その30
瞬く間に完遂された王女拉致作戦に凌順は言葉もなく、暗転したテレビ画面を睨み付ける。
そこへ〝ひゅん〟がささやく。
「とにかく今から取り返しに行くよ。私がね」
「私がって……ひとりでか」
驚いた目線を向ける凌順に答える。
「私しかいないんだよ。出自が野良だと前にも言った通りニンゲンに対して恐怖心を持っている。一方の飼い猫は恐怖心を持っていないが逆に甘えや親しみ、あるいは懐かしさを覚えがちだ。そんな連中が大勢でロクデナシの巣へ突撃しても意味はない」
「そんなことはないだろ。全員がちゃんと〝かれん〟に立ち向かってたじゃないか」
〝れま〟を謁見室のカーテンから引きずり出した灰猫人をはじめとして、拉致作戦の前に立ちはだかった多くの猫人がいる。
彼らはみな転送ゲートから溢れ出てくるロクデナシの群れに対して臆することなく〝かれん〟に対しても果敢に掴みかかっていったではないか。
「……気付いてないんだな」
「? なにを」
「王女様を守るために集まった連中は確かに〝かれん〟を始めとするロクデナシどもに立ち向かっていった。ただ、その中でひとりとして牙も爪も立てなかったということをだよ」
「そ……」
気付いてなかった凌順は黙るしかない。
「もちろん相手はロクデナシであってニンゲンじゃない。それはみんな理解している。それでもあの姿と対峙すれば嫌でもかつての飼い主を、かつての生活に感覚が引き戻されるんだ。それが飼い猫の限界ということだ。それに……最後に鳥人間が言ってた言葉が気になる」
それは凌順も気にかかっていた。
「今回は雑魚しか来てないってやつか」
「そうだ」
〝ひゅん〟が頷いて続ける。
「おそらく巣には数だけでなく能力的にも未知のロクデナシがいるんだろう。そんなところへいかに武闘派とはいえ、武器も持てないうえニンゲンに対して思慕の情が先走って爪を立てることすらできない猫人が大量に押しかけて総力戦を仕掛けて勝てるとは思えない。互いの戦力が拮抗している状態ならその兵数に意味はあるだろうけどな」
「だからって〝ひゅん〟局長だけで行っても意味ないだろ。それに――」
〝ひゅん〟が即座に返す。
「単身ならまだ可能性はある」
「は?」
総力戦より単身の方が可能性がある?――その意味がわからず眉をひそめる凌順に〝ひゅん〟が答える。
「裏からこっそり侵入して王女様と芽衣様を奪還する。いわゆるステルス・ミッションっていうやつだ。正面から殴り合うわけじゃないから攻撃力の差が持つ絶望感は関係ない」
「それはそうだろうけど……」
そして、さっき〝ひゅん〟に遮られて言えなかった続きを口にする。
「そもそも〝ひゅん〟局長だって飼い猫だろ? 飼い猫がニンゲンに手を出せないっていうのなら〝ひゅん〟局長だって同じことじゃないのか? それとも〝ひゅん〟局長はニンゲンに爪や牙を立てられるのか?」
その言葉に〝ひゅん〟は自嘲するような表情で。
「確かに私は飼い猫だった。他の飼い猫と同様にニンゲンと対峙すれば爪も牙も立てられないだろう。だからこそのステルス・ミッションでもある。さっきも言った通り戦闘力は関係ない」
凌順も退かない。
「それでも戦闘になる可能性はゼロじゃない。万一戦闘になった時を考えれば灰猫人みたいに〝ひゅん〟より戦闘力のありそうなのが行くべきじゃないのか」
いつのまにかかまくしたてるような口調になっている凌順に〝ひゅん〟はため息をひとつついて――
「……あまりこういうことは言いたくなかったが」
――手首に装着していた、凌順が初めて見るごてごてとした腕時計のような機械を操作する。
空間投影された長い文字列や様々な図面、そして、写真がぞろぞろとスクロールしていく。
それを見ながら〝ひゅん〟が続ける。
「凌順を迎えに行く前、芽衣様に霧の向こうについて聞いている間に芽衣様のタブレットからこの世界に関する情報をコピーしてもらってた。これを理解できるだけの頭脳を持ってるのはこの世界には持ち主である芽衣様と王女様を除けば〝らる〟様と私しかいない」
続けてひとりごちる。
「私たちにとって霧の向こうはずっと未知の領域だった。知っている唯一の存在だった王女様が語りたがらなかったから。いずれはなんらかの形で役に立つだろうと芽衣様に情報を譲ってもらったんだが……。こんな早く出番が来るとは」
そして、スクロールする情報の表示を終了させて凌順を見る。
「芽衣様からコピーさせてもらったデーターが霧の向こうでの奪還作戦において重要な意味を持つことはいうまでもない。でも〝らる〟様にはさらわれた王女様の代行としてここに残ってもらわねばならない。だから私しかいないんだよ。この役目を果たせるのが」
凌順はようやく〝ひゅん〟の意図を理解する。
確かに、ニンゲンと同じ容姿を持つロクデナシの集団に恐怖心を煽られることのない飼い猫出自で、さらに芽衣から譲られたデーターを活用することが王女と芽衣の奪還作戦を優位に進める必須条件である以上は〝ひゅん〟が行くしかない。
霧の向こうで王女様と芽衣を奪還できる猫人は〝ひゅん〟しかいなかったのだ。
理解したうえで、まだ心配そうな目を向ける凌順に〝ひゅん〟が笑う。
「私は猫だ。侵入こそ本領だ。心配するな」
理解はしても納得はしてない凌順が即座に返す。
「いや、するだろ」
「……」
それが予想外の言葉だったように〝ひゅん〟が黙り込む。
凌順が続ける。
「侵入してそっからどうするんだよ。どうやって王女様と芽衣ちゃんを取り返すんだよ」
〝ひゅん〟はポケットから小さな結晶を取り出す。
「〝らる〟様から預かった」
凌順は〝ひゅん〟の手の上でぱちぱちと光を弾けさせている結晶に目を凝らす。
「これは……なんだ?」
「蘇霊剤という。王女様に投与することで――」
少しためらって続ける。
「――王女様が覚醒し……ヘタしたら暴走する。だから〝らる〟様も王女様が誘拐されるまでは使うことを考えなかったらしい。小さく、弱く、消えかけてた時ですら時間をかけてロクデナシからのトラウマを中和すれば、いずれ元の王女様に戻るだろうと考えていたから。しかし、そんなことを言ってられる状況じゃなくなった」
「それを捕まった王女様に届ければなんとかなると」
「もちろん、どうなるかはやってみなければわからない。しかし、他に方法がない。霧を克服したロクデナシがこの先、猫街の乗っ取りに出るかもしれない。そうなると多くの猫人たちが死ぬことになる。蘇霊剤に賭けるしかない」
そして、結晶をポケットに戻して凌順を見る。
「ということで、凌順はここまでだ」
ここまで? なにが?――凌順が問い返そうとするより早く〝ひゅん〟が促す。
「もう忘れたのか? 世界の境界から戻ってきた時にも言っただろ。凌順にとって元の世界への帰り道――王女様が作った魔法陣の修復は完了している」
凌順が即答する。
「じゃあ帰らせてもらうわ――王女様と芽衣ちゃんを奪還してからな」
「あ?」
「……僕も行くよ」
この言葉に最も驚いたのは帰ることを勧めた〝ひゅん〟でもなければ、ふたりのやりとりをおろおろと聞いている〝なぎー〟でもなく――凌順自身だった。
凌順は駐車場で芽衣の魔法陣に巻き込まれて以降、ずっと自分が帰ることだけを考えてきた。
ロクデナシに追い回された時も、学校を脱出した時も、霧の外に出た時も。
管理局で保護されてひゅんに自身の出自を訴えた時も、芽衣といっしょに王女様との謁見に臨んだ時も。
そして、一旦は王女の魔法陣でこの世界を離れながら、世界の境界から先へ進めなくなった時も。
常に帰ることを考えて、帰ることにつながることだけを期待して行動してきたのだ。
確かに世界の境界から戻ってきた時には、魔法陣の修復完了間近の中庭へ行かずに芽衣と一緒に王女を守ることを選んだ。
あの時は魔法陣の修復が終わってなかったということと芽衣に対する負い目があった。
今は?
今は魔法陣の修復は終わっているものの芽衣に対する負い目は解消されていない。
それどころか、早々に気絶させられて王女を守ることもできず芽衣本人までもさらわれてしまったことで、芽衣への負い目はむしろ増大している。
こんな状態で帰っていいのか?
王女と芽衣をさらわれたまま、さらにひとりで奪還に向かう〝ひゅん〟を見送ったまま、自分ひとりだけ帰っていいのか?
これまでの人生で取り組んできたこと、立ち向かってきたことを思い出す。
それらの結果は成功したことより失敗したことの方が多かった気がする。
実際にそうだったのか、そういうことばかり憶えているだけなのか、それはわからない。
はっきりしているのはそんな人生があってこそ、諦観に支配される生き方にいつしかなっていたということだった。
どうせ失敗する、どうせ成功するわけない――そんな声が頭の中をぐるぐると回る。
声の主は同級生、教師、両親、そして、凌順自身。
だから、ここで凌順が残ったところでそれが良い結果になるとは凌順自身も思っていない。
それでも……それでも、ここで帰ろうとは思わなかった。
実際に失敗するかどうかはわからないけれど……それでもやはり失敗するんだろうな――そんなことを思う。
だからといって――。
それでも、なにもせずにこの世界をあとにしていいのか?
失敗するであろうことを理由になにもしなくていいのか?
〝ひゅん〟単独によるステルス・ミッションは成功するかもしれない。
しかし、失敗するかもしれない。
失敗した場合、五号棟で長女に続いて次女まで失った塚口家と顔を合わせることに耐えられるのか?
この先の生涯において、なにもせずに戻ってきた後悔に耐え続ける覚悟はあるか?
そんな感情が、帰ることを二の次にして〝ひゅん〟の奪還作戦に同行することを口走らせたのだ。
そんなことを考える凌順に〝ひゅん〟が改めて帰還を促す。
「凌順はこの世界とは関係ないだろ? これ以上はかかわらなくていい」
しかし、凌順の口は無意識のうちに結論を吐いてみせる。
そして、その言葉が凌順の中に残っていたわずかな迷いを粉砕する。
「関係ないからっていじめっ子どもの巣に乗り込もうとする猫を放っておけるかよ。こう見えても僕は猫派なんだぜ」
「それはわかってる。猫の嗅覚をなめるな」
一転して柔らかい表情で〝ひゅん〟が返す。
「あと私の飼い主にも似てたしな」
不意に出てきた予想外の言葉に思わず続ける。
「〝ひゅん〟局長の飼い主ってどんな――」
しかし、言いかけて思いとどまる。
この世界にいるということはろくな別れ方をしてないことは考えるまでもない。
ましてや生来の野良ではなく元飼い猫となれば、飼い主との別離を経験しているはずなのだ。
様々な事情があるだろうが、いい経験なわけがないことは凌順にもわかる。
慌てて続ける。
「――いや、なんでもない」
しかし〝ひゅん〟はちらりと〝なぎー〟を見て答える。
「ひとり暮らしの技術者だったよ。休日には日当たりのいいリビングでよく一緒にうたた寝したもんだ。そんな飼い主が初めて帰ってこない夜があった。朝になっても帰ってこなかった。そして、昼過ぎに数人の人間が訪れた。それが飼い主の家族だということはすぐにわかった。そして、次々と搬出される家財道具に飼い主は二度とここには帰ってこないこともね。飼い主は遠い所へ行ってしまったんだ。今思えば交通事故だったのかもしれない。その部屋を出て、飼い主の痕跡を探して雨が降る夜の街を彷徨っているうちに……気が付くとこっちの世界にいた」
そして、黙って聞いている〝なぎー〟にポケットから取り出したピンポン玉ほどの球体を差し出す。
「〝なぎー〟。これを」
「これは……伝達球ですか」
渡された球体に目を凝らす〝なぎー〟に〝ひゅん〟が優しい口調で答える。
「そこに私がこれまでやってきたこと、今やっていること、これからやろうとしていることが入ってる。留守を頼む」
〝なぎー〟が弾かれたように手の上の球体から〝ひゅん〟へと目線を戻す。
「……帰ってきますよね」
〝ひゅん〟がその目を逸らす。
「当然だ。なぜそんなことを聞く」
「留守を預かるだけなら〝これからやろうとしていること〟は、いらないんじゃないですか。あと、今まで一度も聞かされたことのなかったプライベートの話をされたのは、なにか思うことがあるんじゃないですか」
一息で問い掛ける〝なぎー〟の声が震えている。
〝ひゅん〟が〝なぎー〟を正面から見る。
「これからやろうとしていることについてはいずれ〝なぎー〟に後任を頼むつもりだった。いい機会だからついでに知っておけばいいと思った。プライベートについては……ただの気まぐれだ」
「本当ですか」
「ポリグラフを使ってみるか?」
「……いえ。わかりました。お気をつけて」
そう言って〝なぎー〟は球体を握りしめた。
「ああ。ありがとう」
〝ひゅん〟は〝なぎー〟の肩をぽんと叩くと、自身が首から下げたヒスイに何事かささやく。
〝ひゅん〟の首から下が光に覆われ、光が粒となって拡散し、そして、集束する。
〝ひゅん〟の着衣がスーツから潜入活動に合わせたキャットスーツに変わっていた。
そして、凌順を見る。
それ以上はなにも言わなかった。
それ以上はなにも言う必要がなかった。
凌順はあえてオーバーアクションでベッドから飛び降りると両腕を振り回し、上体をひねる。自身の肉体感覚を確かめるように。そして、気合の充足を〝ひゅん〟と〝なぎー〟へ伝えるように。
そして、ぱんと自身の両頬を両手で叩いて〝ひゅん〟に声を掛ける。
「よしっ、行こうっ」
「ああ。行こう」
頷いた〝ひゅん〟のヒスイが輝いて、転送ゲートが現れた。




