶ経つけど、いつ着くの?」

「……」

「ラシード?」

「あぁ、すみません。主に名前で呼ばれる幸せを噛み締めておりました」

「え?大丈夫?」

 アルさんは定位置で笑いを噛み殺している。

 昨日からこんな調子なんだよね。

 なんだかなー。


 昨日、彼を正式に雇うということになって、困ったことが起こった。

 そう――名前である。

 聞くタイミングを逃していたということもあったけど、デルナダでお別れするという前提だったので、あえて訊かない方向でいたのだ。

 けれども、これからはそうもいかない。

「さすがに”キミ”はマズいよね」

「主がそれでよろしいのであれば、私は構いませんが」

 いやいやいや。

 キミって名前ならまだしも、自分の名前だよ。

 ダメに決まってるじゃん。

 なんでも聞いてみれば、

「名前は奴隷に落ちた時点でなくなっておりますので」

 と、とんでもないことをサラリと言ってのけた。

 アルさんに目で確認すると静かに頷く。

 だったら今までどう呼ばれていたのかと訊けば、「おい」「お前」「そこの」と言った呼ばれ方だったらしい。

 そういえば。

 アルさんも途中「こいつ」って言ってたな。

 ――マジか。

「だったら君が名付けるといい」

「私が、ですか?」

「奴隷の呼び方は主が決めるものだ」

「それじゃぁ元の自分の名前の方が良くないですか?」

 ほら。

 名前は両親からの最初の贈り物っていうじゃない?

 友達なんか、めちゃくちゃ頑張って考えていたよ?

「ご安心ください、主。あんな名前に、未練など全くありませんから」

 安心できるかバカ者。

 そんなに嫌な名前だったの?

「――出過ぎた願いかもしれませんが、どのようなものでも構いません。主から付けていただけるのであれば、私にとってはこの上ない喜びです」

 お、おぅ。

 そんなこと言われたら付けざるを得ないじゃないか。

 ネーミングセンスは全くないんだけどなぁ。

 さて……どうしたものか。


 そんなこんなで、無い知恵を絞りに絞って漸く出した名前が、

「ラシード」

 確か『賢い』とか『正しく導く』とかそんな意味だったような気がする。

 そう伝えると、彼――改めラシードが胸に手を当て、言葉なく震えていた。

「……気に入らなかった?」

「――いえ……とても、良い名前ですね」

 ラシード、ラシード……

 彼は涙目で、けれど、嬉しそうに何度も何度も新しい名前を呟いていた。



 名前ということでもう一つ。

 そう、お気づきだろうか。

 実は私――竜賢さん以外、未だ誰にも名乗っていないのである。

 しかも、竜賢さんからは「(ぬし)」、ラシードからは「(あるじ)」、アルさんからは「キミ」と、名前を聞かれたことも、ましてや呼ばれたことなど一度もないのである。

 幸い、今まで何の問題もなくこれたけど、さすがにこれはおかしくないだろうか?

 あれ?そう言えば――

「ねぇ、聞いてもいいかな?」

「はい、何でしょう」

「一昨日、アルさんに名乗ろうとしたらラシードが必死になって止めていたよね。あれはなんで?」

 あの後も、なんとなく訊く機会がなかったんだよね。

 そんな私の素朴な疑問に、2人の動きがピタリと止まる。

 そして、何故か驚愕に満ちた眼差しを向けてくる。

 ラシードは、

「――主、本気で仰っていますか?」

「うん」

 なんて言うし、アルさんも、

「じーさんから何も聞いてないのか?」

「何を?」

 え?私、そんなに変なこと聞いた?

 てゆーか、聞くわけないじゃん。

 相手は500年近く引き籠っていた竜賢さん(ドラゴン)だよ?

 そんなこと教えてくれるわけがない。

 ――と、声を大にして言いたい。

 ……何だろう。

 ラシードがもの凄く絶望的な顔をして天を仰ぎ、アルさんは私に向かって「ほら、お前が変なこと言うから……」みたいな盛大なため息を吐く。

 仕舞いには、アルさんがラシードに、

「――お前、今、本気で後悔してるだろう」

「……言わないでください」

 とか言い出すし……

 解せぬ。

 なんとか気を取り直した、というか立て直したラシードが、こめかみを押さえながら、

「――あのですね。女性は軽々しく自分の名前を男に呼ばせないものです」

「なんで?」

「女性の名を呼ぶことが許されるのは身内だけなので」

 ふ~ん。昔の日本もそんな感じじゃなかったっけ?

 確か、幼名とか官職とかを使い分けていた――って、有名な歴史研究家が講演で言っていた。

「違います」

「え?違うの?」

 言葉を濁してこの世界とは違う、日本の文化を伝えたら即否定されてしまった。

「おそらくですが、それは便宜上や身分、立場上で使い分けていたのではないでしょうか?」

 ――確かに。

「ラシード」

「なんですか」

 必死に笑いを噛み殺しながらアルさんがラシードを呼べば、彼はムッとした顔を隠しもせずに向ける。

「主人以外に名前を呼ばれたくないのは分かるが、もう少し自重しろ。それと、お前の主は、はっきり言わないと伝わらない」

「そうでした」

 ――うん。いや、そうなんだけどさ。

 本人を目の前にして、キミタチ、もうちょっとオブラートに包もうか?

 それとラシード、即答はやめて。

 地味に傷つくから。

「いいですか、主。女性――この場合主が、ご自分のお名前を私達に教えること自体に問題はないんです。問題なのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんです」

「と、いうと?」

「主は出会って数日しか経っていない男性を『夫』にするおつもりですか?」

「いやぁ、さすがにそれはないかな」

 やっぱり、最低3ヶ月はお付き合いをして、それから3ヶ月は同棲。

 婚約期間も半年は欲しいし、結婚するなら最短1年後かな?

 ――あくまで妄想上だけど。

「それを聞いて安心しました。ですが主は先程から、主のお気持ちとは関係なく()()()()()()()()()()()()()()()んです」

「――は?」

 ちょいとお待ちよ、ラシードさんや。

 わたしゃそんなこと、一言も言ってないんだが。

 ラシードからの問題提起をアルさんが、実に面白そうに補足してくれる。

「じーさんから何も聞いていないなら無理もない。この国に限らず、この世界ではな。女が男に自分の名を呼ぶ許可を与える、そのことを『求婚』と言うんだ」

「俺は構わないけどな」と、現実逃避中の私にはアルさんの声が遠く聞こえる。

 きゅうこん……?

 黄色いチューリップや白い水仙を咲かせる球根ではない。

 うん、分かってる。分かってるよ。もう一つの方だよね。

 それってつまり……

「……逆プロポーズ?」

「はい」

 ラシードが頷く。

「誰が?」

「主が」

「誰に?」

「アル様と私に、です」

「…………」


 うそやんっ!!




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