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その38

「〝うず〟殿、すぐに処置を始める。しばらくの辛抱を」

 〝ひゅん〟が血まみれの〝うず〟のかたわらにヒザをついて、ヒスイに医療措置機材の準備を指示する。

 しかし〝うず〟がうめくように返す。

「もう遅いですわ。これだけ血が出たら……」

 さらに続ける。

「王女様誘拐騒動のどさくさで管理局から脱走して……〝ひゅん〟が霧の向こうへ向かったと……〝ぽの〟が〝なぎー〟から聞いて……追いかけて……〝ひゅん〟に協力することで恩を売って……王女様奪還の功績を横取りしようと……思ったのに……」

 げほと血を吐いて続ける。

「〝ひゅん〟に……嫌がらせをするのが……私の楽しみだったのに……まさか代わりに死ぬことになるなんて……でも、それが……恩を売ることよりもはるかに……〝ひゅん〟にとって一生引きずる……嫌がらせですわね……そうでしょう?」

 自嘲気味に口元をゆがめる〝うず〟の脳裏によぎるのは、管理局の執務室で〝ぽの〟といっしょに〝ひゅん〟への〝嫌がらせ実行案〟を検討している時の様子だった。


「これで決定ですわ。〝ひゅん〟を困らせてやるのですわ。けけけけけ」

 テンションの上がる〝うず〟を見る〝ぽの〟もまた楽しげな笑みを浮かべている。

「〝ぽの〟も楽しいのでしょう? 〝ひゅん〟の困った顔を想像して笑っているのでしょう? そうなのでしょう?」

「いいえ、違うのでございます」

「へ?」

 思わぬ言葉に問い返す。

「じゃあ、どうして笑っていますの?」

 〝ぽの〟はもじもじと答える。

「あまりにも……その……〝うず〟殿が楽しそうなので……あたしもつい」

 返ってきた意外な言葉に首を傾げる。

「楽しそう……ですの? 私が?」

「局長時代の〝うず〟殿はいつも無表情でため息をついておいででございました。それが〝ひゅん〟殿がこちらの世界に現れて、局長に就任されてからの〝うず〟殿は……〝ひゅん〟殿のことを考えている時の〝うず〟殿はいつも、とても楽しそうにしておいでです。それはまるで――」

 うれしそうに微笑む。

「――生きがいという水を得たお魚のごとしでございます」


 〝うず〟は考える。

 野良猫だった頃は毎日生きるのが精一杯で生きがいなどと考えたことがなかった。

 ずっとひとりだったその当時と比べれば飢えることも寒さに震えることもニンゲンや自動車に追われることもないこの世界は、まさしく天国だった。

 しかし、それはなんの刺激もない毎日でもあった。〝ひゅん〟が現れるまでは。

「生きがい……だったのかしらね……〝ひゅん〟の存在……そのものが……私の……」

 そのつぶやきはもう〝ひゅん〟には届かなかった。

 そして、息が途絶える。

 穏やかな表情を浮かべて。


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