その15
〝副局長室〟と掲示されたひとり用の執務室に入った〝うず〟はヒスイに声を掛けて〝光の扉〟を出現させた。
行きたい場所へ瞬時に移動できる転送ゲートである。
「〝ひゅん〟局長が落とし穴に落ちた謎生物を確保したようでございます」
〝うず〟は助手であるぶち模様の猫人〝ぽの〟からそんな話を聞いた。
「謎生物? それは一体どんな生物ですの?」
問い掛ける〝うず〟へ〝ぽの〟がおどおどと答える。
「それがよくわからないのでございます。局長の指示で医務室へ搬入されたとか」
そこへ、誘導塔からの信号を受信したアラームが鳴る。
〝うず〟がポケットから取り出したスマホに表示された信号内容はなにかが罠にかかったことを告げている。
「〝ぽの〟、あなたは先に誘導塔へ行って罠の様子を確認してくるのですわ。私は〝ひゅん〟の確保したというその謎生物を見てから行きますわ」
その〝ぽの〟から連絡があったのは、通路で謎生物を帯同する〝ひゅん〟を元飼い猫と非難した直後のことだった。
〝ぽの〟によれば罠にかかっているのはロクデナシのようだった。
かつて王女様が霧で隔離した一画にのみ存在するというロクデナシが霧の外で罠にかかった――それはこの世界においては重大な出来事だった。
とにかくその真偽を確かめねばならない。
〝うず〟が光の扉――転送ゲートをくぐって眩い光を放つ誘導塔の基部に出た。
「うず殿、こちらでございます」
〝うず〟が扉から出たのと同時に、待っていた〝ぽの〟が声を掛ける。
〝ぽの〟の先導で誘導塔を回り込むと直径二メートルほどの罠泡が浮いていた。
泡の中に捕らわれている人影を指さしながら〝ぽの〟が言う。
「これはロクデナシなのではないでしょうか」
〝うず〟も〝ぽの〟も知る由はなかった。罠泡に捕らわれているのが凌順と芽衣を追ってきたロクデナシの〝れま〟だということを。
〝れま〟は泡を破ろうと泡面めがけて突進を繰り返すが、ゴムのような泡壁に跳ね返されて泡の中を転がる。
しかし、すぐに立ち上がって泡面へと突進するが、また跳ね返される。
それをひたすら繰り返している。
その様子に〝うず〟がつぶやく。
「さっきからずっと同じ行動ですわね」
この世界で初めて猫人以外の生物を見た〝ぽの〟が、それゆえに落ち着きなく答える。
「はい。あたしが来た時もですから、あたしが来る前からずっと同じことをくりかえしているようでございます」
「つまり、こいつは……バカ?」
〝うず〟が呆れたようにつぶやいて周囲を見渡す。
「他には?」
「いえ。他の罠泡も確認しましたが、かかっているのはこれだけでございます」
その間も〝れま〟は泡面を破ろうと突進と転倒を繰り返している。
〝うず〟が泡面に顔を寄せる。
泡面越しに目があった〝れま〟の動きが止まった。
あえて聞こえるように〝うず〟がつぶやく。
「言葉は通じるのかしら」
対する〝れま〟が返した言葉は――。
「とっとと出すし、こっから出すし。ばーかばーか」
〝うず〟がため息混じりにつぶやく。
「通じるようですわね。そして、やっぱりバカのようですわね」
〝ぽの〟は相変わらずおろおろと。
「やはりロクデナシが霧を越えて現れたのでしょうか」
「ニンゲンの可能性もありますわ」
〝うず〟の脳裏に〝誘導塔にニンゲンが現れたような情報はありませんか?〟という〝ひゅん〟の言葉がよぎる。
凌順の存在こそ耳に入っているものの、あくまでも謎生物としてであってニンゲンであることを知らない〝ぽの〟が息を飲む。
「ニ、ニンゲンっ? いや、でも、この世界には存在しないはずなのではありませんか」
ロクデナシとニンゲンは、どちらもこの世界における目撃例はない。
それでも、世界の一画に王女様が隔離した存在であるロクデナシと、そもそもこの世界に存在しないニンゲンとでは、ニンゲンの方がより珍しい――というより〝ありえない存在〟であることは言うまでもない。
〝うず〟はヒスイに声を掛けて毒素検出カードを出現させると〝ひゅん〟が凌順に対してやったのと同様に泡面越しの〝れま〟へ掲げて語りかける。
「オマエはバカなんでしょう?」
〝れま〟が噛みつくように返す。
「だ、だれがバカだし。そっちこそ化け猫だし。バカ言う方がバカだし。ばーか」
カードが赤く染まって警告音を鳴らした。
その表面に現れた数字を見て〝うず〟が頷く。
「吐く言葉に毒素を含んでいますわ。ということはこいつはロクデナシですわ」
「ということは、ロクデナシを捕らえた功績によって〝うず〟殿が局長へ返り咲けるのではないでしょうかっ」
興奮気味な〝ぽの〟とは対象的に〝うず〟は淡々と。
「残念ながら〝ひゅん〟がすでにロクデナシどころかニンゲンを捕獲しているのですわ。なのでこいつを標本にしたところで返り咲きは難しいのですわ」
「〝ひゅん〟局長が確保したあれがでございますか」
〝うず〟は忌々しげな表情を浮かべて頷きながらポケットの中でスマホを握りしめる。
その中には通路で隠し撮りした凌順の画像が収まっていた。
もっとも、撮影した事自体に意味も目的もなかった。ただ撮っておけばなにかの役に立つかもしれないと思っただけで。
改めて罠泡を覗き込み、泡面越しの〝れま〟を見る。
「あなたを解放してさしあげますわ」
ヒスイによって泡の中に転送ゲートを現出させる。
それを本能的に罠泡から出る扉と察した〝れま〟が飛びついて開こうとするが開かない。
それでもがたがたを扉を鳴らす〝れま〟に〝うず〟が告げる。
「まだ話は終わってませんわ。その扉の向こうはある建物になってますの。その建物から外へ出ることができればあなたは自由ですわ。そして、あなたの欲しいものをなんでもさしあげますわ。よろしくって?」
〝れま〟が〝うず〟を見る。
「欲しいもの?」
目をギラつかせる〝れま〟の表情に〝うず〟は改めて〝こいつは賢くはないな〟と思う。
今の自分が捕らわれている立場であり、捕らえている側からのぞみを叶えると言われて信じるようなのが利口なわけはない。こいつは、なにがあろうと、どんな状況下であろうと自分の欲望に忠実なだけの知性に欠く存在に過ぎない――そんなことを思いながら続ける。
「そうですわ。なんなら今ここで試してみてもよろしくてよ。なにがお望み?」
「マリトッツォが食べたいし」
「マ……?」
〝うず〟が〝ぽの〟を見る。
〝ぽの〟も首を傾げる。
「わからないでございます」
「食べたいってことは……食べ物のようですわね」
言いながら首から下げたヒスイを泡面越しの〝れま〟に掲げて見せる。
「そのマリなんとかとやらを思い浮かべてみるがいいのですわ」
〝れま〟がヒスイに視線を集中させると、泡の中に大量のマリトッツォが現れた。
「まじかっ」
叫んだ〝れま〟がマリトッツォを両手で鷲掴みにしてむさぼり食う。
その様子に〝うず〟がため息を付く。
「〝囚われの身〟であることをまだ理解できてないようですわね」
口の周りを生クリームで汚した〝れま〟は意に介さず、呆れる〝うず〟を見る。
「次は新しいスマホが欲しいし」
「はいはい。それはこっちの要求通りにしてからですわ」
泡の中の転送ゲートにささやきかける。
「解錠」
ゲートの扉が〝がちゃん〟と鳴った。
しかし〝れま〟はゲートを見向きもせずにマリトッツォを食べ続けている。
焦れた〝うず〟が促す。
「扉は解錠しましたわ。早く行くのですわ」
「でも、まだ残ってるし」
〝れま〟は泡の中に大量に残っているマリトッツォを見渡して手を伸ばす。
「あああああああああ、もうっ。欲しければあとでいくらでも出してあげますわ。だからとっとと行くのですわ」
さすがにブチ切れた〝うず〟から叱責されるように促された〝れま〟がようやく扉を開く。
そして〝うず〟を振り返る。
「その建物から出るだけでいいんだし?」
〝うず〟の口角が上がる。
「そうですわ。なんならひと暴れしてもらってもよろしくってよ」
声を上げたのは〝ぽの〟。
「なるほどでございますっ。騒ぎを起こして〝ひゅん〟局長を失脚させるわけでございますねっ」
「その通りですわ」
〝うず〟は〝ぽの〟に向けた目を改めて〝れま〟に戻す。
「そういうわけですので、とっとと行くがよろしいのですわ」
「じゃあ約束だし。行ってくるし」
〝れま〟の姿がゲートの向こうに消えた。