その34
三人組に拉致された〝ひゅん〟を追って南校舎へ駆け込んだ凌順は眼の前に伸びる廊下を見渡す。
そこには誰の姿もなかった。
ただ、すぐ近くにある教室の扉が開いている。
警戒しながら覗き込んだそこは調理実習室。
何台もの調理台とシンクが並ぶ広い教室の中央に〝ひゅん〟と三人のロクデナシがいる。
三人組のだらしなく着崩した制服姿に、凌順と〝ひゅん〟は見覚えがあった。
特徴的なその着衣の乱れは確かに世界の境界から覗き見た〝れま〟たちの会議に参加していた三人だった。
〝ひゅん〟を抑え込んだその三人がにやにやと凌順を見ている。〝ひゅん〟になにをするでもなく、むしろ、なにもせずに凌順が近づいてくるのを待っているかのように。
凌順はその様子から罠であることを察するが、かといってこのまま見ていてもどうしようもないと調理実習室へ飛び込む。
同時に三人が〝ひゅん〟の周囲から離れて教室の奥へと逃げ出した。
「大丈夫――」
〝ひゅん〟のもとに着いた凌順が声を掛けたのと同時に――
ぽつ
――水滴が落ちてきた。
雨――なわけはない、結露水か?
凌順が天井を見上げる。
ぽつ……ぽつ……ぽつぽつ……ぽつぽつぽつぽつ。
次々と雨のように水滴が落ちてくる。それも凌順と〝ひゅん〟の周囲だけに。
「かかかかか傘っ。早くっ。大きいのっ」
初めて聞く〝ひゅん〟のうろたえた声によってヒスイが生成させた大きなビニールシートのような物が凌順と〝ひゅん〟の頭上を覆う。
そのビニールシートが雨を遮断する様子を見上げながら〝ひゅん〟が凌順の背中に震える身を寄せる。
猫人ではあっても猫の本能からは逃れられないのだろう――そんなことを考えながら凌順は降り注ぐ雨越しに教室の奥へと目を凝らす。
三人組が身動きの取れなくなった凌順と〝ひゅん〟を指さして笑っている。
雨脚は次第に強くなり、凌順が見上げる透明な大傘は所々に水をためたくぼみが生じ始めていた。
この雨が続けばいずれこの傘は破れる。
これがあの三人による攻撃ならば一刻も早く終わらせねばならない。
濡れた着衣の重さが想像以上に行動の自由を奪うことを、小学生の頃にふざけててプールに落ちたことのある凌順は知っている。
ここでそんな状態に陥ったら、それだけで圧倒的に不利なことは想像するまでもない。
雨滴越しににやにやと見ている不良三人組に衝撃波を放つ。
しかし――。
一瞬、三人組の表情が恐怖にゆがむがなにも起こらない。
凌順と三人が同時に気付く。放った衝撃波は途中の雨に遮られて届かないことに。
唇をかむ凌順。
手を叩いて笑い転げる不良三人組。
不意に凌順の背中に激痛が走った。
振り返るとパニック状態で瞳孔の開いた〝ひゅん〟が身体を震わせながら凌順の背に爪を立てていた。
それはもはや凌順の知る〝ひゅん〟ではなかった。
「落ち着い――」
声を掛けたところで〝ひゅん〟の胸元からスマホの着信音が漏れる。
しかし〝ひゅん〟はそれすら聞こえていない。
いつもの凌順なら他人のスマホなどなんの関心もなかった。
しかし、今の凌順も〝ひゅん〟と同様に追い詰められた状況にあった。無意識に頼りにしていた相棒の〝ひゅん〟が混乱状態にあり、唯一の武器である衝撃波も通用しないという状況に。
そんな追い詰められた状態が凌順にスマホをとらせた。
「失礼」
凌順が〝ひゅん〟にひと声かけてキャットスーツの胸元から取り出したスマホの発信者表示は〝未登録〟。
耳に当てるが〝がりがり〟というノイズしか聞こえず、すぐに切れた。
「誰だよ、こんな時に」
見下ろすスマホが今度はメールの着信を知らせる。
表示されたのは――
つうわはできないらしい
じょうきょうは?
考える余裕もない凌順が条件反射的に返信する。
水責め
ひゅんがぱにっく
少しの間を置いて着信。
とめてみる
「どうやってだよ」
相手がわからないまま思わずスマホに突っ込む凌順だが、直後から雨脚は弱まり一分を経ずして完全に雨が止んだ。
「???」
戸惑う凌順だがそれ以上に不良三人組が慌てる。
並んでいるシンクの水栓を片っ端から開けて回るが、数滴の水がぽたぽたとこぼれ出ただけだった。
「やべえ」
「反撃されるんじゃね」
「先に殺せばいいっしょ」
三人は調理実習室に隣接する準備室から各種の包丁やキッチンバサミ、ナイフ、フォークを持ち出し、凌順目掛けて投げつける。
凌順が右腕だけで放った衝撃波が飛来するそれらごと三人を吹っ飛ばす。
壁で頭を打った三人はそのまま動かなくなった。
そこへメールが届く。
とまった?
凌順が返信する。
とまった
なぜ
帰ってきたメールには――。
そとの
もとせん
とじた
「だ……誰から?」
雨がやんだことで正気に返った〝ひゅん〟が覗き込む。
「わからない。でも水を止めてくれた」
言いながらスマホを返す。
そして、改めて動かなくなった三人組に目をやる。
「これまでで最も大掛かりな攻撃だったが、水源の近く限定だったんだな。だから調理実習室へ誘導したと」
つぶやく凌順のとなりでスマホを操作する〝ひゅん〟がため息混じりでつぶやく。
「発信者はわからない。おそらくちゃんとしたスマホじゃなくて簡易式の携帯通信端末からっぽい」
〝ひゅん〟が返信してみる。
誰?
少しの間を待ってみるが応答はない。
「どうする? 待つか」
凌順に問い掛けられた〝ひゅん〟が――
「行こう」
――即答して補足する。
「すでにロクデナシたちはこっちが潜入したことを知っている。となると時間をかけない方がいい気がする。元栓を閉めたのは強力な援軍なのかもしれないが……。ただ、素性がわからないのが……」
「確かにどこまで信用していいのかってことだよな」
いつ来るのかわからない、それどころか来るのかどうかすらわからない返信をここで待ち続けることは賢い選択ではないだろう。
なによりもここは敵地なのである。
同じ場所に長時間い続けることは得策ではない。
それでなくても計画していたはずのステルス・ミッションは早々に破綻し、避けたかった正面決戦になってしまっているのだ。
防火扉を閉じてから時間が経ってはいるものの、いつ北校舎にいる無数のロクデナシが南校舎へ押しかけてきてもおかしくないのだ。
「よし、行こう」
歩き出した凌順だが調理実習室を出たところで〝ひゅん〟がついてきてないことに気付いて振り返る。
〝ひゅん〟は調理実習室の真ん中で困った表情を浮かべて凌順を見ていた。
その理由をすぐに悟った凌順は〝ひゅん〟のもとへ戻ると背中を向ける。
そして、姿勢を落とし一声かける。
「……すまないね、気が利かなくて」
そして、いつになくしおらしい表情の〝ひゅん〟を背負って調理実習室を出る。足元をぱしゃぱしゃと濡らしながら。




