その32
階段を伝って三階へ降りる。
そして、立ち止まる。
すでに三階の廊下にはロクデナシ群が待ち構えていた。
その中央にいるのは体育会系の〝はるの〟。
前に見た時より一回り大きいのは世界の境界から白うさぎのスクリーンで覗いた時に〝れま〟が言っていた強化施術によるものだろう。
さらに前と違っているのはマスクを外し、大きな花の髪飾りを挿していること。
体型とは違うこの変化が強化施術によるものか否かは凌順にはわからない。
そんな〝はるのver.2〟の背後に控えているロクデナシの群れに凌順はうんざりする。
王宮に取り残されていたロクデナシをプールへ落とすことで注意を逸らせるかもしれない――そんな期待はあっさり裏切られたようだった。
「ていうか最初から効果は期待できなかったか」
思わずつぶやく。
これまで凌順が見てきたロクデナシが互いを労ったり心配したりという感情を見せたことは一度もなかった。
当然、仲間を空中へ放りだしたところで痛くも痒くもないどころか、関心すらないのだろう。それでこそロクデナシという名にふさわしいとも言えるのだが。
しかし――凌順は違和感を覚える。
この場に集まっているロクデナシ群は〝はるの〟を含めて誰ひとりとして動かない。
なぜ?
侵入者の凌順と〝ひゅん〟に飛びかかるでもなく距離を詰めるでもなく、ロクデナシ標準装備の毒言葉すら吐こうとしない。
ただ、じっと凌順と〝ひゅん〟を――ではなく、凌順だけを見ている。
一方の凌順もまた通用口を前にした時と同様の、いや、体格が増したことでそれ以上となった〝はるの〟の威圧感に自分が縛られているような感覚に陥って動くことができない。
とはいえ、このまま立ち止まっているわけにもいかないと凌順は衝撃波を放つべく身構える。
その時〝はるの〟がたどたどしく口を開いた。
「な……なにか違いに気付かないか」
よく見ればその顔は不自然なまでに赤い。
これも強化施術の副作用かと凌順は警戒しながら、見たままを答える。
「マスクやめたんだな。あと髪飾りか」
身体が大きくなったというのはさすがにロクデナシとはいえ女子相手に言っていいものかわからず、ひとまず保留する。
〝マスクと髪飾り以外にないか〟と聞かれたら答えよう。
そんな凌順の答えに反応したのは意外にも〝はるの〟ではなく〝はるの〟の背後に控えている多くのロクデナシ群だった。
それは言葉ではなく〝ひゅー〟とか〝きゃー〟とかの嘆声かため息のような。
そして、気付く。
ロクデナシ群の発しているのが〝殺気〟ではなく〝好奇心〟であることに。
〝はるの〟がさらに顔面を紅潮させる。
「そ、そ、そういうのって……嫌いか?」
その言葉に周囲からの〝ひゅー〟と〝きゃー〟が大きくなる。
なにが言いたいんだ? なにがしたいんだ? この周囲の反応はなんなんだ?――戸惑う凌順の背後から〝ひゅん〟がささやく。
「〝はるの〟の脈拍と体温が異常なくらい上昇している」
手首の情報端末には芽衣のタブレットからのコピーデーターだけでなく〝なぎー〟が開発した生体データー収集装置の簡易版もインストールしているらしい。
その時、焦れたような声がロクデナシ群から飛んできた。
「おい、おっさん。なんとか言えよ」
「女の子に言わせる気かよ」
「察しが悪ぃな。何年生きてんだよ。童貞かあ?」
「リードしろよ」
「そーだよ、乙女が勇気振り絞ってんだからよ」
「応えてやれよ」
投げられた言葉に合わせて全身を襲う痛みと不快感に、それが自分への罵倒であると察した凌順の前で〝はるの〟の顔がますます赤くなっていく。
背後から〝ひゅん〟がささやく。
「〝はるの〟の脈拍と体温がさらに上昇。発汗も……。もしかしてこれは、いや、あの髪飾りは――凌順に対する求愛行動、か?」
「は?」
予想外の言葉にぽかんとする凌順だが、すぐに吹き出す。
笑わせるぜ、僕を誰だと思ってんだ、そんな甘言に弄されるようなキモジュン様じゃないぜ、とっとと終わらせてやるぜ、この茶番をな。
そして、思い出す。最初にこの校舎を脱出して霧の中に入った時、芽依に言われたことを。
あの時のひとことがきっかけだったのかもしれないが、凌順にそんなつもりは毛頭なかったことは言うまでもない。
凌順が〝はるの〟に向き直り、そして告げる。
「ああ、好きだ。大好きだ」
周囲のロクデナシ群から上がる声が一気に歓声を越えて絶叫に近くなる。
その隙間を縫って〝ひゅん〟が告げる。
「さらに脈拍と体温が上昇」
しかし、凌順はぶれない、動じない。
「でもな。〝はるの〟」
その一声にロクデナシ群がさらに興奮する。
「聞いた? 聞いた?」
「〝はるの〟だって。〝はるの〟」
「呼び捨てだ、呼び捨て」
「しー。静かに」
一転して静まり返るロクデナシの群れ。
その場の全員が固唾をのんで凌順の言葉に聞き耳を立てている。決定的なセリフを聞き漏らすまいと。
同時に〝ひゅん〟が監視している〝はるの〟のパラメーターがさらに上がる。
そんな静かな興奮の渦の中心で凌順が続ける。
「僕は弱い者に暴力を振るって笑ういじめっ子が大・嫌・い――なんだよ」
〝それが、オマエだっ〟とばかりにびしいと〝はるの〟を指さす。
〝はるの〟の顔色が一気に赤から白に変わった。
「血圧急落」
〝ひゅん〟がささやいたのと同時に〝はるの〟が――
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
――絶叫する。
来るかっ――身構える凌順。
しかし〝はるの〟が向かった先は廊下の片面に並ぶ窓ガラス。
そのまま、全身で窓ガラスを突き破って外へと身を投げた。
凌順は予想外の行動に慌てて割れた窓に駆け寄り、見下ろす。
眼下には三階の窓から落下した〝はるの〟の姿。
アスファルトに打ち付けた衝撃で割れた頭から脳細胞と血漿を飛散させ、四肢を不自然な方向に捻じ曲げたその姿とパラメーターを見比べた〝ひゅん〟が――
「死亡を確認」
――冷徹につぶやく。
自分はまちがってない、自分はまちがってない、自分はまちがってない、自分はまちがってない――凌順は頭の中で繰り返して自分に言い聞かせる。気を抜くと覆いかぶさってくるような後味の悪さから目を逸らすように。
そんな凌順の耳にひそひそと声が聞こえる。
「あんな振り方ある?」
「ひっど」
「あのおっさんて何様?」
周囲のロクデナシが放つ、凌順への非難の声だった。
凌順が廊下を振り返る。
さっきまで興奮状態にあったロクデナシ群が一転して凌順に非難の目と言葉を向けていた。
その言葉がひとつ耳に届くたびに凌順はちくちくと心を刺す感覚に気付く。
さらにその感覚は次第に強まり、心を引き裂こうとするはっきりとした痛みに変わる。
ここにいるのは女子高生ではなくロクデナシ――いじめられていた塚口聖依のイメージが実体化した存在。
その口から吐き出される非難の言葉はすべて悪意という刃であり銃弾であり毒なのである。
次第に増えてくるひそひそぼそぼそに比例して強くなってくる心の痛みに〝このままではやばい〟と衝撃波を放つ。
その一撃を受けたロクデナシの一画が廊下を吹っ飛ぶ。
しかし、ロクデナシの罵倒はひるまない。
逆に凌順の衝撃波に対する言葉が加わり勢いを増す。
「うあ、非難されて逆ギレですかあ」
「とんでもねえクソ野郎だな」
「〝はるの〟じゃなくて、このおっさんこそ死ぬべきなのにさあ」
その言葉がさらに凌順の精神を切り刻む。
こうなったら片っ端から衝撃波を撃ち込むしかない――凌順が覚悟を決める。
しかし、不意に凌順へ雨のように降り注いでいた罵倒が止んだ。
「……?」
自分たちを取り囲んでいたロクデナシたちの一部はそれぞれの教室へ消え、残った者は廊下で立ち話に興じ――誰ひとりとして凌順と〝ひゅん〟を見ていない、関心を払っていない、まるで凌順と〝ひゅん〟がその場に存在しないかのように。
理由はわからないが……助かった?
しかし、凌順はすぐに違和感に気付く。
身体に力が入らない。
ロクデナシからの罵倒を受け続けた後遺症かと背後の〝ひゅん〟を見る。
〝ひゅん〟も凌順と同様らしく、貧血状態のように壁にもたれかかっている。
そんな〝ひゅん〟の様子から、凌順の身体に力が入らないのはロクデナシによる罵詈雑言を受けたことによるダメージではないことを悟る。言葉の攻撃を受けていたのは凌順だけで〝ひゅん〟は受けていなかったのだから。
わからないわからないわからない――なにが起きているのかわからない。
確かなことは、新たな攻撃を受けていること。
周囲のロクデナシは誰ひとりとして凌順も〝ひゅん〟も見ていないのに?
攻撃者がどこかに隠れているのか?
あるいは遠隔攻撃なのか?
いずれにしても、これが未知のロクデナシによる攻撃なのはまちがいない。
凌順は混乱する頭を落ち着けようとあえて叫ぶ。
「なにが起きているんだっ」
しかし、その声にも廊下でたむろしているロクデナシ群は反応しない。それぞれが日常会話に集中しているかのように。
そんな中でひとりだけ答える者がいた。
「それはね。オマエの存在自体がキャンセルされかかってるからさ」
半開きになっている教室の引き戸からゆっくりと姿を現すそれは、派手な見た目のロクデナシだった。
現実にいたら引くような髪色とほとんど素顔が読めないメイクとごちゃごちゃと飾り立てた改造制服、そして、スカートの下から伸びる足を包んでいるカラータイツ――凌順はこのロクデナシを知っている。
世界の境界から見た白うさぎのスクリーンに〝あいり〟といっしょに映っていたロクデナシのひとりだった。
〝ひゅん〟があえぎながら投影させたデーターを見ながら凌順へささやく。
「あれが……〝ひまり〟」
凌順は思い出す。それが鳥人間の挙げていた〝最強のロクデナシ〟の名だということを。
その〝ひまり〟がにやにやと告げる。
「不思議に思ったはずだ。これだけ周囲に人がいるのに誰も自分を見てない、にもかかわらずダメージを受けている。逆なんだよ。周囲に人がいるからこそ、そいつらから認識されないってのが私がオマエらに与えるダメージの正体なのさ」
意味がわからず戸惑う凌順へ〝ひまり〟が続ける。
「周囲にこれだけの目があるのに誰ひとりとしてオマエたちを見ていない。つまり、それはこの場の全員がオマエたちの存在を認めていないということ。その現実に侵食されることでオマエたちの存在が本当に消えていく。どうだ? 怖いだろ?」
凌順は〝ひゅん〟の手を引いてとなりの校舎へと続く渡り廊下へと走り出す。
しかし、もどかしいほど身体が動かない。
焦る凌順の背後から〝ひまり〟が楽しげに告げる。
「最初は肉体からだ。目に見えるものであるがゆえにその存在は周囲の五感認識に拠る。オマエの身体なのに違和感があるだろ? 自分の身体じゃないみたいだろ? それは身体の存在が薄くなってきているからだ。そして、次はオマエの心、精神、魂。それらまでも、誰も気にしない、目に留めない、存在を認めないという現実に侵食されて消滅していくのさ」




