天使と暗殺者
深夜三時過ぎの繁華街。
人気のない路地裏に二人の男が対峙していた。
一方は衆議院議員の金田大二郎。
見るからに高級そうなスーツを身に纏った金田は、コンクリートの塀を背にして怯えた様子で正面の男に顔を向けていた。
もう片方の男は金田を殺すよう依頼された殺し屋だった。
黒いコートについたフードを目深に被っているため、金田からは目元がほとんど見えない。
殺し屋の通り名はカラス。
日頃から暗い色の服を好んで着ているため、いつの間にかそう呼ばれるようになっていた。
年齢は29歳だが、見た目はそれよりずっと若く、高校生と言っても通用する風貌をしている。
そんなカラスは金田の額にピストルの照準を合わせていて、いつでも撃てるよう引き金に指をかけていた。
「ま、待てっ、馬鹿な真似はやめろっ! きみが誰かは知らんがまずはその銃を下ろすんだっ!」
カラスを刺激しないように金田は努めて冷静に諭そうとする。
「わたしを殺したらきみは殺人犯になるんだぞっ。一生を棒に振ることになる、わかっているのかっ」
「……」
「は、話をしようじゃないか、なっ? こ、こいつらにしたことは見逃してやってもいいっ。幸いこいつらは気絶しているだけだ、きみはまだ殺人を犯してはいないっ」
金田は足元に転がるボディガードたちを見て「この役立たずどもめっ!」と内心罵倒しつつ言った。
「わたしは顔が広いっ。きみに何か要望があれば、可能な限り聞くことが出来るぞっ」
「……」
「金かっ? 金に困っているのかっ? それとも、わたしに恨みでもあるのかっ? そ、そんなはずはないよなっ、わたしは二十年以上も国民のために身を粉にして働いてきたのだからなっ、だろっ?」
「……」
カラスは無言のまま眉一つ動かさない。
「くっ……」
金田には命を狙われる心当たりがあった。
それは最近、ある週刊誌にすっぱ抜かれた政党助成金の着服疑惑だ。
「あ、あれかっ……週刊誌の件かっ? だ、だとしたらあれは誤解だぞっ! あんなのは全部でたらめだっ! わたしがそんなことをするはずないだろっ! だ、大体証拠も何もないじゃないかっ!」
金田はそう訴えるが、その実、金田は政党助成金をたしかに着服していた。
しかもその額は一億円にのぼる。
「い、いいかげん、なんとか言ったらどうなんだ、えぇっ!」
いつまで経っても何も発さないカラスに対して、金田は我慢の限界に達しようとしていた。
「き、貴様、わたしが下手に出てるのをいいことに、この金田大二郎をなめやがって……! 許さんぞ、絶対に許さんからなっ!」
金田の口調は自然と荒くなっていく。
とその時だった。
今の今まで黙っていたカラスがようやく口を開いた。
「……言いたいことはそれだけか」
「ば、馬鹿にするなっ、この若造がぁっ!」
感情を爆発させた金田は、六十歳という年齢に似合わず俊敏な動きでもって、地面に落ちていた警棒を拾い上げると、それを振るってカラスの持つピストルを弾き飛ばした。
「どうだっ、銃がなければ貴様なんぞっ、返り討ちにしてやるわぁっ!」
それは本心から出た言葉だった。
元自衛官という特殊な経歴を持つ金田にはその自信があった。
「ぅおらぁっ!」
「このガキっ!」
「死にさらせぇっ!」
金田の野太い声が路地裏に響き渡る。
だが威勢のいい声とは裏腹に、金田の打撃はカラスにはかすりもしていなかった。
「はぁ、はぁ……く、くそったれがっ……!」
肩で息をしながら金田は悪態をつく。
「い、一体何者なんだ貴様はっ! わ、わたしになんの恨みがあるんだっ……!」
「個人的な恨みはない。運が悪かったと思って諦めてくれ」
「ふ、ふざける――がはっ……!?」
激昂した金田はカラスめがけて警棒を思いきり振り下ろした。
しかしそれとほぼ同時に、カラスは掌底で金田のあごを打ち抜いていた。
膝から崩れ落ちるようにして倒れる金田。
カラスは足元にあったピストルを取ると、金田の後頭部に向け発砲した。
塀を挟んで反対側には通行人もちらほらいたが、サイレンサーがついていたことで銃声は限りなく小さかったため、それに気付いた者は誰一人としていなかった。
カラスは金田の死体を写真に収めると、死体にガソリンをまいてから火をつけた。
そして燃えさかる炎を背にその場を立ち去った。
すべてを焼失させること、それがカラスの後始末のやり方だった。
『……では続いてのニュースです。金田大二郎議員の失踪届が出されてから四日が経過しましたが、警察関係者からの情報によりますと依然としてその行方は掴めていないとのことです。また金田議員の失踪前夜に繁華街の路地裏で火災が発生しており、そのことと今回の』
テレビの電源を消すとカラスは黒いコートを羽織った。
そしてドアに鍵をかけ、部屋をあとにする。
「あ、烏丸さん。おはようっ」
アパートの外廊下に出るとカラスに話しかけてくる女がいた。
白いTシャツにジーパンというカジュアルな服装をしたその女の名は里中イリア。
カラスの隣の部屋に住む女子大生だ。
父親がアメリカ人なので顔、スタイルともに日本人離れしている。
はつらつとした性格で、大学では男子からも女子からもかなり人気がある。
「ああ、おはようございます里中さん」
「もうっ、敬語は使わないでって言ったのにっ。烏丸さんの方があたしより年上なんだからっ」
「いやぁ、つい癖で」
「まあ、烏丸さんがそれでいいならいいんだけどさ。あ、ごめんなさい、どこか出かけるところだった?」
イリアは青色の瞳でカラスを見上げる。
「うん、これからちょっと仕事なんだよ」
「家庭教師の仕事ってこんな朝早くからあるの?」
「まあね。その家庭家庭によっていろいろ事情があるからね」
「ふ~ん、そうなんだ」
カラスはアパートの住人には、自分の職業を家庭教師だと偽っていた。
なぜ家庭教師にしたかというと、外出時間や向かう場所が日によって違っても、変に思われることはないだろうと安直に考えた結果だった。
ちなみにカラスは普段は烏丸太一と名乗って生活しているが、これは本当の名前ではない。
本名はカラス自身も知らないのだ。
「じゃあ遅れるとまずいから、もう行くよ」
「うん。お仕事頑張ってね~」
「ああ、ありがとう」
カラスはイリアと別れると、最寄りの駅に向かって歩き出した。
◆ ◆ ◆
カラスの身長は185cmある。
そのため電車に乗ると周りの人間より頭一つ、二つ分飛び出た形になる。
カラスはそれをあまりよく思ってはいない。
殺し屋という職業柄、あまり目立つ容姿は避けたいと考えているのだ。
だがカラスには周囲の視線、特に女たちからの視線が多く注がれていた。
というのも、カラスはモデルのようなルックスに甘いマスクを兼ね備えているからだ。
しかしながら、カラス自身は自分がイケメンだという自覚がまるでないので、周りからの視線は自分の背が高いから集まっているのだと認識している。
今日もまた多くの視線を感じつつ、カラスがつり革に手を伸ばした時だった。
後ろから誰かがぶつかってきた。
カラスはその衝撃で一瞬だけよろめくが、細身ながら鍛え上げられた肉体を持つカラスは、瞬時に体勢を立て直した。
そして後ろを振り返る。
すると、
「す、すみませんでしたっ」
そこに自分に対して頭を下げる背の低い女の姿をみつけた。
一目見て敵意がないことを察したカラスは、笑顔を作る。
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
「で、でも……」
女の年齢は二十代前半といったところだろうか。
肩口まで伸びた黒髪に、白いブラウス、紺色のスカートという服装をしていた。
美人ではあるが化粧っ気のない素朴な印象を受ける。
カラスはその女に対して出来る限り優しく語りかけた。
「混んでいるんですから仕方がないことですよ。本当に大丈夫ですから、お気になさらず」
「は、はい、すみません」
そう言って女はもう一度頭を下げた。
◆ ◆ ◆
カラスが住んでいるのは東京だが、割と人が少ない地域である。
なのでしばらく電車に揺られていると、まばらに座席が空いた。
カラスは座席に腰かけ、正面の窓に流れていく景色を目で追う。
そうこうしているうちに電車は目的の駅に到着した。
改札口を出てからスマホを取り出す。
地図アプリを開き、ルートを再確認したのちカラスは歩き出した。
カラスの目的地は駅から徒歩五分ほどの場所にあった。
築十年のマンションの一室。カラスはインターホンを押した。
出てきたのは、眼鏡をかけた小太りの男。
男は40歳前後くらいで、Tシャツにハーフパンツとラフな格好をしている。
「よう、カラス。直接会うのはだいぶ久しぶりだな」
「日陰さん、ご無沙汰してます」
男の名は日陰芳春。カラスの雇い主だった。
「立ち話もなんだし、まあ入れよ」
「失礼します」
日陰にうながされ、カラスは室内へ足を踏み入れるが、部屋の中は足の踏み場もないほど物が散乱していて、そしてひどく臭った。
普段は感情がほとんど表に出ないカラスでさえ、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「ほら何してんだよ、遠慮せずに入れったら」
「は、はい」
カラスは、中に何が入っているのかわからないゴミ袋の山を踏みつけながら部屋の中へと進入していった。
そしてクッションのような物に腰を下ろす。
「今日、お前に来てもらったのは上からの指示でな。お前にアレをまたしろってさ」
「はい、わかりました」
日陰の言う上とは、日陰の雇い主のこと。
カラスの雇い主である日陰もまた、とある組織に属する別の何者かに雇われているのだった。
言うなれば日陰は、組織内部の真の雇い主とカラスとをつなぐ仲介役のような存在なのだ。
ちなみにアレというのは嘘発見器のこと。
「んじゃあ、これ頭と腕につけてくれ」
「はい」
「こんなのは形式上のもんだから、まあ気楽にやってくれや」
日陰に手渡された電子機器を頭と腕に装着していくカラス。
このあとカラスは、ひどい臭いが漂う部屋で小一時間ほど日陰とともに時を過ごした。
◆ ◆ ◆
「おっと、そうだ。ついでだから次のターゲットを伝えとくわ」
カラスが帰宅しようと立ち上がったタイミングで、思い出したように日陰が言った。
カラスは日陰が差し出した資料を受け取る。
その紙には一人の男のプロフィールが記されていた。
名前は山川有起哉。
年齢は30歳。
職業は会社員。
住所は東京都。
備考欄には妻と幼い子どもが一人いることが書かれていた。
カラスは写真を見る。
そこには整った顔立ちをした好青年の姿があった。
だがカラスの目を引いたのは、彼の経歴の方だった。
彼は二年前に離婚しており、その理由が暴力によるものだということが記載されていたのだ。
しかも離婚後も彼は元妻に付きまとい、ストーカー行為を繰り返しているということも書かれている。
さらにその元妻は、過去に何度も自殺未遂をしており、現在も施設に出たり入ったりしているとのことだ。
カラスは資料を読み終えると日陰に返す。
「んじゃあ、五日以内に頼むな」
「わかりました」
カラスは日陰の部屋を出た。
外は少しだけ雨がぱらつき始めていた。
◆ ◆ ◆
カラスが住んでいるのは、六畳ワンルームのアパート。
築三十年ほどのボロい建物で、風呂トイレ共同、エアコンなし。
家賃月三万円。
カラスは部屋に入ると、ピストルやナイフ、ライフルやメリケンサックなどの仕事道具一式をテーブルの上に並べた。
そしてそれらを布巾で丁寧に拭いていく。
几帳面な性格のカラスにとってそれは日課となっていた。
カラスは幼い頃、親に捨てられた。
そんなカラスを拾って育てた男は殺し屋だった。
その男は興味本位でカラスに自分の持つ暗殺スキルや格闘術を叩き込んだ。
だが成長するにつれて、カラスの潜在能力を不安視するようになっていった。
こいつはいずれ自分をおびやかす存在になる。
そう思った男はカラスが12歳になった日、カラスを訓練中の事故に見せかけて殺そうとした。
だが、カラスはそれを察知すると男を返り討ちにした。
そしてその一年後、カラスは男の所属していた組織に殺し屋として雇われることになる。
「さてと……行くか」
ズボンの右ポケットにピストルを、左ポケットにナイフを忍ばせたカラスは、ターゲットを監視し、あわよくば始末するために、再び外へと繰り出すのだった。
沢山の車が行き交う大通りに面した歩道を、傘を差したカラスが気配を消しつつ歩いていた。
カラスの前方の交差点には次なる殺しのターゲットである山川という男がいて、妻と幼い子どもを連れ仲睦まじげに談笑している。
山川とその妻は、雨ガッパと長靴という防水仕様の恰好をした子どもと手をつなぎ、信号が青になるのを待っていた。
親子の後ろにそっと近付いたカラスは彼らの会話の内容に耳をそばだてる。
がしかし、雨音で会話がよく聞き取れない。
と不意にカラスはズボンをくいっと引っ張られる。
視線を下に向けたカラスはそこで山川の子どもと目が合った。
「あっ、すいませんっ。こら、隼人。お兄さんのズボンから手を放しなさいっ」
「ねぇ、お兄ちゃんって全身真っ黒だねっ」
「こら、余計なこと言わないっ。たびたびすいませんっ」
「いえ、大丈夫ですよ」
とカラスは作り笑顔で山川に返す。
しゃがみ込んで子どもと目線を合わせて、
「お兄ちゃんは黒い服が好きなんだよ。きみは何色の服が好きなの?」
「えっと僕はねぇー……赤っ!」
「へー、そうなんだ」
他愛もない会話でその場をやり過ごすカラス。
その後、信号が青になり山川親子と別れたカラスは誰にも聞こえない声で「……今日のところは見逃してやる」とつぶやいた。
◆ ◆ ◆
――その翌日。
昨日とは打って変わって雲一つない晴天の下、カラスは山川の自宅を張っていた。
しばらくして二階建ての一軒家から出てきた山川は、妻と別れのキスを済ませてから車に乗って家をあとにした。
その様子を物陰から観察していたカラスは山川の車のあとをバイクで追う。
カラスは山川が一人きりになる瞬間を待っていたのだが、それはすぐに訪れた。
山川はコンビニに立ち寄り飲み物を買うと、そのまま公園沿いの道路に車を停め、中へと入っていったのだ。
カラスは山川を追って公園内へ入る。
一瞬見失いかけたカラスだったが、山川はベンチに腰かけながら、ペットボトルに入った水をごくごくと喉を鳴らして飲んでいた。
仕事もせずに何をしているのだろう。
カラスは思ったが、すぐにそんなことは自分には関係のないことだと心を無にする。
そしてベンチに背中を預け、空を見上げていた山川の背後に忍び寄ったカラスは、山川の首元にナイフをあてがい一気に引き抜いた。
さびれた公園に「がぁっ、かはっ……!?」と山川の声にならない声が上がり、そして消えゆく。
地面に出来た血だまりに倒れ込んだ山川の死体を見下ろしつつ、それを写真に収めるカラス。
殺した証を日陰に送ってから、カラスは山川の死体に火を放とうとする。
とまさにその時だった。
『あざやかな手つきじゃったな』
カラスの頭上から女のものと思われる声が降ってきた。
カラスは素早く上を向き、
「!」
そして自分の目を疑った。
なぜならば、カラスの頭上には白い翼を背に生やし、宙に浮かんでいる全裸の女がいたからだ。
白い翼の生えた全裸の女は口を開く。
『おや、わらわの姿を見ても驚かないのじゃな』
「いや、これでも結構驚いているさ。俺は感情を表に出すのが苦手なんだ」
『ふむ、そうなのか』
「それよりお前は何者なんだ? 見た目からして人間じゃないんだろ? もしかして天使か?」
淡々とカラスは訊ねる。
『ほう、話が早くて助かるわい。そうじゃ、わらわは正真正銘、天使じゃよ』
カラスは内心度肝を抜かれていた。
だがそんな様子を感じさせずカラスは続けた。
「で、天使が俺になんの用なんだ? 見てわかると思うが、俺は今忙しいんだ。用がないならどこかに行ってくれないか」
『やはりお主はかなり変わった部類の人間のようじゃな。まあ、その方がわらわとしても面白いが』
天使はゆっくりとカラスの目の前に降り立つ。
そして言った。
『わらわはお主をスカウトしに来たのじゃ』
その言葉にカラスは大きくため息をつく。
「面倒事は充分間に合っているよ。俺じゃなくて天使を待ち焦がれている誰かのもとに行ってあげるといい。俺よりよっぽどいいリアクションをしてくれるはずだ」
カラスはそれだけ言い残すと、天使を無視して山川の死体に近寄ろうとする。
がしかし、次の瞬間、カラスの身体は金縛りにあったように動かなくなった。
カラスの脳内に天使の声が響く。
《わらわの言うことを聞かぬと、お主は一生このままじゃぞ》
カラスは冷静に分析する。
これはおそらく天使の持つ特殊能力によるものだと。
そこでカラスは抵抗することを止めた。
するとカラスの身体の拘束が解けた。
カラスは振り返ると、 天使に向かって静かに語りかける。
それはまるで自分自身にも言い聞かすかのように。
「仕方ない。お前の話を聞くことにする」
◆ ◆ ◆
「おっと、その前に」
前置くと、
「こいつを燃やしたいんだが、構わないよな」
カラスは山川の死体を指差した。
『燃やすのか? ならばわらわに任せるのじゃ』
「何を言って――」
『カオスフレイムっ』
天使が一言発した瞬間、山川の死体が灼熱の業火に包まれた。
カラスは驚き、そして息をするのも忘れ、目の前の炎に見入る。
が、たった数秒ほどで炎は消え、そこには地面の焦げ跡だけしか残されていなかった。
「なるほど。天使ってのはすごいんだな」
『ふふふ。お主のような人間に褒められるとわらわも嬉しいわい。ちなみにわらわの名前はリュカエルじゃ。出来ればそう呼んでほしい』
「リュカエルか……俺はカラスで通ってる。本当の名前は俺自身も知らないから教えようがない」
カラスには一応、烏丸太一という名前があるが、烏丸太一という名前もまた本名ではない。
『ではカラスよ、あらためて話の続きといこうかの』
リュカエルはうやうやしくカラスに手を差し出した。
そしてカラスの目を見て言う。
『カラス、お主にはわらわのパートナーになってほしいのじゃ』
「……? 俺の理解力が乏しいのかな、話がよく見えないんだが……」
天使リュカエルを前にして、カラスは差し出された手を拒むように腕組みをする。
『それもそうじゃな。では簡単に説明しようかのう』
言うとリュカエルは、カラスの耳元に顔を近づけてささやくのだった。
◆ ◆ ◆
カラスが聞いた話によると、天界に住む神とやらがつい最近引退したのだそうだ。
そして誰があとを継ぐかで、神に仕えていた七人の天使が揉めているのだとか。
勝負で神になる者を決めようとしたが、天使たちの能力はほぼ互角で、しかも天使たちは不死身なので何をしても決着はつかなかったらしい。
そこで人間を使って代理戦争をしようという流れになったという。
『そこでわらわが白羽の矢を立てたのがカラス、お主というわけじゃ』
「はっ、勘弁してくれ。そんな雲の上の話、俺には関係ないことだろ」
『ところがそうでもないのじゃ』
リュカエルは続ける。
『天使の中には人間をこころよく思っていない者もおってのう。そいつは自分が神になったら大洪水を起こして人間を地上から一掃する、と宣言しておるのじゃ』
「……へー」
カラスは興味なさそうに相づちを打つ。
だが、 次にリュカエルが口にした言葉によって、カラスの顔色が変わる。
それは――
『では、こんな話はどうじゃ。もしお主が代理戦争に勝ち残ることが出来ればわらわが神となる。その時にはわらわがお主の願いをどんなものでも一つだけ叶えてやるぞい』
「どんな、願いでも……?」
『ああ、そうじゃ』
「本当にどんな願いでも叶えられるのか?」
『無論じゃ』
「……死人を生き返らせることも出来るか?」
『わらわが神になりさえすれば、造作もないことじゃ』
それを聞いてカラス自身、心が揺れ動くのがわかった。
そして、カラスはおもむろに口を開く。
その声音は先ほどまでとは打って変わって真剣なものになっていた。
「リュカエル、教えてくれ。代理戦争ってのは具体的に何をすればいいんだ?」
『ふふふ。なあに、簡単なことじゃ。最後の一人になるまで殺し合えばいいんじゃよ』
「殺し合い……?」
『ああ。お主の得意分野じゃろ』
そう言うとリュカエルは意味ありげに目を細めた。
リュカエルから詳しい話を聞いたカラスは、それからしばらくの間、黙り込んでいた。
だが、やがて顔を上げるとカラスはリュカエルに向かって「わかった」と一つうなずいた。
カラスには欲というものがほとんどない。
食欲も睡眠欲も性欲も物欲も同年代の男と比べると無に等しい。
おそらくは幼い頃から殺し屋として生きてきたことによる影響なのだろう。
だが、そんなカラスにも叶えたい願いがあった。
それは実の両親との再会だった。
しかしながら、あらゆるツテをあたって調べた結果、カラスの両親はすでにこの世を去っていることが判明している。
なのでカラスの唯一無二の願いは絶対に叶わないものだとカラス自身諦めていたのだが、リュカエルとの出会いによって、そこに一筋の希望の光が灯ったのだった。
『では契約じゃ』
「……?」
『ほれ、わらわの手の上にお主の手を重ねるのじゃ』
うながすリュカエル。
とりあえず応じるカラス。
手を伸ばし、リュカエルの手に触れようとしたその瞬間、まばゆいばかりの白光が二人の体を包んだ。
――そして光がおさまり、
『今ので契約成立じゃ』
リュカエルが満足げに微笑むと次の瞬間、その姿が一瞬にして消えた。
カラスは驚き、あたりを見回す。
するといつの間にか、カラスの背後に一人の女が立っていた。
その女はにこやかにカラスをみつめている。
年齢は20歳くらいだろうか。
身長はカラスよりやや低い程度で、女にしては筋肉質な体つきをしていた。
髪の色は赤みを帯びた茶で、肩にかかる程度の長さだ。
瞳の色も同じく茶で、目鼻立ちはくっきりとしている。
そして服装もまた、赤色と茶色を基調にしたものだった。
「あ、あの……?」
『何を呆けておる。わらわじゃ、わらわ』
「お、お前……リュカエルなのか? 翼は? 天使の輪はどうした?」
『一時的にお主にわらわの力を授けたせいでのうなってしまったわい』
言いながらリュカエルはカラスに抱きつく。
そして頬と頬を寄せた。
カラスは戸惑うばかりだった。
これまで裏の世界で殺し屋稼業をしてきたカラスにとって、女性に優しく抱きしめられた経験など皆無だったからだ。
しかし、それでもカラスは冷静さを保つ。
「……これはなんのつもりだ?」
『さっきまではお主以外の人間にはわらわの姿は見ることが出来なかった。それにわらわはお主に触れることも出来んかったが、今の姿ならばそれらもすべて可能なのじゃ』
けらけらと笑みを浮かべるリュカエル。
天使の時の姿とは打って変わって表情が豊かである。
まるで幼い子どものようだ。
「それより、お前の力を俺に授けたってのはどういうことなんだ?」
やんわりとリュカエルを引きはがしてから、カラスは気になったことを訊ねた。
『天使は人間より高度な生き物じゃ。その気になれば人間など念じただけで殺せてしまう。しかしそれではせっかくの代理戦争に横槍を入れる天使が現れんとも限らんじゃろ。だからわらわたちは代理戦争に参加させる人間と契約をして、天使の力を一時的にじゃが放棄する決まりにしたのじゃ』
「なるほどな。ってことは代わりに俺が天使の力を使えるわけか?」
『いや、それは無理じゃな』
予想とは違う答えにカラスは虚を突かれる。
『天使の力は人間には高度過ぎて、まず使いこなせんじゃろうからな』
「ふーん、そうなのか」
がっかりしている自分に気付き、カラスは自分にも子どもじみた感情がまだあったのだと自覚した。
とそこへ、
ウォォォー……ン!
どこからかお昼を告げるサイレンが聞こえてきた。
それと時を同じくして公園に人があふれてくる。
「ところで、代理戦争に加担している人間はどうやって探せばいいんだ?」
神に仕えていた天使が七人。すなわち、代理戦争に参加する人間の数も七人。
カラスを除くと人間はあと六人。
公園のベンチに腰掛けながら、カラスは周りの人間には聞こえないようにリュカエルに問いかける。
それを受け隣に座ったリュカエルは、
『探す方法などないのじゃ』
あっけらかんと言い放った。
「は? じゃあどうやって相手をみつけるんだ? 探せないんじゃ戦いようがないだろ」
カラスは怪しむように眉根を寄せる。
だがリュカエルは涼しい顔だ。
『参加者同士は磁石の磁力のような力でお互いを引きつけ合うのじゃ。だから近いうちにおのずと出会うことになるじゃろうて』
「なんだそりゃ。じゃあこの代理戦争はいつ終わるかわからないじゃないか」
『そうじゃな。しかし探せはせぬが、見分ける方法はあるぞい』
とリュカエル。
『天使と契約した人間は頭上に光輪があるのじゃ。お主はそれを見て代理戦争に参加している人間だと判断すればよい』
「光輪?」
『天使の輪のことじゃ。ほれ、お主の頭の上にも浮いておるじゃろ』
言われてカラスは目を上に向けた。
するとたしかにカラスの頭の上には天使の輪が光り輝いていた。
『というわけじゃ。時間はかかるじゃろうが、まあ気長にやればええじゃろ』
「気長にってなあ、この世界には人間が60億人もいるんだぞ」
『ふふふ、そうじゃったな』
他人事のように微笑むリュカエルを目の当たりにして、カラスは途端に緊張の糸が切れた気がした。
もしかしたら自分が生きている間に決着などつかないのではないのか。
そのような考えも頭に浮かんでいた。
『それより腹が減ったのう。カラスよ、とりあえず昼食にするとしようかのう』
「……一応訊くが、お前金は持っているのか?」
『逆に訊くが、わらわが日本円を持っていると思うておるのか?』
「ちっ……まったく」
神選びをかけた代理戦争が終わるまで、こいつは俺に寄生し続けるつもりじゃないだろうな……。
カラスはそう思うと腹が痛くなった。
カラスとリュカエルは公園近くのファミレスに到着する。
そこで二人分の料理を注文した。
半刻ほどで食事が済み、リュカエルは満足げに口元を拭うと、
『ふぅ~、食った食った!』
腹をさすりながら心底幸せそうな笑みを浮かべる。
「食い終わったならさっさと帰るぞ。今日中に終わらせないといけない仕事もあるからな」
『なんじゃ、つれないのう。もう少しくらいわらわの話し相手になってくれてもバチは当たらんじゃろ』
「俺は殺し屋だ。殺し屋は依頼された仕事を確実にこなす」
カラスには組織からのものとは別件で、もう一つ仕事の依頼が入っていた。
それはネットの掲示板で受けた依頼で、言うなれば復讐代行のような仕事だった。
報酬は組織からのそれよりも格段に安いのだが、日頃から殺人を生業としているカラスにとってそれは精神衛生上不可欠なものだった。
『どんな仕事じゃ? わらわもついていってもよいか?』
「勝手にしろ」
『おや、てっきり断られると思うとったのじゃがのう』
「ふん、駄目だと言ってもどうせついてくるんだろ。でも邪魔だけはするなよ」
カラスの言葉にリュカエルは『やはりお主と契約したのは正解だったようじゃな』と楽しげに笑ってみせた。
◆ ◆ ◆
ファミレスをあとにした二人は、繁華街を通り抜けビルが立ち並ぶ大通りを歩いていた。
カラスもリュカエルも人目を引く容姿をしているので、行き交う人々の視線は自然と二人に向く。
だがしかし、そんなことを気にするそぶりも見せずカラスとリュカエルは目的の場所へと進んでいく。
『それで、わらわたちは一体どこに向こうておるのじゃ?』
街並みをきょろきょろと見回しつつ、リュカエルは前を行くカラスに問いかけた。
「喫茶店だ。そこに今回の依頼人が待っている」
『ほう。さっき話していたネットとやらで復讐代行を依頼してきたという人間か』
「そうだ」
カラスのターゲットは悪人である場合が多いが、時にはなぜこの人間を殺すのだろう、というような仕事の依頼もある。
それでも組織に属している以上、カラスはあまり深くは考えずに殺人を遂行するのだが、そのような仕事が積み重なっていくとさすがのカラスにもストレスが溜まる。
そこでカラスはストレス解消として、組織からの依頼とは別で、復讐代行という仕事を請け負っていた。
復讐代行で引き受ける依頼は、復讐するに値するそれ相応の理由があり、カラス自身が心から納得できることが条件だった。
そしてその条件を満たした依頼のみカラスは実行する。
『お主は存外、仕事人間なのじゃのう。いやぁ、立派立派』
カラスの背中をばしばしと叩き、リュカエルは白い歯を覗かせた。
はたから見れば仲睦まじい美男美女のカップルに相違ない二人だが、その実、殺し屋と天使という組み合わせ。
そんなカラスとリュカエルは他人の羨むような視線を浴びながら歩を進めていた。
とその時だった。
「おい、どこ見てんだこらっ!」
突然カラスのすぐ後ろで男の怒声が上がった。
振り返り見ると、身の丈2mはありそうな大男がリュカエルの腕を掴んでいる。
さらに大男の足元には飲みかけの缶コーヒーが。
カラスは瞬時に状況を理解した。
しかし、当のリュカエルは目をぱちくりとさせて、
『なんじゃ? お主、わらわに何か用なのか?』
大男に顔を寄せる。
「てめぇ、ふざけた喋り方してんじゃねぇ! どこ見てんだって言ってんだ!」
『今はお主を見ておるが』
「なんだとこらっ! オレのコーヒーどうしてくれんだ、ええっ! 服にも付いちまっただろうがっ!」
『それにしてもお主でかいのう。カラスよりでかい人間は初めてじゃ』
「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇ、殺すぞっ!」
大男はリュカエルの腕を引っ張り上げ、にらみを利かせた。
その迫力に、周囲の人間たちは我関せずとばかりに距離を取る。
はぁ、何をやっているんだ。
カラスは呆れた様子でため息を一つ吐いてから、
「おいリュカエル。多分お前が悪いから謝っておけ」
リュカエルに顔を向けた。
『この大男にか? なぜわらわが謝るのじゃ?』
「いいから」
『ふむ、よくわからんのう』
「こらちょっと待てやっ!」
と大男。
「てめぇはこの女の彼氏かおいっ! 今さら謝ったくらいじゃオレは許さねぇぞっ! 金払えっ、10万だっ!」
頭に血の上った大男はカラスとリュカエルに理不尽な要求を突きつける。
一瞬悩むカラスだったが、それくらいでことが収まるならばと財布に手を伸ばした。
そして、
「これでいいか?」
と1万円札を十枚、大男に差し出した。
「ほらリュカエル、もう行くぞ」
『ふむ』
「ま、待てやこらっ! 謝罪がまだだぞっ、今ここで土下座しろやっ!」
あっさりと10万円を支払ったカラスに虚を突かれリュカエルの腕を放した大男だったが、ここで大男はさらに要求をエスカレートさせる。
カラスとリュカエルの行く手を塞ぎ、なおも声を大にしてわめき立てた。
『土下座? 土下座とはなんじゃ、カラスよ』というリュカエルの問いかけを無視して、カラスは毅然とした態度で大男に向き直った。
「悪いがそれは断る」
「んだとこらぁっ!」
「これでもだいぶ譲歩したつもりなんだけどな……」
職業柄あまり目立ちたくないカラスは大男の要求に出来るだけ従う腹積もりだったが、カラスにとって大勢が見てる前での土下座は看過できないものだったのだ。
「もういい。リュカエル、行こう」
カラスは大男を手で押しのけると、リュカエルの手を取り歩き出す。
それに大男が激昂したのは言うまでもない。
「て、てめぇっ! オレをコケにしやがって、ぶち殺してやらぁっ!!」
カラスの後頭部めがけて大男のこぶしが振り下ろされた。
だが、 パシッ――。
その拳はカラスの頭に触れる直前で止まった。
カラスは後ろを見ずに、片手でその一撃を受け止めたのだ。
そしてそのまま、腕を大きく真横に振るい、その勢いで大男を車道に投げ飛ばす。
そこへ大型トラックがやってきたことで周囲に悲鳴が上がるが、大型トラックは間一髪、急停止。
運転席からドライバーが顔を出して「馬鹿野郎っ! 危ねぇじゃねぇかっ!」と大男を一喝して走り去っていった。
それを受け車道に一人残された大男は、茫然自失となったまま、ただ全身を震わせていた。
そしてカラスとリュカエルはというと、
「リュカエル、これからは前見て歩けよ」
『ふむ、わかったのじゃ』
言葉を交わし、何事もなかったかのように雑踏へと消えていった。
しばらく歩いてカラスは足を止めた。
リュカエルがカラスの視線を目で追うと、そこにはこじんまりとした喫茶店があった。
その扉を押し開け店内に入ると、カラスはカウンター席の一番奥に座っている老齢の男に話しかけた。
彼が今回の依頼人だった。
男は66歳。着ているスーツは高級品である。
年の割に背筋は伸びており、若々しく見える。
しかしながら、目の下にはクマがあり、瞳もやや充血している。
その男の名は岸部友治。
この辺りでは有名な会社の社長であった。
「はじめまして、烏丸です」
「岸部と申します。今回はわたしの願いを聞いていただきありがとうございます」
「堅苦しい挨拶は抜きにして本題に入りましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
『烏丸? お主の名はカラスではないのか?』
リュカエルが不思議そうな顔で訊ねるも、カラスは聞こえないフリをしつつ椅子に腰を下ろし、岸部と顔を突き合わせる。
「あの、ところでそちらの女性は?」
「あー、えっと……こいつはですね――」
『わらわはリュカエルじゃ』
リュカエルはそう名乗ると、カラスの横に腰かけた。
それを目にした岸部は「リュカエル、さん……?」と目を丸くする。
「えっと、僕の助手です。日本語が苦手なので失礼があったらすみません」
「そ、そうでしたか」
『よろしくじゃ』
「では早速、話を聞きましょうか」
「はい。実は……」
そうして岸部は語り始めた。
岸部は一代で財を成した成功者だった。
しかし、そのせいで多くの人間から羨まれ、妬まれてもいた。
そんな岸部につい先日、離れて暮らす一人娘から電話があったという。
二言三言会話をして岸部はすぐに娘に会う約束を取りつけた。
そしてその翌日、約束した場所へ赴き、娘との久しぶりの再会を待ち焦がれていると、そこで事件は起きた。
突然、覆面をした男たちが襲ってきたのだ。
岸部は必死に抵抗したが多勢に無勢。すぐに取り押さえられ、車に連れ込まれた。
その車には岸部の娘も口と手足を縛られた状態で乗せられていたという。
そして車内で覆面をした男の一人が岸部にこう言ったのだそうだ。
「娘を無事に返してほしければ3億円用意しろ。絶対に警察には知らせるなよ」と。
解放された岸部は会社の金をかき集め、3億円を用意した。
岸部にとって娘は何よりも大事な存在だったので、当然の行動だった。
その後、男たちに指定された場所に岸部自ら金を運び、受け渡しは成功。
あとは娘が返ってくるのを待つばかりだった。
がしかし、娘はいつまで経っても帰ってこず、しびれを切らした岸部が警察に通報、その翌々日、娘の遺体が発見されたということだった。
「……警察は犯人たちを捕まえてくれました……ですが、犯人たちの量刑は長くとも懲役15年だそうです……たった15年であいつらは……む、娘はっ……か、佳代子はもう戻ってこないのにっ……」
嗚咽交じりで岸部はうつむく。
その様子にカラスは眉をひそめながら、 リュカエルは口を開けたまま、 それぞれ言葉を発した。
まずはリュカエル。
彼女は岸部の事情など知ったことじゃないと言わんばかりに興味なさげな口調で、 次のようなセリフを吐く。
『ふ~む、そうかそうか。つまりお主はその娘のかたきを討ってほしいというわけじゃな』
その問いに対して岸部は涙を拭いながら首を縦に振った。
次いでカラスが言う。
彼はいつも通りの平淡な声で、しかし、岸部をまっすぐに見据えて、こう告げた。
「わかりました。引き受けましょう」
「ほ、本当ですかっ!?」
「はい。犯人たちは今は刑務所にいるんですよね」
「そ、そうです。それでも大丈夫なのでしょうか……?」
「ええ、問題ないですよ」
カラスが答えると岸部の顔にわずかだが生気が宿る。
「そ、それで報酬ですが、いかほどお支払いすれば……情けない話ですが、今のわたしには烏丸さんのご期待に沿えるような額はお支払い出来ないかもしれませんが、何年かかっても必ず――」
「報酬は10万円です」
「え……? そ、それだけでいいのですか……?」
「はい」
カラスは真剣な顔で返した。
それを隣で聞いていたリュカエルは、物珍しそうにカラスの顔を覗き込む。
「ほ、本当に……?」
「これは仕事というより僕の趣味みたいなものですから。それで充分です」
「あ、ありがとうございますっ……」
岸部は深々と頭を下げた。
そしてカラスとリュカエルが喫茶店を出ていったあとも、岸部は「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございますっ……」と何度も感謝の言葉を口にしていた。
カラスたちは依頼人の岸部と別れるとすぐに家路についた。
アパートへの帰り道、隣を歩くカラスにリュカエルが訊ねる。
『カラスよ、刑務所にいる犯人たちをどうやって始末するのじゃ?』
「それは簡単さ。俺が刑務所に入って全員殺せばいいだけだ」
『うむ? 刑務所というのは罪を犯した者だけが入れる特別な場所のことじゃろう。お主も入れるのか?』
「俺はこれでもずっと裏社会で生きてきたんだ。刑務所に入るツテくらいあるさ」
『ほほう』
リュカエルは感心したように相槌を打った。
◆ ◆ ◆
夕日が地平線に沈みかけ、カラスとリュカエルの頬が朱色に染まる頃、二人はアパートへとたどり着く。
とカラスの姿をみかけたイリアが「やっほー、おかえり烏丸さんっ」と声をかけ近寄っていった。
それに気づいたカラスは立ち止まり、リュカエルはその背後からひょっこりと顔を覗かせた。
その光景を見たイリアは目を丸くする。そして訊ねる。
「えーっと、烏丸さん。その美人は誰?」
カラスは肩越しに振り返り、リュカエルを見つつ答えた。
「あー……うん、親戚だよ。烏丸リュカエルっていって、たまたま街で会ったんだ。しばらくこっちにいるらしいんだけどね、積もる話もあるし俺のところに泊まってもらうことにしたんだよ」
「へー、そう」
イリアは怪訝な顔でリュカエルをじっとみつめる。
その様子は恋人の浮気を疑う彼女のそれに近い。
『なんじゃ。お主こそ誰なのじゃ?』
「えっ、お主っ?」
「そうそう、この子帰国子女だから言葉遣いが変だけど気にしないで。じゃあ」
「あっそうなんだ、ふーん……」
イリアの視線を受け、なぜか居心地が悪く感じたカラスは、早々に会話を切り上げ、リュカエルとともに部屋へと向かった。
その背中をイリアは何か言いたそうにしながらも、ただひたすら凝視していた。
◆ ◆ ◆
翌朝、カラスは朝食を済ませるとすぐに部屋を出ていった。
なんでもこれから向かうところがあるのだという。
リュカエルはそれを見送ると、布団に潜り込み再び寝入る。
――リュカエルが次に目覚めたのは昼時だった。
冷蔵庫から食パンを取り出すと一斤丸々トースターで焼こうとする。
だが、無理だとわかり、仕方なく二枚だけをトースターにセットした。
その後、焼けたパンと牛乳を持って部屋の隅に置かれたテレビの前に座り、リモコンを操作して電源を入れる。
すると画面には岸部の娘殺害のニュースが流れ始めた。
『おお、昨日わらわたちが会った男ではないか』
リュカエルはトーストを頬張りながらテレビにくぎ付けになる。
と画面に映るアナウンサーが、岸部の会社から3億円を奪った犯人たち三人が今しがた刑務所内の事故で焼け死んだと口にした。
それを耳にしてリュカエルは思わず目を大きくさせた。
一方、画面の中では別のキャスターが事件のあらましを説明している。
それによれば犯人たちは岸部の娘である佳代子を誘拐後、岸部に身代金として3億円を要求。
難なくそれを手にした犯人たちは、あらかじめ計画していた通り、口封じとして佳代子を殺害したのだという。
その話を受け、コメンテーターの一人は「こんなこと言っちゃ叩かれるかもしれませんけど、ぼくはそいつらに天からバチが当たったんだと思いますよ。犯人たちはそれだけのことをしでかしたんですからね」と吐いて捨てた。
『ふむ、なるほどのう』
とそこへ、
「ただいま」
どこからかカラスが帰ってきた。
手にはコンビニ袋をぶら下げている。
『カラスよ、これ見てみい。お主のターゲットたちが刑務所で死んだようじゃぞ』
「そうか」
『なんじゃ、それだけか。反応が薄いのう……ん? もしやお主、朝から出かけとったのはこれのためか?』
テレビを指差しリュカエル。
『まさかこれをやったのはお主なのか? カラスよ』
「まあな」
『やはりかっ。そんな楽しそうなことをわらわ抜きでやるとは……なぜわらわを誘わんかったのじゃっ』
リュカエルは子どものように頬を膨らませて不満をあらわにする。
その姿は人々が思い描く天使像とはかなりかけ離れたものだった。
「お前がいると面倒そうだったんだよ。それよりほら、コンビニでスイーツ買ってきたから、これで機嫌直してくれ」
『むぅ……』
テーブルに並べられていく美味しそうな食べ物に目を奪われ、リュカエルは口から出かかっていた言葉を飲み込んだ。
そして『しょうがないのう、今回だけじゃぞ』とテーブルの上のシュークリームを手に取り、大口を開けそれにかじりついた。
その様子を見て、天使も意外と扱いやすいのかもな、そう思いカラスは無意識のうちに口角を上げていた。
カラスとリュカエルが出会ってから一週間が経つものの、いまだ神の座をかけた代理戦争に参加している人間との邂逅はまだだった。
その間にも、カラスは相変わらず仕事とプライベートで人を殺し続けていた。
そんな中、カラスは組織とは関係なくプライベートでとある依頼を持ちかけられる。
依頼主は喫茶店を営む30代の男で、彼は妻が何者かに殺されたと告げた。
警察にも届けたが、事件性がないと判断され捜査は打ち切られたという。
カラスは男の悲しみに暮れた表情を見て、この仕事を引き受けようと決めた。
男は涙ながらに感謝の言葉を口にした。
そして最後に、妻のかたきを取ってほしいとカラスの手を両手で握り、付け加えた。
それを聞いたカラスは「はい」とだけ返し、深く首肯した。
◆ ◆ ◆
それから数日後、とある山奥にある一軒家をリュカエルとともに訪れたカラスは、玄関先でインターホンを押した。
「あーい!」
と家の中から威勢のいい男の声が返ってくる。
勢いよくドアを開け放ち、
「……あん? おたく、どちらさん?」
カラスを見て訝し気な表情を一切隠そうともせず口にする男。
男の名は石川昇。年は38歳。
今回の依頼主の妻を殺した男だった。
カラスは日陰の協力で犯人を捜し当てていたのだった。
「わたしは烏丸といいます、探偵です。突然お邪魔して申し訳ありません。失礼ですが、石川昇さんですね?」
丁寧な口調で返すカラス。
すると石川は眉をひそめ、不機嫌そうに言った。
「探偵? 探偵がオレになんの用だよ」
「実は先日、ある女性が殺されましてね。その女性の旦那さんから犯人をみつけてほしいと依頼されたんです」
カラスの言葉を聞いた石川は胸の鼓動が早くなる。
「だからなんだよ、オレとなんの関係があるってんだ、ああ? こっちは忙しいんだ、もう帰ってくれ」
ドアを閉めようとする石川だったが、それを手で止めるカラス。
「おい、なんのつもりだっ。手ぇ放せっ」
「まだ話の途中でして、その旦那さんに依頼されたのは犯人をみつけるだけではなく、殺してほしいともお願いされたんですよ」
「い、いいから手ぇ放せよっ! 警察呼ぶぞこらっ!」
「呼んでも構いませんが困るのはあなたの方ではないですか?」
その発言を受け石川は――
バ、バレてる!?
こ、こいつ、オレがあの女を殺したこと、知ってやがるぞっ……!
そう確信した。
こいつを野放しにするのはヤバい……。
もし警察に垂れ込まれでもしたら……。
……こ、殺すしかないっ!
考えを巡らせ、そう結論付けた石川だったが、カラスの背後にいたリュカエルに気付き――
下手に動くと後ろの女に逃げられるかも知れん……ここは慎重にやらねぇと。
「よ、よくわからねぇ、もっと詳しく聞かせてくれよ。まあ中に入ってくれや」
自分の家に入れることにした。
「いいんですか? ではお言葉に甘えて失礼します」
『わらわも邪魔するぞい』
こうしてカラスとリュカエルは、殺人犯である石川の家に上がり込んだ。
◆ ◆ ◆
リビングに置かれたソファーに腰掛ける二人と一人。
リュカエルはテーブルを挟んで石川の対面に座り、カラスはその隣に腰かけた。
自分のテリトリーである家の中に誘い込めたことで、石川は次第に落ち着きを取り戻していく。
前に座るリュカエルをチラリと見やり、こいつ、よく見りゃかなりの上玉だな。
殺人衝動が体の奥底から沸き起こってくるのを感じる石川。
――石川昇。
男は連続殺人犯だった。
幼い頃から人体に興味があり、小学生の頃には近所の野良猫や野良犬を解剖し遊んでいた過去がある。
そんな石川が初めて人を殺したのは17歳の時。
その時の快感が忘れられず、石川は毎年同じ日に一人ずつ、殺人を行うことに決めていた。
そしてそれから21年もの間、石川は誰にもバレることなく現在まで人を殺め続けているのだった。
「おっそうだ、何か飲み物持ってこないとだったな。ちょっと待っててくれや」
「あ、お構いなく」
『わらわはオレンジジュースがいいのじゃ』
そそくさとキッチンへ駆け込む石川の背中を見送り、石川が見えなくなったところでカラスがささやく。
「あいつ、俺たちを殺すつもりだな」
『うむ? なぜそう思うのじゃ?』
「普通は俺たちを家になんて上げないだろ」
『そうなのか? よくわからんのじゃ』
そうこうしていると石川が戻ってきた。
だが手には飲み物ではなく、刀を握り締めていた。
「おいてめぇら、悪ぃが死んでもらうぜっ」
本性をあらわにした石川が目をぎらつかせて宣言する。
「もし逃げようとしたら、後悔するほどにいたぶってから殺してやるからなっ!」
刀の切っ先をカラスたちに向け言い放った。
「別に逃げないさ。こっちも初めからそのつもりだったしな」
言いつつカラスは椅子から立ち上がる。
リュカエルはその様子を、
『なんじゃ、殺し合いが始まるのか? 面白いのう』
うきうきと眺めていた。
「まずは男の方からだっ。女はあとでたっぷりと楽しんでからやってやるぜっ」
間合いを取り、にらみ合う二人。
石川は刀を上段に構え、カラスはメリケンサックを装着した両こぶしを胸の前で構えている。
「おらぁっ!」
カラスに斬りかかる石川。
それをこぶしでいなすカラス。
石川はなおも刀を振るう。
「オレは剣道五段だぜぇっ! いつまで耐えられるかなっ!」
石川の素早い剣撃を確実にこぶしでとらえカラスは弾いていく。
「まだまだぁっ!」
その後、両者のぶつかり合いは二分間続いた。
しかし、石川の攻撃はカラスにはかすりもしていなかった。
剣道の有段者である石川もこれには驚きの表情を隠せない。
「はぁ、はぁ、てめぇ、何もんだっ……! な、なんで、手ぇ出してこねぇんだっ……!」
「あんたには絶望ってのを感じてから死んでほしいんだ。言っていなかったが、それも依頼人の願いなんだよ」
「……く、くそがぁっ!」
かなわないと悟った石川は思いきり刀を投げた。
だがカラスは容易にそれを避けた。
しかしここでカラスにしても予期していなかった事態が起こる。
というのも、
『ぎゃっ』
石川がなりふり構わず投げ放った刀が、あろうことか椅子に座っていたリュカエルの胸に突き刺さったのだ。
「なっ、リュカエルっ!」
カラスが後ろを振り返ったその隙に、石川は逃走しようと駆け出した。
「くっ……逃がすかっ!」
それに気付いたカラスは、ポケットからナイフを取り出すと瞬間的にそれを石川の首に投げ、命中させる。
「があぁっ……!」
石川はその一撃であっけなく床に沈み、こと切れた。
「リュカエルっ、大丈夫かっ!? すぐに救急車を――」
『その必要はないわい』
必死の形相で向き直ったカラスにそう答えるリュカエル。
あっけらかんとしたその様子にカラスは面食らってしまう。
「お、お前、へ、平気なのか……?」
『無論じゃ、わらわを誰じゃと思うとる。前にも言ったが天使は不死身じゃぞ』
リュカエルはそう言うと自分の胸に刺さっていた刀を引き抜いた。
そして血が一滴も付いていないその刀を床に放り落とす。
「で、でもお前、今は天使の力を失くしてるんじゃ……?」
『それとこれとは話が別なのじゃ。ふふふっ、それにしてもお主、かなり焦った顔をしておったのう。わらわが死んだと思うたのか? 可愛い奴じゃ』
「う、うるさい……平気なんだったらもう行くぞ」
照れ隠しのつもりなのか、カラスはぶっきらぼうに言い捨てると、石川の家に火を放ってからその場をあとにするのだった。
カラスがリュカエルと出会ってから十日が経った頃、なんの前触れもなくそれは突然訪れた。
『カラスよ、昼飯はまだかのう』
「さっき、朝ご飯食べたばかりだろ。まったく」
リュカエルの燃費の悪さに辟易していると――
ピンポーン。
カラスの部屋にチャイムの音が鳴り響く。
玄関に向かいカラスはドアを開けた。
とそこには背の低い地味めな女が所在なさげに立っていた。
カラスはその女を見てどこかで見覚えのある顔だとも思ったが、すぐにそんなことはどうでもよくなるほどの衝撃を受ける。
!?
というのも、その女の頭の上には天使の輪が浮かんでいたからだ。
とっさに身構えるカラス。
と同時に部屋の奥にいたリュカエルを呼ぶ。
だが長身のカラスとリュカエルという二人にすごまれた女は戦う気配は見せず、それどころか、
「ま、待ってくださいっ……わ、わたし、敵じゃありませんっ!」
と必死な様子で声を上げた。
「わ、わたしは戦う気なんて一切ないんですっ。まず話を聞いてくださいっ」
そう言うなり女は深々と頭を下げる。
それを受け、カラスとリュカエルは顔を見合わせてから、女に向き直った。
「でもあんた、それ天使の輪だろ。ってことは天使と契約したんじゃないのか? それで俺のこともわかったんだろ?」
「は、はい、契約はしました……でも、人間同士で殺し合うなんてこと知らなくて……わたしと契約した天使は、わたしにただ願いを叶えてやるとだけしか言わなかったんです……だから……」
『ふむふむ、なるほどのう』
と訳知り顔でリュカエル。
「だ、だから、そんなことになってるってあとで聞かされて……わたし、どうしたらいいか頭が真っ白になっちゃって……そんな時、あなたをみかけたんです。たまに電車で会うあなたが……わたしと同じように天使の輪が頭にあるのを……そ、それで、それで……相談したくて、来てしまったんです……すみません」
女の話を聞いて、カラスは目の前の女が先日電車で自分にぶつかってきた女なのだと気付いた。
「はあ、そうだったんですか。それはまあ、ご愁傷様です」
と相槌を打ちながらカラスはどうしたものかと考える。
そこへ、
『そやつの名はなんというのじゃ? おそらくじゃがアクィバルという名の天使じゃないかのう?』
リュカエルはあごに手を当て女に訊ねた。
「は、はい……わたしと契約した天使はアクィバル、です……実は今も隣にいまして……」
言いつつ女はおそるおそる横に目を移す。
すると女を押しのけるようにしてホスト風の髪の長い男が顔を出した。
男はリュカエルに視線を定めて、
『その年寄りみたいな喋り方はリュカエルだな。はっ、それにしても天使の力を失くすとそんな顔になんのか、お前』
馴れ馴れしい口調で話しかける。
『そういうお主も天使の時とはずいぶんと顔が違うのう。自分勝手な性格は相変わらずのようじゃがな』
『うっせえババア』
カラスと女を尻目にリュカエルとアクィバルは口角を上げにらみ合う。
「なあ、とりあえず場所を変えないか。玄関先じゃ目立つし、かといって今会ったあんたらを部屋に上げるのはどうかと思うしな」
「あ、は、はい。すみません」
『じゃったら、近くの公園でいいじゃろう』
『よっしゃ、なら行こうぜ』
話はまとまり、四人は公園へと足を運ぶことにした。
女は鈴木香織、24歳。
身長149cmと小柄な体型。
引っ込み思案な性格がわざわいして、友達と呼べる人間は一人もいない。
そんな香織が天使アクィバルと出会ったのは九日前だった。
いつも通り残業終わりで遅く帰宅した香織の前に突然アクィバルは現れた。
アクィバルは自分は天使だと話すと、代理戦争の話など一切せずに香織と契約を済ませた。
あとになって真相を知った香織は呆然自失となり、その夜は一睡も出来なかった。
自分の頭の上に天使の輪があることが知られないように、その次の日から香織は仕事を休み、そして家に引きこもるようになった。
だがしかし、香織はたまたま窓に近寄った際に、窓の外に天使の輪を頭に乗せた男を目撃する。
その男は時折り電車でみかける背の高い男だった。
そう。
その男とはカラスだったのだ。
香織はその瞬間、何か運命めいたものを感じ、意を決したように顔を上げるとカラスのあとを追った。
生まれて初めての尾行だったが、ことのほか上手くいき、香織はカラスの住むアパートの場所を突き止めることが出来たのだった。
◆ ◆ ◆
「それで鈴木さん、あなたは俺にどうしてほしいんですか?」
公園のベンチに腰掛けたカラスは少し離れて座る香織に顔を向ける。
目と目が合い一瞬びくっとなるも、香織は自分を落ち着かせるように胸に手をやってから口を開いた。
「あ、あの、わたしはもう願い事なんてどうでもいいんです。ただとにかく、この代理戦争が無事に終わってくれればそれで……」
「でも七人の天使と契約した人間たちが殺し合って、最後の一人にならないと、この争いは終わらないですよね?」
「は、はい……だからわたしどうしたらいいか……」
力なく言うとうつむいてしまう。
「おいあんた、アクィバルとかいったっけ?」
発音しにくい名前だなと思いつつカラスは斜め前に立つアクィバルに視線をぶつける。
『ああ、そうだぜ』
「鈴木さんとの契約をなかったことにしてやれよ」
『それは出来ないな。契約できる人間は一人だけなんだ、だからその女との契約を解除したら、おれは神候補の座から自動的に降りることになっちまうんだよ。悪ぃな』
長い髪をいじりつつ返すアクィバル。
言葉とは裏腹にまったく悪びれるそぶりはない。
「それは本当なのか? リュカエル」
『本当じゃ。そういう決まりにして代理戦争を始めたからのう』
「そうか」
考え込むカラス。
と次の瞬間、
「だったらアクィバル、俺に賭けてみないか?」
カラスはおもむろに口にする。
『賭ける? どういうことだ?』
アクィバルは面倒くさそうに訊き返した。
「あんたがどういうつもりで鈴木さんを選んだのかわからないけど、こんなこと言ったら鈴木さんには申し訳ないが、鈴木さんは普通にやってもまず生き残れないぞ。非力そうな女性だし、性格も穏やかそうだし、本人にやる気がないんだからな、当然といえば当然だ。そして何よりも一番大きな理由は、選ばれた七人の中にこの俺がいるからだ」
『何が言いたい?』
カラスは香織に目を向け、
「その気になれば俺は鈴木さんを二秒で殺せる」
それから、
「だから鈴木さんがこの代理戦争を勝ち残れる可能性はゼロだ。だったらいっそ鈴木さんは諦めて、俺に乗り換えてみろって言ってるんだよ」
ベンチから立ち上がるとアクィバルと対峙する。
「俺なら絶対に最後まで勝ち残ってみせる。それでリュカエルが神になったら、あんたは神の右腕にでもしてもらえばいいだろ。このまま鈴木さんに賭けるよりよっぽどいいと思うぞ」
『……』
アクィバルは何も答えない。
真贋を見極めるかのごとく、ただカラスの目をじっと見据えるだけ。
「なあリュカエル、それくらいならいいだろ別に」
『わらわはよいぞ。アクィバルは天使の中では割と面白い奴じゃからのう。退屈せんで済みそうじゃ』
「ってわけだ。どうだ? アクィバル。鈴木さんとの契約は無しにして俺の案に乗ってみないか?」
そう言ってアクィバルに向き直るカラス。
『お前、大した自信だな』
「それなりに修羅場はくぐり抜けてるからな」
その言葉を聞いたアクィバルは視線を斜め上に向け、考える素振りを見せる。
実のところ、アクィバルは神の座にそれほど興味がない。
ではなぜ代理戦争に参加しているのか。
それはただ単に<退屈しないで済みそうだ>という理由からだった。
アクィバルは香織を一瞥してからカラスに視線を戻す。
そしてニヤリと口元を緩ませたかと思うと、
『……わかった。そうしてやってもいい』
小さくつぶやいた。
『だが、そこまで言ったからには絶対に勝ち残れよ。もし負けたらその時は、おれがお前をどんな手を使ってでも地獄に落としてやる。それでもいいか?』
「ああ、構わないさ」
自信あり気にそう返すカラスの胸に、アクィバルはこぶしをドンと打ちつけるのだった。
香織とアクィバルが手を重ね合わせた。
するとアクィバルの全身が光り、それと同時に香織の頭上にあった天使の輪がアクィバルへと移る。
そして直後、アクィバルはカラスたちの前から姿を消した。
アクィバルはまだそこに存在してはいるが、もうその場にいる全員にアクィバルの姿は視認できない。
天使の力を失っているリュカエルにも、天使の力を扱いきれないカラスにも、そしてただの人間となった香織にも、アクィバルは見えてはいない。
『おれはひと足先に天界に戻って、高みの見物としゃれこむか。まあ頑張れよ、カラス』
誰にも聞こえない声でささやくと、アクィバルは背中の翼をはためかせ、天へと昇っていった。
『アクィバルよ、まだおるのか? ……ふん、まあいいわい。あやつならおそらくもう天界に戻ったじゃろう。わらわたちも帰るとしようかの』
リュカエルの言葉を受け、カラスと香織は顔を見合わせつつ、それぞれ首肯した。
「ああ」
「はい」
「じゃあ、鈴木さん。俺たちはこれで失礼します。鈴木さんはもう心配ないと思うので、これまで通りの生活に戻ってください」
「は、はい、ありがとうございました。え、えっと、もしまた電車で会った時は、挨拶してもいいですか……?」
カラスの顔を見上げておそるおそる香織は訊ねる。
香織は人生で初めて、家族以外で自分を守ってくれた相手であるカラスのことが気になり始めていた。
そしてその気持ちを伝える精一杯の方法がそれだった。
だが、相手の感情を読み取ることに疎いカラスは香織の気持ちには一切気付かない。
なので、
「もちろんですよ。俺も鈴木さんと話すのは楽しいですから」
そう返すと、カラスは何も意図せずにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、また」
「は、はいっ!」
それを受け、香織は満面の笑みで返す。
『ではの、鈴木よ。達者でな』
「は、はい、リュカエルさんもお元気で」
◆ ◆ ◆
公園で香織と別れたカラスは自宅へと戻る。
その道すがら、リュカエルが不思議そうな表情を浮かべつつ、カラスに問いかけた。
『カラス。お主、殺し屋にしては、ちとお人好しが過ぎるのではないのか?』
「なんだよ。藪から棒に」
『お主がさっきの女の話を簡単に信じて、しかもそやつを守ってやる意味が分からんと言うておるのじゃ。それとも何か。お主はああいう地味で暗い女が好みなのか?』
意地悪そうな顔でカラスを見るリュカエル。
そんなリュカエルにカラスは「はぁ」とため息を一つ吐いてから、立ち止まってリュカエルに向き直る。
「さっきの鈴木さんとやらからは俺に対して敵意も悪意もまったく感じなかったんだ。だから信じてやった。俺は善人には幸せになる権利があると思っている。ただそれだけだ」
『ほう。お主、さっき会ったばかりなのに、あの女のことがわかるのか?』
「この稼業をしているせいか、俺は人の悪意には敏感なんだ」
それだけ言うと、話は終わりとばかりにカラスは再び歩き出した。




