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初めまして。
橘 吟香といいます。
木綿豆腐並みのメンタルなので優しく扱ってください。
よろしくお願いします。
トンネルを抜けると、そこは、知らない森の中でした。
――ちょっと待って?
そもそも知ってる森なんてないんだけど。
落ち着け?私。
目の前に見えるのは、ほんの少し開けた草むらと一面に広がる暗闇。
灯り一つ見受けられない鬱蒼とした暗闇の中。
唯一、車のヘッドライトだけが前方を照らし出している。
その先に見えるのは樹、樹、樹。
それ以外何も見えない。
窓を少しだけ開けてみたけれど、聞こえてくるのは車のエンジン音のみ。
助手席に置いてある通勤用のリュックからスマートフォンを取り出し、腕時計の時刻と同じか確認してみる。
うん。同じだ。
ただし――圏外?!
「どういうこと?」
私が住んでいる地域に『圏外』は、ない。
カーナビの矢印はどこを示しているのかな。
まったくわかんないや。
車内に流れる好きなロックユニットの軽快な音楽が嬉しいけど、試しに流してみたラジオからはザーーッというノイズ音ががが。
どうやら彼ら(GPS、電波系)は仕事を放棄したもよう。
「……マジか」
勘弁してほしい。
背もたれに寄りかかり、天を仰ぐ。
目を閉じ、腕を組んで数秒考え込んだ後、最近ちょっと?肉厚になってしまった頬をむぎゅ…っとつねってみた。
「ヤバい……タコ焼きが作れる…」
ほっぺたが地味に痛い。
でもよかった。
『痛い』ということはオーラ的なロードが開かれたわけではなさそう。
さて――どうしたものかな。
深く、長い息を吐く。
「んー、んーー、んーーー…」
頭を前後左右に揺らしてみても。
――…ダメだ。
思考回路がショートして何も思い浮かばない。
姿勢を戻し、ヘッドライトに浮かぶ樹々をぼんやり眺めながら、ドリンクホルダーに置いていた水筒の水を一気に飲み干す。
思っていた以上に喉が渇いていたみたい。
うん。だろうね。
仕事帰りにコンビニで晩ごはん用のおでんと日本酒、明日の朝ごはん用のおにぎりとパンを購入して家路についていた。
「――はずだったんだけどなぁ」
通勤途中、数カ所トンネルを通ることはあっても、森の中、ましてや道なき道を通ることはない。
野生動物はたびたび出没するけど、そこまで田舎でもない。
そう――たとえ公共バスが一時間に1本だとしても…
自宅まで後数kmという距離にある、それほど長くないトンネルを抜けようとした時、一瞬、前が見えなくなって、思わず目を閉じた。
運転あるあるですな。
でも、次に視界に飛び込んできたのが道路と街灯ではなく、一面の暗闇と樹々の群れ。
全くもって…
「意味が、わからんっ」
帰り道を間違えるほど、まだ耄碌はしていない。…はず。
――…仕方ない。
ここはひとまず、車を走らせよう。
いつまでもこんな鬱々とした夜の森の中に居たくないからね。
うん。そうしよう。
但し、道が悪そうだからスローペースで。
走り出してから時折、というか、結構頻繁に聞こえるバキッ!ボキッ!という枝を踏み折る音が本当に心臓に悪い。
タイヤ、大丈夫かな?
手に変な汗かいてきた。
不安と恐怖が仲良く手を繋ぎ、頭と胸の中で大運動会をしている中、少し開けた窓からはひんやりとした夜の空気が流れ込んでくる。
少しずつ…テンパっている気持ちが落ち着いていくような、気がした。
道なき道を恐る恐る進むことわずか数分。
体感的には数十分だったけど、腕時計の針は思ったほど進んでいなかった。
ついでに走った距離も…
解せぬ。
正直、こんな森とはさっさとおさらばしたい。
ただでさえ夜の運転は怖いのに、こんな、得体も知れない所なんて、全っ然!楽しくない!
早くおうちに帰りたい!
帰ってゆっくりお風呂に浸かって、晩ごはん食べたい!!
そんな私の想いが天に届いたのか、ようやく前方にヘッドライトとは違う明るさが見えた。
「明かりだ!助かったぁーー!」
天は我を見放さなかった!!
光のある方へ出られそうで、思わず車の中で万歳をする。
その場に車を停め、エンジンをかけたまま車から降りると、ヘッドライトが照らす樹々の間をゆっくりと、慎重に踏み進む。
1m…2m…と逸る心臓を抑え、湿った夜の空気の先にあったのは――




